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鬼束ちひろについて [音楽]

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 近年の、以前とはあまりにも激変したその姿に、ファンも戸惑いの色を隠せな
いという感のあるシンガー、鬼束ちひろが、去る3月13日、待望の2年ぶりのシ
ングル「悪戯道化師 (いたずらピエロ)」 を発売したが、その評判は微妙だ。

 曲自体は “可もなく不可もなく” といったカンジだが、pv については彼女とピ
エロがコミカルなダンスを踊るというもので、なんとも “シュールな世界観” が
表現されているそうだ。

 彼女に関しては過去についてのネガティブな噂や、近年のいわゆる「激変」以
降の奇行っぷりについてのエピソードが数多く語られ、それだけで本が一冊書
けそうである。 その具体例については他のブログを参考にしてほしい。 ここでは
もう少し深く考えてみよう。

 デビュー以降の彼女の変遷を通して見てみると、確かに、以前と現在とではあ
まりにもその姿というか雰囲気というかキャラというか、が変化している。 さらに
よく見てみると、変化しているのは外観だけではなく、中身そのものまでが大きく
変化しているように見える。 なんというか、以前と今とでは、それぞれ違う人がそ
れぞれ別着ぐるみを着ているようだ。

 そして、以前も現在も共にそのキャラが濃い。 以前の彼女は、ナチュラル志向
というか、70年代のアメリカのフォークシンガーのようでもある。 それに対して現
在の彼女は、狂気というか魔界というか薬物的というか、ただ、レディー・ガガを
意識しているというのはよくわかる。

 以前の彼女も現在の彼女も、それぞれ違う方向に大きく針が振れている。 果た
して、どちらが本当の彼女なのだろうか?

 どちらでもないというのがその答えだ。 じつは、彼女には本当の姿はないのだ
と思う。 きっと彼女の中身は空洞なのだ。

 近年のインタビューで彼女はこう言ったらしい。「以前の私は本当の私ではあり
ません。あれはワザと作っていたんです。今の私こそが本当の私なんです。」
 
 しかし、彼女は近い将来、それも間違いだったというコトに気がつくはずだ。 そ
して再び、あさっての方向に針が大きく振れたあたらしい自分を偽造することにな
るのだと思う。 この自分探しの旅に、おそらく終点はない。 はじめから存在しない
ものを探す旅に、終わりがあるはずはないからだ。

 昭和の時代に、三島由紀夫という著名な作家がいた。 幼少時代、ずっと狂気を
帯びた祖母に育てられた彼は、成長したあと、自分の中には自分がいないコトに
気がついた。そして終生自分探しの旅をつづけたのだが、彼の旅にも終点はなか
った。

 ある時期、彼はギリシア的肉体美にあこがれ、極端に体を鍛えることによってみ
ずからの身体を改造した。 その後彼は、極端な右翼、極右という着ぐるみを着て、
頭に純白の鉢巻をまいた詰襟姿で四谷にある自衛隊の駐屯地に乱入し、一世一
代の奇行を演じることになる。 お立ち台に立った彼はピンと胸を張り、腰に手を当
てながら、亡国を憂う、命がけの演説をぶちかましたのだ。

 そんなことはお構いなしに、雑然として聞く耳をもたない周囲の隊員たち。 まるで
私語だらけの中学校の荒れた授業風景のようだ。 「君たちちゃんと聞きなさい、い
ま私は大事なことを話している!」 三島が恫喝すれば、逆に指をさされて笑われる
始末。 その直後、仲間に自らの斬首をゆだね、こと尽きたのであるから、 これぞま
さにメガトン級の奇行である。こうして三島の旅は、突然の脱線転覆という事故によ
って急止する。

 もしかすると、彼は自らが空洞であることに薄々気づき、自分が救われるために
は、赤子が数十年をかけて自らの人間性を形成していくという途方もない作業を、
自分もまたその年齢から始めていく以外に方法はない、という絶望的な事実に耐
えられなかったのかもしれない。

 三島の代表作である 「金閣寺」 は、金閣寺に放火するという、これもまさに歴史
的な奇行を演じる男の、犯行にいたるまでの心情がつづられた小説である。

 奇行つながりである、三島由紀夫と鬼束ちひろ。 彼女の旅に終点はあるのだろ
うか? 決して脱線転覆という結果にはならないでほしい。




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