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レディオガガ [音楽]

 ①.イギリスのロックバンド、クイーンが1984年にシングルとして発表した
楽曲。 同年発売のアルバム 『ザ・ワークス』 に収録された。 シングルチャート
では、イギリス2位、アメリカで16位、その他19カ国で第1位を獲得する世界
的大ヒットとなった。

 また、この曲のプロモーションビデオも作られた。 このビデオには、1927年
のフリッツ・ラング監督 『メトロポリス』 の映像が使用されている。 これは、この
映画の再上映の際の音楽をクイーンが担当したという事情による。 テーマは、
「空飛ぶ車でメトロポリスの世界に入っていく」 というもの。

 曲の内容は、テレビやビデオで音楽を聴く時代だから、ラジオに頑張ってほし
いというものであった。

 レディーガガの名前は、この曲が元になっているという。

 ②.サイトの説明によると、「レディオガガオンデマンドとは、マルチメディアを
中心にアウトソーシングとして展開する総合音楽&芸能エージェントです」 との
こと。 東京の中野に所在しているようだ。

 トップページを見る限りでは、「昭和の歌謡界」 というコトバがふさわしいよう
に思われる。 演歌や、その1曲を大切にして何年も歌い続けているような歌手
の方々の画像があふれている。 ちなみにこのページ、背景色は 「黒」 である。

 ③.レディーガガ。 言わずと知れた、今をときめくレディーガガである。
1986年生まれ。

 19歳のときにデフ・ジャムと契約し、ニューヨーク近郊のクラブでダンサーとし
て生計をたてた。 同時にインタースコープ・レコードと契約し、所属ミュージシャ
ンに多くの楽曲を提供した。 やがてその中で才能を認められ、歌手としてのキ
ャリアをスタートさせる。

 2008年に発売したデビューアルバム 「ザ・フェイム」 が商業的な成功を収め、
4カ国でチャート1位を獲得。 1500万枚以上の売り上げを記録した。 米ビルボ
ードのダンス-エレクトロ二カアルバムチャートでも1位となった。

 アルバムからのシングル2曲、「ジャスト・ダンス」 「ポーカーフェイス」 は世界
中のチャートで1位を獲得する大ヒットとなり、前者は第51回グラミー賞で最優
秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされた。

 2009年に2枚目のアルバム 「ザ・モンスター」 を発表し、MTV Video Music
Awards 2010 では歴代2位となる8冠を獲得した。


 2011年には3枚目のアルバム「ボーン・ディス・ウェイ」 を発表し、28カ国で
1位を獲得。 800万枚以上の売り上げを記録した。

 彼女は現在までに、世界中で シングル6600万枚、アルバムを2300万枚以
上売り上げている。

 2010年5月、アメリカの雑誌 『タイム』 の、世界でもっとも影響力のある有名
人のアーティスト部門で1位に選ばれた。

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ももクロについて [音楽]

 人気5人組アイドルグループの 「ももいろクローバーZ」、通称ももクロににパクリ疑惑
が浮上した。 4月10日に発売された最新アルバム 「5TH DIMENSION」 のジャッケト
写真に使われた彼女たちのマスクとコスチュームが、昨年発売された海外ブランドの作
品に酷似しているという疑惑だ。

 さらには過去の楽曲にも盗作疑惑が指摘され、これらが波紋を広げている。

 指摘されている衣装というのは、トゲトゲのついた通称「ドリアンマスク」 というマスクで
顔を覆い、身体には上下ピンクのコスチュームをまとうという近未来的なイメージの、とて
も斬新なものだ。 しかし、これが海外ブランド「ⅡMUAHⅡ couture」 の作品と酷似して
いると指摘された。
 
  これを受けてネット上では、「偶然という域をはるかに超えている」 「マスクはまだしも、
服のステッチまでにている。 これはもう完全にアウト」 「完全なパクリ。擁護のしようがな
い」 という批判の声が続出した。

 その後この問題は、原因の解明と責任の所在という次の段階に進み、これに対してデザ
インを担当したスタッフが具体的な経緯を含めて説明をおこなったが、その中からさらにい
くつかの別の疑惑がでてくるという事態に発展する。
 
 その中で、楽曲の盗作疑惑も浮上した。 これについても、ももクロの曲と元ネタとされて
いる曲のメロディが非常に似ているというのが素人でもスグにわかるという。


  さて、今回ナゼこのようなことになってしまったのか? ももクロというユニットには何かヤ
バイ部分でもあるのか?

 
 ・・・・・・ どうやら、そういうコトでははないようだ。 これはつまり、ももクロというグループが
今やめでたくメジャーにな存在になったということなのだ。 だから、これまでは許されていた
ことが、今はもう大っぴらにはできなくなったというコトだ。

 「それじゃあ、以前はたくさんパクリをやっていたということなのか?」 という声もあると思う
が、それに対しては、「そのとおり」 と答えるしかないであろう。 売れるまでは、それがウケ
るのであれば、なりふり構わずなんでもやるしかないのだ。 それに、売れるまではレベルの
高いブレインを雇うこともできないワケで、そういう状況では、何かほかの作品を参考にする
しかない。 さらに、「すべての芸術は模倣から始まる」 という部分もある。

 ところが、ひとつだけ首を傾げるを得ない話もある。

 関係者によれば、ももクロの名前が売れてくるにつれて、スタッフにも超一流の人物が加わ
るようになった。 じつはそのコトが今回のパクリ騒動の原因にもなっているというのだ。 つま
り、日本のメジャーな音楽シーンにおいては、浜崎あゆみ・倖田來未などをはじめパクリが常
態化していて、今回の騒動もその流れに巻き込まれたとも言える というのだ。

 こういう傾向は良くないだろう。 パクリといのは、要は時間と労力の節約だ。 節約というと
なにかイイことのようにきこえてしまいそうだが、つまりは「どうせたいして変わらないんだから
サッサとやっちゃおうぜ!」 というのに近い。

 う~~~ん ・・・・・・

 僕個人としては、日本にはファッションも含めてすばらしい伝統文化があるのだから、それら
を素材にして工夫すれば、世界に対しても十分に「日本発」のものをアピールできると思うんだ
けれど。

 みなさんはどう思われますか?

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鬼束ちひろについて [音楽]

 近年の、以前とはあまりにも激変したその姿に、ファンも戸惑いの色を隠せな
いという感のあるシンガー、鬼束ちひろが、去る3月13日、待望の2年ぶりのシ
ングル「悪戯道化師 (いたずらピエロ)」 を発売したが、その評判は微妙だ。

 曲自体は “可もなく不可もなく” といったカンジだが、pv については彼女とピ
エロがコミカルなダンスを踊るというもので、なんとも “シュールな世界観” が
表現されているそうだ。

 彼女に関しては過去についてのネガティブな噂や、近年のいわゆる「激変」以
降の奇行っぷりについてのエピソードが数多く語られ、それだけで本が一冊書
けそうである。 その具体例については他のブログを参考にしてほしい。 ここでは
もう少し深く考えてみよう。

 デビュー以降の彼女の変遷を通して見てみると、確かに、以前と現在とではあ
まりにもその姿というか雰囲気というかキャラというか、が変化している。 さらに
よく見てみると、変化しているのは外観だけではなく、中身そのものまでが大きく
変化しているように見える。 なんというか、以前と今とでは、それぞれ違う人がそ
れぞれ別着ぐるみを着ているようだ。

 そして、以前も現在も共にそのキャラが濃い。 以前の彼女は、ナチュラル志向
というか、70年代のアメリカのフォークシンガーのようでもある。 それに対して現
在の彼女は、狂気というか魔界というか薬物的というか、ただ、レディー・ガガを
意識しているというのはよくわかる。

 以前の彼女も現在の彼女も、それぞれ違う方向に大きく針が振れている。 果た
して、どちらが本当の彼女なのだろうか?

 どちらでもないというのがその答えだ。 じつは、彼女には本当の姿はないのだ
と思う。 きっと彼女の中身は空洞なのだ。

 近年のインタビューで彼女はこう言ったらしい。「以前の私は本当の私ではあり
ません。あれはワザと作っていたんです。今の私こそが本当の私なんです。」
 
 しかし、彼女は近い将来、それも間違いだったというコトに気がつくはずだ。 そ
して再び、あさっての方向に針が大きく振れたあたらしい自分を偽造することにな
るのだと思う。 この自分探しの旅に、おそらく終点はない。 はじめから存在しない
ものを探す旅に、終わりがあるはずはないからだ。

 昭和の時代に、三島由紀夫という著名な作家がいた。 幼少時代、ずっと狂気を
帯びた祖母に育てられた彼は、成長したあと、自分の中には自分がいないコトに
気がついた。そして終生自分探しの旅をつづけたのだが、彼の旅にも終点はなか
った。

 ある時期、彼はギリシア的肉体美にあこがれ、極端に体を鍛えることによってみ
ずからの身体を改造した。 その後彼は、極端な右翼、極右という着ぐるみを着て、
頭に純白の鉢巻をまいた詰襟姿で四谷にある自衛隊の駐屯地に乱入し、一世一
代の奇行を演じることになる。 お立ち台に立った彼はピンと胸を張り、腰に手を当
てながら、亡国を憂う、命がけの演説をぶちかましたのだ。

 そんなことはお構いなしに、雑然として聞く耳をもたない周囲の隊員たち。 まるで
私語だらけの中学校の荒れた授業風景のようだ。 「君たちちゃんと聞きなさい、い
ま私は大事なことを話している!」 三島が恫喝すれば、逆に指をさされて笑われる
始末。 その直後、仲間に自らの斬首をゆだね、こと尽きたのであるから、 これぞま
さにメガトン級の奇行である。こうして三島の旅は、突然の脱線転覆という事故によ
って急止する。

 もしかすると、彼は自らが空洞であることに薄々気づき、自分が救われるために
は、赤子が数十年をかけて自らの人間性を形成していくという途方もない作業を、
自分もまたその年齢から始めていく以外に方法はない、という絶望的な事実に耐
えられなかったのかもしれない。

 三島の代表作である 「金閣寺」 は、金閣寺に放火するという、これもまさに歴史
的な奇行を演じる男の、犯行にいたるまでの心情がつづられた小説である。

 奇行つながりである、三島由紀夫と鬼束ちひろ。 彼女の旅に終点はあるのだろ
うか? 決して脱線転覆という結果にはならないでほしい。

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きゃりーぱみゅぱみゅの話 《新版》 [音楽]

2013年8月15日、大幅に加筆しました。 1度読んでいただいた方もぜひ
再読を。 きゃりーぱみゅぱみゅ についてイロイロな面からタップリと語ってい
ます。 ときどき脱線してきゃりー以外の話もあります。 画像も動画もたくさん ! !

  きゃりーぱみゅぱみゅ について知り始めたころ、「この娘はナゼこんなに売
れて、しかも、どうして海外でまで人気があるんだろう?」 と思っていた。 パッ
と見では、それほど大物アーティストのような感じはしないし。

 しかし、今やきゃりーぱみゅぱみゅの人気は遥か国境を越えている。 フラン
スや北欧のネットチャートでは、日本人としては初めて栄えある1位に輝いた。

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 日本武道館でピンのライブを行った彼女は、フランスの Japan Expo Live
を皮切りに、なんとワールドツアーまで実現させてしまった。

 ちなみに Japan Expo には、日本のアニメ やコスプレ文化を目当てに現地
のオタクたちが多く駆けつけたようだ。

動画では、きゃりーぱみゅぱみゅと握手ができるということで行列に並んでい
た現地オタクと思われる女の子が、自分の番が近づくにつれて、とうとう感極ま
って泣き出してしまうという場面もあった。

 彼女のコンセプト 「カワイイ」 は海外で相当支持されているようだ。 僕らがき
ゃりー見る目線とくらべると、彼ら外国人の目線では、きゃりーに“異国情緒” と
いう要素がプラスアルファとして加わるということになる。

 フランスの人たちは昔から日本の文化をとても好んでくれていて、19世紀、
日本でいうと江戸時代末期には “ ジャポニズム ” という文化的、芸術的な流
行が起こった。

 とくに北斎、広重などの描いた浮世絵は絶賛されて、ゴッホや印象派の画家た
ちはみな大きな影響をうけた。



 さて、今までにも幾人かのアーティストが欧米での成功を目指して打って出た。
「日本はもう極めた。ならば世界を」 ということだ。

古くはYMO。 ただしこの人たちの場合、日本よりも “向こう" の方が自分た
ちを受け入れてくれるのではないか? というカンジだったと思われる。 だから
レコードジャケットには思いっきり東洋色を込めた。

次に松田聖子。 この人の場合がいちばん典型的に 「日本はもう極めた、次
は世界を 」 というカンジだったと思う。

ちなみに、いままでに松田聖子ほど力(power)を持っていたアイドル・歌手は
存在しない。 力とはすなわち、イイ曲をもらい続ける、AAランクの曲を自分に提
供させ続けるけるということだ。

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  歌手というのは、要は歌う曲がイイ曲でなければ売れないからだ。 知ってる
人も多いと思うが、松田は、業界の盟主石原某の愛人であったという説がある。

 関係を終わらせるにあたって石原は、自分のところの若い衆であるKに彼女
を引き取らせたといわれている。

この説をはじめて知ったときは 「なるほど ! 」 と思った。 それならば、松田が
あれほどの力を持っていたのも頷けるからだ。

 松田は、デビュー曲の「裸足の季節」 から 「天使のウィンク」 までピッタリ20
曲、連続してAAランクの曲をもらい続けた。 これは空前絶後のコトだ。 当然そ
れらの曲はすべて1位に輝いた。そのあともAランクの曲はもらっていて1位にな
りつづけている。

 しかも今の人とは違って、彼女は当時の歌謡界のシステムに則って間隔をお
かずに曲を出し続けた。 つまり 3~4ヶ月に1曲のペースでずっと新曲を出しつ
づけた。

 歴代シングルの中には、B面の曲までがブレイクしてしまったものもある。 そ
れが名曲 「Sweet Memories」 だ。もともとこの曲は、「ガラスの林檎」 のB面に
すぎなかった。

 しかし、この曲が缶チューハイのCMで使われるようになり、バーの歌い手であ
る中年女性のアニメのペンギンが、この曲を静かに歌っているというもので、ペン
ギンがとってもイイ味をだしていた。 この時期、チャートではこの2曲が上位を独
占した。

 結局、彼女は約5年間も全力疾走をつづけ、そして、その5年間にわたるチャ
ートの中で松田聖子が上位にいない週はほとんど存在しなかったなかったとい
うコトだ。 これはスゴすぎる。

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 さて、話を戻そう。 いままでに何人かが欧米でのヒットを目指したという話。

 松田のあとは近年における宇多田ヒカルだ。 松田と宇多田はきっと、前もっ
て綿密なプランを練って満を持して参入したと思われる。

だけど見事に敗退した。 原因として、欧米で女性アーティストが売れるために
は絶対にSEXYさが必要だが、松田にはそれが欠けているとされた。

 宇多田にはそのコトがわかっていたので、歌の歌詞自体をエロい内容にする
などの工夫をしたし彼女は英語を話すこともできた。 だが、それでもダメだった。

 対称的に きゃりー はあけらかんとそれをやってのけてしまった。 彼女の場合、
エロいとかそういう問題ではない、という位置で勝負したとも言える。


  しかし、きゃりーぱみゅぱみゅ を上に挙げた人たちと同列で語るのは間違っ
ていると思う。 現在では、曲の売り方の構造そのものが変化している。 それは
YouTube という新兵器の登場である。

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 この、YouTube の世界的な普及と言うのは、じつはそんなに単純なことでは
ない。 従来のアーティストは、CDという “物” を売る必要があった。 物を売るた
めにはまず、売りたい数だけそれを製造しなければならない。

それだけではなく、物を売るためには、製造以外にも流通・保管・宣伝・展示・
販をしなければダメだ。

一方 Youtube では、物ではなくて “情報” を売ればいい。 “情報" であれば、
いちいち売りたい数だけ製造する必要はない。オリジナルを一つだけ作ればいい。
あとは欲しい人がそれを勝手にコピーして持っていってくれる。

さらに、YouTube ならば、それを売る必要さえない。 展示さえしておけば、欲
しい方が勝手に持っていってくれるからだ。 つまり、製造も流通も保管も宣伝も販
売もしなくていい。

 ただ展示さえしておけばいいというコトだ。 これならば時間も労力も、そしてコス
トもほとんどかからない。



 さて、次は少し視点を変えてきゃりーぱみゅぱみゅが踊っている 「踊り」 につ
いて考えてみよう。 現在、YouTube をとおして世界各国の若者たちが きゃりー
の踊りをまねて踊っている。

きゃりーは、あのレディー・ガガと対比されるコトもあるが、2人とも曲に併せて
踊りをおどっている。 だが、じつは2人の踊りは決定的に違っている。 というのも、
レディー・ガガは 「ダンス」 を踊っているが、一方の きゃりーは 「振り付け」 を踊
っている。

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  ダンスと振り付けはまったく別物である。 ダンスと言うのは、基礎的なレッスン
を積んでいない限り、素人がいきなりできるものではない。それはマイケル・ジャ
クソンのダンスを考えればわかる。

だが振り付けは違う。 振り付けの場合、その動きさえ覚えてしまえば小さい子
供でも踊ることができる。 YouTube では各国の若者がきゃりーの振り付けを覚
えて踊っている。

だけど レディー・ガガのダンスを素人がコピーして踊っているという動画は見
られない。

 きゃりーやAKBのように、ここまで高度に発展して、しかもカワイくて面白い振り
付けというのは、もしかすると日本独自の文化といえるのかもしれない。

 その昔ピンクレディーというガールズユニットがいた。 彼女たち2人は、数年の
あいだ一世を風靡して日本の天下をとった。

ピンクレディーほど、その振り付けを強調してインパクトを与えた歌手は先にも
後にもいない。 当時は、明星や平凡という雑誌に連続写真をもちいた振り付け
の虎の巻が掲載されて、女の子たちはみんなまねして踊っていたという。

ピンクレディーの振り付けは、もう一つの流れであるダンスの歴史の中でのマ
イケルジャクソンの存在に似ている。 ダンスでマイケルジャクソンほど世間にイン
パクトを与えた人は先にも後にもいない。

ちなみにマイケルジャクソンというのは真に革命的な存在で、彼によって音楽
というものは 「聴く」 ものから 聴くだけではなく 「観る」 ものへと変えられた。

 だから、彼以降のアーティストたちは否が応でも踊らざるをえなくなってしまった。
ある意味迷惑なはなしでもある。

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  さらに、これはどうでもいいコトだけど、ピンクレディーというのは、もう一つ、空
前絶後の部分をもっていた。 ピンクレディーほどスカートの中のパンツを魅せて
いた歌手はいない。

これは当時相当に衝撃的であった。テレビの画面を見ながら、目の前でおこっ
ているコトが信じられいほどであった。 一体これをどう受け止めればいいのか?
ただ素直に興奮すればそれでいいのか?

・・・・・ それほどまでにモロ見えであった。 しかも、当時の女性の太ももという
のはそれはもう肉感的で野放図で、現在の女性の小じんまりしたチャチなそれと
は破壊力が違う。 それゆえ、ピンクレディーというのはかなり直接的な名前である。

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 左の写真はピンクレディではなくて河合奈保子だけど、“肉体の野放図さ” が
よく表れていると思うので参考までに。 現在の、たとえば前田敦子の子供だまし
のようなカラダとは深遠さがちがう。

 ピンクレディのデビュー曲は 「ペッパー警部」 というのだが、いま思うとこれは
とんでもない歌だ。 よかったらネットで詞の内容を確認してみてほしい。


 話が少しそれるけど、日本では、マイケルジャクソンやマドンナ、レディー・ガガ
ような 「真のスター」 は絶対に現れないと思われる。

人は、自分とは異質な存在にしかスター性を感じないからだ。 日本人は基本
的にはみんなおんなじ、同質だ。 だから多くを言わないでも分かり合うことがで
きる。

おそらくキムタクの過去のクラスメートは、それ以外の人たちほどはキムタクに
対してスター性を感じていないだろう。

 カリスマの元祖・イエスでさえ、地元のナザレに帰って説教をした際には、「大工
の息子が何を偉そうなこと言ってんだ」 と、指をさして笑われたらしい。 

 沖縄出身のアーティストが持てはやされるのも同じ事情からだ。 沖縄の人たち
からは自分とは異質な部分を少しだけ感じ取れるからだ。

 プロデューサーたちは昔からこのことにに気がついていて、昔から沖縄というカ
ードは切られた。 フィンガー5、南沙織。

 上でも述べたように、外国の人から見ると きゃりーは異国性が強いのだと思わ
れる。


 それでは元に戻って、 踊りの次は「曲」 について話。 きゃりーぱみゅぱみゅの
人気を支えているのは 10 のウチ 4~9 くらいまでは歌っているのがイイ曲だか
らだと思う。



デビューから現在まで、きゃりーは連続して5曲ものAAランクの曲を提供され
ている。 「つけまつける」 から 「PONPONPON」 (つけま・Can・ファッション・ふ
りそで・PON) までの5曲。

これは、近年まれに見ることだと思う。 たとえば、あのPUFFYでさえAAランク
の曲は2曲~3曲しかもらえていない。 異論はあると思うけど。今をときめくAKB
でさえもここまでではない。






じつは、僕がいちばん きゃりーぱみゅぱみゅ は 「すごいなぁ~」 と思うのはこ
の点だ。 松田聖子のところでも言ったが、イイ曲を提供され続けるというのは、
それだけ力 (Power) があるからである。

 もちろん偶然に左右されるという部分もあるけれど、それだけではないと思う。

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 だから逆に心配もしていた。 この状態がこのままずっと続いていくワケがない。
きゃりーぱみゅぱみゅにも AAランクの曲をもらえなくなる日が必ずやってくる。
そして、それはある意味突然やってくる。

いい曲を歌い続けていたのに、その次の曲が 「なんだこりゃ! ウソだろ?」
ということがよく起こるのだ。 それが早くも2曲目できてしまった人のことを、世間
では 「一発屋」 という。

 ちなみに、かの宇多田ヒカル先生というのは、結局は 「偉大なる一発屋」 だっ
たような気がしてならない。

 おそらく、宇多田先生はファーストアルバムの時点が全盛期だったんだと思う。
デビュー直後が全盛期というのはスポーツ選手にもときどき見られるコトだ。

 デビュー曲が最高傑作であって、以降はそれを超えるどころか匹敵するような
作品も生み出すことができない。 当然ながら宇多田本人がそのことをいちばん
よくわかっていて、以降はずっと苦しみ続けていたような気がする。

 だから何だか見ていてツライものがあった。

 なまじデビュー曲があそこまで売れてしまったばっかりに、本人の気持ちとは
関係なく、気がつけば自分が偉大な存在になってしまった。 しかも、売れて以降
の彼女は周囲からすれば “カネを生み出す装置”、“歩く利権” のようなモノだ。

 よって、絶えず周りから強烈に干渉されつづけ、放っておいてもらえない。 だ
けど、それに100%応えるには少し才能が足りない ・・・・・・ 

 「なんで売れちゃったんだろう? 売れなきゃよかった」 1度くらいはそう思った
ことがあるのでは?

 もしかしたら突然やめてしまうのでは? と思っていたら、ホントにそうなってし
まった。

 使い切れないくらいのマネーもゲットしたことだし、これからはのんびりと楽しく
生きていってほしいなぁ。
  
 しかし、彼女が偉大な存在であることに変わりはありません。


 ・・・・・・ さてさて話を戻しましょう。 ここでは、いちおう歌手とアーティストは分
けて考えよう。

 歌手というのは人から楽曲を提供してもらって歌う人で、アーティストというの
は自分で作って歌う人。 昔風に言えばシンガーソングライター。 アナウンサー
とキャスターの区別もこれと似ている。

 歌手が、前曲と比べると明らかに数段落ちの曲を次の曲として渡され、以降
はそれがずっと続くというこの時点を、仮に「臨界点」 と呼ぶことにする。 その
界点を迎えたとき、そのことは当然本人もわかるはずだ。

 わかっていても、それはおくびにも出さずにその曲を大切に歌わなければな
らない。 ツライところだ。

 歌手の場合、この臨界点は必ずやってくる。 カッコつけて言えば、それが 「シ
ョービジネスの掟」 だということなんだろう。

 新しい才能、新人が次から次にデビューしてくる。 そして、どんな業界でも同
じだが、お客さんに対しては、いつも新鮮な商品を提供していく必要がある。

 いつまでも同じ歌手ばかりを売りつづけるワケにはいかないのだ。 あの松田
聖子にだって、20数曲目でその臨界点が訪れたワケだから。

 切ないのは、自分にも臨界点が来てしまったというのを当の本人もわかって
いるというのが、画面を通してコッチにも伝わってきてしまうときだ。 本人にとっ
てはわかっているけどどうにもならないという状態。

 具体例としていちばん印象に残っているのが、篠原涼子がデビュー2曲目を
番組で初披露したときだ。1曲目は、だれが聴いてもすばらしい歌だった。 一度
聴いたら忘れられないほどの名曲。 「いとしさと せつなさと 心強さと」。

 しかし初披露したその2曲目は、誰が聴いても ・・・・・  その曲もビックネーム
に提供してもらった曲ではあったのだが。

 現在、世間的・ネット的・マスコミ的には、新曲 「インベーダーインベーダー」
は世界的に大注目 ! 絶好調 ! パーペキ ! 大満足の仕上がり ! ! ということ
になっているようだ。

 なので、以下の意見を述べるのには少し勇気がいるのですが、それでもめげ
ずに言ってやるゾ!

imagesCAM4NAY1.jpg  無題.png

 結論から言うと、きゃりーぱみゅぱみゅにも とうとう臨界点がやってきてしまっ
ているような気がしてならない。

 非常に偉そうな言い方になって申し訳ないのだけれど、最初の5曲がAAなら
ば、6曲目と7曲目は よくてBランクというところなんじゃないかな? しかもこれ
で2曲続けてというコトになる。 もちろん異論もあると思うけど ・・・・・



 今回の曲について。 インベーダーはイイとしても (あんまりよくはないけど)、
世界征服っていうフレーズは、なんていうか80年代後半のB級アイドルみたい
なカンジというか、

 いかにもその頃のB級アイドルが自分のプロフィールの 「将来の夢」 のとこ
ろに書きそうなコトというか。

 それとも、ぐるりと一回転して今の人には逆に新鮮に聞こえたりするのか?

 イケイケの時代の当時は、世界征服というフレーズはたしかに時代に合って
いた。 世界征服というコトバを聞いても 「ハハハ、たしかに ! 」 と笑うことがで
きた。

 たけど、今の時代においては全然そうではないだろう。



 曲については好みというのがあるので、曲のレベルがどうのこうのとあんま
りエラそうなことは言えないけど、こう考えると少しわかりやすいかもしれない。

 たとえばデビュー曲を選ぶ場合、最初の5曲だったらどれでもデビュー曲と
して通用するレベルの曲だと思うけど、にんじゃりとインベーダーはデビュー
曲としてはちょっとツライと思う。

 僕は きゃりーぱみゅぱみゅ は好きだし、キャラとしても最高だと思う。 だか
らなんとか今後もガンバッテほしいし、次の8曲目には再びAAの曲をゲットし
てほしい ! !

 そして将来的にはこの文章も 「なに言ってんの?ぜんぜん的ハズレじゃん。
今だってこんなにイイ曲歌ってるし ! ! 」 というふうになればいいと思いまーす。


【 以下、2013年8月15日 加筆 】

 さてさて、ここからは曲という要素からはなれて、きゃりーについてそのほか
の面から論じてみよう。

 じつは、きゃりーぱみゅぱみゅは悲しい現実を背負っている。

 それは、きゃりーがきゃりーでいられるのはせいぜいあと3年がいいところだ
ということ。

 すこし上のところでこれからもガンバッテほしいと言ったばかりだが、それは
比較的短期的な話であって、ここから先はもっと長期的な話。


  きゃりーでいることができなくなるというのは、人気が衰えるとかそういう意味
ではなくて、つまりは25歳にもなって今のキャラをつづけるわけにはいかない
ということだ。

 きゃりーがきゃりーの個性を出せば出すほど、それと反比例してその命は短く
なっていく。

 そう言う意味では、きゃりーぱみゅぱみゅ という存在はもともと期間限定商品
なのだ。

 最初から長く生きることはできないとわかっている切ない存在。 短い間だけ
輝くことができる存在。

 裏方の人間はそのことを充分にわかっているだろう。 それどころか、最初か
ら きゃりーは期間限定商品だということを考慮にいれて全てのことを決定して
いるのかもしれない。

 それを思えば、現在の世界的なブレイクというのはもともと予定に入っていた
のかどうか気になるところだ。

 彼女が終わりを迎えるとき、それはどういうカタチをとるのだろう?

 きゃりーぱみゅぱみゅ という存在自体完全に消えてなくなるのだろうか

 それとも、徐々にシフトチェンジを図ることでさりげなくキャラを変えて生き残っ
ていくのだろうか? それは相当ムズカシイと思うけれど。

 そういう部分では、かつての篠原ともえに似ている。

 篠原ともえは数ヶ月前、昔と比べての激変ぶりが話題となって、美人だしメチ
ャ可愛いと好評だった。

 じっさい服装もメイクも大幅に変わって、すっかり “きれいなお姉さん” になっ
てしまった。

shinohara3.jpg   image.jpg





 きゃりーの場合、そもそもその名前からしていずれ変えないとマズイだろう。
本名の竹内桐子にするのかな?

 それに、現在主張しているいわゆる “青文字系” 原宿ファッションについても
いくらかシフトしないとならないだろう。 その場合は 「グロカワイイ」 も卒業とい
うことになる。

 ・・・・・・ ここで 「グロカワイイ」 についていくつか。

 芸能界には 『枠(ワク)』 という考え方がある。 枠というのはつまり、いつの時
代にも世間がつねにその要素を求めていて、つねに需要があるキャラクターと
いうもの。

 デブタレ枠、おもしろ外人枠、心霊枠、お色気枠、筋肉枠、雑学枠 などなど、
ほかにもイロイロあるだろう。 

 「グロカワ枠」 というのもそのうちの1つで、“完全に100%グロテスクというの
ではなくて、グロテスクなんだけどなんかカワイイ、なんか許せる” みたいなキャ
ラクターのこと。

 古くは “えりまきトカゲ” ずーっと飛んで 鈴木その子、マツケンサンバ、アンガ
ールズ あたりがその系譜に属すると思う。アンガールズの場合「キモかわいい」
という言われ方をされるが、要は同じこと。

 今をときめくマツコデラックスにも若干その要素があるかもしれない。

 そしてさらに現在では、カツオ人間やフナ犬など各自治体の 「ゆるキャラ」 た
ちに受け継がれている。

 また、『枠』 というくくりをはずしても、正統派(正・陽・ポジ)の中に正反対であ
るグロという負の要素が入り込んでいることは昔から多々見られることだ。

 黄金バット、デビルマン、がきデカ、もっと古くは丹下作善。 ちょっとズレるか
もしれないけどゲゲゲの鬼太郎。 海外でいうとハンプティ・ダンプティ 。

 たとえば、砂糖の中に塩という正反対のものを少し混ぜることで甘さがさらに
引き立つのと同じように、いま挙げたキャラたちが仮に正義の味方だとすると、
正義の中にグロの要素を少し混ぜることで、正義性がより強調されるのだろう。

 そしてきゃりーの場合は、グロを少し取り入れることで、よりカワイさが引き立
つという効果があるのだと思う。

 そもそもグロテスクというのは心霊写真なんかと同じで、怖いもの見たさという
か、人間が本能的に求めているというところがあるので、グロの要素を取り入れ
ることで、人々の本能の部分に訴えることができるという効果があるのだと思う。


 きゃりーぱみゅぱみゅにはグロカワ以外に、というよりもグロカワ以前に、もう
1つ特徴がある。

 きゃりーというキャラは、非常に記号的な存在であるということだ。

 記号的というのは、ある存在が、それ自身以外と同時にほかのモノゴトをイメ
ージさせるという性質のこと。

 きゃりーはカワイイであるとか原宿であるとか、自分以外のモノゴトを同時に
イメージさせる存在だ。

 これに対して、例えば誰でもいいが、ガッキーや芦田愛菜ちゃんや松田聖子
らが自分以外のモノゴトを同時にイメージさせるということはほとんどないと思う。

 ということはつまり、海外のファンたちがきゃりーを見る場合、彼女自身だけで
はなくて 同時に原宿であるとか “カワイイ” に象徴される日本のグッズやキティ
ちゃんなどほかのキャラクターまでも重ねて見ているのかもしれない。

 そうなると海外でのきゃりーの人気は、“彼女自身プラスさまざまな日本文化”
という全体に対する人気だということになる。 そうだとすると、きゃりーは 「原宿
のご当地ゆるキャラ」 のような存在だということになってしまう。

 どちらにせよ、やはり きゃりーは人物ではなくてキャラクターなのだ。

 じつはそのことがきゃりーの曲の動画にも表れている。 これらの動画の中で
はどの曲においてもきゃりーのワキで何人ものダンサーが踊っている。

 しかし、それらダンサーのなかには人物は1人もいない。 つまり1人残らず全
員が着ぐるみやお面などで顔をかくしている。 ファッションモンスターのフランケ
ンと和尚だけは顔を見せているが、この2人は人間とはいえない。

 ダンサーが顔をかくすのは徹底していて、Candy Candy では小学生とみられ
る子供にまで顔をかくさせている。 しかもこれらの子供たちの顔には1~4まで
の数字が大きく記されている。

 数字が記されているというのは、顔を “かくす” というよりも、もっと積極的にそ
の匿名性を強調しているというか、人物性を否定しているということだ。 仮面舞
踏会の際の仮面と同じ役割。

 ちなみに仮面舞踏会の仮面というのは 「今日の私は、私であって私ではあり
ません(だから今日はなんでもしちゃいます)」 という意味がある。

 子供の顔を大きな数字でかくすなんていうことは、普通はあまりしないと思う。

 お面をつけているダンサーが多いが、お面というのはスゴク象徴的で、つまり
はペルソナのことだ。(※)

 まわりのダンサーがみんな人物性や個性をかくすといいうのは、それだけきゃ
りーのキャラを強調したいからなのか、それともきゃりーの人物性を強烈に否定
したいからなのか、はたまたその両方なのか、あるいは僕が言っていることがま
るっきり間違っているからなのか、そりゃわからんけど、とにかく極端に顔をかく
していると思います。


 ・・・・・・ 以上のように、いずれは名前もファッションもコンセプトもみんな変え
てていかなければならないとしたら、それはもはや きゃりーぱみゅぱみゅ では
なくなってしまう。

 ん ~~~  どうにかならないのかなぁ ?

 いっそのこと、歌舞伎俳優やタイガーマスクやスケバン刑事のように、きゃりー
ぱみゅぱみゅ というキャラだけ残して、それを演じる女の子を数年ごとに入れ替
えるようにするとか。

 そうすると、2代目きゃりーぱみゅぱみゅは春風ちゃんで、3代目は芦田愛菜
ちゃんというところか? それぞれ18歳から22歳までの間だけきゃりーをやって
もらおう。


(※) ペルソナ : 自己、人物性。 もともとは “お面” という意味。

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BIGBANG ドームツアー 曲順 全日程もわかります! [音楽]

 韓国の人気グループ「BIGHBANG」 が今年11月から来年1月にかけて、
外国人アーティストとしては初めてとなる6大ドームツアーを行うことになっ
た。 リーダーのG-DRAGON (24) が1日、ナゴヤドームでソロコンサート
を行い、メンバーがステージで全員集合して発表した。

 東京・京セラ(大阪)・ヤフオク(福岡)・ナゴヤ・札幌の5大ドームはこれま
でにも海外勢が制覇した例はあるが、西武を加えた6大ドーム公演はBIG
BANG が初めて。日本勢では、昨年Mr.Children が達成している。

 全15公演で約72万1000人の動員予定。 グループは、昨年東京・大阪・
福岡の3大ドームを含む全国ツアーで45万5000人を動員したが、チケット
応募総数が250万通も殺到し、プラチナチケットとなったため、さらにスケー
ルアップして今回の6大ドームツアーとなった。

 この日のステージではG-DRAGON のもとに4人のメンバーが集合。 G
-DRAGONは、「『次はみんなで来ます』 と言ったことが実現でき、約束を
守れたことがうれしいです。 年末にはレベルアップした BIGBANG で会いま
しょう」。 V.I (22) 「今から今年の冬が待ち遠しいです」 と語った。

 著名人にもファンが多く、入場曲に BIGBANG の曲を使用しているボクシ
ング世界王者の井岡一翔 (24) は、「最高のエンターテインメントが見られる
ことを楽しみにしています」 とコメントを寄せた。

 BIGBANG (ビッグバン) は韓国出身の5人組ダンスヴォーカルグループ
で、2006年10月にデビューした。

 07年8月にリリースされた リーダーG-DRAGON作詞作曲の「Lies」 が
大ヒット、チャートで1位を獲得し、一気に人気グループへ。

 08年には、日本でもアルバム「Number 1」 で正式にデビューし、以降日
本国内で2枚のゴールドディスクを獲得している。 また、近年欧米諸国での
人気も上昇している。

 【6大ドームツアーの日程】
 ①.西武ドーム : 11月16日 17日
 ②.大阪ドーム : 11月29日 30日 12月1日 1月11日 12日
 ③.福岡ドーム : 12月7日 8日
 ④.ナゴヤドーム : 12月14日 15日
 ⑤.東京ドーム : 12月19日 20日 21日
 ⑥.札幌ドーム : 1月4日               となっています。














来年1月4日の札幌ドーム まで。

















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40mP ボーカロイド みんなのうた [音楽]

 NHK 「みんなのうた」 の8月9月のオンエア楽曲として、40mP feat. GUMI
の新曲 「少年と魔法のロボット」 が選ばれた。 「みんなのうた」 のラインナップ
に人間の声以外で歌われる曲が選出されるのは初めてとなる。

  「少年と魔法のロボット」 は40mP が 「みんなのうた」 のために書き下ろした
音声合成ソフト 「メグッボイド(GUMI)」 を使用して製作された楽曲。 自分の声
に自信が持てない少年が、思いどおりに歌う魔法のロボットに夢を託すという内
容の、まさにボガロの誕生をテーマにした歌となっている。
 なお、この曲のアニメーションは「ほころび」「純情スカート」「ドレミファロンド」
「シリョクケンサ」「妄想スケッチ」 など、40mP の楽曲を手がけた絵師・たまが
製作している。

 このほか、 「みんなのうた」 では、同じく8月9月のオンエア楽曲として、ゆず
が 「NHK合唱コンクール」中学校の部の課題曲として書き下ろした 「友 ~旅
立ちの時~」や、沖縄県石垣島出身の従兄弟ユニット、きいやま商店の新曲
「カチャーシ☆ブギ」、また、昭和ロマンを歌うアーティスト、かとうれい子の楽曲
「絵はがき」 がラインナップされている。


 【 40mP のコメント 】
 子供の頃から大好きだった 「みんなのうた」 に楽曲を提供させていただけると
のことで、うれしさでいっぱいです。
 今回の新曲「少年と魔法のロボット」 は、自分がボーカロイドに出会ったばかり
の頃、新しい世界に足を踏み入れて、ワクワクしながら音楽制作をしていた頃の
ことを思い出しながら制作しました。
 ボーカロイドのことを知らない人にも興味をもっていただけるようなきっかけの
曲になれたら幸いです。

 ※ なお、「なんのこっちゃ、さっぱりわからん!」 という方のために、いちおう
の説明をします。

 40mP (よんじゅうめーとるぴー)とは、日本の音楽家で、主に初音ミクや
Megpoid といったソフトウェアをボーカルに用いた楽曲を発表している。

 ボーカロイドとは、ヤマハが開発した音声合成技術及び、その応用製品の
総称。略してボカロとも呼ばれる。

 初音ミクとは、ボーカロイドのボーカル音源の一つで、メロディと歌詞を入力
すると、合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することができ
るというもの。

 同じくボーカロイドのボーカル音源の一つで、声優・歌手の中島愛の声をもと
歌声を合成することができる。 GUMI (グミ) は製品のパッケージに描かれて
いる同ソフトのイメージキャラクターである。

 ・・・・・・ お役に立てましたでしょうか?

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andymori スピッツ [音楽]

 andymori がオフィシャルサイト(andymori.com) において、5thアルバム
『宇宙の果てはこの目の前に』 を6月26日にリリースすること、及び、その後の
一連のツアーやライブをもって、約6年にわたる活動に終止符を打ち、バンドを
解散することが発表されました。

 なお、最後のライブとして9月24日(火)、andymori 史上初となる日本武道館
公演 「andymori ラストライブ武道館」 を開催することも併せて発表されています。

 『光』 以来、約1年2ヶ月ぶりとなるアルバム『宇宙の果てはこの目の前に』 は、
バンド初期の楽曲から最新曲まで相当数のデモの中から14曲を厳選し、約1年
にわたる製作期間を経て完成へと至った。 楽曲を構成する要素のすべてが高い
レベルで融合した普遍的な名盤となっている。

 ジャケットのアートワークには、ブランド「ANREALAGE」 を展開するファッショ
ンデザイナーの森永邦彦が起用されており、カメラマンは第34回「写真新世紀」
で優秀賞を受賞した、新鋭・奥山由之がつとめる。

 演奏しながら棺の中に横たわるメンバーをイメージしたジャケットは、ひとつの
物語の終わりを感じさせながらも、彼らの音楽が時空を超えてなり続け、宇宙へ
へと広がっていくというイメージを喚起させるものとなっており、メンバーの小山
田壮平が描く歌の世界観をダイレクトに表現したアートワークになっています。

 アルバム発表後の7月27日から最後の全国ツアー 「andymori Tour 2013
"ALL YOU NEED IS LOVE" 」 へと旅立ち、最終武道館公演へと向かう andy
mori。 オフィシャルサイトのメッセージにある通り、解散後もメンバーはそれぞれ
の形で音楽活動を続けていくとのことです。

 なお、YouTube では、アルバムタイトル曲 「宇宙の果てはこの目の前に」 のミ
ュージックビデオも公開。 andymori の活動最初期からほとんどのMVを手がけ
てきたフカツマサカズがその監督をつとめ、リアルとファンタジーが入り混じる a
ndymori らしい独特の物語が壮大に描かれています。

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松下唯 サイリウム ソロデビューだぞ~! 東京のイベントの日時もわかります [音楽]

 2011年にSKE48を卒業した松下唯 (24) が、今月22日にソロデビューすること
になり、シングル「Shooting Star」 をリリースする。 SKE卒業から1年半で得たチャ
ンスに、「これからはアーティストとしての松下唯を見て欲しい」 と意気込みをみせた。

 松下は08年、SKEの1期生としてデビュー。グループで屈指の歌唱力を誇った
が、 くるぶしに激痛が走る 「離断性骨軟骨炎」 を発症してしまう。 それにより歩行も困
難になり、一時は車椅子生活を余儀なくされた。 しかし、2度にわたる手術で現在は走
ることができるまでに回復した。「新曲では少しだけ踊っています」 と笑顔で語る。

 22日は、名古屋のSKE48劇場からわずか100メートルの会場でデビューイベント
を行い、再出発することになった。

 なお、東京でのリリースイベントは、5月25日16時より、タワーレコード秋葉原店で
行われる予定。

 松下唯は、1988年生まれで福岡県の出身。 身長は150cmと小柄。 アニメが好き
で、夢はアニソン歌手。

 SKE48は、2008年に秋元康のプロデュースで誕生し、中京圏を中心に活動して
いる女性アイドルグループ。 名古屋市中区・栄に 「SKE48劇場」 を有しており、08
年10月に初公演を行った。 公演はチーム制になっており、約2時間の歌・ダンス・トー
クからなる。 名称のSKEは、所在地である栄(SaKaE) に由来しているという。

 AKB48とは基本的に別グループであるが、「姉妹グループ」「姉妹ユニット」として
紹介され、活動方針は共通している。 SKEのメンバーがAKBのシングルの歌唱メン
バーに選出されたり、AKBのイベントやコンサートに参加することがあるなど、大枠で
は「48プロジェクト」の一翼を担っている。

 2009年8月にファーストシングル 「強き者よ」 をリリースしメジャーデビュー。11
年3月には5thシングル「バンザイVenus」 で初のオリコンチャート1位を獲得した。
その後11thシングル「チョコの奴隷」まで7曲連続で1位を獲得している。

 2012年には、SKE単独で 「NHK紅白歌合戦」 に出場を果した。

  とてもツライ経験をした彼女だが、ブランクを感じさせない明るい表情を見せている。
治ってほんとうによかったと思う。 今後は、今までの分を取り返す勢いではじけてほ
しい。

 みんなで応援しよう!

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木根尚登 宗教 活動休止 [音楽]

 TM NETWORKの木根直人が、2013年をもって音楽活動を休止することが明らか
となった。 今回の活動休止を 「RESET」 と評した木根は、その理由について 「更なる
次のステップへ。 自分を成長させるために必要な時間。それが “RESET” です」 と説
明している。

 木根は22日、オフィシャルサイトに「RESET」 と題したメッセージを掲載すると、その
中で 「2013年の活動をもって少しの間充電期間にに入ろうと思います。 まだ未定で
すが、もしかしたら今年のソロライブが見納めになるかもしれません」 と報告した。

 また、「ソロとしてはこの20年間、自分のルーツに立ち返って音楽を表現してきました。
来年はTMも30周年。大きな節目になるでしょう。 更なる次のステップへ。自分を成長さ
せるために必要な時間。それが “RESET” です」 と説明し、続けて「RESET」 と題した
新曲を作ったことを発表した。

 木根尚登は、1957年生まれで東京立川の出身。55歳。 1979年 SPEEDWAY の
ピアニスト、キーボーディストとしてメジャーデビュー。 その後1984年に小室哲哉、宇都
宮隆とTM NETWORK を結成し、ギタリストに転向する。 宇都宮とは小学校~高校の
同級生で40年来の付き合い。 また、ソロとしても活動している。

 ちなみに 木根は創価学会員であるそうだ。 学会の啓蒙ビデオにも出演しているという。

 TM NETWORKは1984年にデビューし、90年には名義を「TMN」 に変更した。 デビ
ュー10年目となる94年4月に活動を終了した。 その後 99年に再びTM NETWORKと
して活動を再開。 2012年より avex trax 所属となる。 現在までのシングル・アルバムの
売り上げ総数は1600万枚を突破。 TM NETWORK の “TM” は “多摩” の意味。


いや~、なんというか、アーティストのセリフはかっこいいですねぇ。

 「それが “RESET” です」 と言われても ・・・・・・

 ファンの人に怒られちゃいますね。

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きゃりーぱみゅぱみゅ論 カップ 新曲 動画  【 2013年8月15日 大幅に加筆 】 [音楽]

 2013年8月15日、大幅に加筆しました。 1度読んでくださった方もぜひ再
読を ! ! きゃりーぱみゅぱみゅ についてイロイロな面からタップリと語ってい
ます。ときどき脱線してきゃりー以外の話もあります。 画像も動画もたくさん ! !

  きゃりーぱみゅぱみゅ について知り始めたころ、「この娘はナゼこんなに売
れて、しかも、どうして海外でまで人気があるんだろう?」 と思っていた。 パッ
と見では、それほど大物アーティストのような感じはしないし。

 しかし、今やきゃりーぱみゅぱみゅの人気は遥か国境を越えている。 フラン
スや北欧のネットチャートでは、日本人としては初めて栄えある1位に輝いた。

imagesCAOKP4OQ.jpg    imagesCAGKUUNW.jpg

日本武道館でピンのライブを行った彼女は、フランスの Japan Expo Live
を皮切りに、なんとワールドツアーまで実現させてしまった。

 ちなみに Japan Expo には、日本のアニメ やコスプレ文化を目当てに現地
のオタクたちが多く駆けつけたようだ。

動画では、きゃりーぱみゅぱみゅと握手ができるということで行列に並んでい
た現地オタクと思われる女の子が、自分の番が近づくにつれて、とうとう感極ま
って泣き出してしまうという場面もあった。

 彼女のコンセプト 「カワイイ」 は海外で相当支持されているようだ。 僕らがき
ゃりー見る目線とくらべると、彼ら外国人の目線では、きゃりーに“異国情緒” と
いう要素がプラスアルファとして加わるということになる。

 フランスの人たちは昔から日本の文化をとても好んでくれていて、19世紀、
日本でいうと江戸時代末期には “ ジャポニズム ” という文化的、芸術的な流
行が起こった。

 とくに北斎、広重などの描いた浮世絵は絶賛されて、ゴッホや印象派の画家た
ちはみな大きな影響をうけた。



さて、今までにも幾人かのアーティストが欧米での成功を目指して打って出た。
「日本はもう極めた。ならば世界を」 ということだ。

古くはYMO。 ただしこの人たちの場合、日本よりも “向こう" の方が自分た
ちを受け入れてくれるのではないか? というカンジだったと思われる。 だから
レコードジャケットには思いっきり東洋色を込めた。

次に松田聖子。 この人の場合がいちばん典型的に 「日本はもう極めた、次
は世界を 」 というカンジだったと思う。

ちなみに、いままでに松田聖子ほど力(power)を持っていたアイドル・歌手は
存在しない。 力とはすなわち、イイ曲をもらい続ける、AAランクの曲を自分に提
供させ続けるけるということだ。

imagesCA86OP0K.jpg   無題.png

  歌手というのは、要は歌う曲がイイ曲でなければ売れないからだ。 知ってる
人も多いと思うが、松田は、業界の盟主石原某の愛人であったという説がある。

 関係を終わらせるにあたって石原は、自分のところの若い衆であるKに彼女
を引き取らせたといわれている。

この説をはじめて知ったときは 「なるほど ! 」 と思った。 それならば、松田が
あれほどの力を持っていたのも頷けるからだ。

 松田は、デビュー曲の「裸足の季節」 から 「天使のウィンク」 までピッタリ20
曲、連続してAAランクの曲をもらい続けた。 これは空前絶後のコトだ。 当然そ
れらの曲はすべて1位に輝いた。そのあともAランクの曲はもらっていて1位にな
りつづけている。

 しかも今の人とは違って、彼女は当時の歌謡界のシステムに則って間隔をお
かずに曲を出し続けた。 つまり 3~4ヶ月に1曲のペースでずっと新曲を出しつ
づけた。

 歴代シングルの中には、B面の曲までがブレイクしてしまったものもある。 そ
れが名曲 「Sweet Memories」 だ。もともとこの曲は、「ガラスの林檎」 のB面に
すぎなかった。

 しかし、この曲が缶チューハイのCMで使われるようになり、バーの歌い手であ
る中年女性のアニメのペンギンが、この曲を静かに歌っているというもので、ペン
ギンがとってもイイ味をだしていた。 この時期、チャートではこの2曲が上位を独
占した。

 結局、彼女は約5年間も全力疾走をつづけ、そして、その5年間にわたるチャ
ートの中で松田聖子が上位にいない週はほとんど存在しなかったなかったとい
うコトだ。 これはスゴすぎる。

imagesCAJOVVU2.jpg   imagesCA23C2NG.jpg

 さて、話を戻そう。 いままでに何人かが欧米でのヒットを目指したという話。

 松田のあとは近年における宇多田ヒカルだ。 松田と宇多田はきっと、前もっ
て綿密なプランを練って満を持して参入したと思われる。

だけど見事に敗退した。 原因として、欧米で女性アーティストが売れるために
は絶対にSEXYさが必要だが、松田にはそれが欠けているとされた。

 宇多田にはそのコトがわかっていたので、歌の歌詞自体をエロい内容にする
などの工夫をしたし彼女は英語を話すこともできた。 だが、それでもダメだった。

 対称的に きゃりー はあけらかんとそれをやってのけてしまった。 彼女の場合、
エロいとかそういう問題ではない、という位置で勝負したとも言える。


  しかし、きゃりーぱみゅぱみゅ を上に挙げた人たちと同列で語るのは間違っ
ていると思う。 現在では、曲の売り方の構造そのものが変化している。 それは
YouTube という新兵器の登場である。

imagesCAXDMOG0.jpg   imagesCASPEJJQ.jpg

 この、YouTube の世界的な普及と言うのは、じつはそんなに単純なことでは
ない。 従来のアーティストは、CDという “物” を売る必要があった。 物を売るた
めにはまず、売りたい数だけそれを製造しなければならない。

それだけではなく、物を売るためには、製造以外にも流通・保管・宣伝・展示・
販をしなければダメだ。

一方 Youtube では、物ではなくて “情報” を売ればいい。 “情報" であれば、
いちいち売りたい数だけ製造する必要はない。オリジナルを一つだけ作ればいい。
あとは欲しい人がそれを勝手にコピーして持っていってくれる。

さらに、YouTube ならば、それを売る必要さえない。 展示さえしておけば、欲
しい方が勝手に持っていってくれるからだ。 つまり、製造も流通も保管も宣伝も販
売もしなくていい。

 ただ展示さえしておけばいいというコトだ。 これならば時間も労力も、そしてコス
トもほとんどかからない。



 さて、次は少し視点を変えてきゃりーぱみゅぱみゅが踊っている 「踊り」 につ
いて考えてみよう。 現在、YouTube をとおして世界各国の若者たちが きゃりー
の踊りをまねて踊っている。

きゃりーは、あのレディー・ガガと対比されるコトもあるが、2人とも曲に併せて
踊りをおどっている。 だが、じつは2人の踊りは決定的に違っている。 というのも、
レディー・ガガは 「ダンス」 を踊っているが、一方の きゃりーは 「振り付け」 を踊
っている。


imagesCAA2FQUP.jpg  imagesCAI43FN0.jpg

  ダンスと振り付けはまったく別物である。 ダンスと言うのは、基礎的なレッスン
を積んでいない限り、素人がいきなりできるものではない。それはマイケル・ジャ
クソンのダンスを考えればわかる。

だが振り付けは違う。 振り付けの場合、その動きさえ覚えてしまえば小さい子
供でも踊ることができる。 YouTube では各国の若者がきゃりーの振り付けを覚
えて踊っている。

だけど レディー・ガガのダンスを素人がコピーして踊っているという動画は見
られない。

 きゃりーやAKBのように、ここまで高度に発展して、しかもカワイくて面白い振り
付けというのは、もしかすると日本独自の文化といえるのかもしれない。

 その昔ピンクレディーというガールズユニットがいた。 彼女たち2人は、数年の
あいだ一世を風靡して日本の天下をとった。

ピンクレディーほど、その振り付けを強調してインパクトを与えた歌手は先にも
後にもいない。 当時は、明星や平凡という雑誌に連続写真をもちいた振り付け
の虎の巻が掲載されて、女の子たちはみんなまねして踊っていたという。

ピンクレディーの振り付けは、もう一つの流れであるダンスの歴史の中でのマ
イケルジャクソンの存在に似ている。 ダンスでマイケルジャクソンほど世間にイン
パクトを与えた人は先にも後にもいない。

ちなみにマイケルジャクソンというのは真に革命的な存在で、彼によって音楽
というものは 「聴く」 ものから 聴くだけではなく 「観る」 ものへと変えられた。

 だから、彼以降のアーティストたちは否が応でも踊らざるをえなくなってしまった。
ある意味迷惑なはなしでもある。

imagesCA7QU3EE.jpg   imagesCAJ1QGA5.jpg

  さらに、これはどうでもいいコトだけど、ピンクレディーというのは、もう一つ、空
前絶後の部分をもっていた。 ピンクレディーほどスカートの中のパンツを魅せて
いた歌手はいない。

これは当時相当に衝撃的であった。テレビの画面を見ながら、目の前でおこっ
ているコトが信じられいほどであった。 一体これをどう受け止めればいいのか?
ただ素直に興奮すればそれでいいのか?

・・・・・ それほどまでにモロ見えであった。 しかも、当時の女性の太ももという
のはそれはもう肉感的で野放図で、現在の女性の小じんまりしたチャチなそれと
は破壊力が違う。 それゆえ、ピンクレディーというのはかなり直接的な名前である。

imagesCAUFEJ72.jpg  imagesCAL20YVU.jpg  imagesCAEOPYAK.jpg

 左の写真はピンクレディではなくて河合奈保子だけど、“肉体の野放図さ” が
よく表れていると思うので参考までに。 現在の、たとえば前田敦子の子供だまし
のようなカラダとは深遠さがちがう。

 ピンクレディのデビュー曲は 「ペッパー警部」 というのだが、いま思うとこれは
とんでもない歌だ。 よかったらネットで詞の内容を確認してみてほしい。


 話が少しそれるけど、日本では、マイケルジャクソンやマドンナ、レディー・ガガ
ような 「真のスター」 は絶対に現れないと思われる。

人は、自分とは異質な存在にしかスター性を感じないからだ。 日本人は基本
的にはみんなおんなじ、同質だ。 だから多くを言わないでも分かり合うことがで
きる。

おそらくキムタクの過去のクラスメートは、それ以外の人たちほどはキムタクに
対してスター性を感じていないだろう。

 カリスマの元祖・イエスでさえ、地元のナザレに帰って説教をした際には、「大工
の息子が何を偉そうなこと言ってんだ」 と、指をさして笑われたらしい。 

 沖縄出身のアーティストが持てはやされるのも同じ事情からだ。 沖縄の人たち
からは自分とは異質な部分を少しだけ感じ取れるからだ。

 プロデューサーたちは昔からこのことにに気がついていて、昔から沖縄というカ
ードは切られた。 フィンガー5、南沙織。

 上でも述べたように、外国の人から見ると きゃりーは異国性が強いのだと思わ
れる。


 それでは元に戻って、 踊りの次は「曲」 について話。 きゃりーぱみゅぱみゅの
人気を支えているのは 10 のウチ 4~9 くらいまでは歌っているのがイイ曲だか
らだと思う。



デビューから現在まで、きゃりーは連続して5曲ものAAランクの曲を提供され
ている。 「つけまつける」 から 「PONPONPON」 (つけま・Can・ファッション・ふ
りそで・PON) までの5曲。

これは、近年まれに見ることだと思う。 たとえば、あのPUFFYでさえAAランク
の曲は2曲~3曲しかもらえていない。 異論はあると思うけど。今をときめくAKB
でさえもここまでではない。






じつは、僕がいちばん きゃりーぱみゅぱみゅ は 「すごいなぁ~」 と思うのはこ
の点だ。 松田聖子のところでも言ったが、イイ曲を提供され続けるというのは、
それだけ力 (Power) があるからである。

 もちろん偶然に左右されるという部分もあるけれど、それだけではないと思う。


imagesCAWJCGHT.jpg  imagesCAFQ8R6I.jpg  imagesCARXSANR.jpg

 だから逆に心配もしていた。 この状態がこのままずっと続いていくワケがない。
きゃりーぱみゅぱみゅにも AAランクの曲をもらえなくなる日が必ずやってくる。
そして、それはある意味突然やってくる。

いい曲を歌い続けていたのに、その次の曲が 「なんだこりゃ! ウソだろ?」
ということがよく起こるのだ。 それが早くも2曲目できてしまった人のことを、世間
では 「一発屋」 という。

 ちなみに、かの宇多田ヒカル先生というのは、結局は 「偉大なる一発屋」 だっ
たような気がしてならない。

 おそらく、宇多田先生はファーストアルバムの時点が全盛期だったんだと思う。
デビュー直後が全盛期というのはスポーツ選手にもときどき見られるコトだ。

 デビュー曲が最高傑作であって、以降はそれを超えるどころか匹敵するような
作品も生み出すことができない。 当然ながら宇多田本人がそのことをいちばん
よくわかっていて、以降はずっと苦しみ続けていたような気がする。

 だから何だか見ていてツライものがあった。

 なまじデビュー曲があそこまで売れてしまったばっかりに、本人の気持ちとは
関係なく、気がつけば自分が偉大な存在になってしまった。 しかも、売れて以降
の彼女は周囲からすれば “カネを生み出す装置”、“歩く利権” のようなモノだ。

 よって、絶えず周りから強烈に干渉されつづけ、放っておいてもらえない。 だ
けど、それに100%応えるには少し才能が足りない ・・・・・・ 

 「なんで売れちゃったんだろう? 売れなきゃよかった」 1度くらいはそう思った
ことがあるのでは?

 もしかしたら突然やめてしまうのでは? と思っていたら、ホントにそうなってし
まった。

 使い切れないくらいのマネーもゲットしたことだし、これからはのんびりと楽しく
生きていってほしいなぁ。
  
 しかし、彼女が偉大な存在であることに変わりはありません。


 ・・・・・・ さてさて話を戻しましょう。 ここでは、いちおう歌手とアーティストは分
けて考えよう。

 歌手というのは人から楽曲を提供してもらって歌う人で、アーティストというの
は自分で作って歌う人。 昔風に言えばシンガーソングライター。 アナウンサー
とキャスターの区別もこれと似ている。

 歌手が、前曲と比べると明らかに数段落ちの曲を次の曲として渡され、以降
はそれがずっと続くというこの時点を、仮に「臨界点」 と呼ぶことにする。 その
界点を迎えたとき、そのことは当然本人もわかるはずだ。

 わかっていても、それはおくびにも出さずにその曲を大切に歌わなければな
らない。 ツライところだ。

 歌手の場合、この臨界点は必ずやってくる。 カッコつけて言えば、それが 「シ
ョービジネスの掟」 だということなんだろう。

 新しい才能、新人が次から次にデビューしてくる。 そして、どんな業界でも同
じだが、お客さんに対しては、いつも新鮮な商品を提供していく必要がある。

 いつまでも同じ歌手ばかりを売りつづけるワケにはいかないのだ。 あの松田
聖子にだって、20数曲目でその臨界点が訪れたワケだから。

 切ないのは、自分にも臨界点が来てしまったというのを当の本人もわかって
いるというのが、画面を通してコッチにも伝わってきてしまうときだ。 本人にとっ
てはわかっているけどどうにもならないという状態。

 具体例としていちばん印象に残っているのが、篠原涼子がデビュー2曲目を
番組で初披露したときだ。1曲目は、だれが聴いてもすばらしい歌だった。 一度
聴いたら忘れられないほどの名曲。 「いとしさと せつなさと 心強さと」。

 しかし初披露したその2曲目は、誰が聴いても ・・・・・  その曲もビックネーム
に提供してもらった曲ではあったのだが。

 現在、世間的・ネット的・マスコミ的には、新曲 「インベーダーインベーダー」
は世界的に大注目 ! 絶好調 ! パーペキ ! 大満足の仕上がり ! ! ということ
になっているようだ。

 なので、以下の意見を述べるのには少し勇気がいるのですが、それでもめげ
ずに言ってやるゾ!

imagesCAM4NAY1.jpg  無題.png

 結論から言うと、きゃりーぱみゅぱみゅにも とうとう臨界点がやってきてしまっ
ているような気がしてならない。

 非常に偉そうな言い方になって申し訳ないのだけれど、最初の5曲がAAなら
ば、6曲目と7曲目は よくてBランクというところなんじゃないかな? しかもこれ
で2曲続けてというコトになる。 もちろん異論もあると思うけど ・・・・・




 今回の曲について。 インベーダーはイイとしても (あんまりよくはないけど)、
世界征服っていうフレーズは、なんていうか80年代後半のB級アイドルみたい
なカンジというか、

 いかにもその頃のB級アイドルが自分のプロフィールの 「将来の夢」 のとこ
ろに書きそうなコトというか。

 それとも、ぐるりと一回転して今の人には逆に新鮮に聞こえたりするのか?

 イケイケの時代の当時は、世界征服というフレーズはたしかに時代に合って
いた。 世界征服というコトバを聞いても 「ハハハ、たしかに ! 」 と笑うことがで
きた。

 たけど、今の時代においては全然そうではないだろう。




 曲については好みというのがあるので、曲のレベルがどうのこうのとあんま
りエラそうなことは言えないけど、こう考えると少しわかりやすいかもしれない。

 たとえばデビュー曲を選ぶ場合、最初の5曲だったらどれでもデビュー曲と
して通用するレベルの曲だと思うけど、にんじゃりとインベーダーはデビュー
曲としてはちょっとツライと思う。

 僕は きゃりーぱみゅぱみゅ は好きだし、キャラとしても最高だと思う。 だか
らなんとか今後もガンバッテほしいし、次の8曲目には再びAAの曲をゲットし
てほしい ! !

 そして将来的にはこの文章も 「なに言ってんの?ぜんぜん的ハズレじゃん。
今だってこんなにイイ曲歌ってるし ! ! 」 というふうになればいいと思いまーす。



【 以下、2013年8月15日 加筆 】

 さてさて、ここからは曲という要素からはなれて、きゃりーについてそのほか
の面から論じてみよう。

 じつは、きゃりーぱみゅぱみゅは悲しい現実を背負っている。

 それは、きゃりーがきゃりーでいられるのはせいぜいあと3年がいいところだ
ということ。

 すこし上のところでこれからもガンバッテほしいと言ったばかりだが、それは
比較的短期的な話であって、ここから先はもっと長期的な話。


  きゃりーでいることができなくなるというのは、人気が衰えるとかそういう意味
ではなくて、つまりは25歳にもなって今のキャラをつづけるわけにはいかない
ということだ。

 きゃりーがきゃりーの個性を出せば出すほど、それと反比例してその命は短く
なっていく。

 そう言う意味では、きゃりーぱみゅぱみゅ という存在はもともと期間限定商品
なのだ。

 最初から長く生きることはできないとわかっている切ない存在。 短い間だけ
輝くことができる存在。

 裏方の人間はそのことを充分にわかっているだろう。 それどころか、最初か
ら きゃりーは期間限定商品だということを考慮にいれて全てのことを決定して
いるのかもしれない。

 それを思えば、現在の世界的なブレイクというのはもともと予定に入っていた
のかどうか気になるところだ。

 彼女が終わりを迎えるとき、それはどういうカタチをとるのだろう?

 きゃりーぱみゅぱみゅ という存在自体完全に消えてなくなるのだろうか?

 それとも、徐々にシフトチェンジを図ることでさりげなくキャラを変えて生き残っ
ていくのだろうか? それは相当ムズカシイと思うけれど。

 そういう部分では、かつての篠原ともえに似ている。

 篠原ともえは数ヶ月前、昔と比べての激変ぶりが話題となって、美人だしメチ
ャ可愛いと好評だった。

 じっさい服装もメイクも大幅に変わって、すっかり “きれいなお姉さん” になっ
てしまった。

shinohara3.jpg   image.jpg




 きゃりーの場合、そもそもその名前からしていずれ変えないとマズイだろう。
本名の竹内桐子にするのかな?

 それに、現在主張しているいわゆる “青文字系” 原宿ファッションについても
いくらかシフトしないとならないだろう。 その場合は 「グロカワイイ」 も卒業とい
うことになる。

 ・・・・・・ ここで 「グロカワイイ」 についていくつか。

 芸能界には 『枠(ワク)』 という考え方がある。 枠というのはつまり、いつの時
代にも世間がつねにその要素を求めていて、つねに需要があるキャラクターと
いうもの。

 デブタレ枠、おもしろ外人枠、心霊枠、お色気枠、筋肉枠、雑学枠 などなど、
ほかにもイロイロあるだろう。 

 「グロカワ枠」 というのもそのうちの1つで、“完全に100%グロテスクというの
ではなくて、グロテスクなんだけどなんかカワイイ、なんか許せる” みたいなキャ
ラクターのこと。

 古くは “えりまきトカゲ” ずーっと飛んで 鈴木その子、マツケンサンバ、アンガ
ールズ あたりがその系譜に属すると思う。アンガールズの場合「キモかわいい」
という言われ方をされるが、要は同じこと。

 今をときめくマツコデラックスにも若干その要素があるかもしれない。

 そしてさらに現在では、カツオ人間やフナ犬など各自治体の 「ゆるキャラ」 た
ちに受け継がれている。

 また、『枠』 というくくりをはずしても、正統派(正・陽・ポジ)の中に正反対であ
るグロという負の要素が入り込んでいることは昔から多々見られることだ。

 黄金バット、デビルマン、がきデカ、もっと古くは丹下作善。 ちょっとズレるか
もしれないけどゲゲゲの鬼太郎。 海外でいうとハンプティ・ダンプティ 。


 たとえば、砂糖の中に塩という正反対のものを少し混ぜることで甘さがさらに
引き立つのと同じように、いま挙げたキャラたちが仮に正義の味方だとすると、
正義の中にグロの要素を少し混ぜることで、正義性がより強調されるのだろう。

 そしてきゃりーの場合は、グロを少し取り入れることで、よりカワイさが引き立
つという効果があるのだと思う。

 そもそもグロテスクというのは心霊写真なんかと同じで、怖いもの見たさという
か、人間が本能的に求めているというところがあるので、グロの要素を取り入れ
ることで、人々の本能の部分に訴えることができるという効果があるのだと思う。


 きゃりーぱみゅぱみゅにはグロカワ以外に、というよりもグロカワ以前に、もう
1つ特徴がある。

 きゃりーというキャラは、非常に記号的な存在であるということだ。

 記号的というのは、ある存在が、それ自身以外と同時にほかのモノゴトをイメ
ージさせるという性質のこと。

 きゃりーはカワイイであるとか原宿であるとか、自分以外のモノゴトを同時に
イメージさせる存在だ。

 これに対して、例えば誰でもいいが、ガッキーや芦田愛菜ちゃんや松田聖子
らが自分以外のモノゴトを同時にイメージさせるということはほとんどないと思う。

 ということはつまり、海外のファンたちがきゃりーを見る場合、彼女自身だけで
はなくて 同時に原宿であるとか “カワイイ” に象徴される日本のグッズやキティ
ちゃんなどほかのキャラクターまでも重ねて見ているのかもしれない。

 そうなると海外でのきゃりーの人気は、“彼女自身プラスさまざまな日本文化”
という全体に対する人気だということになる。 そうだとすると、きゃりーは 「原宿
のご当地ゆるキャラ」 のような存在だということになってしまう。

 どちらにせよ、やはり きゃりーは人物ではなくてキャラクターなのだ。

 じつはそのことがきゃりーの曲の動画にも表れている。 これらの動画の中で
はどの曲においてもきゃりーのワキで何人ものダンサーが踊っている。

 しかし、それらダンサーのなかには人物は1人もいない。 つまり1人残らず全
員が着ぐるみやお面などで顔をかくしている。 ファッションモンスターのフランケ
ンと和尚だけは顔を見せているが、この2人は人間とはいえない。

 ダンサーが顔をかくすのは徹底していて、Candy Candy では小学生とみられ
る子供にまで顔をかくさせている。 しかもこれらの子供たちの顔には1~4まで
の数字が大きく記されている。

 数字が記されているというのは、顔を “かくす” というよりも、もっと積極的にそ
の匿名性を強調しているというか、人物性を否定しているということだ。 仮面舞
踏会の際の仮面と同じ役割。

 ちなみに仮面舞踏会の仮面というのは 「今日の私は、私であって私ではあり
ません(だから今日はなんでもしちゃいます)」 という意味がある。

 子供の顔を大きな数字でかくすなんていうことは、普通はあまりしないと思う。

 お面をつけているダンサーが多いが、お面というのはスゴク象徴的で、つまり
はペルソナのことだ。(※)

 まわりのダンサーがみんな人物性や個性をかくすといいうのは、それだけきゃ
りーのキャラを強調したいからなのか、それともきゃりーの人物性を強烈に否定
したいからなのか、はたまたその両方なのか、あるいは僕が言っていることがま
るっきり間違っているからなのか、そりゃわからんけど、とにかく極端に顔をかく
していると思います。


 ・・・・・・ 以上のように、いずれは名前もファッションもコンセプトもみんな変え
てていかなければならないとしたら、それはもはや きゃりーぱみゅぱみゅ では
なくなってしまう。

 ん ~~~  どうにかならないのかなぁ ?

 いっそのこと、歌舞伎俳優やタイガーマスクやスケバン刑事のように、きゃりー
ぱみゅぱみゅ というキャラだけ残して、それを演じる女の子を数年ごとに入れ替
えるようにするとか。

 そうすると、2代目きゃりーぱみゅぱみゅは春風ちゃんで、3代目は芦田愛菜
ちゃんというところか? それぞれ18歳から22歳までの間だけきゃりーをやって
もらおう。


(※) ペルソナ : 自己、人物性。 もともとは “お面” という意味。

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