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もっともわかりやすい西洋哲学史 ! ③.プラトン (国家. プラトニック・ラブ) [哲学・思想]

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  それではつづきです。

  イデアの説明として、有名な 「洞窟の比喩」 というのが
あります。

  地下の洞窟に住んでいる人たちがいるとします。 洞窟
の入口は非常に大きく、その中には陽の光がいっぱいに
差し込んでいるとします。

  洞窟の突き当りには大きな壁があり、その前に人々が壁
の方を向いて座っています。

  洞窟の外には多くの人々がいて、動いたり洞窟の入口を
横切ったりしています。

  そうすると、洞窟の突き当たりの壁には、陽の光によって
洞窟の外にいる人々の影が映ります。

  洞窟の中の人たちが決して後ろを振り向けないとすると、
その人たちは壁に映る影こそが真の実在だと思ってしまう
ことでしょう。

  つまり、壁に映る影がこの世のモノゴトで、洞窟の外の人
々がイデアであるということです。


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  さて、私たちはこの世界において、あらゆる事物を感覚に
よって捉えています。 よって、プラトン哲学ではこの世界を
「感覚界」 と呼びます。

  感覚というのはあいまいなものであるので、私たちはこの
世界の物事について決して正確な知を得ることはできないと
されます。

  それに対して イデアの存在する天上の世界を 「イデア界」
といいますが、そこでは物事の認識は感覚によるのではなく、
理性によってなされます。

  感覚によっては 「あいまいな知」 しか得ることができず、
「正しい知」 は理性でしか捉えることができません。

なので、プラトンは数学を非常に重視します。 数学は感覚
ではなく理性で答えを出すからです。

  プラトンが設立した学園 「アカメデイア」 の入口のアーチ
には 「幾何学を知らぬ者、この門をくぐるべからず」 と書いて
あったそうです。 

  このようにプラトンの思想は、世界を、目に見える現実世
界と純粋な理想世界に分け、現実世界をどちらかといえば
否定的に捉えたものです。

  そして、その中核には魂の不死の思想があります。

  このような考え方は、後の新プラトン主義を経て、やがて
キリスト教に受け継がれていきます。


 ところで、これまで述べてきたように、紀元前7世紀頃、イ
オニア地方に哲学者たちが生まれましたが、それ以前は、こ
の世界の成り立ちについての説明は 「神話」 によってなされ
ていました。

 神話というものは、まず、特定の共同体と結びついたもの
であるという面があります。

  また、具体的な 「物語り」 という形式で語られるため、ナゼ
そうなったのかという合理的な説明がなされません。

  それに対して哲学は、世界について、特定の共同体を超え
た 「普遍的な説明」 を 「抽象的な言語」 によって、「論理的な
根拠」 を示しながら説明する、という違いがあります。

  タレスに始まるイオニア学派の人たちは、水や空気など、
目に見えるモノにアルケーを求め、この世界の成り立ち方に
ついて合理的な解釈を試みました (合理主義)。

  一方、ピュタゴラス教団の人たちは、数や数学的法則のよ
うな目に見えないものにアルケーを求め、その思想は、この
世界を超えたモノを志向しています (神秘主義)。

  プラトンは、これら両方の要素を取り込んで自らの哲学のス
タイルを確立します。

そして、それ以降、プラトンのスタイルを哲学的手法の雛形
としてそれ以降の西洋哲学史は進んでいくことになります。

  よって、前者の合理主義は当然としても、後者の 「この世
界を超えた(超越した)何ものかを志向する」 という神秘主義
的な要素についても、プラトン以降、デカルトやカント、ヘーゲ
ルに至るまでの西洋哲学の歴史には強く流れています。


  イオニア学派について少し補足します。

  この学派の第2世代として、ヘラクレイトス(前540~484)と
パルメニデス(前554~501)という人が登場します。

  そして、この2人によって哲学の問いが 「アルケーはなにか
?」 から 「『ある』 とはなにか?」 という存在論ど真ん中の問
いに移っていきます。

  ヘラクレイトスは 「万物は流転する」 という文句で有名です
が、この世界にあるものは常に生成変化していて、変化こそが
この世界の本質であると考えた人です。

  それに対してパルメニデスは、「変化するものは、ほんとうに
『ある』 ものではないのではないか?」 「ほんとうに 『ある』 もの
は不変で、生じることも滅することもなく、部分もなく欠けている
ところもなく完全無欠な存在なのではないか?」

  この2人を消化し、そこにピュタゴラス的な神秘的要素を加え
ると、「この世界の移り変わるモノゴトの背後に、永遠不変の存
在がある」 というプラトンのイデア論になります。



《 国 家 》

  このように、現実の世界とは違ったイメージの世界に憧れを
抱いたプラトンですが、現実世界への関心や政治的な情熱が
失われてしまったわけではありません。

  その思いは、教育機関 「アカメデイア」 の設立と、晩年の著
書 『国家』 として結実します。


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  ソクラテス-プラトンが生きた時代のアテネは民主制の衰
退期で、政治は正義や理念に基づいて行われるのではなく、
単なるパワーゲームに堕していました。

  民主制が堕落していくさまを間近で見つづけてきたプラトン
は、民主制ではなく、善のイデアをこの地上に実現すべく訓練
された人々(=哲学者)によって統治される理想の国家像を思
い抱きます。

  具体的には、次のような国家です。

  国はまず、人民を、哲学者(=統治者)、軍人、農夫・職人・
商人の3つの階級に選別します。

  つまり、人民の中で最も優れた資質を持つ者は哲学者とし
ての教育と訓練をうけさせ、統治者とする。

  次いで優秀な者、勇敢な者を軍人とし、残った者たちは農
夫などになる。

  統治者たちは私有財産を持たず共同生活をおくり、できる
だけ個人的な感情を排除し、ひたすら公共の精神として正義
の実現に務める。

  それにより、各階層の人々がその天分にふさわしい幸福を
享受することができるようにすることを任務とする。

  そして、現実の世界においてそのような人材を育成するた
めに創設されたのが、教育機関 「アカメデイア」 です。

  アカメデイアは、プラトンの死後も千年にわたって続き、ヨー
ロッパの知的伝統はここから始まっています。 



《 プラトニック・ラブ 》

  それでは最後に、プラトン思想に関する残されたもう1つの
テーマ、いわゆる 「プラトニック・ラブ」 について。

  恋、エロス、美といったテーマは 『饗宴』 『パイドロス』 という
プラトン中期の著作で取り上げられています。


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  『饗宴』 は、ソクラテスとその友人である5人のアテネ紳士
たちが酒の席で談笑しながらそれぞれの恋愛論を披露すると
いう設定で話が進んでいきます。


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  たとえば、そのうちの1人は次のような説を話します。

  その昔、人間は今とはちがった姿をしていて、3つの種に分
かれていた。 「男・男」 の種、「女・女」 の種、そして 「男・女」
の種、の3種。

  これらの人間は、手足は4本ずつもち、頭は1つだが前後に
顔が2つあった。 とても強靭な体をもつ者たちで、やがて傲慢
になり、神々に攻撃を企てるようになった。

  それに対して、神々は彼らの体を真ん中で切って2つの分け
ることでその力を弱らせた。

  それ以来、バラバラになった男女は、もともと1つであった半
身を激しく求めるようになった。 

 という説ですが、この説は話の中でプラトンに否定されます。


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  ここで、ひとつ留意すべきこととして、この当時は青年愛(同
性愛)が普通におこなわれていて、ここで話をしている人たちも
みな青年愛を擁護する立場をとっていたということがあります。

  このあとに展開される議論を以下に要約します。

  恋(エロス)とは、「美しいもの」 への欲求であるとされ、その
発展段階として、まずはじめ、恋(エロス)は肉体的な美を欲求
するが、やがてそれを通過し、精神的な美を求めるようになる。

  そして、恋愛の究極的な目標は 「美のイデア」 に到達するこ
とである。

 よって、「プラトニック・ラブ」 というのは本来、肉体的な性愛
を排除するものではなく、発展していく恋愛の入口としての肉体
的な欲求をも含むものです。          


  「美しいもの」 は “イイもの” であって、 人が “イイもの” を手
に入れたがるのは、それが幸福につながるコトなので当然こと。

  しかし、“イイもの” は、「美しいもの」 以外にも金銭や名誉な
ど他にもイロイロあり、それなのに恋(エロス)だけが金銭欲や名
誉欲などとは明らかに異なる特別な感情であるのはナゼなのか?

  それは、恋(エロス)の場合、「美しいもの」 を手に入れるだけ
ではなく、「美しいもの」 の中に出産する(生み出す)ことを目指
しているからである。

  出産する(生み出す)とはつまり、自分が 「永遠なるもの」「不
死なるもの」「自己を超えた超越的な存在」 とつながることである。


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まとめると、

 恋愛とは、肉体的な快楽に始まり、それがやがて精神的な美
を享受することへと高まり、さらには「永遠なるもの」「超越したも
の」 に触れる、つながることを予感させるものである。


  一方で、近代以降の小説などでは、このようなプラトン的な真
のエロスの対極にあるような、反=恋愛的エロティシズムが多く
描かれるようになっていきました。

  単に美しいものを汚したいだけの欲望であるとか、相手を欺
くための美しさ、欺瞞に基づく誘惑的エロスといったものですが、
たとえばマルキド・サドの作品などはその1つの頂点だと言える
でしょう。


  ・・・・・・ 以上がプラトンの思想ですが、オマケを1つ。

  プラトンはレスリングはじめとする格闘技がとても好きで、当
時のパンクラチオンをよく観にいったそうです。

  試合について、「技術が低い者同士の試合は膠着状態が多く
なってつまんないよなぁ~ 」 という感想を述べていたそうです。


 ④. アリストテレス
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2014-01-15




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