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2013年から見たオウム真理教事件  ③.田原総一郎氏へのインタビュー [ニュース]

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 今から18年前、世界で初めて大都市で化学兵器を用いたテロ事件を起
こしたオウム真理教について田原氏が話を訊きます。

 近年、オウム真理教の後継団体の中でもっとも原理主義的な路線をとって
いる 「アレフ」 が、一連の事件を知らない若者を勧誘し信者を獲得していると
いう。

 これは、時の経過にともなう事件の風化というということになるのだろうが、
戦争体験と同様、そのことを経験した世代の人たちは、やはり下の世代にし
っかりと伝えていく義務があるのだと思われる。

 その一環として、そもそも 「オウム真理教とそれが起こした事件とは一体何
だったのか」 ということを、2013年の視点からあたためて問い直すべく、 か
つて最前線に立って教団と対峙したジャーナリストである田原総一朗氏にイン
タビューが行われた。
 
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 ・・・・・・ 1995年3月20日午前8時頃、ラッシュアワーにわく東京の地下鉄
計3路線5カ所で、オウム真理教教祖の麻原彰晃死刑囚(58・本名・松本智
津夫)の指示を受けた教団幹部ら5人が猛毒のサリンを散布した。

 水と安全はタダ」 という戦後日本の 「安全神話」 があっけなく崩壊した瞬間
だった。

 公共施設の 『不審物に注意』 という張り紙は事件以前はほとんどなかった
し、街中に置かれていた多くのゴミ箱も、この日を堺に撤去されてしまった。

 日本はオウム事件を経験することで、テロという行為を認識した。 警察組織
のあり方や国民の安全への意識という面についてもオウムの事件は大きな影
響を与えた。

 この日の地下鉄サリン事件で駅員や乗客ら13人が死亡、6千人以上が負
傷したが、教団がこの事件を起こすに至ったのには以下のような経緯があった。

 オウム真理教は1987年の設立以来さまざまなトラブルを起こし、そのたびに
マスコミに登場する一種奇妙な存在として徐々に世間に知られていった。

 トラブルにはいくつかのパターンがあって、

①.出家信者の家族と教団のトラブル : たとえば10代後半の息子が親の反
対を押し切って山間の道場などに出家してしまった場合に、その親が道場に
詰めかけ、対応にあたった複数の信者に 「息子を返せ」 と強く、時にはケンカ
腰で要求して争いになる。 そしてワイドショーのカメラがその一部始終を撮影し
て放送する。

②.教団施設がある場所の近隣住民とのトラブルや言い争い。 教団施設が
異臭を放っているなど。 ちなみに信者はすべて法衣(宗教服)を着ている。

③.そして、もっと深刻な問題 : 出家信者への暴行や監禁、信者を絶対にや
めさせないという教団の姿勢、在家信者の死亡、坂本弁護士一家殺害の疑惑
などがあったが、実際に、教団の脱会者を支援していた坂本堤弁護士一家3人
が89年11月に殺害されるという事件起きていた。 人命が失われる事件として
は、これが最初の事件。

④.番外編として、90年の真理党を結成しての衆院選への大量立候補があ
るが、この際の、麻原自身が歌をうたい、その周りで女性信者が踊るなどの奇
抜なパフォーマンス(⇒ 動画)は世間とマスコミの注目を集めた。

 以上のように、設立以来教団はいくつもの犯罪行為を行っていたが、あくま
でそれらは噂や疑惑というレベルであって、証拠があったわけではない。

 その後94年6月、長野県松本市の住宅街でサリンが散布され8人が死亡、
600人以上が負傷した松本サリン事件という、あとから考えれば大事件が起
こった。 しかし、この時点においても教団の関与を疑うような説が表立ってで
ることはなく、全く的はずれな人物が容疑をかけられていた。

 なお、この事件は、教団の土地取得をめぐり民事訴訟を起こされていた長野
地裁松本支部の裁判官官舎を狙った犯行と後に認定された。

 そして95年2月、脱会を図った妹をかくまった東京・目黒公証役場事務長が、
教団により拉致・監禁され、死亡するという事件が発生。 この事件が一連の中
での分岐点となる。

 捜査によって、犯行に使われた車からオウム信者の指紋が検出されたのだ。

 この物的証拠が得られたことにより、警視庁が本格的に動き出した。 警察は
この時までに一連の事件の全体像をほぼつかんでいたとみられ、近いうちに、
山梨県上九一色村の教団総本部に対して強制捜査が行われることが決定した。

 オウム教団もこの情報をつかみ、サリン事件を起こすことで混乱を引き起こし、
警察当局の捜査を中止、もしくは攪乱するという狙いがあった。


《 以下、田原氏のコメント 》

 私もオウムが怪しいと思っていた。理由は麻原死刑囚が唱えていた 『ポア』
という考え方。 殺害することがその人の幸せであるとの危険な教義だ。

  地下鉄サリン事件前に麻原死刑囚と対談した際、『神通力があるなら、行方
不明の坂本弁護士一家のいる場所が分かるだろう』 と迫ると、麻原死刑囚は
絶句するだけだった。

 ・・・・・・ なぜ、そんな危険な教団に捜査が入らず野放しにされてきたのか。

 警察官の信者を抱える教団が警察の動きを把握し、うまくカムフラージュし
たのだろう。 教団もボロを出さず、徹底して物証の隠蔽工作をした。 『信教の
自由』 との言葉の下、警察が宗教法人への捜査に萎縮したこともあった。

 地下鉄サリン事件2日後の3月22日。 警視庁などは 「サティアン」 と称す
る山梨県旧上九一色村の教団施設の捜索に踏み切り、幹部らを次々と逮捕。
5月16日にはついに施設の天井裏に隠れていた麻原死刑囚を逮捕した。

 こうして、一連の事件はようやく教団の犯行と判明した。

 松本事件で警察は無実の人間を犯人扱いする失敗を犯した。 この事件をし
っかり捜査していれば地下鉄事件は起きなかった。 ただ、警察は地下鉄事件
以降は迅速に動いた。 宗教法人でも大量殺人事件を起こすと思い知らされた
のだ。

 オウム事件による死者は29人に上った。 麻原死刑囚は自らを 「尊師」 とし
て神格化し、薬物などを使ったマインドコントロールで信者を支配。

 自治省や建設省などの省庁制を導入して 「疑似国家」 を形成し、核兵器製
造計画を含む武装化と祭政一致の国家樹立を志向した。

 本気で 「国家転覆」 のクーデターを企てた異常性に社会は震撼した。

 宗教法人格を失いながらも活動を継続していた教団に対して、公安調査庁
は96年、暴力主義的破壊活動をした団体の解散などの処置を下せる破壊活
動防止法の適用を請求。

 結社の自由などを保障する憲法に反するか否かといった論争も起こる中、
翌年、公安審査委員会は適用要件の 「将来の危険性」 を満たさないとして
棄却した。

 この後、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(団体規
制法)が制定され、同庁が後継団体のアレフと 「ひかりの輪」 を監視下に置く。
今でも破防法を適用すべきだったとの声は根強い。

 当時も適用すべしという声は圧倒的に高かったが、宗教への配慮が勝っ
てしまったのだろう。適用の是非は今も分からない。 宗教はそれほど難しい。

 昭和62年に発足したオウム真理教。 チベット仏教をうかがわせる教義や
神秘性がバブル期の享楽的な世相に背を向ける若者の心をとらえた。 

 阪神大震災が発生、バブル崩壊後の不況にあえいでいた平成7年の地下
鉄サリン事件当時には信者は1万人を超え、高学歴の若者も多かった。

 なぜ麻原死刑囚の唱える偽りの解脱にすがり、凶悪なテロに走ったのか。

 オウム事件は何も解決していない。 サリン事件は捜査攪乱のためとされた
が、本当にそうなのか。 なぜオウムに、現アレフに前途ある若者が入会する
のか。

 警察や検察の調べだけでなく、宗教学や社会学的な側面からもみなければ
真相を究明できない。 オウムの残した課題はいまだ山積している。

 約16年にわたった一連の刑事裁判では13人の死刑、5人の無期懲役が
確定した。

 今後はじまる平田信被告(48)ら特別手配犯3人の公判によって、オウム事
件は再びある程度の関心を集めることになるだろう。


 ・・・・・・ 当時10歳程度以下であった人たちが、オウム事件を知らない世代
だということになるだろう。 だとすれば、それは現在およそ28歳以下の人たち
だということになる。

 言いかえれば、オウム事件を知らない世代がやがて30歳になろうとしている
ということだ。

 上の世代の務めとして、彼らに伝えなければならない。 今後、下の世代が同
じ過ちをくり返してしまえば、我われは、あれだけの事件を経験しながら何も学
ばなかったことになってしまう ・・・・・・


 ④ につづきます




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