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飯島勲 帰化 [ニュース]

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 阿部内閣の飯島勲内閣官房参与が北朝鮮・平壌を訪問していることが、北朝鮮の
朝鮮中央通信の報道により明らかとなった。 また、ロイター通信が配信した映像には、
北朝鮮外務省のアジア副局長が飯島氏を出迎えている場面が映し出されている。

 訪朝の目的は明らかになっていないが、朝鮮総連幹部は 「飯島参与は北朝鮮の宋
日昊日朝故障担当大臣と面会し、日本人拉致問題の再調査について話し合う」 として
いる。 飯島氏は、小泉元首相の秘書官として2回にわたる訪朝に動向、北朝鮮に独自
の人脈を持つといわれている。

 安倍首相は小泉元首相の初訪朝時に官房副長官を努め、拉致問題の全面解決に
強い意欲を示していた。 再登板後初となった2月の施政方針演説でも、「すべての拉
致被害者の安全確保及び即時帰国、拉致に関する真相究明、拉致実行犯の引渡しの
3点に向けて全力を尽くす」 と表明した。

 飯島氏の訪朝に関し、外務省幹部は「あずかり知らない」 と確認を避けたが、一方で
官邸筋は「政権の了解を取った行動。 何らかの進展があるかもしれないが、拉致被害
者を連れて帰るというめどまであるとは聞いていない」 としている。

 これに対し、横田さん夫妻は川崎市内で取材に対応し、飯島氏の訪朝については「驚
いている。 話し合いの進展に期待したい」 と語った。

 飯島勲氏は、その北朝鮮との太いパイプにより帰化朝鮮人であるという噂もあるという
が、事実は違う。 江戸時代には庄屋を努めたという長野県の名門の家柄の出であるとい
うが、勲氏の代にその名残はなく、氏が中学生のときに母親が脳溢血で倒れ、その後30
年間寝たきりであるなど、生活苦を重ねた。 東京電機大学短期大学電気科を卒業し、そ
の後は都内の法律特許事務所で職員となった。

 やがて1972年に転機が訪れる。知り合いの紹介で小泉純一郎の秘書となるが、その
採用面接の際、自らの苦しかった生活のことや家族のことを話したが、政治家の家庭に
生まれた小泉には理解されないだろう思っていたという。 しかし、小泉は氏の話を黙々と
聞いてよく理解を示し、最後に一言「よし」 と言い、それで採用が決定した。 その瞬間、
飯島は「この人のために生涯頑張り抜こう」 と決意したという。

 その後、竹下から橋本までの歴代内閣で大臣秘書官を努め、小泉内閣の誕生にともな
い内閣総理大臣秘書官に就任した。 飯島氏は、メディア戦略や情報操作に長けており、
日本のメディアからは、「官邸のラスプーチン」、アメリカのメディアからは「日本のカール・
ローブ」 評された。 歴代の総理秘書官と比較してメディアへの露出が多かったという。

 飯島氏は福田元首相と不仲であり、また諸般の事情によって後に小泉とも袂を分かった
という。 一方で安倍首相や官元首相とは良好な関係にあるとされている。

 2012年12月、第2次安倍内閣内閣官房参与に就任。 特命担当として、主に危機管理
やメディア戦略に関する助言をおこなっていると見られる。




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