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もっともわかりやすい西洋哲学史 ⑩. 大陸合理論 (ライプニッツ) [哲学・思想]

  大陸合理論のつづきです。

 誤解を恐れずにいえば、さまざまな哲学の中には 「こ
れは カルト小説 と言ったほうがいいのではないか?」 と
思ってしまうようなモノもあります。

  僕の感覚からすると、今回ご紹介するライプニッツの
哲学とヘーゲル大先生の哲学がそれにあたります。

  さらに、ライプニッツのモナド論については、なんとなく
薬物のニオイを感じたりもします。 あまりにも発想が豊
かすぎるというか。

  もちろん、このような感想は僕の解釈が未熟であるこ
とが原因かもしれません。

  しかし、ムズカシイことは抜きにすると、今回ご紹介す
るモナド論はやっぱり奇妙キテレツな感じがします。


  それからもう1つ、ここにきて、この哲学紹介記事に対
して軽い気持ちで恐れ多いタイトルをつけてしまったこと
を若干後悔しております。

  タイトル通りの内容になっていない部分もあるかと思い
ますが、どうかお許しください。  [わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)]


  それでは、今回も始めさせていただきます。

  ルネサンスの頃、貴族や王族が芸術家や学者を宮
廷に招き、パトロンとしてその活動をバックアップすると
いう慣習が生まれました。

  それは貴族のステイタスであり社会貢献でもあった
のですが、今回ご紹介するライプニッツも活躍の場を
宮廷に求めた学者です。

  また、ルネサンス期には、現在へとつながるさまざま
な身分的なくくりが生まれています。

  職人層から芸術家と呼ばれる人が生まれ、錬金術
師は科学者となり、作家と呼ばれる人が誕生する など。
たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチも若い頃は職人工房
で職人として働いています。

  あのマキャべりがフィレンツェ・メディチ家で活躍した
のもルネサンス期。

  さらに、学問が各分野 (法学、神学、数学) に分か
れはじめるのもこの頃です。


 【 ライプニッツ 】

  ライプニッツ(1646~1716)は、ドイツ・バロック期の
万能人で、哲学をはじめ諸分野に通じ、学問と実践の
両方において活躍した人です。

  幼少の頃から書物に親しみ、大学では哲学・神学・
法学、数学を学びました。


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  卒業後、大学での教授を依頼されましたが、それを
断って活動の拠点を宮廷(ハノーファー家)に求めます。

  そこで彼は、図書館長を任されるかたわら宮廷顧
問や外交官として活躍、ヨーロッパ各地を訪れ見聞や
人脈を広げました。

  その後 1700年には、自らが尽力し設立したベルリ
ン科学協会の初代会長に就任。

  そのほか実践面においては、エジプト計画、新旧教
会合同、各地のアカデミー設立、鉱山開発、計算機の
考案、図書館運営 など多岐にわたります。

  学問においては哲学、記号論理学、微積分をはじと
した数学全般、力学、地質学、言語学、各国史、中国
思想、社会政体論、政治学 などを修め、各分野につい
ての論文が残っており、すべて合わせると膨大な量に
なるということ。

  これらの学問はそれぞれバラバラではなく、すべて
が統一された全体像を持つものとして構想されていた
ようです。

  「微積分法」 については、ニュートンとほぼ同時に理
論を発表したことで、学界では、どちらに考案者として
の功績を認めるべきかについて大論争が起こりました。


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  とくに、ニュートンがイギリス、ライプニッツがドイツ
ということで、イギリスの数学界と大陸側の数学界の
対立が数年にわたって続いたと言われています。

  現在では、両者とも独自に微積分法を確立したとい
うことになっているそうです。 ちなみに微積分という名
前はライプニッツによるものです。
 

 《 モナドとは 》

  前回お話したように、スピノザは、精神も自然も含め
すべての存在を 「神」 という唯一絶対的な実体によっ
て包括することでデカルト二元論の矛盾を解決しようと
しました。

  それに対してライプニッツは、この世界は、彼が 「モ
ナド」 と名づけた無数の実体によって成り立っている、
とすることでデカルトを乗り越えようとします。

  ライプニッツにおいても、実体の定義についてはスピ
ノザとほぼ同じで、一言でいえば 「それ自身のみで存
在しうるもの」 ということになります。

  モナドについて、ライプニッツ本人は次のように説明
します。

  『 モナドの内部が、何かほかの被造物のために変質
や変化を受けるということはありえない。 どう説明しよう
と思ってもできない。

 
  なぜかというと、モナドの中ではどんなものも場所を
移動させることはできないし、かといって、そこで何かの
内的な運動をおこしたり、それを導いたり、その勢いに
手加減を加えたりすることなど考えられないからである。

  そのようなことが可能なのは部分部分のあいだで変
化のある複合体の場合に限られている。 モナドニは、
そこを通って何かが出入りできるような窓はない 』


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 ・・・・・・ なんのことやらさっぱりわからないと思うの
で、説明します。

  モナドはこの世界における真のアトム(=不可分な
モノ)であり、宇宙における真の存在者である。

  しかし、空間的な広がりを持たない点で物的・延長
的な原子とは区別される。

  それは神による創造によって生まれたもので、神に
よらなければ終わりもなく、不滅である。

  モナドは部分を持たず不可分である。 ほかのモノ
とは相互作用をせず、ほかの何かが出入りできるよ
うな窓はない。

  外部からの原因によっては一切影響を受けず、そ
の作用は自身の内的原理のみにもとづく。

  各モナドはそれぞれに異なり、あるモナドは他のす
べてのモナドと区別される。

  モナドはそれ自身、表象と欲求をもつ精神的な存在
であり、意識的・無意識的な表象作用によって世界の
すべてを自身の内部で映し出している。

  モナドは世界の鏡であり、可能性をも含めて宇宙の
すべてのモノゴトをその内部で認識し表現している。

  創造の際に神があらかじめ定めた予定調和にした
がって、自らの意思で他のモナドと組み合わさり自己
の表象を展開し、変化していく。


 ・・・・・・ これでもわかりにくいと思いますが、中でも
特にわかりにくいのは次の点です。

  すべてのモナドが宇宙のすべてを表象しているとい
いながら、個々のモナドは他のすべてのモナドと異な
っている、とされる点。

  神に与えられた予定調和にしたがって他のモナドと
組み合わさることで自身の表象を展開する(物になっ
たり生き物になったりする)とされながら、自身の意思
によって働き、変化するとされている点。

  自身の内的原理にしたがうことと神の予定調和にし
たがうことの関係

  これらのわかりにくい点は、どうもライプニッツの原
典そのものに原因があるようなので、これ以上悩むの
はやめにしましょう。


  モナドは、アリストテレスの存在論のように階層的
な側面ももっています。

  それぞれのモナドは、濁った表象しか持たないもの
からハッキリとした表象を持つものまでさまざまな段階
があるとされます。

  物体のモナドの表象はあまりハッキリせず、動物の
魂のモナド、人間の魂のモナドというふうに存在の階
梯をのぼるにしたがって鮮明な表象を持つようになっ
ていく。

  このように、ただの物体にすぎないものであっても、
精神的な存在であるモナドにより構成されているとさ
れます。

  個々の物体は滅びますが、それを形作っているモ
ナドは不滅である。

  それを指してライプニッツは 「物体はつねに流れて
いる」 と表現しますが、これは古代イオニアのパルメニ
デスが 「万物は流転する」 と表現したのとそっくりです。


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 《 ライプニッツの存在論 (モナドロジー) 》

  ライプニッツの晩年の著作 『モナドロジー』 におい
て、この宇宙の存在のあり方、そして 神と世界と人間
の関係が説明されています。

  その中には 「矛盾律」 「充足理由律」 「不可識別者
同一の原理」 といった、名前だけでひるんでしまいそう
な原理がイロイロとでてきます。

  これらの原理は、この宇宙に存在するものが持つ
特徴をあらわしたものです。

  また前提として、ライプニッツにとって 「個体」 という
のは、それが誕生して以来経験してきたモノゴトすべて
がそのウチに含まれるもの、を意味しています。

  その上で、

  「矛盾律」 というのはアリストテレス論理学の基本で、
あるものが、そうであって、かつ、そうでないことはない、
つまり、あるものがリンゴであって同時にリンゴでないこ
とはない、という当たり前のことです。

  「充足理由律」 存在するものはすべて、なんらかの
存在する理由をもっている、ということ。

  「不可識別者同一の原理」 というのは、「自然のうち
には、数においてのみ異なる2つの個体は存在しない」
また、「識別できない2つの個体はない」 ということ。

  つまり、砂の1粒であっても 「個」 としての意味をも
ち、ほかの1粒とは区別されるということ。 

  すべてのものが、神によって創造され不滅であり、
精神的存在でもあるというモナドが組み合わさること
で成り立っているワケですから、これらの原理は当然
そこから導かれる結果だと思われます。


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  この宇宙に存在するのモノは以上のようなあり方で
存在し、この宇宙の歴史は、神が、ありとあらゆる可能
性の中から最善のものを選んで進んでいるのだ(=最
善観)。

  というのがライプニッツの世界観である、ということ
です。


  ・・・・・・ 以上、ライプニッツでした。



(※) 上の方でダヴィンチの名前がでたので、オマケ
として 「モナリザ」 のはなしをします。

  一説によると、「モナリザ」 こそが史上最高の絵画で
ある、少なくても人物画としては史上 no. 1 であると評
価されているそうです。


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  モナリザ論として、次のようなものがあります。

  モナリザがなぜスゴイのかというと、モナリザという絵
は、誰か特定の個人ではなく、「人間そのもの」 が描か
れているからである。

  世の中には、写真のように写実的でモデルになった
本人そっくりの絵画はたくさんあります。 それらの絵は、
当然モデルとなった個人を描いている。

  たとえば、光と影の画家レンブラントにも人物画があ
ります。 とても上手なのですが、やっぱり、いかにも絵に
描かれた人物、個人としての人物を写しているという感じ
がしてしまう。

  しかし、モナリザだけは違う。 モナリザのあの女性は
どこか 「個人を超えている」 ところがある。

モナリザは女性として描かれていますが、あの顔にヒ
ゲをつけて髪形を男のものにすると、まるっきり男性に
しか見えなくなります。


   20070325.jpg


  つまり、男女を超えているということ。

  また、モナリザの背景の景色は、女性をはさんで左右
の景色が連続していません。 つまり、左側の景色と右側
の景色はちがう場所なのです。

  これについても、ダヴィンチはどこか特定の場所の景
色ではなく、 「景色そのもの」 を描こうとしたからであると
言われています。

  このように、モナリザという絵画は唯一 「個を超えた
普遍」 を描いているところがスゴイのだ。


  この、「人間そのもの」 「景色そのもの」 という考え方は
もうすぐご紹介するカントの哲学と大きく関わっています。

 
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もっともわかりやすい西洋哲学史 ⑨. 大陸合理論 (スピノザ) [哲学・思想]

  つづきです。

  デカルトのあと、道は 「大陸合理論 ( デカルト ⇒ スピノザ
⇒ ライプニッツ ⇒ )」 と 「イギリス経験論 ( ロック ⇒ バークリ ⇒
ヒューム ⇒ )」 の2つに分かれ、それをカントが統一します。

  カントのあとは ( ⇒ カント ⇒ フィヒテ ⇒ シェリング ⇒ ヘーゲル
という流れになります。

 
  さて、前回説明したようにデカルトの哲学は 「精神と
物質」 というハッキリとした二元論でした。

二元論というのは、何かを説明する場合に非常に便
利なやり方で、私たち自身二元論的思考に慣れきって
います。 上⇔下、男⇔女、プラス⇔マイナス、善⇔悪

  しかし、根本的なことを目指す哲学においては、どう
しても二元論では気がすまないというか、2つを統一し
た理論、なるべく単純な理論を求める傾向があります。

  これは、哲学から派生した現代科学においても同様
ですね。

  アインシュタインが最後まで量子論を認めなかったの
も、「神がそんな確率が混ざっているような、そんなやや
こしい理論でこの宇宙を創るはずがない」 というのが理
由でした。

  アイン博士曰く 「神はサイコロを振らない」

  そういう博士の相対性理論は、「E=mc2」 (2⇒自乗)
という、確かに美しくて単純な公式です。


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  この式はとても有名ですが、この式が結局なにを意味
しているのかという説明はあまりなされません。

  E はエネルギー、m は質量、c は光速を表しています
が、この式は、エネルギーと物質と光、これら3つは突き
詰めれば同じものだということを言っています。

  エネルギーと物質が同じものだというのはまだわかり
ますが、光と物質が同じものだというのはあまりピンとき
ません。

  しかしビックバン直後の、場のエネルギーが激烈に高い
状態においては、じっさいに物質が光(光子)になったり光
がニュートリノになったりという反応が起こっていたのです。

  まさに神の領域にかすっている話です。


  もとに戻ります。

  そういうワケで、デカルトのあとしばらくは、デカルト二
元論を乗り越えるための哲学がつづきます。

ただ、デカルトの哲学は、そのあとの道が二股に分か
れてしまうほどに影響が大きかったというコトでもあります。


 デカルト (1589 ~1650)   スピノザ (1632 ~1677)
 ライプニッツ (1646 ~1716)   ロック (1632 ~1704)
 バークリ (1685 ~1753)   ヒューム (1711 ~1776)


 【 大陸合理論 】

  合理論とはというのは、①. 人間の理性を重視し、信頼
する考え方をいい、②. 1つの絶対的な原理から始まる演
繹的な哲学であるという特徴があります。

 《 演繹 と 帰納 》

  ものごとを考える際の道すじ、方法。 演繹と帰納は対
義語にあたります。

  演繹とは、はじめに抽象度の高い結論を立てて、そこ
から個々・具体的なコトを推論するやり方。 哲学者の多
くはコチラを好みます。 三段論法が典型的。

生物-哺乳類-人間-男性-白人-イギリス人-キリスト教徒  
          ( 抽象度・高  ⇔  低い )
 「生物には寿命がある」 ならば 「イギリス人にも寿命がある」

 「人には寿命がある」 「トムは人間である」 「トムには寿命がある」
           ( 三段論法 ) 

  コレに対して帰納とは、抽象度の低い事実を積み重ね
て結論を推論するやり方。 刑事ドラマにおけるホシの割り
出し方が典型です。

  どちらにも一長一短あって、演繹の短所は融通がきかな
いというところにあります。 立てた前提とほんの少しでも異
なっているトコロがあるとそれを否定しなければなりません。

  例えば、「鳥は空を飛ぶ」 という前提を立てた場合、ニワ
トリは鳥ではないということになってしまいます。

  一方で帰納の短所は、前提をいくら立てても確実な真理
には到達できないということ。

  しかし、帰納法は非常に有益な場合も多く、統計学の考
え方は帰納法に基づいていると思います。

  例えば、関東地方の視聴率を調べる場合、ビデオリサー
チが関東地方の中から無作為に選んだ家庭に機械を置か
せてもらって調べるそうなのですが、そのサンプルはたった
200 軒でイイそうです。

  200 という数は、関東地方の世帯数がどれだけ増えて
も変わりません。 そして、これは実験で確かめることがで
きます。

  まず、巨大な透明の水槽に白いピンポン球を8000個入
れます。 そして、それに加えて2000個の赤いピンポン球を
入れ、よくかき混ぜます。

そうすると、1000個のピンポン球のうち 2 割が赤い球と
いうことになります。

  そして、この10000の球の中からバケツで50個を取り出
してみる。それを何度もくり返す。 すると毎回のバラツキが
非常に多い。 50 個のうち、赤が1 割のときもあれば赤が3
割のときもある。

  次に、100個すくってみる。 それを何度もくり返す。 する
と、50 個のときよりもバラツキの幅が狭くなった。

  150個にすると、もっとバラツキが狭くなった。

ここから先は160. 170. 180 というふうに10個ずつ増や
していく。

  すると、すくい取る数を200個まで増やしたところでバラ
ツキがほぼなくなり、何回すくっても赤い球が約40個になる。
これは、母体を3万にしても10万にしても同じになります。 

実験終了。
 

 《 スピノザ 》 (1632 ~1677)

 バールーフ・デ・スピノザは、当時のヨーロッパ最大の貿
易港で、かつ最先端の場所でもあるオランダの裕福なユダ
ヤ人の家庭に生まれました。

  初等教育のみを受け、その後は家事を手伝うために大学
へは進むことなく独自に聖書や哲学、歴史、政治などの研究
をなした人です。

そして、生涯アカデミックな学者タイプではなく、市井の研
究者・著作家として活動しました。


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  高等教育を受けなかった彼は、既成の概念に捉われるこ
となく、聖書の解釈などにおいても従来にはないような批判
的な読み方ができたようです。

  スピノザこそが歴史上初めてキリスト教と聖書を真っ向か
ら批判した哲学者だと言われていますが、この時代になると、
キリスト教にも批判されても仕方がない部分が多く見られ、
形骸化が進んでいたのだと思います。

  そのため、その言動によって周囲から批判や誤解を多く受
けたようで、20代半にはユダヤ教から破門されてしまいました。

  その後も、政治など多方面における研究、執筆活動を続け
ましたが、やがて、著書の内容から 「無神論」 だとしてキリス
ト教からも非難を浴びてしまいました。 

  このように、生前においては彼を批判する声が多かったよ
うで、のちに、彼の書いた本が発禁処分を受けることもありま
した。

  しかし、一方では彼を評価する声もあって、大学での教授
を依頼されることもあったのですが、自分の思索内容が制限
されることを恐れた彼は、そのを依頼を断ります。

  そして、その後も執筆家として過ごましたが、やがて 44 歳
で短い生涯を終えました。 


  ということで、現在のスピノザの名声は彼の没後に形成さ
れたものです。

  没後100年近く経過した頃、カント(1724~1804) がスピノ
ザを評価したのをきっかけに、それ以降彼を再評価する向き
が高まっていったようです。

  その後、かの大御所ヘーゲル(1770~1831)が、彼をこれ
以上ないほどに高く評価し、それによって彼に対する高い評
価が完全に定着します。。

  ヘーゲル曰く、「スピノザは近代哲学の要点である。 スピ
ノザ主義か、いかなる哲学でもないかどちらかである」 「あら
ゆる哲学的思索の本質的資源」 なのだそうです。

フォイエルバッハもスピノザを 「近代の自由思想化と
唯物論者たちのモーゼである」 と評価しています。


  スピノザの哲学は、単純な言い方をすれば 「汎神論」 だ
といえます。

  デカルトとの関係でいえば、デカルトの二元論をもっと厳密
にするため、あるいは、デカルトの道をさらに奥まで進むこと
でデカルト路線を徹底させたのがスピノザの一元論であるとい
えます。

  しかしニュアンスとしては、“二元論を統一した” というよ
りも、「神」 の名において両者をまるごと包み込んだという感
じです。

スピノザからみれば、デカルト論にはなおあいまいな部分
があるように思えました。

  厳密さを求めたスピノザの難解な主著 『エチカ』 は、ユー
クリッドの 『数学言論』 を模して 「定義-公理-定理-証明
-系」 という数学書の体系で書かれています。


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  彼はその中で、「実体」 を次のように定義します。

  『 実体とは、それ自身のうちに在り、かつ、それ自身によっ
て考えられるもの、言いかえれば、その概念を形成するのに
他のものの概念を必要としないもの解する 』

  これは、デカルトが 「明晰判明な直感」 によって得たもの
を、スピノザが言葉と論理によって厳密に定義しなおしたとい
うことになります。

  なおかつ、スピノザはこの定義によって遠まわしにデカル
トを否定しています。

  デカルトによれば、人間の精神が自然を理解できるのは、
精神が神から与えられたことによっています。 また、私たちの
精神には 「自然の光」 が宿っているからであるともいいます。

  この説明は、精神という実体を説明するために、もう1つの
実体(神)を用いています。 これは、もう一方の自然について
説明する場合も同様です。

  もうお分かりのとおり、これはスピノザの実体についての定
義からすれば NG 。

  これに対してスピノザは、自ら立てた定義にのっとって 「実
体=神」 、唯一 「神」 のみであるとします。

  また、デカルトにおいては、精神と物質(自然)という2つの
異なった実体がどのように関わりあっているのか、なぜ精神が
自然を理解することができるのか、という点について厳密には
説明されていません。

  この疑問についてもスピノザは、両者は結局同じものなの
だ、私たちも自然も神の一部であって、「思惟も延長も神の属
性なのだ」 とします。

  このように言われてみると、確かにスピノザによる批判の方
が的を得ているような気もします。 感覚的に言って、精神や自
然よりもやはり「神」の方がより根源的な概念のように思えるか
らです。

  また、スピノザの実体の定義に従えば、普通に考えて 「神」
以外にはありえないという結果になるでしょう。


  ・・・・・・ さて、このように、根っからのキリスト教信者が語
る 「神」 の概念や 「神」 の名が出てくる議論については、じ
つは僕自身、正直いってどう判断し評価すればイイのかわか
りません。

  もっと正直に言ってしまうと、神をもちだすのはちょっとズル
イだろ、という気もします。

  理解しがたいことについて 「神」 の一言で片付けてしまっ
たら、それこそ “何でもあり” になってしまうだろ。

  ・・・・・・ しかし、このような批判はきっと浅はかすぎるのだ
と思います。 なので 「神」 の概念が含まれる議論は、知識と
して 「知る」 だけであきらめましょう。

  ただ、このような汎神論的な考え方は、人格神を標榜して
いるユダヤ-キリスト教からすれば認めることはできないと
ころがあると思われます。


  とにかく、スピノザが言うには 「人間精神も自然も含めてす
べてが神」 「万物はすべて神の属性が “必然的に” 生み出し
た様態である」 なのです(『必然的に』 に留意してください)。

  一般的に、このような考え方を 「アニミズム(精霊崇拝)」 と
いいます。 人間精神の発達史でいうと、精霊崇拝は、教義宗
教よりも前の段階に位置しています。 魔術や呪術もここに含ま
れます。

  また、日本の神道もアニミズムに含まれますが、いちばん
わかり易いのは宮崎駿監督の 『もののけ姫』 です。 あれこ
そまさにアニミズム。


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(※) 宮崎駿論はこちら (興味のある方はお読みください)
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-09-20


ただ、気をつけたいのは、スピノザの言う 「神」 はこの世界
を越えた、超越的な神、またプラトン的な神ではありません。

  「この世界=自然=神」 という、あくまでもこの世界にとどま
った自然主義的唯物論なのです。

  そして、スピノザ哲学のもう1つの特徴として 「決定論、あ
るいは運命論」 的である、また、その哲学には歴史という観
念が存在しない、ということがあります。

彼は、この世界に偶然というものは存在しない、すべてが
永遠の相の中であらかじめ決定されているといいます。

  神は必然的にこの世界を生み出した。 もし、この世界が
偶然に支配されているならば、私たちがこの世界の真理を
認識することはできないであろう。 すべてが必然であるから
こそ私たちは真理に到達できるのだ。
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このように主張するスピノザは、さらに人間の自由意志を
も否定しました。 この辺の感覚はまさにキリスト教的なところ
です。

  また、もしもスピノザが現在に生きていたとしたら、アインシ
ュタインと同じように量子論を否定していたことでしょう。


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以上のようにスピノザの哲学は、永遠の相においてあらかじ
め定まっている真理を明るみに出し、数学のように証明してい
く作業であったということです。

スピノザについては以上です。

  次回は、スピノザとは対照的な生き方をしたライプニッツ
について。


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もっともわかりやすい西洋哲学史 ⑧. 近代への序曲 [哲学・思想]

  前回は、デカルトが自らの哲学を構築するに当たって4つの
規則を設けたというところまでお話しました。

  そのつづきです。

  デカルトは、自分自身を物質とは無関係である “純粋な精神”
とみなし、「われ思うゆえにわれあり (コギト・エルゴ・スム)」 とい
う第一原理をうち立てました。

それは、他方において、私たちを取り巻く外界・自然がなんら
意味をもたない、空間座標に象徴されるような、どこであっても
均質で無機質なものとみなされることを意味してもいます(= 機
械論的世界観)。 

  コギトとは 「私は考える」 というラテン語に由来しますが、こうし
て、精神として純化された人間 (コギト)は、もう一方で、物質とし
て純化された自然と向かい合う存在となりました。

  コギトはさらに 「近代的な自我」 へとつながっていき、精神と自
然の向かい合う関係は近代的な 「主体-客体」 の図式につなが
っていきます。


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  デカルトによれば、「我われが明晰判明に理解するモノゴトはすべ
て真である」 といいます。

しかし、デカルトはなぜ “自分がモノを考えている” という認識そ
のものがまやかしであるかもしれない、と疑わなかったのでしょうか?

  あるいは、「なぜ 『自分(主観)が自分の考え(客観)を正しく認識
しうる (a )』 と判断したのでしょうか?」 (b )

  この問い(b)に対して、デカルトは答えてくれません。 あるいは
(b )という問いを立てなかったともいえます。

  デカルトにとって (a )は自明のコトであり、人間の精神にはもとも
と (a ) という能力がそなわっているとされます。 そして、ここにデカ
ルトの人間の理性に対する絶対的な信頼があります(=合理主義)。


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  次に、精神は客体を正しく認識しうる能力をもっていますが、そ
れは個人的なものではなく、「万人がモノゴトを同じように考えるこ
とができ」 ます。

  デカルトは、万人に備わるこの能力を 「良識」 と呼び、また同じ
ものを 「自然の光」 と呼ぶ場合もあります。 これは世間的な常識
のコトではなく、“モノゴトを正しく認識できる能力”を指しています。

(※) ここでいう 「良識」 とは 「理性」 と置きかえてもよく、それなら
ば始めから 「理性」 と言えばいいのですが、哲学者はこういう造語
好きなのです。

 万人に等しく 「良識」 が備わっているということは、“人間はみな
同型である” という発想につながり、これがやがて啓蒙へとつなが
っていきます。

  ここまで来れば 「平等」 という発想まであと1歩なのですが、この
1歩がなかなか埋まらないのが近代の歴史なのです。


  さて、ここにきてデカルトは 「神」 を持ち出します。

  デカルトの理性に対する絶対的な信頼は、それが神に由来する
ものであることによっています。


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  デカルトによる、いわゆる 「神の存在証明」 を簡単に説明すると
次のようになります。

  私たちは 「完全なるもの」 を想起することができる ⇒ 「完全な
るもの」 を想起することができるということは、「完全なるもの」 の
存在を前提としている ⇒ 「完全なるもの」 とは神以外にありえな
い ⇒ よって神は存在する ⇒ めでたしめでたし

この考え方は、プラトンのイデア論にそっくりですが、それはさ
ておき、ここで注目すべきは、スコラ哲学を批判したデカルトでさえ
神を持ち出してしまった、ということではなく、「神の完全性=人間
の理性の完全性」 であるということです。 

  いつの間にやら、神の絶対性が人間の絶対性にすりかわって
しまいました。

  これはつまり、「人間が神の玉座についた」 と解釈できますが、
早くも17世紀初頭のこの時点で、このような発想が誕生していた
ということです。

  そして、神の力を受け継いだのが近代科学だといえ、この後の
数世紀でそれが証明されていくことになります。


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 ・・・・・・ うまく話がまとまりましたが、これは近代の神話であると
もいえるでしょう。

  古代の人たちは、私たちが西洋哲学史を信じているのと同じよ
うな感覚でゼウスやらポセイドンやらを理解していたのだと思います。

  とはいえ、哲学史はこの先まだまだつづいていきます。


《 デカルト的心身問題 》

  このあたりの話は簡単に触れるにとどめます。

・ デカルトによれば、身体による判断=「感覚」、思惟による判断
=「悟性」 であるとされます。

  人間がまちがった認識をしてしまうのは感覚に頼るからであって、
モノゴトの判断は悟性によらなければならない。


・ デカルトは、人間を物質とは関係ない純粋な精神であるとみな
しましたが、これはその反面、身体が純粋なモノであるとみなされ
たことにもなります。

  その結果、精神と身体は明確に区別され、それぞれに異なった
原理にもとづくものとなりました。

  そうすると、当然この2つはどのように関係しあっているのか、
という問いが生まれ、デカルトはそれを細かく説明していきます。

  しかし、その理論は自らの造語を自らの造語によって説明してい
く理論なので省略します。

・ デカルトの世界観が 「機械論的世界観」 呼ばれるのは有名
ですが、この世界観はデカルト哲学全体を指すのではなく、精神
と物質に分けたうちの物質(自然・外界) の側を説明するものです。


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  デカルトについては以上です。

  この先、哲学史は二股に分かれ並行して進みます。 それはそ
れぞれ 「大陸合理論」 と 「イギリス経験論」 と呼ばれますが、前
者がデカルトを受け継ぐ路線となります。

 そして、この両者をカントが統一することになります。


  今回はここまでです。


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もっともわかりやすい西洋哲学史 ⑦. ルネサンス から デカルト へ [哲学・思想]

  今回は、普遍論争からです。

  前回、中世の神学において 「言葉」 が重視され、トマス・アクィナ
スの神学においてさらにその傾向が強まったという話をしました。

  旧約聖書 「創世記」 は 『はじめに、ロゴスありき』 という文章で
始まります。

  この 「ロゴス」 は通常 「ことば」 と訳されますが、旧約の神は、こ
の世界を創るときに、他の何よりもまず 「ことば」 を誕生させたワケ
です(そのあと天や地を創る)。

  なので、キリスト教が言葉を重んじるのはある意味当然なのです
が、それが極端なところまでいってしまったのが、次の 「普遍論争」
だといえるでしょう。

  「ソクラテス (個物)」 と 「人間 (種・普遍)」 という言葉があると
き、人間という種がソクラテスとは別に実在するのか? それとも、
単に言葉や概念にすぎないのか?

  実在するという立場を 「実念論」、単なる言葉にすぎないとする
立場を 「唯名論」 といいます。

  この論争は、11 世紀から14 世紀にかけて世代を越えて続くので
すが、ローマ・カトリックは普遍的な教会であることを標榜しているの
で、当然 「実念論」 の立場に立ち、14 世紀 「唯名論」 の代表者ウィ
リアム・オッカムの思想は異端とされました。

  一般人的な感覚で言うと 「バカバカしい」 という感じもしますが、
哲学において 「言葉」 の問題は根本的なことで、思想史上、現在に
おいても中心的な話題の1つになっています (20 世紀哲学の動向
を指して 「言語論的転回」 という)。

  ここではこれ以上深入りはしませんが、後ほど触れることもある
かと思います。



  さて、ここからはいよいよ 「近代 (Modern)」 にはいりますが、そ
もそも 「近代とは何か」 という話から始めます。

  近代とは、一般的にルネサンス及び宗教改革にはじまり、絶対主
義からフランス革命を経て現在に至るまでの時代を指しています。

  具体的には、以下のようになります。

 《 伝統的社会(前近代) - 近代的社会 》

 〈 技術 〉 人力、畜力 - 機械力 (動力革命、情報革命)
 〈 経済 〉 第1次産業 - 第2次産業、第3次産業
        自給自足経済 - 市場的交換経済 (資本主義化)
 
 〈 法 〉 伝統的法 - 近代法
 〈 経済 〉 封建制 - 近代国民国家
        専制主義 - 民主主義
  
 〈 社会集団 〉 家父長制 - 核家族
           機能的未分化 - 社会的分業

 〈 地域社会 〉 村落共同体 - 近代都市
 〈 社会階層 〉 家族内教育 - 公教育
           身分階層 - 自由、平等、自由な移動
 
 〈 知識 〉 神学的、形而上学的 - 実証的、科学的
 〈 価値 〉 神中心 - 人間中心
        非合理主義 - 合理主義 (宗教改革、啓蒙主義)

 〈 人間関係 〉 ゲマインシャフト - ゲゼルシャフト

(※) ゲマインシャフト ⇒ 互いに他者の人格全体に非限定的に
かかわる関係。 家族、農村共同体。
    ゲゼルシャフト ⇒ 他者の属性の特定の側面に関して功利
的にかかわる関係。 市場、契約関係。



 【 ルネサンス 】 

  近代は、ルネサンスによって幕を開けます。 ルネサンスとは re
-born、つまり 「再生」 という意味ですが、「ギリシア・ローマの文芸
が華やかだった時代に還ろう」 という時代感を指しています。

人々の熱気は相当に高かったようで、「ローマ再建」 のスロー
ガンのもと、聖ペトロの墓地跡にサン・ピエトロ大聖堂が建立され
ました。

  この 高さ130m (ビルの 40 階程度)、長さ210m を誇るキリ
スト教最大の建造物は 「ルネサンスのピラミッド」 と言ってもよく、
このプロジェクトには多くの著名人が参加し、完成までに170年
の月日を要しました。


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  美術史において レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラフ
ァエロ という3人の巨人が現れたのもこの時代です。

  そして、ルネサンスにはもう1つ、「神のことばっかり考えないで、
私たち人間自身に関心を向けよう ! 」 という人間中心主義という
面があります。

 人々がその関心を神から人間に移した様は、この頃に著された
『デカメロン』 という人間観察物語集からも窺い知ることができ、こ
の物語集はダンテの 『神曲』 に対して 『人曲』 と呼ばれています。

  中世においては、神と被造物の間には越えることのできない深
淵が横たわっていましたが、ルネサンスになると、神は自然の中
にも表れていると考えられるようになり、自然は肯定され、自然は
神々しいものとなりました。

  その表れとして、中世までは存在しなかった風景画というものが、
ルネサンス以降、描かれるようになっていきます。


  歴史の流れを図式的イメージで言うと、近代以降というのは、1
本の川が海に近づいて扇形に広がっていくように、社会の幅が一
気に広がっていくような感じがあります。

  社会の幅は広がっていくのですが、同時に、この世界が(複雑
にではなく)単純になったのが近代という時代です。

 いま、テーブルの上にコップがあるとします。

  近代的な感覚で言うと 「ここにコップがある」 という、ただそれ
だけのコトです。

  しかし、中世的世界観で考えると、このコップは 「どのように使
われるのか」 という目的と、製作者の意図、さらに形相を抜きにし
ては考えられません。

  また、ガリレオがピサの斜塔から鉄球を落とすとします。

  近代的な感覚では、「重力によって鉄の球が落下する」 という
コトになります。


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  それに対して中世的な感覚で言うと、この鉄球の運動は、より
良い秩序を目指すためのものであるとされます (火は上方に、鉄
は下方に存するのが世界の秩序である)。

  さらに、この鉄球の運動は、始動因、目的因、質料因、形相因
という4つの原因をもっており、始動因は鉄球を落とした人ガリレ
オ、またはガリレオの意思だとされます。

  加えて、この鉄球の運動には神の意思や奇跡の介在する余地
もありました。

  落語で、イヌの眼を義眼にしたら電柱に小便をひっかけたくなっ
たという話がありますが、この場合、イヌの眼は死んだ物体ではな
く、生きたイヌ全体とつながっているワケです。

  ここで言う中世的世界観とはつまりアリストテレスの世界観です
が、以上のように近代以前においては、この世界はさまざまな意味
にあふれていたと言えます。

  ルネサンス期まで1000年にわたって常識となっていたアリスト
テレスの世界観を 「物活論的世界観」 といい、以下で説明するデ
カルトの世界観を 「機械論的世界観」 といいます。

  ちなみに、デカルトとガリレオ・ガリレイ (1564 ~1642) は同時
代の人で、科学史において ガリレオ-ケプラー-ニュートン によ
る物理学的進歩を 「科学革命」 と言います。

 科学革命についてはこちら
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-13-2


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  ガリレオは、木星の衛星や土星の輪を発見したことや、振り子
の原理、落体の法則などで有名ですが、それ以上に重要なのが、
「仮説を立てて、実験でそれを証明する」 という、科学の手法その
ものを確立した点にあります。

これは 「問題は頭の中でひたすら考えれば解ける」 というアリ
ストテレス的な理性への過信から、転じて 観察や経験、実験とい
う手法に目が向けられたということでもあります。

  ところで、これは哲学史の範囲を超えることですが、14世紀から
16世紀にかけて、ルネサンス、宗教改革、科学革命、大航海時代、
魔女狩り が同時並行的に起こっており、このことからも大変革の
時代だったというのがわかります。
 
  ルネサンスは人文主義(ヒューマニズム)と言われますが、同時
にこのルネサンス期には、魔女狩りや、残酷なアメリカ大陸征服と
いった反人文主義(アンチヒューマニズム)的なものも全盛であった
という面もあったということです。


  大局的にみると、これ以降世界の歴史は欧米の1人勝ち状態
へと進んでいきますが、それはひとえにヨーロッパが科学というバ
ケモノを発明したことによっています。

  ガリレオに始まる 「科学革命」(その結果である産業革命も含め
て)は、人間の歴史の中で、紀元前8000年頃に起こった 「農業革
命」、前3000年頃の 「都市革命」、前800年頃の 「商業革命」 につ
づく4つ目の革命だといえますが、私たちの時代もその余波の範囲
内にあるといえるでしょう。

  それまで世界の極西に位置する寒い辺境の地にすぎなかった
欧州が、ただ1つ 「科学」 という武器を手に入れたことによって、
遅ればせながら “近代デビュー” を果たしました。

  青春用語に “高校デビュー”“大学デビュー” という言い方があ
りますが、デビューが遅い者の方が限度なく突き抜けてしまったり
します。

  「科学-産業革命」 以降のヨーロッパのハチャメチャさを考える
と、それと通じるところがあるような気がします (※)。


(※) 中米帝国の蹂躙、ネイティブアメリカン絶滅、帝国主義、ア
フリカ分割、中国分割、世界大戦、必要以上にエラそうな態度 など

 4つの革命関連記事についてはこちら
(ながい記事ですが興味のある方は読んでください)
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-05-30-2



 【 ルネ・デカルト 】 (1589 ~1650)

  科学というのは、この世界の秩序を数学で単純化するというこ
とですが、これは ピュタゴラス-プラトンに始まり、錬金術の歴史
を経てガリレオ-ケプラー-ニュートンへと至る道です。

  この科学的、近代的世界観の哲学的基礎付けをしたのが、これ
からお話しするデカルトです。


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《 精神と物体 ~ デカルト的二元論 ~ 》

  デカルトは、この世界を 「精神と物体」 という2つの実体に分
けます。

  その上で、精神の属性は 「思惟」、つまり考えることであり、物
体の属性は 「延長」、つまり空間的に位置を占めることであるとし
ました。

(※) 実体、属性、延長など、ふだんは使わない言葉が多くで
てきますが、これらは哲学の業界用語みたいなもので、なんとな
くニュアンスがつかめれば充分です。


「延長」 という属性が成り立つためには、その前提として 「均質
な空間」 という概念がはっきりしていなければなりません。

デカルトによれば、「空間」 とは場所ごとにさまざまな意味を持
つものではなく、単純で無機質・無意味なものとされます (a)。

  数学の座標軸(X,Y)を生み出したのもデカルトで、これにより幾
何学と代数学が結びつきました (※)。

  ある物体が空間的に位置を占めるというコトは、そこには他の
物が入り込めない、つまり排他的であることを意味し(b)、例えば
コップに精霊が宿ったり、鉄球に悪魔がとりついたりはできないと
いうことを意味しています。

  また、物体の属性が 「延長」 と考えられることによって、逆に延
長をもたない天使や精霊といった存在は成り立たなくなるというこ
とを意味してもいます (c)。

  このようにして、近代世界は 「精神と物質」 という単純な原理
に基づくものとなりました。

言い換えれば、自然はモノとなって測定できる対象となり、精神
はモノから自由な純粋な精神となりました。

(※) 数学は幾何学と代数学に分けることができますが、幾何学
は古代ギリシアで発展し、その後ヘレニズム期にエジプトのアレク
サンドリアにおいてエウクレイデス(ユークリッド)によって古典的完
成をとげました。

  それに対して、代数学(連立二次方程式など)は商業に長けた
イスラム世界で発達しました。

  また、ヨーロッパと共通の祖先をもつ(インド=ヨーロッパ語族)
古代インドにおいても数学が盛んで、7世紀にインドにおいて 「0 」
(ゼロ)という概念が発見(発明 ?) されています。


《 明晰判明な精神 ~ われ思うゆえにわれあり ~ 》

アリストテレスの哲学は言語による世界の分析という方法に基
づいていましたが、スコラ哲学は、12世紀に逆輸入されたアリス
トテレスの体系を基礎としています。

  スコラ学者たちの言葉の海に溺れた果てしない議論は、デカ
ルトの目には、なんら確実なものに基づかないあいまいなものに
映りました。

 ソクラテス - プラトン - アウグスティヌス - デカルト
(合理主義)
 アリストテレス - スコラロックバークリヒューム


      image001.jpg
 (デカルトがアリストテレスの著作を踏みつけている風刺画)


  それに対してデカルトは、哲学は絶対確実な地点から出発す
るべきであると提唱します。

  絶対確実な出発点は、スコラ学者のような 「議論」 によっても
たらされるのではなく、「直感」 (=明晰判明な認識) によっても
たらされるものだとデカルトは考えます。

  それゆえ、デカルトの哲学は明晰判明に認識できる出発点か
ら始まり、その出発点こそが 「われ思うゆえにわれあり」 (コギト
・エルゴ・スム) となるワケです。

  「われ思うゆえにわれあり」 (コギト・エルゴ・スム)

  デカルトは、この言明を自らの哲学の 「第一原理」 と定めま
す。 そして、それは次のようなコト。

  デカルトはまず、世の中のすべてのモノゴトを疑い否定します。
そして、自分のカラダの存在をも否定します。

  それでも、どうしても疑いえないことが1つ残る。 それは、「自
分がモノを考えているという事実」。

  デカルトはこの第一原理から出発し、演繹的方法によって整
然と構成できる哲学体系を目指しますが、それはユークリッド幾
何学を模範としたものでした。

  幾何学は、正しい手順を踏めば誰でも1つの正しい解答にた
どり着くことができます。

  デカルトは、これと同じように哲学においても万人が1つの正
しい解答を得ることができるような体系を構築しようとしたという
こと (※)。

  例えば、ユークリッド幾何学に 「点とは広がりをもたないモノ」
「線とは幅をもたないモノ」 という定義があるように、デカルトも
自らの体系に4つの規則を定めました。 

 ①. 明らかに真理であると認めうるもの以外は認めないこと。
即断と偏見を避けること。

 ②. 検討する対象を、できるだけ細かく多数の小部分に分割
すること。

 ③. 単純なものから始め、徐々に複雑なものへという段階を踏
むこと。 現実には後先のない事柄にも秩序を仮定して考えること。

 ④. 自分は何1つ見落とさなかったと確信できるほどに、徹底
的に再検討すること。

  近代科学の考え方は、一言でいうと 「分析と総合」 であると言え
ますが、デカルトの4つの規則にそれが表れています。


(※) 数学によれば唯一の正しい解答にたどり着くことができる
という考えは、20 世紀半ば、ゲーデルによってくつがえされること
になります。


 ・・・・・・ 長くなってしまったので、今回はここまでにします。


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もっともわかりやすい西洋哲学史 ! ⑥. 神学の時代 [哲学・思想]

  今回は、ヨーロッパ中世のお話です。

  中世とは、もともと 「古典古代 と ルネサンス という2つの
時代のはざまにある時代」 という意味で、一般的に、西ロー
マ帝国の滅亡からルネサンスに至るまで、つまり5 世紀~
15 世紀頃までを指します。

  ゲルマン人の侵入によって、西暦400年頃から西ローマ帝
国の破壊がはじまり、476年、ついに帝国は崩壊。 その後も
数百年にわたって破壊が進みます。

  帝国が築いた公共の下水道や浴場、図書館のような高度
文化はことごとく破壊され、100万人都市であったローマの人
口も 4 万人まで落ち込んでしまいました。

  中世は従来 「暗黒時代」 と言われてきましたが、1000年
.をかけて 「ヨーロッパ世界」 という1つのまとまりが形成され
熟成された期間という意味では重要な時代だといえます。
 
  地域的なまとまりを形成する上で重要な役割を果たしたの
がキリスト教であり、また、中世のあいだヨーロッパの知的伝
統を受け継いできたのもキリスト教、とくに修道院でした。


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  【 アウグスティヌス 】 (354~430)。

  中世は、一言でいうと神学の時代です。 今回説明するの
は 「キリスト教最大の教父」 と言われるアウグスティヌス と
「中世最大の体系家」 トマス・アクィナスです。

  アウグスティヌスが生きたのは西ローマ帝国の最晩期、
ゲルマン民族の侵入によってギリシア・ローマの古代文化
が崩壊していく時代です。

 混乱した時代にふさわしく、アウグスティヌスは波瀾にと
んだ人生をおくりました。

  ローマ帝国領北アフリカで中産階級に生まれた彼は、カル
タゴで初等・中等教育を受け、19歳のときキケロの 『哲学の
すすめ』 を読んで哲学(愛智の道)に目覚めます。

  彼ははじめに母親の宗教であるキリスト教に触れますが、
聖書の素朴な文章に飽き足らず、その後の9年間、マニ教の
聴聞者として過ごします。

  マニ教は宗教と哲学が合わさったような癒しの教えによっ
て当時さかんであった宗派で、善と悪、光と闇、霊と物質の
二元論を説いていました。 


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  以前から情欲におぼれる放蕩生活を送っていた彼は、精
神と肉体の統合という問題に悩んでいましたが、その答えが
見いだせないことからマニ教に失望し、ローマに渡ります。

  その地において、はじめアカメデイア学派の懐疑論に傾き
ますが、その後、聖書の霊的解釈に接し影響を受け、他方で
新プラトン学派に出会い心惹かれていくことになります。

  マニ教の二元論的な考えに疑いをもっていた彼は、とくに
「悪」 を 「善の欠如」 とみなすプロティノスの考えに賛同し、
その教えを研究していくことになりました。 

  新プラトン主義に出合ったことで享楽的な生活から足を洗
った彼は、その後の神秘体験をへて真理の存在を確信する
に至りキリスト教に回心、32 歳で修道院に入ります。


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  彼が新プラトン主義から学んだものは、人間の精神をこえ
た超越的なものが実在するという考え方。 つまり、真なるもの
はこの人生の外に存在するということ。

  そして、すべての物事が神に由来するということでした。

  彼は、新プラトン主義を独自に解釈しなおし、自らの神学
を組み立てていきますが、それは哲学と宗教の融合であり、
ヘレニズムとヘブライズムの融合だともいえます。

  はじめは飽き足らなかった聖書ついて、文言の奥に神の
言そのものを見出す 「解釈学的」 な手法をとることによって
思想が深まったとされます。

  当時は、ゾロアスター教に始まる善と悪の二元論が横行し
ていた時代ですが、グノーシス主義もマニ教も二元論をとり、
この世界を 「悪」 であるとしました。

  アウグスティヌスもこれらの影響を受け、地上の国と神の
国は別の原理が支配しているとしましたが、善と悪の対立で
はなく、善の欠如としました。

  こうすることでオリエント渡来の善悪二元論の過激さが弱
められ、アウグスティヌスの思想はカトリックの受け入れ得る
ものとなります。

  彼は、人間を非常に非力で微小な存在にすぎないと言い
ます。 ゆえに、人間は神の恩寵なしには善をなしえない。

  神以外のものをそれ自身として愛することは倒錯的な愛
に溺れることである。 しかし、弱い人間は神への愛のみにと
どまることができない。 そこでキリストの助けが必要となる。

  彼の思想の基底となっているのは、宇宙の中の微小な存
在にすぎない人間存在への、存在の源泉である神によって
与えられる特別なめぐみへの感謝と賛美の念、だと言えます。


《 終 末 論 》

  アウグスティヌスの思想のもうひとつの特徴は、神の国と
地上の国とのたたかいの帰結として 「終末論」 打ち立てた
ことです。


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  それまでのギリシア思想には終末論という発想はなく、彼
が歴史は直線的に終末へ向かうとしたことによって、歴史は
初めてそれ自身目的と意味を持つものとなりました。

  これ以降、哲学と歴史が結びつくようになり、この発想は
やがて近代の 「歴史は進歩という意味を持つ(進歩史観)」
という思想に大きな影響を与えています。

  彼によれば、終末において救われる者とそうでない者はあ
らかじめ神によって定められているとされますが、この意味で
アウグスティヌスは決定論者、運命論者であると言えます。

  また、彼は 「歴史とは神の国と地上の国の闘いの過程で
ある」 とも言います。

  それはやがて 「神の国は教会にあり、教会こそが救いで
ある、教会の外に救いはない」 という中世キリスト教の 「教
会絶対主義」 的な主張へと発展いき、のちの王権との権力
争いにおいて教会のよりどころとなっていきます。


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  ユダヤの地方宗教にすぎなかったキリスト教は、ギリシア
哲学の成果を取り入れることによって普遍的な宗教、世界宗
教になりえたと言えます。

  そのための努力はパウロに始まり初期キリスト教の教父た
ちの仕事を経て、アウグスティヌスにより1つの典型が示され、
哲学にも引けを取らない体系をそなえる(理神化)に至りました。 

  彼によってキリスト教の理神化が進みましたが、その一方
で彼は 「神の啓示」 を非常に重んじていたと言われ、当時横
行していた神秘主義の影響も大きく受けています。

 というか、ヨーロッパにおける神秘主義の伝統は根強く、18
世紀、ニュートンの頃までつづきます。

  アウグスティヌスはカトリック教会において 「最大の教父」
と呼ばれ重視されているのをはじめ、トマス・アクィナス、カル
ヴァン、ショーペンハウアー、ニーチェに至るまで、後世に大き
な影響を与えています。


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【 トマス・アクィナス 】

  アウグスティヌスとともに、もう1人の神学の完成者と評価
されるトマス・アクィナスは、中世の秩序が完成した13 世紀に
生きたイタリア・ドミニコ会の修道士です (1225~1274)。

 トマス・アクィナスの思想は 「スコラ哲学」 の系譜に含まれ
ます。 スコラ哲学とはつまり学問的な神学を意味し、9 世紀に
始まり、トマス・アクィナスの時代に全盛期を迎えました。


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  今日 「スコラ的」 といえば形式的で理屈っぽい無意味な議
論、とういように否定的に使われますが、もともとは 「学校」 と
いう意味でした。

  その後 「学校で研究される神学」 という意味に転じますが、
その言葉どおり、この時代になると神学の研究・教育機関が
整備され、教義も啓示よりも言葉が重視されるようになります。

  この時代には、十字軍の結果としてイスラム圏から古代ギ
リシアの知的遺産がアリストテレスの体系というカタチで逆輸
入され、それがスコラ神学の基礎として採用されました。
 
  トマス・アクィナスの功績の1つは、信(信仰・啓示)と知(理
性・哲学)を明確に区別し、両者の意義と関係を示したことに
あります。

信仰とは、神の啓示によるものであり、哲学とは、神の恩寵
が存在するということを言葉によって合理的に証明することで
あるとされます。

  ここでトマスは、信仰によるだけではなく、理性(哲学)によっ
ても真理に近づくことはできると考え、それを実践していくこと
になります。


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哲学というのは、古代ギリシアの頃から言葉による 「神の存
在証明」 という面をもっていましたが、トマス以降、神学は言葉
による定義が重んじられ、「神とこの世界の関係を言葉によって
説明する体系」 というその性格が強くなっていきます。


古代以来、ヨーロッパにはプラトン主義とアリストテレス主義
という2つの知的潮流が脈々と流れつづけています。

  それは、この世界を超えた超越的な世界へロゴスによって
上昇していくプラトン的な方向と、この世界にとどまって世界の
多様なあり方を言葉によって説明していくアリストテレス的な方
向の2つ。

  アウグスティヌスはプラトン思想の枠組みで神と真理の問題
を説明し、トマス・アクィナスはアリストテレスの思想に依りました。

  こうして、中世の神学はギリシア哲学の2つの流れを自らの
うちに取り込んだことになり、当然ですが、これは非常に重要な
ことです。


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  トマスの神学が広く受け入れられた1つの理由として、彼が
より所としたアリストテレスの階層的な世界観が中世の世の中
にマッチしたということがあります。

  アリストテレスは、存在するモノゴトを次のように階層的に説
明しました。

  上から  神 (不動の動者、純粋形相) ⇒ 人間 ⇒ 動物 ⇒
植物 ⇒ 無生物 ⇒ 質料

(※) 「不動の動者」 とは、自然界にみられるあらゆる運動に
原初の一押しを与えた存在。


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  トマス の考えでは、人間の上に天使がおかれています。

中世の神学では、このように階層秩序が肯定されましたが、
これに対して、ここから数百年後、日本の江戸幕府が鎖国政策
をとった主な理由は、封建的身分秩序を否定する思想であるキ
リスト教が流入するのを防ぐためでした。

  この対比から、次の2つが読み取れるように思います。

  たとえ神に関する学問であっても時代ごとの社会経済構造
のあり方に左右されるということ。

  そして、江戸時代において日本の社会がヨーロッパよりも数
百年遅れていたこと。


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 ・・・・・・ 以上のように、神学・哲学において言葉が重視され、
その傾向は、このあとさらに強まっていきます。

  そしてついには、中世最大の論争といわれる 「普遍論争」 が
くり広げられるのですが、そのお話は次回にさせていただきます。


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もっともわかりやすい西洋哲学史 ⑤. 古代末期~中世の哲学 (上) [哲学・思想]

  それではつづきです。

  ⑤ と ⑥ では、アリストテレス没 ~ デカルト登場までの
1900 年間を扱います。

  西洋哲学史の中で、この期間、つまり古代末期と中世に
おいては、それほど思想的な進歩はみられませんでした。

  よって、この期間は間奏曲であると言ってもよく、アリスト
テレスによって完成した古代哲学が、この期間どのように維
持され近代へと受け継がれていったのかという話になります。

  はじめに、この期間の歴史を確認しておきましょう。

  アリストテレスと同時代のアレクサンドロスによる東方遠
征によってアジア各地にギリシア文化が移植され、ヘレニズ
ム文化が生まれます。

  古代オリエントとギリシアの文化が融合することにより東
方で新しい思想が誕生し、それはやがてキリスト教に大き
な影響を与えることになります。

  紀元30年頃、キリスト教が成立。 ローマ帝国は始めキリ
スト教を禁止しましたが、やがて方針を転換し、325年 キリ
スト教はローマ帝国の国教になります。

  その後395年、ローマ帝国が東西に分裂。 この前後から、
帝国にゲルマン民族の侵入が始まります。


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  ゲルマンによって帝国は蹂躙され、476年、ついに西ロ
ーマ帝国が滅亡。

  これ以降、ルネサンスに至るまでの1000年間、ヨーロッ
パは長い長い 「暗黒時代」 を迎えることになります。


  一方、ギリシア・ポリスの衰退後、プラトン-アリストテレ
スなど古代ギリシアの知的遺産は、プトレマイオス朝エジ
プト、アレクサンドリアの図書館に保存されました。

  この図書館は、世界中の文献を収集する目的で紀元前
300年頃プトレマイオス1世によって設立されたもので、文
学・地理学・数学・天文学・医学など、あらゆる分野の書物
が集められました。

  学問センターとしても機能したこの図書館には、 エウク
レイデス(ユークリッド)、プトレマイオス、アルキメデスをは
じめ各地から著名な学者が集まり、ヘレニズム文化におけ
る学術研究センターとして大きな役割を果たしました。

  ここにおける学術的な成果は、後の近代科学の誕生にも
大きく貢献することになります。

  その後、エジプトがイスラム勢力に征服されたことにより、
それ以降、古代ギリシアの知的遺産はイスラム勢力圏の中
で保存されていました。

  12世紀、十字軍によってヨーロッパがイスラム世界と接触
したことによって、イスラム圏内で保存されていたギリシアの
学問がヨーロッパに逆輸入されます。

  それによって刺激を受けたヨーロッパでは大学が設立され
るようになり、ルネサンスへと向かっていきます。


   ヨーロッパの地において中世をとおして古代以来の知的
伝統を受け継ぎ維持してきたのはキリスト教、特に修道院
でした。

  非常に長い期間にわたって古代の遺産を維持することが
できたのは、プラトン-アリストテレスの絶対的なものを追求
する思想が、そのまま 「神の存在証明」 として流用できたと
いうのが1つの理由になっています。


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  それでは、元に戻って説明していきます。

【 エピクロスとストア 】

  アリストテレス亡き後、歴史はヘレニズムからローマ帝国の
時代となりますが、この頃の4大哲学として、エピクロス派、ス
トア派、アカメデイア学派(プラトン派)、逍遙学派(アリストテレ
ス派)があります。

  このうちエピクロスとストアの思想においては、特徴として
個人の生き方に目が向けられました。

  エピクロス(BC342~271)は、「快楽主義」 を唱えたヘレニ
ズム期の哲学者です。


快楽主~1.JPG


  その哲学の主題は、いかにして個人の心を乱すさまざまな
原因を取り除きうるか、ということでした。

  世界観においてはデモクリトスの原子論を受け継いでおり、
エピクロスによれば、死とは、魂をつくっている原子がただ離
散するだけであり、なんら悪いことでも恐れることでもないとさ
れます。

 また、神というのは最も小さい原子である。 よって、神はこの
世の事柄と無関係であるとされました。

  彼は、私たちの心を乱すさまざまな考えは 「臆見(ドクサ)」
なのであり、それらの誤った考えに対して事の正しい真相を伝
えることにより私たちの心に平安をもたらそうとしました。
 
  また、「死は我われにとって無関係でである。 なぜなら、我
われが現存するときは死は現存せず、死が現存するときは我
われは現存しないからである」 とも言います。

  このように言うエピクロスは 「快楽の哲学者」 といわれます。

  彼は、私たちの心を死や神という恐怖から解放し魂に平安
をもたらそうとしましたが、それは 「隠遁者風の快楽」 であり、
現実否定でもありました。

 エピクロスのいう心の平安な状態を 「アタラクシア」 といいます。


さて、一方のストア派ですが、こちらはヘレニズム期からロー
マ帝政期に至るまで長い歴史をもち、ローマ帝国の一般的道徳
となった哲学です。

  ストア派は前3世紀はじめ、キティオンのゼノンによって始ま
った学派。

ゼノンはエピクロス派とは異なり、アテナイのアゴラ(中央広場)
を見晴らす柱廊(ストア・ポイキレ)において教授したことによりこ
う呼ばれています。


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  ストア派では倫理学を重んじられ、その禁欲的な考え方は
ストイックの語源でもあります。

  彼らにとって哲学とは、単に信念や倫理的な観念ではなく、
持続的な実践と鍛錬をともなう 「生き方」 を意味しています。

   目指すべき 「生き方」 は、「理性に従って生きること」 であ
るとされましたが、 彼らによれば 「理性」 とは 「自然の摂理
(ロゴス)を理解すること」 を意味していました。

  理性に従うことによって 「情動」 から解放され(=苦痛から逃
れ)、アパテイア(心の平安)の境地に至ることが目標であるとさ
れ、このあたりにエピクロスとの共通性がみられます。

  また、ストア派は人間と自然を同視し、すべての人間は同じ
で平等であるという世界市民主義(コスモポリタニズム)の発想
を持ち、人間の兄弟愛と全人類の本性的平等を称揚しました。

  ストア派の哲学は、主にローマ帝国の支配階級に信奉され
ましたが、彼らは基本的に戦士であり、このような禁欲を重ん
じる態度は、鎌倉時代以降の日本の武士階級のあいだで禅宗
が信奉されたのと似たところがあるのではないでしょうか。

  ストア派の世界市民主義はローマ市民権やローマ帝国の領
域拡大に対応していたという限界があり、平等思想についても、
当時が奴隷制であったことを考えると、今日における平等思想
とは根本的に異なっている点には注意が必要です。



【 グノーシス主義 と 新プラトン主義 】

  エピクロス派とストア派の世界観はソクラテス以前のイオニ
ア自然学の考え方とよく似ており、合理主義的なものでした。

  一方、ローマ帝国が全盛期の光を失っていった紀元1世紀
~2世紀のストア派後期の頃、東方からグノーシス主義と呼ば
れる神秘主義思想が伝わってきます。

  この時期に帝国内で急速広がりつつあったにキリスト教は、
新しく入ってきたグノーシス主義に大きな影響を受けることに
なりました。

  初期キリスト教最大の異端として知られるグノーシス主義
ですが、キリスト教の教理はグノーシスとの闘争のうちに作ら
れたといっても過言ではありません。


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  グノーシス主義の思想は善悪二元論に基づくもので、矛盾
や悲惨がはびこるこの世界を 「悪」 と規定し、そこから逃れる
ため霊的な存在として神との合一を目指すという神秘的なもの。

  その起源は古く、これよりも数百年前、古代オリエントのさま
ざまな宗教とギリシア哲学が融合することで生まれた思想だと
言われています。


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  これら グノーシス主義やキリスト教のような神秘的なものを、
ギリシア哲学の用語とロゴスという方法によって合理化しようと
したのが新プラトン主義です。

 エジプトのプロティノス(204~269)によって始められた新プ
ラトン主義は、いわば最後のギリシア哲学であると言えます。

 プロティノスは、この世界に根拠を与えている神的な存在を
「一者」 と呼びますが、これはプラトンの 「善のイデア」 を発展
させたもの。

  万物は 「一者」 から泉が湧き出るように絶えず 「流出」 して
いるとされます。

  万物は 「一者」 から出て 「一者」 へ帰ろうとしますが、「善
のイデア」 と同じく私たちはそこに到達することはできず、近づ
きうるのみであるとされます。

 直接に接触することはできませんが、「ヌース(理性・叡智)」
をとおして私たちの魂と 「一者」 はつながることができるとされ
ます。


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  ヌースは、ギリシア哲学におけるロゴス、キリスト教における
精霊と同じような存在であると考えることができます。

  この 「私たちの魂-ヌース-一者」 という考え方は、キリスト
教の三位一体論の成立に大きな影響を与えたとされています。

  このように、ロゴス的な説明がなされる新プラトン主義ですが、
この哲学もまた強烈な現実否定に貫かれており、目指したのは
自己を脱して(エクスタシス) 「一者」 と合一することでした。


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もっともわかりやすい西洋哲学史 ④. アリストテレス [哲学・思想]

【 アリストテレス 】

  ここで、西洋哲学史の全体像を大まかにつかんでおき
ましょう。

  ポイントとなる人物を挙げると、

  タレス、ピュタゴラス、ギリシアの3人(ソクラテス-プラト
ン-アリストテレス)。

  アリストテレスによって古代哲学が完成。

  デカルト、カント、ヘーゲル。

  デカルトに始まった近代哲学がへーゲルによって完成。

  ニーチェ、マルクス、フッサール、フロイト。

 近代哲学と現代思想の橋渡しをした人たち。 とくにニーチ
ェは、それまでの哲学史全体に対する反動として画期的な人。

  マルクスやフロイトはあまり哲学者という感じではありませ
んが、このへんの時代になると、純粋な哲学というくくりがあ
いまいになってきます。
  ⇒ 大戦を経て、現代思想へ。

  というカンジです。 この中でもとくにポイントとなるのがプ
ラトン、デカルト、カント の3人。


  タレスに始まったイオニアの学者たちによって、この世界
を、神話ではなく、万人に通用する抽象的な言葉によって筋
道をたてて説明しようとする試みが始まりました。

  その後、アテネに現れたソクラテス-プラトン-アリストテ
レスという3人のビックネームによって哲学は最初のクライマ
ックスを迎えます。

  しかしこのあと、ヨーロッパという地域自体が荒廃してしま
ったことによって、およそ2000年近くものあいだ哲学に飛躍
的な発展は見られなくなり停滞します。

  この間、知的伝統をかろうじて受け継いできたのがキリス
ト教神学です。

  ルネサンスを経た17世紀、科学という原動力を得たヨー
ロッパはようやく 「近代」 という新しい時代に進み始めます
が、哲学の上でそれを象徴しているのがデカルトです。

  通常、デカルト以降の哲学を 「近代哲学」 と呼びます。

  やがて18世紀、近代という時代が軌道に乗って発展を続
ける中、神などを排除した合理的精神で、ニュートンまでの
科学的成果を踏まえた上で世界と人間のかかわりを説明し
たのがカントです。   

  カントの思想は現在でも大きな意味をもっています。

  その後19世紀にヘーゲルが現れ、その巨大な建物(ヘー
ゲルの哲学体系)によって近代哲学は完成したと言われて
います。

  ヘーゲルはその学派(ヘーゲル学派)が形成させることに
よって後世にも大きな影響を与えました。 ヘーゲル左派には
マルクスがいます。


 それではアリストテレスの話です。    

  アリストテレス(BC384~322) はプラトン(BC427~347)
の弟子の1人でアカメデイア(BC384 創設)で学んだ学徒
でした。

  この2人はともに巨大な学者ですが、タイプが異なります。

  プラトン-アリストテレス = 理想にあこがれる人-世界を
整理する人、天才-秀才、アイルトン・セナ-アラン・プロスト
(例えが古くて申し訳ない) といったところでしょう。

  思想については、この世界を、この世界を超えたものによ
って、また言葉を超えたものによって説明しようとしたプラトン。

  それに対して、あくまでこの世界の範囲内で、そしてすべ
てを言葉によって説明しようとしたアリストテレス。

  2人は連続した世代ではありますが、時代背景も異なって
います。

  プラトンの頃はいまだギリシア黄金時代の余韻が残ってい
た時代ですが、アリストテレスの頃になると、アテネを中心と
したギリシア・ポリス共同体は世界史の主役から退き、時代
はアレクサンドロスを経てヘレニズムという新しい段階に入り
はじめていました。

  アリストテレスが若かりし日のアレクサンドロス(マケドニア
の王子)の家庭教師を務めていたのは有名な話で、学園リュ
ケイオンもアレクサンドロスの援助によって創設されています。


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《 アリストテレスの思想と著作 》

  アリストテレスは彼以前の哲学をすべて検討し、それらをま
とめ上げ、その上に彼自身の思想を展開しています。

  彼はありとあらゆるものに興味を持った博物学的な学者で、
その哲学は世界のモノゴトを広い範囲でカバーした巨大な体系
を誇っています。

  以下がアリストテレスの著作です。

(形而上学) : 『形而上学』

(論理学 = オルガノン) : 『カテゴリー論』 『命題論』 『分析論前書』
『分析論後書』 『トピカ』 『詭弁論駁論』

(自然学) : 『自然学』 『天体論』 『生成消滅論』 『気象論』 『霊魂論』
『自然論学小論集』 ・ 感覚と感覚されるものについて ・ 記憶と想起
について ・ 睡眠と覚醒について ・ 夢について ・ 夢占いについて
・ 長寿と短命について ・ 青年と老年について ・ 生と死について
・ 呼吸について
『動物誌』 『動物部分論』 『動物運動論』 『動物進行論』 『動物発生論』

(実践哲学) : 『ニコマコス倫理学』 『大道徳学』 『エウデモス倫理学』
『徳と悪徳について』 『政治学』 『アテナイ人の国制』 『弁論術』 『詩学』


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  ちなみに、プラトンにも 『ソクラテスの弁明』 『饗宴』 『国
家』 『政治家』 『法律』 『第七書簡』 など27冊の著作があっ
て、すべて対話編のカタチをとっています。

 上に記したもの以外の著作は 『クリトン』 『カルミデス』
『ピレボス』 などのように人の名前が題名になっているの
で省略します。


《 形相 と 質料 》

  プラトンのイデア論にあたるものが、アリストテレスの 「形
相(エイドス) と 質料(ヒューレー)」 という考え方になります。

  たとえば青銅の人物像があるとします。 この場合、人の
カタチが 「形相」 で、材料としての青銅が 「質料」 にあたり
ます。

  家の場合であれば、木材や石材が 「質料」 で、家のカタ
チや構造、機能などが 「形相」。

  つまり、「形相」 とはカタチや意味であり、「質料」 とは素
材や材料、まだ限定をうけていないもの、カタチと結びつく
ことで何ものかになるもの、を表します。

  ただ、これをもっと厳密に言うと、青銅も青銅であってカ
タチをもつモノである以上「形相」であるとも考えられます。

  よって、「質料」 というものを突き詰めて考えると、それこ
そ 「何ものでもないもの」 というコトになります。 そして、こ
れは 「第一質料」 とよばれます。

  ここで、形相はプラトンのイデアを受け継いだ概念で、一
方の質料はイオニア自然学のアルケーを受け継いだ概念
であることに留意しておきましょう。

  形相も質料もそれ自体は変化しません、変化するのはこ
の2つの結合のしかただけ。

  また、質料と形相について次のような説明もなされます。

  質料は、形相と結びつくことによって現実のモノとなる可
能性を秘めたものである(=可能態 デュナミス)。

  そして、例えば木材が家のカタチと結びついて現実の家
なったのもが(=現実態 エネルゲイア)である。

  つまり、質料と形相の結びつきは可能的な存在が現実
の存在へと生成変化することである。


  ・・・・・・ このように、変化しないもの同士の結びつき方
の違いによって、この世界の千変万化が成り立っているワ
ケですが、これが、「存在と変化」 というパルメニデス以来
の難問に対してアリストテレスが示した答えになっています。  



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《 4つの原因 》

  さて、アリストテレスによれば、この世界の物事には4つの
原因があるといいます。

 ①. 物事の実体であり、それが何であるか (形相因・本質)
 ②. ものの質料であり、基体 (質料因)
 ③. 物事の運動のはじまりの起因 (始動因)
 ④. ③とは反対の極にある原因で、物事の生成や運動が
めざすところ (目的因)

  この方法は、それまでの哲学者たちの主張をすべて取りこ
もうとした現われだといわれており、イオニア自然学の水や空
気といったアルケーは ② であり、プラトンのイデアは① にあ
たります。
 
  ① の中の 「実体(ウーシア)」 という言葉はとても重要で、
これから先の哲学史に度々でてきます。

  実体というのはつまり、「モノゴトの突き詰めた姿・あり方」
「真にあるもの、本質」 といった意味です。 そして、実体を
研究する学が形而上学だとされます。

  アリストテレスは、それまでの哲学者がさまざま言ってきた
コトをすべて言葉によって置き換え、定義し、それらをすべて
一定の体系の中にあてはめます。

  そうして、コレ以降の哲学はアリストテレスの言葉と体系を
基にして議論されていくことになり、また、その考え方は、この
あと約2千年ものあいだ、世の中の常識として受けつがれてい
くことになるのです。


  アリストテレスは、「ある」 とはどういうことかを考えますが、
その際、「~ がある」 と 「~ である」 とに分け、まず後者を
考えます。

  「人間とは(  )である」 「家とは(  )である」 という場合
の(  )にあたる部分、つまり述語にあたる部分を範疇(カテ
ゴリー)として10 個に分類します。 

 (1). その主語が何であるか (実体・本質)
 (2). それがどのようにあるか (性質)
 (3). それがどれだけあるか (量)
 (4). それが他の何かに対してどうあるか (関係)
 (5). それのすること (能動)
 (6). それのされること (受動)
 (7). それがどこにあるか (場所)
 (8). それがいつあるか (時間)
 (9). それがどんな状況にあるか (状態)
(10). それが何をもってあれうか (状態)

  モノゴトはこれらの範疇の種類の分だけイロイロに変化し
ます。

  しかし、そうであっても主語にとって決して変化しない部分
があり、その決して変化しないものこそがそのものの 「実体」
であるということです。
 


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《 アリストテレスの生命観と社会観 》

  当時の常識では、生命をもつものの中にあってコレを動
かしているものは 「霊魂(プシュケー)」 であると考えられて
いました。

  その霊魂(プシュケー)については、人によってさまざまな
説明がなされていたのですが、アリストテレスは次のように
説明しました。

  まず、霊魂は場所をもっているものではないとされます。

  また、霊魂はエクトプラズムのようなものではなく、生物
の目的(形相)であるとされます。

  魂は 「生命を可能態としてもっている自然物体の形相と
してあるものである」 「たとえば、もし眼が生物であったなら
ば、視るコトが眼の魂であっただろう」

  ということです。 そして、動物と人間の違いについて、動物
も人間も外界のモノゴトを感覚として受け取るが、外界から受
け取るものは質料と形相が結びついたものである。

  人間の場合、1度受け取ったその感覚をもう1度思い浮か
べて思惟の対象とするときに、それを、質料を離れた純粋な
形相として思い浮かべることができる。

  つまり、人間だけがモノゴトを純粋な形相の相(=抽象的
なレベル)において捉えることができる、ということです。

  ちなみに、アリストテレスにとっては人間と自然は本質的
に区別されるものではなく、自然とは 「それ自身のうちに
運動や正史の原理を含んでいるもの」

  つまり、自然は人間の手を借りずに生成変化し、それ自身
のうちに形相を含んでいるもの、となります。

  このへんになると結構マニアックな感じになってきますが、
大切なことが1つあります。

  それは、アリストテレスの世界観というのは非常に「動的な」
世界観であるということ、あらゆるものが生成変化する生きた
世界観だということです。

  この世界観は 「物活論的世界観」 と呼ばれ、のちのデカル
ト的な 「機械論的世界観」 と対比されることになります。



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  最後に、アリストテレスの社会観について。

  「人間はポリス的な動物である」 と言われます。 ポリスは
politics 政治の語源であるので、これは 「人間は政治的な動
物である」 と言い換えてもいいでしょう。

  人間は個人としてあるのではなく、ポリス(=政治的共同
体)の中にあってはじめて人間になることができるということ。

  彼は 「本性上、国や家は個人よりも先にある、なぜなら、
全体は部分よりも先にあるのが必然だからである」 と言い、

  さらには 「共同することができないものか、あるいは自足し
ていて共同を少しも必要としないものは、野獣であるか、さも
なくば神である」 とまで言っています。

  これは、まず個人としての 「主体的人間」 が先にある近
代的な思考とはまさに正反対の考え方です。

  これは、彼を含んで当時の考え方が階層的秩序を重んじ
る社会であったことにも関係があります。

 ただ、始めに言ったとおり、彼の時代にはギリシア・ポリス
は没落の段階に入っていました。

  よって、彼の言っていることは 「古きよきいにしえの時代
へのあこがれ」 という面もあったようです。

  また、アリストテレスの社会観はプラトンほど過激なもので
はなく、当時としては常識的なものでした。

  それは、彼の重んじる徳が 「中庸の」 徳であったことにも
表れています。

  前323年、アレクサンドロスは東方遠征の途上で亡くなり、
翌年、アリストテレスもその後を追います。

  そして、彼の死によって、栄光の古代哲学もその幕を閉じ
ることになったのです。


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 ⑤. 古代末期の哲学
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2014-01-18

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もっともわかりやすい西洋哲学史 ! ③.プラトン (国家. プラトニック・ラブ) [哲学・思想]

  それではつづきです。

  イデアの説明として、有名な 「洞窟の比喩」 というのが
あります。

  地下の洞窟に住んでいる人たちがいるとします。 洞窟
の入口は非常に大きく、その中には陽の光がいっぱいに
差し込んでいるとします。

  洞窟の突き当りには大きな壁があり、その前に人々が壁
の方を向いて座っています。

  洞窟の外には多くの人々がいて、動いたり洞窟の入口を
横切ったりしています。

  そうすると、洞窟の突き当たりの壁には、陽の光によって
洞窟の外にいる人々の影が映ります。

  洞窟の中の人たちが決して後ろを振り向けないとすると、
その人たちは壁に映る影こそが真の実在だと思ってしまう
ことでしょう。

  つまり、壁に映る影がこの世のモノゴトで、洞窟の外の人
々がイデアであるということです。


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  さて、私たちはこの世界において、あらゆる事物を感覚に
よって捉えています。 よって、プラトン哲学ではこの世界を
「感覚界」 と呼びます。

  感覚というのはあいまいなものであるので、私たちはこの
世界の物事について決して正確な知を得ることはできないと
されます。

  それに対して イデアの存在する天上の世界を 「イデア界」
といいますが、そこでは物事の認識は感覚によるのではなく、
理性によってなされます。

  感覚によっては 「あいまいな知」 しか得ることができず、
「正しい知」 は理性でしか捉えることができません。

なので、プラトンは数学を非常に重視します。 数学は感覚
ではなく理性で答えを出すからです。

  プラトンが設立した学園 「アカメデイア」 の入口のアーチ
には 「幾何学を知らぬ者、この門をくぐるべからず」 と書いて
あったそうです。 

  このようにプラトンの思想は、世界を、目に見える現実世
界と純粋な理想世界に分け、現実世界をどちらかといえば
否定的に捉えたものです。

  そして、その中核には魂の不死の思想があります。

  このような考え方は、後の新プラトン主義を経て、やがて
キリスト教に受け継がれていきます。


 ところで、これまで述べてきたように、紀元前7世紀頃、イ
オニア地方に哲学者たちが生まれましたが、それ以前は、こ
の世界の成り立ちについての説明は 「神話」 によってなされ
ていました。

 神話というものは、まず、特定の共同体と結びついたもの
であるという面があります。

  また、具体的な 「物語り」 という形式で語られるため、ナゼ
そうなったのかという合理的な説明がなされません。

  それに対して哲学は、世界について、特定の共同体を超え
た 「普遍的な説明」 を 「抽象的な言語」 によって、「論理的な
根拠」 を示しながら説明する、という違いがあります。

  タレスに始まるイオニア学派の人たちは、水や空気など、
目に見えるモノにアルケーを求め、この世界の成り立ち方に
ついて合理的な解釈を試みました (合理主義)。

  一方、ピュタゴラス教団の人たちは、数や数学的法則のよ
うな目に見えないものにアルケーを求め、その思想は、この
世界を超えたモノを志向しています (神秘主義)。

  プラトンは、これら両方の要素を取り込んで自らの哲学のス
タイルを確立します。

そして、それ以降、プラトンのスタイルを哲学的手法の雛形
としてそれ以降の西洋哲学史は進んでいくことになります。

  よって、前者の合理主義は当然としても、後者の 「この世
界を超えた(超越した)何ものかを志向する」 という神秘主義
的な要素についても、プラトン以降、デカルトやカント、ヘーゲ
ルに至るまでの西洋哲学の歴史には強く流れています。


  イオニア学派について少し補足します。

  この学派の第2世代として、ヘラクレイトス(前540~484)と
パルメニデス(前554~501)という人が登場します。

  そして、この2人によって哲学の問いが 「アルケーはなにか
?」 から 「『ある』 とはなにか?」 という存在論ど真ん中の問
いに移っていきます。

  ヘラクレイトスは 「万物は流転する」 という文句で有名です
が、この世界にあるものは常に生成変化していて、変化こそが
この世界の本質であると考えた人です。

  それに対してパルメニデスは、「変化するものは、ほんとうに
『ある』 ものではないのではないか?」 「ほんとうに 『ある』 もの
は不変で、生じることも滅することもなく、部分もなく欠けている
ところもなく完全無欠な存在なのではないか?」

  この2人を消化し、そこにピュタゴラス的な神秘的要素を加え
ると、「この世界の移り変わるモノゴトの背後に、永遠不変の存
在がある」 というプラトンのイデア論になります。



《 国 家 》

  このように、現実の世界とは違ったイメージの世界に憧れを
抱いたプラトンですが、現実世界への関心や政治的な情熱が
失われてしまったわけではありません。

  その思いは、教育機関 「アカメデイア」 の設立と、晩年の著
書 『国家』 として結実します。


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  ソクラテス-プラトンが生きた時代のアテネは民主制の衰
退期で、政治は正義や理念に基づいて行われるのではなく、
単なるパワーゲームに堕していました。

  民主制が堕落していくさまを間近で見つづけてきたプラトン
は、民主制ではなく、善のイデアをこの地上に実現すべく訓練
された人々(=哲学者)によって統治される理想の国家像を思
い抱きます。

  具体的には、次のような国家です。

  国はまず、人民を、哲学者(=統治者)、軍人、農夫・職人・
商人の3つの階級に選別します。

  つまり、人民の中で最も優れた資質を持つ者は哲学者とし
ての教育と訓練をうけさせ、統治者とする。

  次いで優秀な者、勇敢な者を軍人とし、残った者たちは農
夫などになる。

  統治者たちは私有財産を持たず共同生活をおくり、できる
だけ個人的な感情を排除し、ひたすら公共の精神として正義
の実現に務める。

  それにより、各階層の人々がその天分にふさわしい幸福を
享受することができるようにすることを任務とする。

  そして、現実の世界においてそのような人材を育成するた
めに創設されたのが、教育機関 「アカメデイア」 です。

  アカメデイアは、プラトンの死後も千年にわたって続き、ヨー
ロッパの知的伝統はここから始まっています。 



《 プラトニック・ラブ 》

  それでは最後に、プラトン思想に関する残されたもう1つの
テーマ、いわゆる 「プラトニック・ラブ」 について。

  恋、エロス、美といったテーマは 『饗宴』 『パイドロス』 という
プラトン中期の著作で取り上げられています。


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  『饗宴』 は、ソクラテスとその友人である5人のアテネ紳士
たちが酒の席で談笑しながらそれぞれの恋愛論を披露すると
いう設定で話が進んでいきます。


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  たとえば、そのうちの1人は次のような説を話します。

  その昔、人間は今とはちがった姿をしていて、3つの種に分
かれていた。 「男・男」 の種、「女・女」 の種、そして 「男・女」
の種、の3種。

  これらの人間は、手足は4本ずつもち、頭は1つだが前後に
顔が2つあった。 とても強靭な体をもつ者たちで、やがて傲慢
になり、神々に攻撃を企てるようになった。

  それに対して、神々は彼らの体を真ん中で切って2つの分け
ることでその力を弱らせた。

  それ以来、バラバラになった男女は、もともと1つであった半
身を激しく求めるようになった。 

 という説ですが、この説は話の中でプラトンに否定されます。


002.jpg


  ここで、ひとつ留意すべきこととして、この当時は青年愛(同
性愛)が普通におこなわれていて、ここで話をしている人たちも
みな青年愛を擁護する立場をとっていたということがあります。

  このあとに展開される議論を以下に要約します。

  恋(エロス)とは、「美しいもの」 への欲求であるとされ、その
発展段階として、まずはじめ、恋(エロス)は肉体的な美を欲求
するが、やがてそれを通過し、精神的な美を求めるようになる。

  そして、恋愛の究極的な目標は 「美のイデア」 に到達するこ
とである。

 よって、「プラトニック・ラブ」 というのは本来、肉体的な性愛
を排除するものではなく、発展していく恋愛の入口としての肉体
的な欲求をも含むものです。          


  「美しいもの」 は “イイもの” であって、 人が “イイもの” を手
に入れたがるのは、それが幸福につながるコトなので当然こと。

  しかし、“イイもの” は、「美しいもの」 以外にも金銭や名誉な
ど他にもイロイロあり、それなのに恋(エロス)だけが金銭欲や名
誉欲などとは明らかに異なる特別な感情であるのはナゼなのか?

  それは、恋(エロス)の場合、「美しいもの」 を手に入れるだけ
ではなく、「美しいもの」 の中に出産する(生み出す)ことを目指
しているからである。

  出産する(生み出す)とはつまり、自分が 「永遠なるもの」「不
死なるもの」「自己を超えた超越的な存在」 とつながることである。


     imagesCAGHZIIB.jpg


まとめると、

 恋愛とは、肉体的な快楽に始まり、それがやがて精神的な美
を享受することへと高まり、さらには「永遠なるもの」「超越したも
の」 に触れる、つながることを予感させるものである。


  一方で、近代以降の小説などでは、このようなプラトン的な真
のエロスの対極にあるような、反=恋愛的エロティシズムが多く
描かれるようになっていきました。

  単に美しいものを汚したいだけの欲望であるとか、相手を欺
くための美しさ、欺瞞に基づく誘惑的エロスといったものですが、
たとえばマルキド・サドの作品などはその1つの頂点だと言える
でしょう。


  ・・・・・・ 以上がプラトンの思想ですが、オマケを1つ。

  プラトンはレスリングはじめとする格闘技がとても好きで、当
時のパンクラチオンをよく観にいったそうです。

  試合について、「技術が低い者同士の試合は膠着状態が多く
なってつまんないよなぁ~ 」 という感想を述べていたそうです。


 ④. アリストテレス
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2014-01-15

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もっともわかりやすい西洋哲学史 ! ②.ソクラテス、プラトン [哲学・思想]

  ソクラテスらの哲学の話の前に、少し余談を。

  そもそも、philosofy (哲学)というのは sofy を philo する、
つまり 「知」 を 「愛する」、(愛知学) という意味です。

  よって、欧米女性に多いソフィー(ソフィー・マルソー、ソフィ
ア・ローレン など)という名前は、日本語でいうと 「智恵子」 と
いう感じになります。

  この philosofy という言葉が明治初期に日本に入ってきた
ときに、西周という人が 「哲学」 という訳語をあてはめました
が、もう少し柔らかい感じの訳語でもよかったのではないか?
という感じもします。


  さて、ソクラテス以降、本格的な哲学がはじまりますが、普
通、西洋哲学の誕生とされるのは古代ギリシアの3人、ソクラ
テス-プラトン-アリストテレス が登場したことを指します。

 ソクラテス (紀元前 469 ~ 399)
 プラトン (紀元前 427 ~ 347)
 アリストテレス (紀元前 384 ~ 322)

  しかし、彼ら3人も、タレスに始まるイオニア学派の人たち
の遺産の上に成り立っているワケなので、ソクラテス以前の
人たちも偉大な人たちであることに変わりはありません。

  ただ、①でもくり返し言いましたが、ソクラテスはそれまで
の人とは違って自分の内面に目を向けました。 ココが画期
的だったワケです。


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  当時、紀元前5世紀ごろのアテネは古代民主政が行われ
ていました。

  古代民主制というのは、自分たちの政治方針や裁判など
を数百人の市民たちが自ら集まって会合を開き、そこで話し
合い、最終的に多数決によって結論を出していた、そのやり
方を指しています。

  ただ、現在の民主政治と決定的に異なっているのは、当
時のギリシア世界はいまだ 「奴隷制」 だったということです。

  当時、アテネの人口のうち8割が奴隷で、アテネ市民はほ
んの2割にすぎません。

  それら市民たちは、日常の仕事をすべて奴隷に任せてい
たからこそ悠々自適に政治を楽しむことができたわけです。

  政治の場では、弁論がとてもとても重視されていました。

  弁論と言っても、当時は現在とちがってマイクもありませ
んし、弁論する場所も屋外がほとんどです。

  なので、当時政治をめざす者が最初にやるべきことは、
山に登って発声練習をすることで、山中で空に向かって叫
びつづけることで、広い場所でもよく通る大きな声を出せる
ように声を鍛えたといいます。

  もちろん内容も大切ですが、どちらかというと弁論の技術
が重視され、人々が説得されやすい議論の組み立て方や、
声の抑揚のつけかたが研究されました。

  世間には 「ソフィスト」 と呼ばれる弁論術の先生(指導者)
たちがいて、彼らがお金を取って弁論術を教える弁論塾がと
ても繁盛していたといいます。

  しかしこの弁論術は、現在で言うとディベートであって、真
実がどうであろうと、また自分がほんとうはどう思っていようと、
とにかく自分が主張することを周囲の人々に同意させること
が目的のようなところがありました。

   つまり、たとえ間違ったことであっても、論争に勝つこと、
相手を言いくるめることがいちばん重要ということです。

  ソクラテスが登場したのは、これらソフィストたちが幅を利
かせていた時代です。


 2.jpg


 さて、そのソクラテスですが、父親は彫刻などもおこなう
石工、母親は助産婦であったといわれています。

  若い頃は当時流行っていた自然科学に興味をもっていま
したが、晩年は倫理や徳を重んじる自らの哲学を追及し、そ
れを周囲の人々に説いてまわることを自分の役割としました。

  哲学者の思想は、ふつうはその著作によって知られるの
ですが、ソクラテスは1冊も本を著していません。

  よって、ソクラテスに関する全てのことはプラトンの著作に
よって後世に伝えられたことです。

  逆にプラトンは多くの本を書いた人で、ソクラテス以前の
哲学者たちの思想も、すべてではありませんが、プラトンの
著作から知られることも多いようです。


  さて、ソクラテス独特の思想と活動のスタイルが形成され
るに至った経緯は次のとおりです。

  ある日、彼の弟子の1人がデルポイにあるアポロンの神
託所に赴き、巫女に 「ソクラテス以上の賢者はいるか」 と尋
ねてみたところ、巫女は 「ソクラテス以上の賢者は一人もい
ない」 と答えました。

  これを聞いて、自分が非常に無知で賢明もはない者であ
ると自覚し、だからこそまだまだ勉強が必要だと思ってもいた
ソクラテスはとても驚き、それが何を意味するのか考えました。

  考えるとともに、じっさいに確かめてみようと思い立ち、彼
は世間で知者である、賢者であると評判の政治家や詩人た
ちに面会を請い、その人たちと会話をもちました。

  すると、知者だ、賢者だと評判のその人たちは、自ら語っ
ていることをよく理解しておらず、大抵はソクラテスの方が彼
らに説明するはめになってしまいました。

  にもかかわらず、彼らは自分のことを知者であり賢者で
あると思い込み、自分が無知であるなどとは全く思っていな
いようでした。

  また、何かの技術に熟練した職人達は、たしかにその技
術については非常に知者ではあるが、他の事柄については
まったく無知。 にもかかわらず、その専門知識のみによって
周囲から識者であると思い込まれている。

  こうした経験を経て、彼は神託の内容を 「知らないことを
知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知
らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばか
り優っている」

つまり、「無知であると自覚している分だけ私の方が賢い」
という意味であると理解します。

  そして彼は、神託こそが神意であり、その 「神意」 を人々
に伝えることこそが 「神への奉仕」 であると思うようになり、
活動していくようになります。

  その活動とは、ソフィストたちをはじめ知者や賢者だと思わ
れている人たちに対話を挑み、対話によって、その人が無知
であるというコトを本人に自覚させるということでした。

  ソクラテスは、意見を異にする者同士がこうして対話をする
ことによって相手に矛盾を気づかせ、真実を見出していく方法
を問答法(弁証法・弁証術)とし、これをソフィストたちの手法で
ある弁論術、論争術と対比させ、重視しました。

  しかし、このやり方は悪く言えば、対話の中で相手の揚げ足
を取ったり、おかしい部分を突っ込んだりして相手を言い負かし、
相手に自らが劣っていることを認めさせるということです。

  正しいことだとはいえ、そういうソクラテスがやがてうっとおし
い存在だと思われるようになっても仕方がありません。

  ということで、紀元前399年、ついにソクラテスは 「世間と人
々を惑わせた罪」、正式には 「アテナイの国家が信じる神々と
は異なる神々を信じ、若者を堕落させた」 という罪によって裁
判にかけられ、死罪の判決を下されます。

  この裁判では、ソクラテスがその気になれば、反論すること
や亡命を選ぶこと、また、判決後に弟子たちが脱走させること
が容易なため、死罪を免れることはいくらでもできました。

 しかし、ソクラテスはそれらをよしとせず、自身の知への愛
(フィロソフィア)と 「単に生きるのではなく、善く生きる」 という
「徳」 を貫き、死に殉ずる道を選んだとされています。  

  毒を仰ぐにあたって、ソクラテスは弟子たちに最後の教説を
語りました。(ちょっと長いですが、ソクラテス-プラトン思想の
エッセンスが凝縮されているのでそのまま引用します)

  『 真に知を求める者は、死をいとわず、むしろそれを願っ
ている。 知を求めるとは、結局どういうことか? それは、「そ
れそのもの」 として存在する 「正しさ」「美しさ」「善」 なるもの、
つまり「存在の本来的なるもの」 を探求し、それに触れるとい
うことであり、そこに 「愛知」 ということの本来の意味がある。

  ところが人間は、そのような「真実在(=イデア)」 を感覚
(視覚・聴覚・触覚)によっては捉えることができない。 感覚
は相対的であり、肉体的な欲望にけがされているからだ。

  我われが真実の 「存在そのもの」 に触れうるためには、
魂を肉体から分離し、魂をしてまさにその純粋な形で存在
させたほうがよい。

  人が 「死」 と呼んでいるものは、まさしくそのような状態、
「魂の肉体からの開放と分離」 という状態ではないだろうか。

  そうだとすれば、正しく知を求める人にとって、死は決して
恐怖すべきことではないのではないか 』 


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 以上がソクラテスの姿ですが、何らかの 「絶対存在」 に
到達することにこそ生あるいは世界の究極の目的であると
いう考え方を読み取ることができます。

  ソクラテスで重要なことは、個々の思想よりも、全体として
の彼の生き方や態度、そして死をもってその思想を貫いたと
いう点にあります。

  ソクラテス-プラトンについて、どこまでがソクラテスの思
想でどこからがプラトンの思想なのかというのが厳密にはわ
かりにくいところがあるので、2人まとめて 「ソクラテス-プラ
トンの思想」 という理解でイイと思います。


  それでは次に、そのプラトンについてお話ししていきます。

  プラトンは、紀元前427年、アテナイの貴族の子として生ま
れ、「アリストクレス」 と名づけられました。

  しかし、非常に体格が立派で肩幅も広かったため、それを
意味する 「プラトン」 というあだ名が付けられ、終生その呼び
方で呼ばれたといいます。

  若い頃はソクラテスの門人として哲学と対話術などを学び
つつ政治家を志していたが、当時のアテナイ民主派政権の惨
状を目の当たりにして現実政治に幻滅を覚えるようになります。

  そのため、以降も国制・法律の考察は続けたものの、現実
政治への直接的な関わりを避け、学問の側に身を置くことに
なりました。

  40 歳の頃、プラトンは旅行に出て、南イタリアのピュタゴラ
ス教団やエレア学派と交流を持ちましたが、このことが彼の思
想に大きな影響を与えることになりました。

  プラトンの思想には神秘主義的な要素が多く含まれていま
すが、それはピュタゴラス教団の影響によるところが大きいと
言われています。


《 イデア論 ~ プラトン的二元論 ~ 》

  当時のソフィストたちは、物事の善し悪しや、何が正しくて
何が間違っているかの判断は、それぞれの都市国家ごとに
異なり、また時代によっても異なると考えました。

  そして、ソフィストたちの弁論術は、その時々の立場の違
いによって言うことを変え、相手を説得するのが目的です。

  ソクラテスは、このような相対主義的・便宜主義的な考え
には同意できませんでした。

  ソクラテスは、世の中の、あるいは人間にとっての永遠に
変わらぬ規範、真理といったものがあるはずで、理性を働か
せることでそれを把握することができると考えました。

  それに対してプラトンは、これらを二元的に考えます。

  つまり、一方には変化しつづけるものがあって、もう一方
には永遠不変のものがあるという考え方です。

  そして、これがプラトン哲学の中でいちばん有名だと思わ
れるイデア論へとつながっていきます。


  哲学というのは、大きく言って 「存在論」 と 「認識論」 の2
つに分けることができます。

 「存在論」 とは、この世にあるものがどのような仕方で
存在しているか? あるいは、そもそも 「存在する」 とはどう
いうことなのか?

という問題です。

  それに対して 「認識論」 とは、私たち人間は外界をどの
ように認識しているのか? あるいは、わたしたちはナゼこの
ように外界を認識することができるのか?

  という問題です。

  イデア論は、このうちの存在論にあたります。

  たとえば、ここに1個のリンゴがあるとします。 それを見て
私たちは、それが 「リンゴ」 であるとわかります。

  個々のリンゴの1つ1つは、大きさや形、色などがすべて
異なっているにもかかわらず、それらがすべてリンゴである
とわかります。

  つまり、固有名詞である1個のリンゴを見て、それが普通
名詞としてのリンゴであることがわかるということです。


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  これは、リンゴであればそう難しくはありません。

  しかし、目の前のモノがリンゴではなく、石や土などになる
と、ほんの少し難しくなります。

  そしてさらに、それが物質ではなく 「やさしさ」 や 「美しさ」
などの性質のようなものになると、より一層むずかしくなります。

  難しくはなるけれども、それでも私たちは個々別々の行為
を 「やさしさ」 という概念でくくることができます。

  これはナゼなのか? というのがイデア論の問題です。


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  ちなみに、このイデア論が提示する問題は認識論にもかか
わる非常に重要なことがらで、プラトン以降の西欧哲学でカタ
チを変えて何度もでてくる問題です。

  そして、プラトンから約2000年後のカントが、この問題に対
するおおよその答えをだしてくれます。

  しかし、それはまだまだ先のはなし。

  この問題について、プラトンは以下のように説明しました。

  人間は輪廻転生をくり返していて(プラトンは輪廻転生論
者です)、死んだ後は天上の世界に行きます。

  そして、その天上の世界のには、この世に存在するものの
全てが真に完璧な姿で存在しています。

  たとえば、もっともリンゴらしくて、完璧にリンゴ性を備えた
リンゴが存在しているということです。 そしてそれが 「リンゴ
のイデア」 であるということ。

  生成変化する私たちの物質界の背後には、時空を超えた
永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが
真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。

 ありとあらゆるものには、その完璧な姿=イデアがあり、
それらが時空を超えた天上の世界に存在しています。

  しかし、不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることがで
きず、私たちの日常におけるモノゴトの認識は、かつて私たち
の魂が天上の世界にあったときに神々と共に観想していたイ
デアの記憶を 「想起」 する(=思い出す)ことによって実現され
ている、ということ。

  よって、この世界にあるものは真の存在であるイデアの
「似像」 にすぎません。

  リンゴのイデア、石のイデア、土のイデア、優しさのイデア、
美のイデア ・・・・・・

  そして天上の世界には、それらの究極の姿、あるいは頂点
として 「善のイデア」 というものが存在している、とプラトンは
言います。

  ちなみに、この 「善のイデア」 という考え方は、「万物は
一者(=善のイデア)から流出した」 という、ネオプラトニズ
ムという思想につながっていきますが、それもまだ先のはなし。


  ② はここまで。 ③ は、イデア論のつづきとそれ以外のプ
ラトン哲学です。
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2014-01-11

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もっともわかりやすい西洋哲学史 ! ①.ソクラテス以前の哲学 [哲学・思想]

哲学とはなにか?

  この大きな問いに対して、できるだけわかりやすく答えを示し
ていこうというのがこの記事の目的です。


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  古今東西、哲学にはイロイロなものがあります。 仏教哲学
や、孔子に始まる古代中国の儒教系の哲学など。

  それらを一気に説明するのはムリなので、ここではとりあえ
ず、いちばん哲学っぽい西洋哲学についてお話を進めていこ
うと思っています。

  確かに、日常生活の中で哲学は必要ありませんし、哲学な
ど知らなくても充分に生きていくことができます。

  ただ、哲学の内容を知ると、世の中の非常に多くの事柄が
哲学という基礎の上に成り立っているというコトに気づくのも
事実です。

その哲学をできるだけかんたんに説明しようと思うのです
が、じつは西洋哲学には1つの特徴があるため、短くまとめ
てしまうような説明は適切ではありません。 

  ナゼかといえば、哲学というのは 「過去の哲学の成果につ
いての解釈とそれに対する批判」 というカタチをとって展開し
てきたからです。

  例えばある哲学者が自分の哲学を語っていこうとする場合、
まず、それまでの哲学者の説を自分なりに理解し、その上で、
そこから自説を展開していくカタチをとることが多いのです。

  よって、西洋哲学の場合約2500年ほどの歴史がありますが、
「西洋哲学を理解すること=西洋哲学史を理解すること」 という
ことになってしまうのです。

  つまり、例えば19世紀の哲学をいきなり理解しようとしても
それは不可能だということです。

ホワイトヘッドという哲学者は 「西洋哲学の歴史は、すべて
プラトンの注釈である」 というふうに言っていますし、また戦後
のジャック・デリダという哲学者も同様のことを言っています。

  このコトが余計に哲学をとっつきにくくしている部分があると
思います。

  しかし、哲学というのはそんなに堅苦しいものではなく、けっ
こう面白い部分もあるので、そういったところをできるだけわか
りやすくお話していこうと思います。

  ぜひ、おつきあいください !


《 ソクラテス以前の哲学 》

  それでは、ここからは具体的に西洋哲学の歴史についてお
話ししていきます。

  はじめにイオニア学派(ミレトス学派)について。

  これは、紀元前6世紀~5世紀頃にかけて、イオニア地方のミ
レトスを中心にして起こった自然哲学です。


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 greece4.jpg


 イオニア学派とソクラテスに始まる古代ギリシア哲学には大き
な違いがあります。

  イオニアの学者たちが考察や研究のテーマとしたのは 「万物
の根源は何か?」 という、自然界についての事柄。

  それに対して、ソクラテスらのギリシア哲学者たちがテーマと
したのは 「人間の内面について」 です。

  これについては後ほど説明しますが、重要なことなので先に
書いておきます。

  さて、イオニア学派とは、タレス(紀元前624~546)を開祖とし
て、そのあとに アナクシマンドロス、アナクシメネス、ヘラクレイト
ス、アナクサゴラス、デモクリトス といった学者が続いていく、主
に物質的な面からこの世界について考えた人たちの学派です。

  イオニア地方は当時、交通や貿易の要所であり、東方と西方
の接点でもありました。

  そのため、各地からさまざまな知識や文化が流れ込み、その
ことがこの学派を生み出す原動力となったのだと思われます。

彼らのメインテーマは、「この世界がどのように成り立っている
のか」 を考えること、具体的には 「万物のアルケー(根源)とそ
のふるまい方」 を解き明かすことでした。

  現在ではそれは一応解明され、「アルケー=118種類の元素
とそれらの化学反応」 によってこの世が成り立っているとされて
います。

もっと言えば、原子の構造とかクォークとかそういう話になって
きますが、ココでは省略します。

  タレスは、この世のアルケーは 「水」 であると考え、存在する
全てのモノはそこから生成し、それへと帰還すると考えたようです。

  タレスは 「最初の哲学者」 とも言われますが、それは、それま
では神話的に説明・解釈されていた「世界の起源・根本」について
はじめて合理的な説明を試みたという点にあります。

  その後、アナクシマンドロスは万物のアルケーを、ちょっとわか
りづらいですが 「無限なもの(アペイロン)」 であると考え、その弟
子のアナクシメネスは 「空気」 であるとしました。

  さらにヘラクレイトスは、「万物はつねに流転し、絶えず変化し
ている」 と考えました。

  しかしその背後にあって唯一変化しないもの(=ロゴス)があり、
それが 「火」 であるとしました。 

そして万物のアルケーは 「火」 であり、水やその他のモノは火
から生ずると考えます。

  そのあとのアナクサゴラスになると、こういった理論が少し深ま
りをみせています。

  万物は無限に小さい構成要素(=スペルマタ、種)に分解するこ
とができ、それらはこの世の始まりから存在していた。

  やがてそれらが 「ヌース(理性)」 の働きによって分別整理され
現在の秩序ある世界ができあがった。
 
  その弟子であるデモクリトスは、この世界は不生・不滅・無性質・
分割不可能な物質単位である無数の 「原子」 からなっていて、そ
れら原子は 絶えず運動している。

  その存在と運動の起こる場所が、無限の 「空虚」 である。

  この世界で起こるいかなることも偶然によっては起こりえない。

  と説きました。


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  一方、同じ頃、南イタリアのエレア地方にはパルメニデスを開祖
とする 「エレア学派」 が存在していました。 この学派には、ゼノン、
メリッソス、クセノパネスらがいます。

  エレア派の主な教説は、すべての存在を第一物質(アルケー)に
よって説明しようとする自然哲学者たちの態度そのものへの批判か
ら成り立っています。

  エレア派は事物の真の説明は 「存在の普遍的な統一性を解き
明かすこと」 にこそあると主張し、その際注意すべきこととして、惑
わされやすい 「感覚」 に頼るべきではなく、「理性」 をこそ重視すべ
きであるとしました。

  ゼノンは 「ゼノンのパラドックス」 で有名です。 ゼノンのパラドッ
クスは 4 つあるのですが、その中でいちばん有名な 「アキレスと亀」
は以下のとおりです。

  あるとき、アキレスと亀が徒競走をすることになった。 しかしアキ
レスの方が足が速いのは明らかなので亀がハンディキャップをもら
って、いくらか進んだ地点(地点A)からスタートすることとなった。

スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスが
そこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。

  アキレスが次に地点Bに達したときには、亀はまたその時間分
だけ先へ進んでいる(地点C)。

同様にアキレスが地点Cに着いたときには、亀はさらにその先に
いることになる。 この考えはいくらでも続けることができ、その結果、
いつまでたってもアキレスは亀に追いつけないということになる。



  さて、さらに同じ頃、南イタリアのロクリスというという場所に本拠
を置いた 「ピュタゴラス教団」 がありました。

  数学者として有名なピュタゴラス(紀元前582~496)を開祖とす
るこの教団は、財産を共有にして集団生活をするなど一種の宗教
結社に近い存在でした。


 Bronnikov_F.jpg


  その中心的な思想は、魂を浄化して神の不死に与る、あるい
は神と合体するという神秘主義的なものだったと言われています。

  彼らは、この世界は 「数」 によって成り立っている、世界のア
ルケーは「数」であると考えました。

  そして、数学に含まれる規則性や調和といったものに神秘性
を感じ、宗教的な修行の一環として数学や音楽を研究しました。

  ピュタゴラス教団は世界最古の数学研究センターであり、素数
の発見、奇数・偶数の区別、正多面体の作図など初等幾何学の
定理のほとんどがここで発見されています。

 音楽というのも非常に数学的で、音楽の、一定の決まった間隔
で音階が上がっていくという秩序正しさに神秘性を感じたようです。

  いちばん数学的な音楽はバッハの音楽だといわれています。


 
  さて、ソクラテス以前の時代には以上のような哲学諸派があって、
これらはギリシア哲学の3人の真打(しんうち)、ソクラテス-プラトン
-アリストテレス によってまとめあげられていくことになります。

  上で言ったとおり、ソクラテスらは人間がはじめてその内面に目
を向けたということで、哲学史上とても重要視されています。

  しかし、それ以前のイオニア学派を中心とする人たちの自然哲学
も、それはそれで非常に重要であるとは言えると思います。

  ソクラテスらの哲学については ② でお話ししていきます。


 ②.ソクラテス. プラトン
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