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理解するとは分類すること 【 いちおう認識論です ! ! 】 [認識論]

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 モノゴトを理解するというのは分類するというコトである。

 どういうことか?

 生まれたばかりの赤子のアタマの中では、まだ何も分かれていないと
いう。 自分自身と自分以外という境界もないらしい。

 つまり、自分=全宇宙、自分=すべて、自分=全知全能=神 という
ことだ。


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  少しずつ分類が始まる。 はじめに、自分自身とそれ以外の外界の
区別がつく。 そして自分自身とおっぱいの区別がつく。

手や足という感覚はまだないだろう。

 その前に、自分の頭部とカラダの区別がつくのではないか。

  この時点で、見ると聞くは分かれているのか? これはもう本人に
きいてみないとわからない。

こどもが自分の全身の姿をはじめて認識するのは、それが鏡に写
っているのを見た時だという。 「鏡像段階」 というそうだ。


  太古の時代、原始人のアタマの中。 自分の周りを見渡してもはじめ
は何もわからない。

  やがて、目に見えるモノのうち、空と大地とが別のモノだと気がついて、
この両者を分類する。

  同じく、川と地面を分類する。 岩と空中を分類する。


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 横を向くと人がいた。 このとき、僕とあなたを分類した。 反対がわを見
ると、もうひとり人がいた。 ふたたび僕とあなたを分類した。

 右を見ると、僕とあなた。 左を見ても、僕とあなた。

 なにが言いたいのかというと、数の概念を 「2」 までしか理解できなか
った人間が、「3」 を理解できるようになるには飛躍が必要であったという
こと。

 僕とあなたと、もう一人の第三者。 彼、彼女。 これを理解するのが難し
かったようだ。


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 グランドキャニオンに行ってみよう。

  僕のとなりにいるのは地質学者。 2人は同じ巨大な岩を見ている。

 それは、僕から見れば、うっすらと横線の縞模様がはいった巨大な
岩に見える。

  しかしこの時、となりの地質学者が見ていたものは少しちがう。 下か
ら、玄武岩と花崗岩、粘土、れき岩、そしていちばん上が砂岩。 決して
縞模様がはいった巨大な岩などではない。


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 ここに1つの木の実がある。 ある人が、この木の実に 「リンゴ」 という
名前つけた。 この時、この木の実がほかの全てのモノから分類されて
名づけられることによって「リンゴ」という存在が誕生した。

  つまりは、名づけるというのも分類するということだ。


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 日本人は、雨をいくつかに分類している。 大雨、小雨、土砂降り、霧雨、
夕立、と、このくらいだろう。 ところが、ほかの地位では、雨が20種類に分
類されているという。


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 日本では、赤と黒のあいだに茶色という色が存在する。 しかし、ある
地域の人々のあいだでは茶色が存在しないという。


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 テーブルの上に、赤と茶色と黒の折り紙を1枚ずつ置く。 そして、こげ茶
色と赤茶色の折り紙をそのわきに置く。

 日本の人に対して、こげ茶と赤茶の折り紙を指して、赤・茶色・黒のうち
でいちばん近い色の折り紙の上に重ねるようにいうと、だれもが2枚とも茶
色の折り紙の上に重ねる。

 これと同じことを、茶色が存在しない地域の人に指示すると、その人は
3枚のうちのどこに重ねればいいのか分からないという。


  ヘビという生き物がいる。 この人は、舌をぺろぺろやるクセがあってなか
なか直らない。 この人はぺろぺろと何をやっているのだろう?


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 じつはこのとき、舌で臭いをかいでいるのだという。 正確にいうと、臭い
と味が混ざった感覚を確かめている。 つまりこの人は、いまだ味覚と臭覚
が分かれていないのだ。

 さらにこの人は、聴覚とカラダで振動を感じ取る感覚も分かれていない。
空気の振動を感じ取る能力(= 聴覚)がなく、地面やモノを伝わってくる振動
を感じ取ることで聴覚の代わりをしている。

  べったりと腹ばいなのだから、地中を伝わってくる振動はたっぷりと感じ
取っていることだろう。


 ・・・・・・ ところで、日本の世の中は以前と比べるといろんな意味で細分
化が進んでいるといわれている。


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 ということはつまり、以前の人よりも今の人々の方が世の中をより理解で
きるようになったということでもあるのだろう。

 ほんの数十年の違いで、以前と比べてそれほどかしこくなったということ
なのかな?


  ひとつ思うことがある。 種としての人間は、脳を進化させてきたのだとい
われている。


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 進化については、自然淘汰や適者生存という法則がともなうのが普通だ。

 たとえばライオンは、同じ世代の中で強いものだけが生き残るということ
をくり返してきた結果、ここまで強くなったのだと思われる。

 ということは、人間も、同じ世代の中でよりかしこい個体だけが生き残る
ということをくり返していけば、種全体としてさらに飛躍的にもっとかしこくな
っていける可能性をもっている。


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  しかし、さまざまな種の中で人間だけが自然淘汰や適者生存という法則
を放棄して、すべての個体が繁殖できるという制度をつくってしまった。

 もしも仮に、人間が現在でも自然法則を放棄せずに脳を進化させ続けれ
ば、おそらくほんの数世代で平均の I Q が数十ポイント上がるのではない
だろうか?

  その場合、300年くらい先の人類はものスゴイことになっているような
気がする。

 なんとも惜しいことをしたものだ、とも思うが、きっとその部分はについて
は人間の脳が将来コンピューターとつながることによって、脳が進化するの
と同じ結果を得ることができるのかもしれない。 映画みたいにアタマにチッ
プを入れたりして。


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 技術が進めば、目に見えないほどに小さいチップを注射や点滴で脳に入
れこともできるようになるだろう。

  もしそうなれば、まったく勉強する必要がなくなって、人生の時間をすべて
楽しいことに使えるのかもしれない。

  500年後くらいにもう一度生まれてみたいな ~ ! !




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