W浅野 『抱きしめたい ! 』 あらすじ 【 日本ドラマ30年史 vol.2 】 [テレビドラマ]
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それでは vol.1 のつづきです。 昭和50年(1975)前後からの、
日本のテレビドラマの大きな流れについて書こうと思います。
「抱きしめたい」 が放送された1988年よりも前、昭和40年代の後
半から昭和60年代までの頃は、「ドラマといえばTBS」 という感じが
長らくつづきました。 これは世間的にも業界的にもそういうイメージ
だったと思います。
当時のTBSは、内容の濃い、良質な、しかも世間にもよく訴えるよ
うなドラマをたくさん世に送り出していました。 それらをいくつか紹介
します。
山口百恵を主役に起用して大ヒットした 「赤い疑惑」 や 「赤い激流」
などの “赤シリーズ”。 演歌歌手の水前寺清子をドラマの主役に抜擢
した「ありがとう」 のシリーズ。
「ありがとう」 は第4シリーズまで作られ、その最高視聴率は56.3%
を記録しました。
この数字は、2010年にサッカーの日本対ウルグアイ戦の中継番組
の視聴率57.3%に抜かれるまで、TBSの、すべての番組を含めた上
での歴代最高視聴率でした。
また、世に“金妻ブーム” を生み出した 「金曜日の妻たちへ」 のシリー
ズや、明石家さんまと大竹しのぶが共演し2人が結婚するきっかけとなっ
た 「男女7人夏物語」 も一世を風靡しました。
そしてもう1つ、TBSを代表するドラマである 「3年B組金八先生」 の
お話をします。 金八先生は金曜夜8時というプラチナタイムに放送され
ていましたが、この激戦区においては、他局も当然その局の看板番組
を放送していました。
この時間、日テレでは史上最高の刑事ドラマ 「太陽にほえろ」 が放
送され、一方テレ朝では、アントニオ猪木の 「ワールドプロレスリング」
が放送されていました。
特にプロレスの方はタイガーマスクブームの真っ最中であり、「ワー
ルドプロレスリング」 は毎週20数%の数字をとっていましたた。
「金八先生」は、この激戦区にあとから参入したワケです。 主演の武
田鉄矢はもともとフォークソンググループの歌手であり、ドラマの出演も
これが初めてという、全く未知数の存在でした。
よって、最初はTBS も大した数字は期待していなかったといいます。
なので 「金八」 という名前も、“金曜8時だから金八” という、とても安易
に名づけられたモノでした。
しかし、フタを開けてみれば「金八先生」 は大ヒット。 のちにTBSの
歴代最高ドラマと評価されるほどの作品に成長していきます。
じつは武田鉄矢は、そのしばらく前に山田洋二監督の名作 「幸せの
黄色いハンカチ」に出演して、その味のある演技で比較的高い評価を
得ていたという事情があり、それがドラマの主役に起用された理由だっ
たようです。
その他、70~80年代におけるTBSの有名ドラマの名前を挙げると、
「時間ですよ」 「水戸黄門」 「キーハンター」 「白い滑走路」 「寺内貫太
郎一家」 「ムー一族」 「Gメン’75」
「高原へいらっしゃい」 「噂の刑事トミーとマツ」 「家族ゲーム」 「高校
聖夫婦」 「ふぞろいの林檎たち」 「スチュワーデス物語」
「スクールウォーズ」 「不良少女とよばれて」 「毎度おさわがせします」 「ママはアイドル」
「パパはニュースキャスター」 「とんぼ」
以上が80年代までのTBSの有名なドラマです。
一方で、この期間におけるフジテレビの有名なドラマといえば 78年
の田宮二郎が主演した 「白い巨塔」 と 81年放送開始の 「北の国から」
ぐらいではないかと思います。
後者については、このドラマがブレイクしたのはむしろ83年以降の
単発放送になってからだと思われるので、すこし特殊なケースだと思
います。
そもそも当時のフジテレビは、ドラマの本数自体が日テレやTBS と
比べると相当に少なかったというのがあると思います。
それではここでもう一つ、TBSの名作ドラマをご紹介します。 「岸辺
のアルバム」という、1977年放送のドラマです。
1974年、東京の多摩川で大洪水が発生し、それによって川岸の家
19軒が川に流されてしまうという災害がおこりました。 当時その様子
がテレビのニュースで放送されたのですが、それは非常にショッキング
な映像でした。
「岸辺のアルバム」 は、この水難事故をモデルにしたドラマです。 内
容としては、ある平凡な中流家庭が崩壊していくさまを描いています。
77年といえば田中、三木のあとを受けた福田政権の時代。 高度経
済成長によって日本が豊かになったということを国民が実感できるよう
になっていた頃です。
地域社会においては隣り近所などの人々のつながりが絶たれ、家庭
内部においても個人化が進み、家族の意味が希薄になり始めた時代。
このドラマでは、商社マンである父親(杉浦直樹)と母親(八千草薫)、
大学生の娘(中田喜子)と大学受験を控えた息子(国広富之)という4人
家族が描かれます。
この4人はそれぞれが個人の世界に生きていて、家族のつながりか
らはすでに心が離れています。 しかし世間体から、それを表面に出す
ことはなく、お互いにも、そして世間に対しても “幸せで仲のいい家族”
を演じています。
その中でも、とくに八千草薫が演じる母則子は他の男性と不倫関係
を続けている状態。
子供たちはすでに独立し、則子はいつも夕方まで家の中で1人きり、
魂の抜けたような毎日を送っていました。 一方の夫は全くの仕事人間。
そんな生活の中で、ある日則子は一人の男性と知り合います。 やが
てその男性は昼間則子に電話をかけてくるようになる。 そして、則子は
その男性とときどき外で会うようになり ・・・・・
と、不倫に至るまでの過程がしっかり描かれています。
最終回、洪水が起こりついに家が流されてしまうですが、そのときに
家族みんなが流される家から必死に持ち出そうとするのが、家族の歴
史を保存した 「アルバム」 であった ・・・・・・ というお話しです。
しかし、その後この家族は結果として崩壊してしまいます。 従来、ホー
ムドラマというのは「最後は家族で食卓を囲んでハッピーエンド」 というの
が定石だったのですが、その常識を打ち破った悲劇的なラストでした。
この作品は、それまでは見られなかった 「辛口ホームドラマ」 というジ
ャンルを確立したという点で革命的であり、日本のドラマ界に与えた衝撃
は大きかったい言われています。
「岸辺のアルバム」 は、オンエア時の平均視聴率は14.1%とあまり
奮わなかったものの、放送終了後にその評価が高まっていき、現在では
「日本ドラマ史上に残る傑作」 という評価が定着しているようです。
これはよくあるケースで、たとえばあの 「機動戦士ガンダム」 も、初回
放送時の視聴率が低く、本来全52話の予定だったところを途中で43話
に短縮されての放送となってしまいました。
しかし、最終回に近くなっていくとその評判がどんどん上がっていき、
放送終了後、大ブレイクするに至りました。
映画 「ダイハード」 についても同様で、 「ダイハード」 も公開時にはさほ
ど評判にならなかったのですが、その後レンタルビデオなどで多くの人が
観ることによって評判が一気に上がっていったという経緯があるようです。
・・・・・・ 以上、昭和における 「TBSの黄金時代」 のドラマについてご紹介
しました。 vol.3 では、この時代の日本テレビのドラマの特徴についてお話
しします。
まだまだ続きますので、 vol.3 以降もよろしくお願いします。
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-01-2
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それでは vol.1 のつづきです。 昭和50年(1975)前後からの、
日本のテレビドラマの大きな流れについて書こうと思います。
「抱きしめたい」 が放送された1988年よりも前、昭和40年代の後
半から昭和60年代までの頃は、「ドラマといえばTBS」 という感じが
長らくつづきました。 これは世間的にも業界的にもそういうイメージ
だったと思います。
当時のTBSは、内容の濃い、良質な、しかも世間にもよく訴えるよ
うなドラマをたくさん世に送り出していました。 それらをいくつか紹介
します。
山口百恵を主役に起用して大ヒットした 「赤い疑惑」 や 「赤い激流」
などの “赤シリーズ”。 演歌歌手の水前寺清子をドラマの主役に抜擢
した「ありがとう」 のシリーズ。
「ありがとう」 は第4シリーズまで作られ、その最高視聴率は56.3%
を記録しました。
この数字は、2010年にサッカーの日本対ウルグアイ戦の中継番組
の視聴率57.3%に抜かれるまで、TBSの、すべての番組を含めた上
での歴代最高視聴率でした。
また、世に“金妻ブーム” を生み出した 「金曜日の妻たちへ」 のシリー
ズや、明石家さんまと大竹しのぶが共演し2人が結婚するきっかけとなっ
た 「男女7人夏物語」 も一世を風靡しました。
そしてもう1つ、TBSを代表するドラマである 「3年B組金八先生」 の
お話をします。 金八先生は金曜夜8時というプラチナタイムに放送され
ていましたが、この激戦区においては、他局も当然その局の看板番組
を放送していました。
この時間、日テレでは史上最高の刑事ドラマ 「太陽にほえろ」 が放
送され、一方テレ朝では、アントニオ猪木の 「ワールドプロレスリング」
が放送されていました。
特にプロレスの方はタイガーマスクブームの真っ最中であり、「ワー
ルドプロレスリング」 は毎週20数%の数字をとっていましたた。
「金八先生」は、この激戦区にあとから参入したワケです。 主演の武
田鉄矢はもともとフォークソンググループの歌手であり、ドラマの出演も
これが初めてという、全く未知数の存在でした。
よって、最初はTBS も大した数字は期待していなかったといいます。
なので 「金八」 という名前も、“金曜8時だから金八” という、とても安易
に名づけられたモノでした。
しかし、フタを開けてみれば「金八先生」 は大ヒット。 のちにTBSの
歴代最高ドラマと評価されるほどの作品に成長していきます。
じつは武田鉄矢は、そのしばらく前に山田洋二監督の名作 「幸せの
黄色いハンカチ」に出演して、その味のある演技で比較的高い評価を
得ていたという事情があり、それがドラマの主役に起用された理由だっ
たようです。
その他、70~80年代におけるTBSの有名ドラマの名前を挙げると、
「時間ですよ」 「水戸黄門」 「キーハンター」 「白い滑走路」 「寺内貫太
郎一家」 「ムー一族」 「Gメン’75」
「高原へいらっしゃい」 「噂の刑事トミーとマツ」 「家族ゲーム」 「高校
聖夫婦」 「ふぞろいの林檎たち」 「スチュワーデス物語」
「スクールウォーズ」 「不良少女とよばれて」 「毎度おさわがせします」 「ママはアイドル」
「パパはニュースキャスター」 「とんぼ」
以上が80年代までのTBSの有名なドラマです。
一方で、この期間におけるフジテレビの有名なドラマといえば 78年
の田宮二郎が主演した 「白い巨塔」 と 81年放送開始の 「北の国から」
ぐらいではないかと思います。
後者については、このドラマがブレイクしたのはむしろ83年以降の
単発放送になってからだと思われるので、すこし特殊なケースだと思
います。
そもそも当時のフジテレビは、ドラマの本数自体が日テレやTBS と
比べると相当に少なかったというのがあると思います。
それではここでもう一つ、TBSの名作ドラマをご紹介します。 「岸辺
のアルバム」という、1977年放送のドラマです。
1974年、東京の多摩川で大洪水が発生し、それによって川岸の家
19軒が川に流されてしまうという災害がおこりました。 当時その様子
がテレビのニュースで放送されたのですが、それは非常にショッキング
な映像でした。
「岸辺のアルバム」 は、この水難事故をモデルにしたドラマです。 内
容としては、ある平凡な中流家庭が崩壊していくさまを描いています。
77年といえば田中、三木のあとを受けた福田政権の時代。 高度経
済成長によって日本が豊かになったということを国民が実感できるよう
になっていた頃です。
地域社会においては隣り近所などの人々のつながりが絶たれ、家庭
内部においても個人化が進み、家族の意味が希薄になり始めた時代。
このドラマでは、商社マンである父親(杉浦直樹)と母親(八千草薫)、
大学生の娘(中田喜子)と大学受験を控えた息子(国広富之)という4人
家族が描かれます。
この4人はそれぞれが個人の世界に生きていて、家族のつながりか
らはすでに心が離れています。 しかし世間体から、それを表面に出す
ことはなく、お互いにも、そして世間に対しても “幸せで仲のいい家族”
を演じています。
その中でも、とくに八千草薫が演じる母則子は他の男性と不倫関係
を続けている状態。
子供たちはすでに独立し、則子はいつも夕方まで家の中で1人きり、
魂の抜けたような毎日を送っていました。 一方の夫は全くの仕事人間。
そんな生活の中で、ある日則子は一人の男性と知り合います。 やが
てその男性は昼間則子に電話をかけてくるようになる。 そして、則子は
その男性とときどき外で会うようになり ・・・・・
と、不倫に至るまでの過程がしっかり描かれています。
最終回、洪水が起こりついに家が流されてしまうですが、そのときに
家族みんなが流される家から必死に持ち出そうとするのが、家族の歴
史を保存した 「アルバム」 であった ・・・・・・ というお話しです。
しかし、その後この家族は結果として崩壊してしまいます。 従来、ホー
ムドラマというのは「最後は家族で食卓を囲んでハッピーエンド」 というの
が定石だったのですが、その常識を打ち破った悲劇的なラストでした。
この作品は、それまでは見られなかった 「辛口ホームドラマ」 というジ
ャンルを確立したという点で革命的であり、日本のドラマ界に与えた衝撃
は大きかったい言われています。
「岸辺のアルバム」 は、オンエア時の平均視聴率は14.1%とあまり
奮わなかったものの、放送終了後にその評価が高まっていき、現在では
「日本ドラマ史上に残る傑作」 という評価が定着しているようです。
これはよくあるケースで、たとえばあの 「機動戦士ガンダム」 も、初回
放送時の視聴率が低く、本来全52話の予定だったところを途中で43話
に短縮されての放送となってしまいました。
しかし、最終回に近くなっていくとその評判がどんどん上がっていき、
放送終了後、大ブレイクするに至りました。
映画 「ダイハード」 についても同様で、 「ダイハード」 も公開時にはさほ
ど評判にならなかったのですが、その後レンタルビデオなどで多くの人が
観ることによって評判が一気に上がっていったという経緯があるようです。
・・・・・・ 以上、昭和における 「TBSの黄金時代」 のドラマについてご紹介
しました。 vol.3 では、この時代の日本テレビのドラマの特徴についてお話
しします。
まだまだ続きますので、 vol.3 以降もよろしくお願いします。
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-01-2
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