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もっともわかりやすい西洋哲学史 ⑦. ルネサンス から デカルト へ [哲学・思想]

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  今回は、普遍論争からです。

  前回、中世の神学において 「言葉」 が重視され、トマス・アクィナ
スの神学においてさらにその傾向が強まったという話をしました。

  旧約聖書 「創世記」 は 『はじめに、ロゴスありき』 という文章で
始まります。

  この 「ロゴス」 は通常 「ことば」 と訳されますが、旧約の神は、こ
の世界を創るときに、他の何よりもまず 「ことば」 を誕生させたワケ
です(そのあと天や地を創る)。

  なので、キリスト教が言葉を重んじるのはある意味当然なのです
が、それが極端なところまでいってしまったのが、次の 「普遍論争」
だといえるでしょう。

  「ソクラテス (個物)」 と 「人間 (種・普遍)」 という言葉があると
き、人間という種がソクラテスとは別に実在するのか? それとも、
単に言葉や概念にすぎないのか?

  実在するという立場を 「実念論」、単なる言葉にすぎないとする
立場を 「唯名論」 といいます。

  この論争は、11 世紀から14 世紀にかけて世代を越えて続くので
すが、ローマ・カトリックは普遍的な教会であることを標榜しているの
で、当然 「実念論」 の立場に立ち、14 世紀 「唯名論」 の代表者ウィ
リアム・オッカムの思想は異端とされました。

  一般人的な感覚で言うと 「バカバカしい」 という感じもしますが、
哲学において 「言葉」 の問題は根本的なことで、思想史上、現在に
おいても中心的な話題の1つになっています (20 世紀哲学の動向
を指して 「言語論的転回」 という)。

  ここではこれ以上深入りはしませんが、後ほど触れることもある
かと思います。



  さて、ここからはいよいよ 「近代 (Modern)」 にはいりますが、そ
もそも 「近代とは何か」 という話から始めます。

  近代とは、一般的にルネサンス及び宗教改革にはじまり、絶対主
義からフランス革命を経て現在に至るまでの時代を指しています。

  具体的には、以下のようになります。

 《 伝統的社会(前近代) - 近代的社会 》

 〈 技術 〉 人力、畜力 - 機械力 (動力革命、情報革命)
 〈 経済 〉 第1次産業 - 第2次産業、第3次産業
        自給自足経済 - 市場的交換経済 (資本主義化)
 
 〈 法 〉 伝統的法 - 近代法
 〈 経済 〉 封建制 - 近代国民国家
        専制主義 - 民主主義
  
 〈 社会集団 〉 家父長制 - 核家族
           機能的未分化 - 社会的分業

 〈 地域社会 〉 村落共同体 - 近代都市
 〈 社会階層 〉 家族内教育 - 公教育
           身分階層 - 自由、平等、自由な移動
 
 〈 知識 〉 神学的、形而上学的 - 実証的、科学的
 〈 価値 〉 神中心 - 人間中心
        非合理主義 - 合理主義 (宗教改革、啓蒙主義)

 〈 人間関係 〉 ゲマインシャフト - ゲゼルシャフト

(※) ゲマインシャフト ⇒ 互いに他者の人格全体に非限定的に
かかわる関係。 家族、農村共同体。
    ゲゼルシャフト ⇒ 他者の属性の特定の側面に関して功利
的にかかわる関係。 市場、契約関係。



 【 ルネサンス 】 

  近代は、ルネサンスによって幕を開けます。 ルネサンスとは re
-born、つまり 「再生」 という意味ですが、「ギリシア・ローマの文芸
が華やかだった時代に還ろう」 という時代感を指しています。

人々の熱気は相当に高かったようで、「ローマ再建」 のスロー
ガンのもと、聖ペトロの墓地跡にサン・ピエトロ大聖堂が建立され
ました。

  この 高さ130m (ビルの 40 階程度)、長さ210m を誇るキリ
スト教最大の建造物は 「ルネサンスのピラミッド」 と言ってもよく、
このプロジェクトには多くの著名人が参加し、完成までに170年
の月日を要しました。


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  美術史において レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラフ
ァエロ という3人の巨人が現れたのもこの時代です。

  そして、ルネサンスにはもう1つ、「神のことばっかり考えないで、
私たち人間自身に関心を向けよう ! 」 という人間中心主義という
面があります。

 人々がその関心を神から人間に移した様は、この頃に著された
『デカメロン』 という人間観察物語集からも窺い知ることができ、こ
の物語集はダンテの 『神曲』 に対して 『人曲』 と呼ばれています。

  中世においては、神と被造物の間には越えることのできない深
淵が横たわっていましたが、ルネサンスになると、神は自然の中
にも表れていると考えられるようになり、自然は肯定され、自然は
神々しいものとなりました。

  その表れとして、中世までは存在しなかった風景画というものが、
ルネサンス以降、描かれるようになっていきます。


  歴史の流れを図式的イメージで言うと、近代以降というのは、1
本の川が海に近づいて扇形に広がっていくように、社会の幅が一
気に広がっていくような感じがあります。

  社会の幅は広がっていくのですが、同時に、この世界が(複雑
にではなく)単純になったのが近代という時代です。

 いま、テーブルの上にコップがあるとします。

  近代的な感覚で言うと 「ここにコップがある」 という、ただそれ
だけのコトです。

  しかし、中世的世界観で考えると、このコップは 「どのように使
われるのか」 という目的と、製作者の意図、さらに形相を抜きにし
ては考えられません。

  また、ガリレオがピサの斜塔から鉄球を落とすとします。

  近代的な感覚では、「重力によって鉄の球が落下する」 という
コトになります。


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  それに対して中世的な感覚で言うと、この鉄球の運動は、より
良い秩序を目指すためのものであるとされます (火は上方に、鉄
は下方に存するのが世界の秩序である)。

  さらに、この鉄球の運動は、始動因、目的因、質料因、形相因
という4つの原因をもっており、始動因は鉄球を落とした人ガリレ
オ、またはガリレオの意思だとされます。

  加えて、この鉄球の運動には神の意思や奇跡の介在する余地
もありました。

  落語で、イヌの眼を義眼にしたら電柱に小便をひっかけたくなっ
たという話がありますが、この場合、イヌの眼は死んだ物体ではな
く、生きたイヌ全体とつながっているワケです。

  ここで言う中世的世界観とはつまりアリストテレスの世界観です
が、以上のように近代以前においては、この世界はさまざまな意味
にあふれていたと言えます。

  ルネサンス期まで1000年にわたって常識となっていたアリスト
テレスの世界観を 「物活論的世界観」 といい、以下で説明するデ
カルトの世界観を 「機械論的世界観」 といいます。

  ちなみに、デカルトとガリレオ・ガリレイ (1564 ~1642) は同時
代の人で、科学史において ガリレオ-ケプラー-ニュートン によ
る物理学的進歩を 「科学革命」 と言います。

 科学革命についてはこちら
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-13-2


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  ガリレオは、木星の衛星や土星の輪を発見したことや、振り子
の原理、落体の法則などで有名ですが、それ以上に重要なのが、
「仮説を立てて、実験でそれを証明する」 という、科学の手法その
ものを確立した点にあります。

これは 「問題は頭の中でひたすら考えれば解ける」 というアリ
ストテレス的な理性への過信から、転じて 観察や経験、実験とい
う手法に目が向けられたということでもあります。

  ところで、これは哲学史の範囲を超えることですが、14世紀から
16世紀にかけて、ルネサンス、宗教改革、科学革命、大航海時代、
魔女狩り が同時並行的に起こっており、このことからも大変革の
時代だったというのがわかります。
 
  ルネサンスは人文主義(ヒューマニズム)と言われますが、同時
にこのルネサンス期には、魔女狩りや、残酷なアメリカ大陸征服と
いった反人文主義(アンチヒューマニズム)的なものも全盛であった
という面もあったということです。


  大局的にみると、これ以降世界の歴史は欧米の1人勝ち状態
へと進んでいきますが、それはひとえにヨーロッパが科学というバ
ケモノを発明したことによっています。

  ガリレオに始まる 「科学革命」(その結果である産業革命も含め
て)は、人間の歴史の中で、紀元前8000年頃に起こった 「農業革
命」、前3000年頃の 「都市革命」、前800年頃の 「商業革命」 につ
づく4つ目の革命だといえますが、私たちの時代もその余波の範囲
内にあるといえるでしょう。

  それまで世界の極西に位置する寒い辺境の地にすぎなかった
欧州が、ただ1つ 「科学」 という武器を手に入れたことによって、
遅ればせながら “近代デビュー” を果たしました。

  青春用語に “高校デビュー”“大学デビュー” という言い方があ
りますが、デビューが遅い者の方が限度なく突き抜けてしまったり
します。

  「科学-産業革命」 以降のヨーロッパのハチャメチャさを考える
と、それと通じるところがあるような気がします (※)。


(※) 中米帝国の蹂躙、ネイティブアメリカン絶滅、帝国主義、ア
フリカ分割、中国分割、世界大戦、必要以上にエラそうな態度 など

 4つの革命関連記事についてはこちら
(ながい記事ですが興味のある方は読んでください)
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-05-30-2



 【 ルネ・デカルト 】 (1589 ~1650)

  科学というのは、この世界の秩序を数学で単純化するというこ
とですが、これは ピュタゴラス-プラトンに始まり、錬金術の歴史
を経てガリレオ-ケプラー-ニュートンへと至る道です。

  この科学的、近代的世界観の哲学的基礎付けをしたのが、これ
からお話しするデカルトです。


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《 精神と物体 ~ デカルト的二元論 ~ 》

  デカルトは、この世界を 「精神と物体」 という2つの実体に分
けます。

  その上で、精神の属性は 「思惟」、つまり考えることであり、物
体の属性は 「延長」、つまり空間的に位置を占めることであるとし
ました。

(※) 実体、属性、延長など、ふだんは使わない言葉が多くで
てきますが、これらは哲学の業界用語みたいなもので、なんとな
くニュアンスがつかめれば充分です。


「延長」 という属性が成り立つためには、その前提として 「均質
な空間」 という概念がはっきりしていなければなりません。

デカルトによれば、「空間」 とは場所ごとにさまざまな意味を持
つものではなく、単純で無機質・無意味なものとされます (a)。

  数学の座標軸(X,Y)を生み出したのもデカルトで、これにより幾
何学と代数学が結びつきました (※)。

  ある物体が空間的に位置を占めるというコトは、そこには他の
物が入り込めない、つまり排他的であることを意味し(b)、例えば
コップに精霊が宿ったり、鉄球に悪魔がとりついたりはできないと
いうことを意味しています。

  また、物体の属性が 「延長」 と考えられることによって、逆に延
長をもたない天使や精霊といった存在は成り立たなくなるというこ
とを意味してもいます (c)。

  このようにして、近代世界は 「精神と物質」 という単純な原理
に基づくものとなりました。

言い換えれば、自然はモノとなって測定できる対象となり、精神
はモノから自由な純粋な精神となりました。

(※) 数学は幾何学と代数学に分けることができますが、幾何学
は古代ギリシアで発展し、その後ヘレニズム期にエジプトのアレク
サンドリアにおいてエウクレイデス(ユークリッド)によって古典的完
成をとげました。

  それに対して、代数学(連立二次方程式など)は商業に長けた
イスラム世界で発達しました。

  また、ヨーロッパと共通の祖先をもつ(インド=ヨーロッパ語族)
古代インドにおいても数学が盛んで、7世紀にインドにおいて 「0 」
(ゼロ)という概念が発見(発明 ?) されています。


《 明晰判明な精神 ~ われ思うゆえにわれあり ~ 》

アリストテレスの哲学は言語による世界の分析という方法に基
づいていましたが、スコラ哲学は、12世紀に逆輸入されたアリス
トテレスの体系を基礎としています。

  スコラ学者たちの言葉の海に溺れた果てしない議論は、デカ
ルトの目には、なんら確実なものに基づかないあいまいなものに
映りました。

 ソクラテス - プラトン - アウグスティヌス - デカルト
(合理主義)
 アリストテレス - スコラロックバークリヒューム


      image001.jpg
 (デカルトがアリストテレスの著作を踏みつけている風刺画)


  それに対してデカルトは、哲学は絶対確実な地点から出発す
るべきであると提唱します。

  絶対確実な出発点は、スコラ学者のような 「議論」 によっても
たらされるのではなく、「直感」 (=明晰判明な認識) によっても
たらされるものだとデカルトは考えます。

  それゆえ、デカルトの哲学は明晰判明に認識できる出発点か
ら始まり、その出発点こそが 「われ思うゆえにわれあり」 (コギト
・エルゴ・スム) となるワケです。

  「われ思うゆえにわれあり」 (コギト・エルゴ・スム)

  デカルトは、この言明を自らの哲学の 「第一原理」 と定めま
す。 そして、それは次のようなコト。

  デカルトはまず、世の中のすべてのモノゴトを疑い否定します。
そして、自分のカラダの存在をも否定します。

  それでも、どうしても疑いえないことが1つ残る。 それは、「自
分がモノを考えているという事実」。

  デカルトはこの第一原理から出発し、演繹的方法によって整
然と構成できる哲学体系を目指しますが、それはユークリッド幾
何学を模範としたものでした。

  幾何学は、正しい手順を踏めば誰でも1つの正しい解答にた
どり着くことができます。

  デカルトは、これと同じように哲学においても万人が1つの正
しい解答を得ることができるような体系を構築しようとしたという
こと (※)。

  例えば、ユークリッド幾何学に 「点とは広がりをもたないモノ」
「線とは幅をもたないモノ」 という定義があるように、デカルトも
自らの体系に4つの規則を定めました。 

 ①. 明らかに真理であると認めうるもの以外は認めないこと。
即断と偏見を避けること。

 ②. 検討する対象を、できるだけ細かく多数の小部分に分割
すること。

 ③. 単純なものから始め、徐々に複雑なものへという段階を踏
むこと。 現実には後先のない事柄にも秩序を仮定して考えること。

 ④. 自分は何1つ見落とさなかったと確信できるほどに、徹底
的に再検討すること。

  近代科学の考え方は、一言でいうと 「分析と総合」 であると言え
ますが、デカルトの4つの規則にそれが表れています。


(※) 数学によれば唯一の正しい解答にたどり着くことができる
という考えは、20 世紀半ば、ゲーデルによってくつがえされること
になります。


 ・・・・・・ 長くなってしまったので、今回はここまでにします。





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