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パラオ 呪い 【パラオは日本を尊敬してる ! ! その国旗は日の丸をモチーフに】 [ニュース]

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 パラオ共和国は、太平洋上ミクロネシア地域の島々からなる国である。
地図的には、オーストラリアの上にパプアニューギニアがあって、その
スグ上に位置している。

 首都はマルキョクで、2006年にコロールから遷都された。 人口は20
303人(2005年)で世界190位。 公用語はパラオ語と英語である。

 1885年にスペインの植民地となる。 ヨーロッパ人の流入により、天然
痘などの病気が持ち込まれたことや、現地人に対する搾取などが行われ
た結果、パラオの人口は90%ほど減少したといわれている。 

 第一次大戦後のパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領と
なった。 その後パラオは、周辺諸島における植民地統治の中核的な存
在となり、多くの日本人が移住し、住民の4人に3人が日本人になった。

 日本の統治が始まってからは、ドイツ統治下ではほとんど進んでいなか
った学校や病院、道路などの各種インフラの整備が重点的に行われ、1
920年代になると、首都コロールは近代的な町並みに変化していった。
また、現地人に対して日本語による学校教育が行われるようになった。

 第二次大戦が始まると、その位置から、海軍の重要な基地となり、北大
西洋方面の作戦拠点になった。

 戦後、1947年に国連の委託を受けて、今度はアメリカ合衆国がパラオ
を信託統治下においた。

 アメリカの統治に伴い、英語による民主主義教育が行われるようになっ
たが、産業開発はほとんど行われず、経済的にはアメリカへの依存が強
まっていく。

 また、アメリカの教育の影響を受けて、高等教育を受けた若者はアメリ
カでの就職を希望する者がおおくなり、若年層の人口流出が続いている。

 その後1981年に、自治政府による「パラオ共和国」 が発足。翌82年
に、内政・外交はパラオが、安全保障はアメリカが担うものとされ、アメリ
カ軍が駐留する。

 90年代以降は、冷戦の終結により、アメリカにとってのパラオの利用
価値が低下することによってパラオは完全独立の方向へ進み、94年国
連による信託統治も終了し、完全独立を果たした。

 パラオは、日本統治下におけるパラオの近代化を非常に評価しており、
現在でもとても親日的で、日本を尊敬してくれている。 パラオの国旗は
青地に黄色の円が描かれているが、これは日本の日の丸を模したもの
で、「日本は太陽であって、我々はその光を受けて光る月である」 という
いみがある。 地の色が青は海を表している。

 どうして日本ではこのようなことがきちんと教育されないのであろうか?

 ちなみにアントニオ猪木氏は、モハメド・アリとの戦いを賞賛されたこと
によって、パラオ政府から正式に領内の島を一つ贈られた。 信じられな
いような本当の話である。

 以降その島は「イノキアイランド」 と呼ばれ、猪木本人も定期的に訪れて
いる。




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