SSブログ
テレビドラマ ブログトップ
- | 次の10件

日本ドラマ30年史 vol.5 [テレビドラマ]

 新しい時代の特徴 ③ に関連して、昔のアイドルと違って今のアイドル
はぶっちゃけているという例をだしたが、これは一般人についてもあては
まると思う。 “ぶっちゃけてる” というのは正直であるということもできると
思うが、例えばインタビューなどを受けた場合などでも、今の人は比較的
なんでも正直に本音を話すというところがある。

 じつは、正直になるというのは人と人が深く分かり合ったりコミュニケー
ションするためにはぜひとも必要なことであって、そういう意味では昔より
も今の人の方がコミュニケーションが上手になったと言えるのかもしれない。

 戦後の日本人は、まるで1人の人間が年齢と共に成長していくように、
日本人全体が年月と共に精神的に成長してきたようなところがある。

 戦後しばらくは、貧しくて日々暮らしていくのがやっとやっとであり、それ
ゆえ行動力も小さい。 そして、この頃が1人の人間でいうと子供時代にあ
たる。

 やがて昭和30年代になると日米安保闘争や労働争議が起こるようにな
り、それらは40年代以降になると左翼活動、学生運動へと発展していく。
これらの人々は、たくさん勉強して、理想を追求して激しく行動していたワ
ケだ。

 この時期が、1人の人間の成長でいうと青春時代にあたるだろう。

 その後これらの運動は敗北し、やがて政治への関心は薄れ、日本はた
だひたすら経済成長へとまい進して行く。 そしてこれが1人の人間で言う
と、就職して社会人となり仕事に熱中する頃にあたる。

 日本は見事に経済成長を遂げて豊かになり、相当な金持ちにもなった。
しかし、85年以降、バブルが崩壊することで苦境に陥っていくことになる。

 これを1人の人間でいうと、社会人になって以来ずっと仕事が順調でお
金もたくさん稼ぐことができた。 だが、その後大きな失敗をしてしまうこと
で苦境に立たされ、生活も苦しくなっていく。

 人生半ばで大きな挫折を経験し、苦しい状況になってしまったが、それ
でも生きていかなければならない。

 現在の日本人が置かれている状況は、およそこんな感じだと思う。


 さて、③ に関連してもうひとつ。 いまの時代は昔と違って、世の中のさ
まざまなジャンルの仕組みが人々に明らかになってしまっている。

 お笑いの仕組み、アイドルの仕組み、政治の仕組み、プロレスの仕組み。

 上にも少し書いたが、たとえばお笑いにしても、いまの人はお笑いの仕
組みをわかった上で楽しんでいる。 アイドルにしても同じで、アイドルとい
うのがどういう仕組みで成り立っているのかをわかった上で楽しんでいる。

 これは、いまの人の方が昔の人よりも大人だということでもある。


 それでは、新しい時代の特徴 ①.世の中が記号的、イメージ的になって
きたというコトについて。

 まず、企業というものは、以前は “商品” を売っていたが、80年代頃か
らは商品ではなくて “イメージ” を売るようになってきた。

 例えば80年代前半の住友金属のテレビCMに当時新しいタイプのアイド
ル(=バラドル)として認知され始めていた山瀬まみが起用され、
「やわらかアタマしてます。 住友金属」
というCMが流行ったことがある。 すごく堅いイメージの会社のCMに、そ
の対極のイメージをもった山瀬が起用されたワケだが、山瀬自身もこのC
Mによってさらに人気が上がった。

 そして当時、同じように商品ではなくて企業そのもののイメージをアピー
ルするCMが多く作られた。

 有名なものとして、西武百貨店の 「不思議、大好き。」 というのがあった。
これは糸井重里氏のコピーだ。

 今となってはなんてことないコピーにしか思えないが、当時としては “不
思議” と “大好き” というコトバの組み合わせが斬新だった。

 また、コカコーラ社やポカリスウェットなどの歴代のCMはイメージ的だし、
トヨタの “eco” なんかもそうだと思う。

 CM以外でも、たとえばレースクイーンだとか企業のロゴマークなどはイ
メージ的だし、ライフスタイル、セレブというコトバも記号的だ。

 というか、時代が新しくなるにつれて世の中に飛び交う情報の量が増え
続けていて、情報そのものが記号的な性格を持ってるワケだから、世の
中どんどん記号的になっていくのは当然といえば当然である。
 

 次に、新しい時代の特徴 ②.世の中の個人化、細分化について。

 むかしは、国民すべてが同じものに関心をもつということがありえた。
たとえば、巨人の長嶋茂雄選手は全国民のヒーロー、スーパースターで
あった。

 山口百恵やピンクレディーの歌は、国民すべてが口ずさむことができた。
時代的に、松田聖子あたりまではそういう感じがあった。

 しかし、今はもちろん違う。 スマップの 「世界にひとつだけの花」 でさえ、
高齢の人は口ずさむことはできないだろう。

 しかしこれは、人々の傾向が変わったというよりも、世の中自体が昔よ
りも飛躍的に複雑、多様になったことの必然的な結果なのだと思う。

 また、世の中が細分化されて多様になったと言う場合、一方では、全体
の量や大きさは変わらずに、その分け方が細かくなったという面と、もう一
方では、そもそも世の中に存在するモノゴト自体の絶対量が増えたという
のだと両面があるのだと思われる。

 これは選択肢の数が増えたということでもあって、以前は、人々の好み
の種類の数よりも、実際に存在するモノの種類の数の方が少なかったが、
今の時代においては、人々の好みの数の数十倍の選択肢があるという
感じがする。

 つまり以前は、人々の好みが5種類に分かれているのに対して、現実の
選択肢は3つしかなく、どれか1つを選ばなくてはならないという感じであっ
たところ、それが現在では、人々の5種類の好みに対して選択肢のほうは
20も30もあって、どれか1つに決めきれないという感じがあると思う。

 たとえば、現在のスマホのカスタマイズなどではほとんど無限の選択肢
があるという感じであるし、

 リーバイスのジーンズでも、昔ならばカタチは501、505、525、色はブル
ーか濃紺、というくらいの選択肢しかなかったのに対して、現在ではカタチ、
色の落ち方、ステッチ、ポケットの形、生地などの種類の組み合わせによ
って、ほとんど無数の種類があるという感じだ。 これならば、あまり他人と
かぶることはないだろう。

 今をときめくAKB48についてもそうで、昔ならば48人というのはちょっと
考えられない数だ。


 ・・・・・・ さて、そろそろフジテレビの話に戻りましょう。


 vol.6 につづきます

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

日本ドラマ30年史 vol.6  ~ 完結編 ~ [テレビドラマ]

 それではつづきです。

 ここからはいよいよフジテレビの “デビュー” についての話になります。

 1981年、フジテレビは自局のロゴマークとキャッチフレーズを変更した。
(ロゴは左 ⇒ 右に変更)

  2006-05-26.jpg無題.png


  従来の 「母と子のフジテレビ」 から 「楽しくなければテレビじゃない」 へ
の変更。 現在のフジを思えば、「母と子の ~」 というキャッチは耳を疑いた
くなるほど異質に感じる。

  面白い番組、笑いの取れる番組を作っていこうという意気込みをもって、
これ以降フジテレビは一気に“デビュー”することになるのだが、その先陣
をきったのはやはりお笑い番組だ。

 当時の“漫才ブーム”を担った「THE MANZAI」や、お笑いオールスター
番組 「オレたちひょうきん族」、「笑ってる場合ですよ」 といった番組が生ま
れ、どの番組も人気を博した。


  0.jpg
  733792360.jpg
  waratterubaaiimg01.jpg


  ところで、「笑っていいとも」 は、もともと二番煎じの番組だったのをご存
知であろうか?

  まず初めに 「笑ってる場合ですよ ! 」 という番組が放送されていたのだが、
これは 「いいとも」 と同じくスタジオアルタでの公開番組で、曜日ごとに当時
人気のお笑いタレントが登場し、1週間をとおして見るとかなりの豪華メンバ
ーが揃っていたという、かなりインパクトがある番組であった。

 しかし、この 「笑ってる場合ですよ ! 」 は、やがて高視聴率をキープしたま
ま放送終了を迎えることになった。 視聴者の方からすると、“あれ?なんで
終わっちゃうの?” という印象だったが、これには、次のようなフジの方針転
換があったようだ。

  このように、毎日のごとく長時間彼らを露出させることは、彼らの人気を早
くすり減らしてしまうことにつながる。

 つまりは、露出が多すぎることがかえってお笑いタレントたちにとってマイ
ナスになるという判断にもとづいての番組終了だったようだ。

 そして、そのかわりに彼らのための番組として作られたのが 「オレたちひ
ょうきん族」 であった。

 このようにして人気番組 「笑ってる場合ですよ ! 」 は終了し、その後釜とし
て始まったのが 「笑っていいとも」 であった。 しかし、当時のタモリは今ほど
の存在ではなく、世間の誰もが “なんでタモリなんだよ? どうせすぐに打ち
切りになるだろう” と思っていた中でのスタートであった。


iitomo1.jpgimage.jpg


  それに、「いいとも」 初期の頃は、“やっぱりタモリはつまらない” という評
価だったような記憶がある。 それが月日とともにだんだん慣れてきたという
感じであった。 なんとも不思議な存在である。

  そういえば、さんまについても同じようなコトが言える。 「ひょうきん族」 の
頃のさんまは、極端にいうと清水圭のような、どちらかというと “つまらない
奴” という印象だった。

  しかしさんまの場合、その後にだんだんにさんま自身が面白みを増してい
ったというところがある。 これはおそらく、バラエティ番組の傾向として、時代
とともに 「トーク」 の要素が重要になってきたからだと思われる。 この変化に
よって、逆にとんねるずの魅力はダウンした。

 さて、お笑い番組に続いてフジテレビが世に放ったのが 「オールナイトフ
ジ」 を始めとする深夜番組だ。


  201164121216NIuSH.jpg
  hqdefault.jpg
  title.jpg


  83年にスタートした、素人現役女子大生を起用した深夜の生放送番組で
あるオールナイトフジは大ブレイクし、他局全てが似たような番組を放送した。
また、この番組には途中からとんねるずがレギュラー出演するようになり、と
んねるずのブレイクもココから始まった。

  そして85年、オールナイトフジの高校生版として始まったのが 「夕やけニ
ャンニャン」 であった。


 20121028_hamasakiayumi_20.jpg
  imgfb25dc20zik1zj.jpg
  201164224425YL0Y.jpg


  その後87年には、日本のテレビ局としては初めて24時間放送を開始。
深夜枠を 「JOCX-TV2」 と銘打ち、さまざまな実験的な番組を放送した。


 hqdefault.jpg


  こうした路線は視聴者の支持を集め、フジは82年、「年間視聴率三冠王」
(ゴールデン・プライム・全日)を達成、その後93年まで12年連続でこの地
位を守り続けた。
 
  思うに、フジテレビのこうした路線は、時代にピッタリ似合っていたというこ
とができる。 フジの人気の上昇は、世の中が右肩上がりで華やかになって
いくのとちょうど歩調が合っていた。

 石橋貴明は、まさにバブルがよく似合う芸人であった。 その後月日が経
つにつれて石橋の面白さが失われていくのは、トークができないという理由
以外に、時代が石橋的ではなくなっていったという面が大きい。 そういう意
味では石橋は不幸である。


 ・・・・・・ いやいや、フジテレビのトレンディードラマについてお話しするた
めの長い長い前置きがようやく終わりました。 お疲れ様でした。

 前の方で、70年代~80年代前半の日本のドラマについての話と、民放各
局、とくにTBSと日本テレビのドラマの特徴などについて触れたと思います。

 またこの頃までは、もっぱらこの2局が日本のドラマを引っぱってきたのだ
ということも述べました。

 ということで、デビュー以降のフジテレビのドラマについてです。

 一言でいうと、フジのいわゆる 「トレンディドラマ」 は、“バブル時代につい
てのイメージビデオ” みたいなモノだと思います。

 そもそも、名前自体が “トレンディ”ドラマな訳ですから、時代を象徴したド
ラマであるのは当然かもしれません。


 トレンディドラマの特徴をまとめると、

・ 88年から90年の3年間を中心に放送されたドラマ
・ 美男美女で、その個性がに好感がもたれている俳優・女優を起用
・ それ以前は数の少なかった女性をターゲットにした作品で、バブル時代の
女性の願望を具現化した内容で、そのほとんどが少女マンガの王道に準じ
た恋愛ドラマ
・ ドラマの題名がおしゃれで華やか
・ 登場人物は、テレビ局や広告代理店、デザイナーなどの華やかな職に就
き眺めのいい高級マンションの生活感のない美しいインテリアの部屋に住む
・ 当時話題のスポット、ファッション、アイテム、流行品、ライフスタイルなどが
内容とは関係なしにやたらとでてくる
・ 店や商品の具体的な名前が多く出てくるが、これらはじつはCMであった
・ ドロドロしない、おしゃれで軽いタッチの恋愛模様が描かれる

  全体的な印象として、内容がない、というか心に残らないけれども、主役
級の美男美女役者が多数でてくるし、映るものはみんな流行りのものばかり
なので、観ていておしゃれな気分になることができる。

 言い換えると、トレンディードラマとは、内容よりもその雰囲気を楽しむもの
である ・・・・・ という感じ。

 主な作品は、「男女7人夏物語」 「君の瞳をタイホする ! 」 「抱きしめたい ! 」
「君の瞳に恋してる ! 」 「ハートに火をつけて ! 」 「愛しあってるかい ! 」 「世界
で一番君が好き ! 」 「恋のパラダイス」 など。


  large.jpg
  ORG_20090629000008.jpg
  dra042_d.jpg
  20091212212556801.jpg
  909200037.jpg
  l.jpg
  k19tvt771104014860589_l.jpg
  o0300020012527527881.jpg


 中でも、もともとこの文章のテーマであった 「抱きしめたい ! 」 はトレンディ
ドラマ最初期の作品で、代表作だといえるでしょう。


  エー、 この記事はもともと、今年の秋に放送されることが決まった、W浅野
主演のドラマ 「抱きしめたい ! Forever」 についてご紹介するためのもので
した。

  そして、この特別編について説明するために、もともとの 「抱きしめたい ! 」
にさかのぼってお話ししようと思ったところ、結果的にこんなに長くなってしま
いました。

 最後までお付き合いいただいてありがとうございました。

 ちなみに、「抱きしめたい ! 」 の内容については説明しませんでしたが、僕
自身内容はよく覚えていません。

  今秋放送予定の特別編はともかく、87年の 「抱きしめたい ! 」 については、
内容よりも、その雰囲気楽しむドラマであったというコトがわかっていただけた
でしょうか?

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

日本ドラマ30年史 vol.4 [テレビドラマ]

 それではつづきです。

 この文章はドラマの歴史に関するものですが、80年代以降のフジテ
レビのドラマの人気をより深く理解できるように、その前提として、ここ
からしばらくは、戦後日本の文化の移り変わりについて書きます。

 これは個人的な考えなのですが、戦後の日本文化は、80年代前半を
境い目として、それ以前と以降に分けることができると思っています。

 以前の文化は、言ってみれば 「サザエさん文化」。

 家庭の特徴で言うと、各家が 「~家」 というイメージを持ち(場合によっ
ては3世代を含めた)、家族が1つのハッキリとしたまとまりとして存在し、
家族みんなが共通の関心事をもち、ごはんを家族全員で食べ、家族全
員で1つのテレビ番組を見て、子供たちは個人の部屋を持っていない場
合が多い。

 ちびまる子の家のイメージでもいい。 週の唯一の休日日曜日には家
族そろって電車で都会まで行き、デパートで買い物。 昼食は7階の食堂
で食券を買って注文し、子供はゼリーの容器で型をとったミニオムライス
に国旗の刺さっているお子様ランチを食べる。

 もう少し広く言うと、老若男女・国民全てが同じものに関心を抱けた時
代。 テレビ放送は午前1時頃には終了していた時代。 パソコンもビデオ
もなくてCDではなくレコードを聴いていた時代。 ウォークマンがやがて
世に誕生する頃でコンビにというものが存在しなかった黒電話の時代。

 世の中のほとんどの人がダサかった時代。 洋服にある程度気を遣う人
と全く遣わないきもちわる系の人との割合が今とはちょうど逆だった時代。

 本音と建前がハッキリと分かれ、“ぶっちゃけ” 存在しなかった時代。ア
イドルは恋愛などするはずがなく、トイレにもいかないのでは? と思われ
てた時代。 ブッチャーやジェット・シンは本物の悪人でキチガイだと思われ
ていた時代。

 ヒールとベビーフェイス、ボケとツッコミ、トーク、カラミにくい、リアクショ
ン芸などという娯楽の構造のことなど分からずに、「素」 の状態で楽しめ
た時代。 お笑いを見ても “ウマイ” としか思えない今とちがって、心の底
から “面白い” と笑えた時代。 欽ちゃんとドリフターズの時代。

 ・・・・・・ ざっとこんな感じかな?

 こういう感じが、1980年前後の頃から徐々に変化し始め、一定の過
渡期を経た80年代前半になると変化した結果が目に見えてくるように
なる。

 僕が思うに、境い目以降の文化は 「若者記号文化」 という感じだ。

 新しい時代のイメージは “渋谷公園通り”。 当時青山教会の隣の工事
現場の壁には大きなモナリザが描かれ、その前には日本で初の赤い木
枠の電話ボックスが設置された。 そばには誕生したばかりのPARCOや
少し遅れて再デビューを果たした〇I〇I が立ち並んだ。

 当時、時代を先取りしすぎたと言われていた松田優作の 「探偵物語」。
オープニングテーマが流れる中で松田がうろついているのがこの公園
通りだ。 モナリザ、赤ボックス、松田の3ショットの瞬間がある。

 ココに挙げたものすべてが「記号的」 だ。 記号的とは、それが指し示す
当のモノ以外に、それに伴うイメージなどを同時に思い起こさせるという
性質のことだ。

 公園通り、青山教会、PARCO、109、スペイン坂、センター街、マック

 いつの間にか街には若者の姿しか見られなくなっていた。 イベント会
場も同じ。

 世の中は個人的になり、細分化されていった。 この流れはやがて “オン
リーワン” という発想につながっていくが、それはまだ先の話。

 ここでまとめると、新しい時代には、3つほど特徴があると思う。 ①.世
の中が記号的、イメージ的になってきたこと ②.世の中の個人化、細分
化が進んだこと ③.人々や世の中がぶっちゃけ的になってきたこと

 まず、③ に関連して、ある人の話をしよう。

 ビートたけしという人がいる。 大物中の大物だ。 しかしいつの頃からか
すっかり落ち着いてしまい、今となっては 「顔のゆがんだ、むかし面白か
った人のイイおじさん」 みたいになってしまっている。 おそらく今の人は、
氏が何ゆえ偉大なのかというコトが分かっていないと思われる。

 ビートたけしはなぜ偉大なのか?

 それは、氏が80年代全般にわたって最前線に立って新しい未踏の時
代を切り開いてきたからである。

 どういうことか?

 たとえば、上でも少し触れたが、昔のアイドルと今のアイドルは明らか
にちがう。 今のアイドルは何もかもぶっちゃけている。 つまり、私は仕事
としてアイドルというモノをやっているというスタンスを最初から表に見せ、
「昔は言っちゃいけなかったみたいですけど、アイドルだってそりゃあ恋愛
もしますよぉ。 おまり大っぴらには言うなって事務所には言われてるんで
すけどぉ」 というようなコトを平気で言ってしまう。

 それでは、この移り変わりは具体的には誰の頃なのか?

 それはズバリ中森明菜の頃である。

 以前、熱湯コマーシャルで有名な 「スーパージョッキー」 という日曜昼
間の番組があった。 この番組のごく初期の頃、全盛期で飛ぶ鳥を落と
す勢いの中森明菜がメインゲストで出演したことがある。

 当時のアイドルは、いまだ昔の雰囲気を保っていた。 明菜も当時は明
らかにキャラを作っていて、口数が少なくクールな感じで、話すときも低い
声で話していた。

 また、当時のビートたけしは現在とは全く雰囲気がちがう。 なんという
か、何を言い出すかわからない、とても危険なムードを持っていた。 態
度そのものも今よりももっと不良っぽいというか斜に構えたというか色気
があったというか。

 そんなたけしが明菜に質問をする。 「今回はゲストに来ていただいてあ
りがとうございます。 どうですこの番組は? たまに見ることありますか?」

 「ええ、とても面白くて、いつも見ています」

 間髪いれずにたけしが 「なにそれ。 そんなのウソでしょ? え? 事務
所にそう言えっていわれたの?」 と、いかにもイジワルな感じで早口で
突っこむ。

 一瞬にして凍りつくスタジオの観客。 その場に鋭い空気が充満する。

 いちばん驚いているのは明菜だ。 え?うそ?どうして?何言ってるの?
顔がマジになっている。 とっさに対応できない明菜。 あ、イヤ、あの ・・・・ 

 当時はまだ、このたけしのようなやり方は普通はありえなかった。 本来
はやってはいけないコトだった。 まだ時代がそうだったのだ。

 今のアイドルであれば 「いや~、じつはそうなんですよ~ ・・・・ って、
なんでやねん ! 」 くらいの受け答えができるかもしれない。

 でもこれは、たけしが先頭に立って変えてきたからこそ今のアイドルが
言えるようになったということだ。

 当時のたけしは、自分のこの役割を自覚していたと思う。 「自分が時代
を変えるんだ。 俺がやらなきゃ、他の誰にこれができるんだ」 と思ってい
たと思う。

 たけし氏が変えてきたことはもちろんこれだけではないと思うが、全体
的従来言ってはいけないコトを言ってしまってきた、やってはいけないコト
をやってしまってきた、言ってしまいやってしまうコトで既成事実を作って
きた、というところがあると思う。

 こういう役割というのは誰でもができることではないし、誰でもがやりた
がるコトでもない。 しかしたけし氏はやってきたということだ。

 これは時代の感覚、世の中の人々の感覚に関することなので、たけし
氏がやったことは記録には残らない。 それゆえに今の人たちにも伝わ
っていないのかもしれない。

 大幅にスケールダウンするが、明石屋さんまも1つだけ同じようなことを
やった。 エッチという表現を使うことで、日常会話の中で性行為について
話すことを “あり” にしたということだ。


 vol.5 につづきます

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

日本ドラマ30年史 vol.3 [テレビドラマ]

 それでは続きです。 前回は、1970年代以降のTBSドラマについてお
話ししました。 今回は、同じ頃の日本テレビのドラマについて。

 日テレは従来、刑事モノや青春モノに強いという印象がありました。 そ
れから、どちらかというと1クール・2クールのドラマではなくて、数年以上
の長期にわたって放送されるドラマが多いという特徴があります。

 これは言い換えると、TBSのドラマが 「文学作品的」 であるのに対して、
日テレのドラマは 「テレビ的、庶民的」 であるという言い方ができると思い
ます。 実際、この頃の日テレの1クール・2クールドラマで印象に残るもの
はほとんどなく、有名ドラマはほぼすべて長期モノだといえます。

 長期ドラマの特徴というのはまず、これは逆説的ですが、長期に及ぶス
トーリーが存在しないということです。 「作品的ではない」 というのはそう
いう意味でもあります。

 これは結局、作品的なドラマとはちがって、金太郎飴のように、いつでも、
どの時点から見始めても楽しむことができるということを意味します。作品
的ドラマのように、第1話・2話あたりから見ないと充分に楽しめないという
ことはありません。

 また、TBSと日テレのドラマを比べた場合、TBSの方は映像にこだわっ
たり画面の美しさを追及するといった芸術的傾向があるのに対して、日テ
レの方はあまりそういう部分が見られないということがいえると思います。

 日テレドラマも一応そういう部分も気にはしているのでしょうが、あまりセ
ンスが感じられないというか。

 これは、90年代半ば、ほとんど同じ時期に放送された、野島伸二の「高
校教師」(TBS)と「家なき子」(日テレ)を見比べるとよくわかります。 「高
校教師」は、映像がとても美しいドラマでした。 毎回のドラマのオープニン
グはとくに美しかった。 使われいる音楽も登場人物もみんな美しかった

 それに対して、「家なき子」にはあまりそういうところは見られず、中島み
ゆきの主題歌も、なにか庶民的な雰囲気を醸しだしていたと思います。

 ここで具体例を挙げると、「太陽にほえろ」 「われら青春」 「ゆうひが丘
の総理大臣」 「傷だらけの天使」 「大都会」 「探偵物語」「俺たちは天使だ」
「池中玄太80キロ」 「熱中時代」 「あぶない刑事」 「西遊記」 などなど。

 TBSと比較すると、有名作品の数自体は少ないですが、ここに挙げたド
ラマはいずれも長年にわたって放送されてものばかりであり、1クール・2
クールドラマと比べるとその存在感は非常に大きいものがありました。 そ
れぞれに「一時代を作った」 という感じがあります。

 僕個人としては、やはり松田優作の「探偵物語」などは最高だったと思い
ます。 松田優作というのは全身のシルエットが普通の人間とはちがってい
て、アニメのルパンのような体型をしているので、何をやっても画面の中で
絵になるというか、特殊な雰囲気を醸し出していました。

 アイドル的な感じや、現在のモデル出身の俳優のような 「イケメン」 的な
魅力とはまったく違い、“ほんとうのプロの役者” というオーラを持っていま
したね。

 かつて 「ハードボイルド」 というジャンルがあったのですが、今になって
考えてみると、やはりこのジャンルは松田優作が1人で担っていたという面
があると思います。 古尾谷雅人など、松田以外にもこのジャンルに挑戦し
た役者は何人もいますが、サマになっていた人はいないと思います。

 高倉健さんが「ゴルゴ13」を演じたことがありますが、やっぱりちょっと滑
稽でしたね。 現在ハードボイルドを作るとしたら、阿部寛さんあたりが候補
に挙がるのでしょうか?

 これは映画ですが、松田優作主演の「野獣死すべし」「蘇る金狼」を見た
ことがない方はぜひ一度ご覧になってみてください。


 ・・・・・・ さて、ここまでは主にTBSと日本テレビのドラマについてお話し
してきましたが、この時代、フジとテレ朝についてはあまり語るべき部分が
ありません。

 この時代のフジの有名ドラマは前回挙げたので、テレ朝の有名なドラマ
も挙げておきますと、「西部警察」 「必殺仕事人」 シリーズ、それから 「特
捜最前線」というちょっと暗めの刑事ドラマがありましたが、このくらいだと
思います。

 それに、「西部警察」 というのはテレ朝のドラマというよりもむしろ石原プ
ロの作品という面が強く、「必殺仕事人」シリーズにしても、大阪朝日放送
制作のドラマです。

 このように、テレビドラマというジャンルにおいて昭和末期の頃までは、質
量ともにTBSが単独トップ、すこし遅れて日本テレビ、その他もろもろ ・・・・
という感じでした。

 これは自動車業界の、トヨタが単独トップ(45%)、すこし遅れて日産(25
%)、のこりの3割をホンダ、三菱、マツダなどが分け合っているという状態
に近いかもしれません。

 ちなみに、東京12チャンネル(現テレビ東京)にも一つだけ 「プレイガー
ル」 という印象に残るドラマがありました。 これは 「バイオ二ック・ジェミー」
の超お色気版という感じのドラマで、ミニスカートでのアクションシーンなど
が売りになっていました。


 ・・・・・・ その後、80年代半ばになると、世の中の雰囲気はそれ以前とは
大きく様変わりしていきます。 一つにはバブルの影響もあったと思いますが、
その他にもイロイロな要素が加わって、日本の文化が新しい時代にへと変化
していくのです。

 フジテレビは、この新しい潮流に乗っかって、いわば 「デビュー」 すること
になるのですが、そのお話は、次回 vol.4 で 。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

W浅野 『抱きしめたい ! 』 あらすじ  【 日本ドラマ30年史 vol.3 】 [テレビドラマ]

  それでは続きです。 前回は、1970年代以降のTBSドラマについて
お話ししました。 今回は、同じ頃の日本テレビのドラマについて。

  日テレは従来、刑事モノや青春モノに強いという印象がありました。
また、日テレはどちらかというと1クール・2クールのドラマよりも、数年
以上の長期にわたって放送されるドラマが多いという特徴があります。

 これは言い換えると、TBSのドラマが 「文学作品的」 であるのに対し
て、日テレのドラマは 「テレビ的、庶民的」 であるという言い方ができる
と思います。

  実際、この頃の日テレの1クール・2クールドラマで印象に残るものは
ほとんどなく、有名ドラマはほぼすべて長期モノだといえます。

 数年にわたる長期ドラマの特徴は、通常は長期に及ぶストーリーが
存在しないということです。 たとえば「太陽にほえろ」 や 「水戸黄門」
はあらかじめ登場人物と大きな枠組みが決まっており、あとは毎回別
々のエピソードが描かれるわけです。

 これは結局、作品的なドラマとはちがって、金太郎飴のように、いつ
でもどの時点から見始めても楽しむことができるということを意味します。

  作品的ドラマのように、第1話・2話あたりから見ないと充分に楽しめ
ないということはありません。

  また、TBSと日テレのドラマを比べた場合、TBSは映像にこだわった
り画面の美しさを追及するといった芸術的傾向があるのに対して、日テ
レの方はあまりそういう部分が見られないということがいえると思います。

 日テレドラマも一応そういう部分も気にはしているのでしょうが、あまり
センスが感じられないというか ・・・・・・

 これは例えば、90年代半ばのほとんど同じ時期に放送された、野島
伸二の2作品、「高校教師」(TBS) と 「家なき子」(日テレ)を見比べると
よくわかります。


 snapshot2009021909214201.jpg
 20101129_1424268.jpg


 「高校教師」 は映像がとても美しいドラマでした。 毎回のオープニン
グはとくに美しかった。 使われいる音楽も登場人物もみんな美しかった。

 それに対して、「家なき子」にはあまりそういうところは見られず、中島
みゆきの主題歌も、なにか庶民的な雰囲気を醸しだしていたと思います。

 この頃の日テレの有名ドラマを挙げると、

「太陽にほえろ」 「われら青春」 「熱中時代」 「俺たちは天使だ」
「探偵物語」 「池中玄太80キロ」 「西遊記」 「大都会」
「傷だらけの天使」 「ゆうひが丘の総理大臣」 「あぶない刑事」 などなど。


 無題.png
 無題.png
 img_1417615_63258884_2.jpg
 0-2_R.jpg
 69a652b7e6c4e3f19c74dfaa33540e04.jpg
imgf742b326zik0zj.jpg
 2_20130625081544.jpg
 無題.png
 25973-abudeka2.jpg


 TBSと比較すると、有名作品の数自体は少ないですが、ここに挙げた
ドラマはいずれも長年にわたって放送されてものばかりであり、1クール・
2クールドラマと比べるとその存在感は非常に大きいものがありました。
それぞれに「一時代を作った」 という感じがあります。

 僕個人としては、やはり松田優作の「探偵物語」 などは最高だったと
思います。

  松田優作というのは全身のシルエットが普通の人間とはちがっていて、
アニメのルパンのような体型をしているので、何をやっても画面の中で絵
になるというか、特殊な雰囲気を醸し出していました。

 アイドル的な魅力や、現在のモデル出身の俳優のような 「イケメン」
的な魅力とはまったく違い、“ほんとうのプロの役者” というオーラを持っ
ていました。

 かつて 「ハードボイルド」 というジャンルがあったのですが、今になっ
て考えてみると、やはりこのジャンルは松田優作が1人で担っていたとい
う面があると思います。

 古尾谷雅人など、松田以外にもこのジャンルに挑戦した役者は何人も
いますが、サマになっていた人はいないと思います。

 高倉健さんが 「ゴルゴ13」 を演じたことがありますが、やっぱりちょっ
と滑稽でした。 現在ハードボイルドを作るとしたら、阿部寛さんあたりが
候補に挙がるのでしょうか?

 b0130594_1963870.jpg


 これは映画ですが、松田優作主演の「野獣死すべし」「蘇る金狼」を見
たことがない方はぜひ一度ご覧になってみてください。

 asakura1.jpg
 無題.png


 ・・・・・・ さて、ここまでは主にTBSと日本テレビのドラマについてお話し
してきましたが、この時代、フジとテレ朝についてはあまり語るべき部分が
ありません。

 この時代のフジの有名ドラマは前回挙げたので、テレ朝の有名なドラマ
も挙げておきますと、「西部警察」 「必殺仕事人」 シリーズ、それから 「特
捜最前線」というちょっと暗めの刑事ドラマがありましたが、このくらいだと
思います。

 mx_cut1.jpg
 無題.png


 それに、「西部警察」 というのはテレ朝のドラマというよりもむしろ石原プ
ロの作品という面が強く、「必殺仕事人」シリーズにしても、大阪朝日放送
制作のドラマです。

 このように、テレビドラマというジャンルにおいて昭和末期の頃までは、
質量ともにTBSが単独トップ、すこし遅れて日本テレビ、その他もろもろ ・・・・・
という感じでした。

 これは自動車業界の、トヨタが単独トップ(45%)、すこし遅れて日産(25
%)、のこりの3割をホンダ、三菱、マツダなどが分け合っているという状態
に近いかもしれません。

 ちなみに、東京12チャンネル(現テレビ東京)にも一つだけ 「プレイガー
ル」 という印象に残るドラマがありました。 これは 「バイオ二ック・ジェミー」
の超お色気版という感じのドラマで、ミニスカートでのアクションシーンなど
が売りになっていました。


 ・・・・・・ その後、80年代半ばになると、世の中の雰囲気はそれ以前とは
大きく様変わりしていきます。 一つにはバブルの影響もあったと思いますが、
その他にもイロイロな要素が加わって、日本の文化が新しい時代にへと変
化していくのです。

  フジテレビは、この新しい潮流に乗っかって、いわば 「デビュー」 すること
になるのですが、そのお話は、次回 vol.4 で 。
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-10-04

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

W浅野 『抱きしめたい ! 』 あらすじ  【 日本ドラマ30年史 vol.2 】 [テレビドラマ]

  それでは vol.1 のつづきです。 昭和50年(1975)前後からの、
日本のテレビドラマの大きな流れについて書こうと思います。

 「抱きしめたい」 が放送された1988年よりも前、昭和40年代の後
半から昭和60年代までの頃は、「ドラマといえばTBS」 という感じが
長らくつづきました。 これは世間的にも業界的にもそういうイメージ
だったと思います。

 当時のTBSは、内容の濃い、良質な、しかも世間にもよく訴えるよ
うなドラマをたくさん世に送り出していました。 それらをいくつか紹介
します。

 山口百恵を主役に起用して大ヒットした 「赤い疑惑」 や 「赤い激流」
などの “赤シリーズ”。 演歌歌手の水前寺清子をドラマの主役に抜擢
した「ありがとう」 のシリーズ。


000cf1bdd0220a2b281b09.jpgakai.jpg


 「ありがとう」 は第4シリーズまで作られ、その最高視聴率は56.3%
を記録しました。

  この数字は、2010年にサッカーの日本対ウルグアイ戦の中継番組
の視聴率57.3%に抜かれるまで、TBSの、すべての番組を含めた上
での歴代最高視聴率でした。


o0480038411929272889.jpglarge.jpg


 また、世に“金妻ブーム” を生み出した 「金曜日の妻たちへ」 のシリー
ズや、明石家さんまと大竹しのぶが共演し2人が結婚するきっかけとなっ
た 「男女7人夏物語」 も一世を風靡しました。


bd5b918e.jpglarge.jpg


 そしてもう1つ、TBSを代表するドラマである 「3年B組金八先生」 の
お話をします。 金八先生は金曜夜8時というプラチナタイムに放送され
ていましたが、この激戦区においては、他局も当然その局の看板番組
を放送していました。


blog_import_4d6141e5b0c4b.jpg


  この時間、日テレでは史上最高の刑事ドラマ 「太陽にほえろ」 が放
送され、一方テレ朝では、アントニオ猪木の 「ワールドプロレスリング」
が放送されていました。

  特にプロレスの方はタイガーマスクブームの真っ最中であり、「ワー
ルドプロレスリング」 は毎週20数%の数字をとっていましたた。


 o0512043110290797431.jpg
 hqdefault.jpg


  「金八先生」は、この激戦区にあとから参入したワケです。 主演の武
田鉄矢はもともとフォークソンググループの歌手であり、ドラマの出演も
これが初めてという、全く未知数の存在でした。


  よって、最初はTBS も大した数字は期待していなかったといいます。
なので 「金八」 という名前も、“金曜8時だから金八” という、とても安易
に名づけられたモノでした。

  しかし、フタを開けてみれば「金八先生」 は大ヒット。 のちにTBSの
歴代最高ドラマと評価されるほどの作品に成長していきます。

 じつは武田鉄矢は、そのしばらく前に山田洋二監督の名作 「幸せの
黄色いハンカチ」に出演して、その味のある演技で比較的高い評価を
得ていたという事情があり、それがドラマの主役に起用された理由だっ
たようです。


3030fff785690fa7572dbe49ab5b641d.jpg


 その他、70~80年代におけるTBSの有名ドラマの名前を挙げると、
「時間ですよ」 「水戸黄門」 「キーハンター」 「白い滑走路」 「寺内貫太
郎一家」 「ムー一族」 「Gメン’75」


 1992135.jpg
 dc1f7e5c.jpg
 ce0fa469.jpg
 kassouro0001.jpg
 large.jpg
 無題.png
 無題.png


 「高原へいらっしゃい」 「噂の刑事トミーとマツ」 「家族ゲーム」 「高校
聖夫婦」 「ふぞろいの林檎たち」 「スチュワーデス物語」

 
 363e33db234c15148672fa8f3f4a94e2.jpg 
 large.jpg
 t02200164_0478035712250933906.jpg
 無題.png
 rankingshare-722338602d8411e2a89900007f000001cabe015523cbc3e213.jpg
 hqdefault.jpg
 


  「スクールウォーズ」 「不良少女とよばれて」 「毎度おさわがせします」 「ママはアイドル」
「パパはニュースキャスター」 「とんぼ」 


 51CTQBCTE6L.jpg
 f1.jpg
 o0640048012229033371.jpg
 image_disp.jpg
 large.jpg
 無題.png


 以上が80年代までのTBSの有名なドラマです。

 一方で、この期間におけるフジテレビの有名なドラマといえば 78年
の田宮二郎が主演した 「白い巨塔」 と 81年放送開始の 「北の国から」
ぐらいではないかと思います。


Km06361L.jpg
img_777168_26466646_1.jpg


  後者については、このドラマがブレイクしたのはむしろ83年以降の
単発放送になってからだと思われるので、すこし特殊なケースだと思
います。

 そもそも当時のフジテレビは、ドラマの本数自体が日テレやTBS と
比べると相当に少なかったというのがあると思います。

 それではここでもう一つ、TBSの名作ドラマをご紹介します。 「岸辺
のアルバム」という、1977年放送のドラマです。

 1974年、東京の多摩川で大洪水が発生し、それによって川岸の家
19軒が川に流されてしまうという災害がおこりました。 当時その様子
がテレビのニュースで放送されたのですが、それは非常にショッキング
な映像でした。


 PN2009090101000087_-_-_CI0003.jpg
 7e4320fc6c2b4e7e9989222836251f191.jpg


 「岸辺のアルバム」 は、この水難事故をモデルにしたドラマです。 内
容としては、ある平凡な中流家庭が崩壊していくさまを描いています。

  77年といえば田中、三木のあとを受けた福田政権の時代。 高度経
済成長によって日本が豊かになったということを国民が実感できるよう
になっていた頃です。   

  地域社会においては隣り近所などの人々のつながりが絶たれ、家庭
内部においても個人化が進み、家族の意味が希薄になり始めた時代。

  このドラマでは、商社マンである父親(杉浦直樹)と母親(八千草薫)、
大学生の娘(中田喜子)と大学受験を控えた息子(国広富之)という4人
家族が描かれます。

  この4人はそれぞれが個人の世界に生きていて、家族のつながりか
らはすでに心が離れています。 しかし世間体から、それを表面に出す
ことはなく、お互いにも、そして世間に対しても “幸せで仲のいい家族”
を演じています。

  その中でも、とくに八千草薫が演じる母則子は他の男性と不倫関係
を続けている状態。

  子供たちはすでに独立し、則子はいつも夕方まで家の中で1人きり、
魂の抜けたような毎日を送っていました。 一方の夫は全くの仕事人間。

  そんな生活の中で、ある日則子は一人の男性と知り合います。 やが
てその男性は昼間則子に電話をかけてくるようになる。 そして、則子は
その男性とときどき外で会うようになり ・・・・・  

 と、不倫に至るまでの過程がしっかり描かれています。

  最終回、洪水が起こりついに家が流されてしまうですが、そのときに
家族みんなが流される家から必死に持ち出そうとするのが、家族の歴
史を保存した 「アルバム」 であった ・・・・・・ というお話しです。


 a0278417_0515113.jpg


 しかし、その後この家族は結果として崩壊してしまいます。 従来、ホー
ムドラマというのは「最後は家族で食卓を囲んでハッピーエンド」 というの
が定石だったのですが、その常識を打ち破った悲劇的なラストでした。

  この作品は、それまでは見られなかった 「辛口ホームドラマ」 というジ
ャンルを確立したという点で革命的であり、日本のドラマ界に与えた衝撃
は大きかったい言われています。

 「岸辺のアルバム」 は、オンエア時の平均視聴率は14.1%とあまり
奮わなかったものの、放送終了後にその評価が高まっていき、現在では
「日本ドラマ史上に残る傑作」 という評価が定着しているようです。

  これはよくあるケースで、たとえばあの 「機動戦士ガンダム」 も、初回
放送時の視聴率が低く、本来全52話の予定だったところを途中で43話
に短縮されての放送となってしまいました。 

  しかし、最終回に近くなっていくとその評判がどんどん上がっていき、
放送終了後、大ブレイクするに至りました。


20130717163432.jpg


 映画 「ダイハード」 についても同様で、 「ダイハード」 も公開時にはさほ
ど評判にならなかったのですが、その後レンタルビデオなどで多くの人が
観ることによって評判が一気に上がっていったという経緯があるようです。


o0450033010297934751.jpg


 ・・・・・・ 以上、昭和における 「TBSの黄金時代」 のドラマについてご紹介
しました。 vol.3 では、この時代の日本テレビのドラマの特徴についてお話
しします。

 まだまだ続きますので、 vol.3 以降もよろしくお願いします。
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-01-2

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

W浅野 『抱きしめたい ! 』 あらすじ 【 日本ドラマ30年史 vol.1】 9月25日改訂版 [テレビドラマ]

 9月25日に全面改訂し、大幅に加筆しました。 1度よんでくださった
方もぜひもう1度お読みください。 内容がグレードアップしています ! !

 1988年に放送されて人気を博したフジテレビのドラマ 「抱きしめたい」
の続編 「抱きしめたい ! Forever 」 が今年の秋に放送されることになり、
このドラマで復活する主人公の2人 『W浅野』 が話題となっています。

  10月に放送予定の 「抱きしめたい ! Forever 」 には俳優の市原隼人
が出演することになりますが、市原は、共演するするシーンが多かった浅
野ゆう子について、

 「おしゃれで品があって、女性のたくましさがあり、 カリスマ性のある方
です」 と語り、一方の浅野温子についても、

「ものすごくパワフルでした ! 力強く周りの空気を一気に変えることので
きる方ですね」 と絶賛しています。


-_1_~1.JPG


  「しゃべらなくても通じ合っているんだなぁと、お二人を現場で見ていて
すごく感じました。 男性の友情とは違う、昔からの同い年同士ならではの
掛け合いにはどんどん引きこまれました」 とW浅野の魅力を伝えました。 

 その当時の映像を見て撮影に臨んだという市原は、「切なくなるシーンや、
ちょっとすねたりする女性らしいところがそのままなんです」 と話し、

 「女性同士の友情や女性同士ならではの力強さというところを見ていた
だきたいと思います」 とドラマをアピールしました。


  さて、温子(麻子)、ゆう子(夏子)の2人は、当時を振り返りつつドラマの
内容について次のように話します。

  夏子と麻子は幼稚園から一緒という仲で、88年の連ドラでは、「栄光の
苑(その)幼稚園の年少さんから四半世紀 ・・・・」 という夏子お決まりのセ
リフがあったのですが、この時からさらに四半世紀がたったというコトにな
ります。

  じつは、夏子・麻子だけではなく 現実のゆう子・温子の2人も同学年で
す。 温子は「この年までよく生きてきた。 大したもんだ。 自分にエールを
送りたい」 と笑っています。

 一方ゆう子は、「麻子は仕事にどっぷりの女。 夏子は人のものをどんど
ん取ってしまう、当時最も同性から嫌われるタイプだった」 「今回は脚本家
が女性目線で2人を描いてくれた。 女性ならではと思うことが盛りだくさん
の内容で、麻子を大きく受け止められる夏子になっていたことに感動しまし
た」 と話します。

 「私も大きくなって浅野温子を受け止められる女性になったかな」 とユー
モアたっぷりに付け加えました。


130321-i049_02.jpg


  劇中では2人のファッション、ヘアメーク、ライフスタイル ・・・・・ すべて
がバブル時代の象徴でした。

 当時を振り返り、「特に物欲もなく、どうありたいかもなかった」 という温子
に対して、ゆう子は「私は物欲の塊で、買ったものを抱きしめていましたね」
ドラマでのキャラそっくりの2人。

 そんなゆう子も 「40代に入るとそんな欲もなくなり、今は浅野温子を抱き
しめたいと思います」 温子も 「私も。 年を取るとお仲間は多い方がいいで
すよね」 と笑いっぱなしです。

 「昔、大人だと思っていた50代は、実際になってみて実は大人ではなか
った今の私たち」 「50代のトレンディードラマになればいいなと思います」
という2人。

  プロデューサーは「連ドラの放送は、男女雇用機会均等法が施行された
翌々年に放送された。 『女性が輝いて生きていこうよ ! 』 ということを世の中
の女性の代表として 「W浅野」 のお二人が見せてくれた作品ではないかと
思います。

  麻子は今も独身キャリアとして活躍中。 結婚している夏子は子供は産め
なかったという形で今50代を迎えている。 Over50で、なおこんなに輝いて
いるんだ、若くて元気できれいなんだというところをお見せしたいと思います」。


  無題.png


  今回の 「抱きしめたい ! Forever 」 では、ドラマの中の麻子と夏子が経
てきた25年、それを演じる浅野温子・浅野ゆう子の2人が現実に経てきた
25年、そしてさらに、女優という職業を続けてきた魚住温子と赤沢裕子とい
う女性が経てきた25年、これら3つの25年の人生を重ねながら見ると面白
いと思います。 楽しみです。

 スペシャルドラマは女性チャンネル 「♪ LaLa TV(CS)」 でも10月11日午
後11時から別バージョンが放送されます。

 

 ・・・・・・ このドラマが放送された88年というのは、時代的にはバブル後期
という感じだと思います。 このドラマは、時代を区切る象徴的な作品で、ここ
から 「トレンディードラマ」 という新しいドラマの流れができていきました。

  そういう意味では 「トレンディードラマ第1号」 ともいえるドラマです。 また、
そういう作品だからこそ続編が作られるのでしょう。


275ee168161c13c9015c9e11658eadaf.jpg 275ee168161c13c9015c9e11658eadaf.jpg


 プロデューサーの言葉に、世の中の女性を代表して 「W浅野」 に輝い
ている50代を演じてほしい、という部分がありましたが、トレンディードラ
マでというのはその特徴として、ドラマ史上はじめて女性の視点から描か
れたドラマである、というコトがあります。

 もう少しくわしく言うと、トレンディードラマというのはその特徴として、美
男美女がだけが登場し、さわやかでおしゃれな恋愛をする。

 ドラマの中の人物は、ディレクター、カメラマン、デザイナーなどのかっ
こいい職業についていて、流行のモノを着こなし、身につけて、かっこい
いクルマで流行のおしゃれなお店に行く。

 主人公は、ウォーターフロントなどの高層マンションの高い階に住んで
いて、ベランダからの景色は最高、部屋は生活観がうすいデザインルー
ムのようなきれいな部屋。

 という、当時の女性の理想をそのまま映像として具現化した、時代のプ
ロモーションビデオのようなものでした。 それは少女マンガの視点にも似
ています。

 その結果、物語りの内容自体はあまり重要ではなく、その雰囲気を楽し
むドラマであるということになります。

 実際、この 「抱きしめたい」 はその代表格で、当時このドラマを欠かさ
ずに観ていた人も、映像や各シーンの映像は頭に残っていても、物語の
内容を覚えているという人はほとんどいないと思います。

 くりかえすと、トレンディドラマというものは、消費して雰囲気を楽しむも
のなのです。


  じつは、トレンディードラマという新しい潮流を生み出す原動力になって
いたのが、テレビ局としてのフジテレビ自体のブレイクです。

 80年代の前半、それまでは明らかに日テレ・TBSという2大民放局の後
塵を拝していたフジテレビが、会社のキャッチコピーとロゴマークを改め、一
気にイメチェンを図りデビューすることになります。

  以降フジテレビは怒涛の快進撃を続けていくことになるのですが、「抱き
しめたい」 を始めとするトレンディードラマも、フジテレビがブレイクしていく
勢いに乗って人気を得ていきました。

  このあと vol.2 以降で、そのへんのコトも含めて、ドラマ30年史のよう
なお話をしていこうと思います。 

 88年放送の「抱きしめたい」 が、時代の流れの中でどういうトコロに位置
し、どういう意味で画期的だったのかということについて説明していこうと思
っています。

 興味のある方はお読みください。

 
M03731105-01.jpg  20130326110618.jpg


つづきもUPされています。 同じ題名の vol.2 として出しますので、
ヨロシクおねがいしまーす ! !
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-06-26

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

金八先生 平野 「3年B組金八先生」 の魅力を完全解説! [テレビドラマ]

 「3年B組金八先生」は、1979年の第1シリーズから2011年のファイナル
まで、32年間に渡ってTBSで放送された学園ドラマです。

 「金八先生」は、日本学園ドラマ史上の最高傑作というだけでなく、日本テ
レビドラマ史上最高のドラマと評価される場合もあるほどの傑作ドラマです。
最高視聴率はパート1最終回の39.9%。


 リアルタイムで見ていた世代からすると、パート1、パート2と、それ以降の
シリーズは別物だと考えてほしいという意見も多く、それはちょうど、ガンダム
シリーズの中で、ファーストガンダムだけが別格だとされているのと同様だと
思います

 このドラマの特徴として、描く内容が非常に正統派的だというのがあります。
原作・脚本の小山内美江子さんは、毎回毎回の話の中で、同時代の中学校
が抱える問題を一つ一つ正面から取り上げます。

 それは例えば、内申書の問題、数学を学ぶ意味、いじめの問題、優等生が
陥りやすいい思春期心身症、初恋の問題、試験を行う意味、家計と進学の
問題、落ちこぼれの問題、進路決定の三者面談、東京の中学生が他県に比
べて理科社会が弱い、裏口入学、そして高校入試にまつわる諸問題。

 金八先生というと、15歳で妊娠・出産であるとか、校内暴力で生徒が警官
隊に逮捕されるとか、そういうショッキングな場面が語られるコトが多いので
すが、実際はそういう部分はごくわずかです。

 「金八先生」 がそれ以外の学園ドラマと違うのは、それ以外の学園ドラマが
中学校生活を通して主人公の人生を描いているのに対して、「金八先生」は、
坂本金八という教師を通して中学校というモノそのものを描いているというい
のがあると思います。

 若い頃の金八というのは本当におかしく。 パート1、2に限っては、全体とし
てギャグドラマのような感じがありました。 パート3以降では金八が落ち着い
てしまい、笑いをとるという部分でずいぶんパワーダウンしてしまったというの
があります。

 「金八先生」 がここまでのドラマになった一つの理由として、パート2の面白
さがパート1を超えたからだというのがあると思います。

 パート1は、とてもショッキングな内容でした。 杉田かおる演じるクラスの優
等生が家庭でさまざまな問題をかかえています。 それに対して、クラスメイト
で同じく優等生の男の子が相談相手になってあげるのですが、やがて2人は
恋に落ち、結婚の約束をします。 そして、そのための「誓の儀式」 として、一
度だけ結ばれるのです。

 このように、妊娠・出産というのは、そこに至らざるをえない事情があったの
ですが、それでもやはり、1979年当時としてはかなりショッキングでした。

 妊娠した女の子には東大の受験生である優等生にお兄さんがいるのです
が、そのお兄さんは、親のせいで 「勉強以外は何もできない」 という人間にな
ってしまっています。 超一流受験校に通うお兄さんは東大合格の実力を持っ
ているのですが、東大入試に失敗してしまいます。

 父親と共に発表を見に行った帰り、自分の番号がないことに絶望したお兄
さんは、東大スグそばの陸橋から電車に飛び込んで自殺してしまうのです。
父親が見ている目の前で。

 すると、事件を聞きつけたマスコミが大挙してこの家に押し寄せ、大混乱に
なってしまいます。

 このように、最終回に向けてさらに畳み掛けるよう事件がおこり、見ている
方にとっては本当にショッキングだったと思います。


 ・・・・・・ パート1の大人気を受けて、パート2が作られるのですが、こういう
場合、パート2はパート1を超えられないのが普通です。 しかし、パート2の
「加藤優(まさる)」 と「松浦悟」 のインパクトは、あっさりとそれを超えてしまっ
たのです。

 加藤優という生徒も、家庭が大きな問題があり、いわば不良にならざるを得
なかったという事情を抱えた生徒です。 前校の荒谷二中で問題を起こし桜中
にやってきます。

 加藤は、イロイロと問題を起こしながらもだんだんとクラスに馴染んでいき、
冬になると就職先も決まって、無事に卒業式を迎えるかに思えたのですが、
卒業式の直前、前校の仲間たちにどうしてもと頼まれ、やむなく荒谷二中に
乗り込むことになってしまいます。

 加藤が登場すると、二中の生徒全体が興奮状態に陥り、学校は生徒たちに
よって破壊されます。

 その後加藤たちは、校長と一部の教師を連れて校長室に立てこもり、そこか
ら校長との話し合いの様子を全校に向けて放送し始めるのです。

 そこに通報を受けた数十名の警官隊がやってきます。 その様子は、噂を聞
きつけてやってきたテレビ局によって世間に生中継されています。

 やがて、業を煮やした警官隊がついに校舎に突入し、加藤たちは手錠をか
けられ護送車で連行されていくのです。

 このシーンは、名場面として今でも語り継がれています。

 いまだにご覧になったことがない方は、ぜひご覧になってください。 そして、
最近ずっと見ていなかったという方も、あらためてご覧になってはいかがです
か?

ずっとあなたが好きだった ストーリーは? どんなドラマ? 特徴は? [テレビドラマ]

  「もてもてナインティナイン」 に佐野史郎さんが出演され、佐野さんの
出世作ドラマ 「ずっとあなたが好きだった」 が話題となっているようです。

じつは佐野さん、この1本だけでいまの地位を築いたといっても過言
ではあません。


aeb3694fb915badabed3d1a85da0c11f.jpg


ドラマの内容ですが、昔の恋人(布施博)と結ばれることができなかっ
た賀来千香子さん演じるヒロインが佐野史郎さんが演じる 「冬彦」 とい
う男性と結婚します。

  しかし、この夫や姑(野際陽子)の持つ特異なキャラクターに耐えられ
なくなったヒロインが元恋人に助けを求め、やがて2人は結ばれる。 め
でたしめでたし。 というストーリーになっています。

  このドラマは本来、この、この恋人2人が苦難を乗り越えて結ばれると
いうというストーリーこそがメインでした。 このことは 「ずっとあなたが好
きだった」 というタイトルにも表れています。


30a4f0b4def6b833d906ff3771e95e97.jpg


  しかし放送が進むにつれ、視聴者はそれとはちがう部分に注目し始め
ます。 観る人は、佐野さん演じる「冬彦」 という人物の、あまりの奇怪な姿
から目が離せなくなってしまったのです。

  このことは視聴率にも表れていて、初回放送が13%と低かったのに対
して、その後の冬彦さんブームにつれて上昇していき、最終回に至っては
34.1%を記録しました。

この数字は92年度のドラマ最高視聴率にあたるのですが、ドラマ前半の
視聴率が低かったために、全体の平均視聴率は20%に届きませんでした。


0bbb6c223468aed9bcc3aa7edb1ce66d.jpg


 冬彦という人物は、表向きは超エリートで、超一流会社に勤務しています。
しかしその母親が狂気に満ちていて、常に息子のそばを離れず自分と息子
は一心同体だと思っています。

 その結果、息子の方も極度のマザコンになってしまっており、 人格もおか
しくなっています。 例えば、世界中の蝶の標本を集めるというのが趣味だっ
たり、部屋の中には、大人になった今でも木馬があって、ときどきそれに乗っ
てゆらゆらと遊んだりもします。


img_471458_5824643_0.jpg


 ・・・・・・ というか、冬彦さんの 「あぶなさ」 につての全貌をすべて文章
で説明するのはムズカシイところがありますので、ぜひ実際にご覧になっ
てみてください。

じつは当時の佐野さんは、未だほとんど世間に認知されていない存在
でした。 そのため、視聴者からするとドラマの中の冬彦さんに佐野さんの
イメージが混ざってしまうということがなく、冬彦さんには非常にリアリティ
がありました。

また、佐野さんがこのドラマ1本だけで今の地位を築いてしまったという
事実が、佐野さん演じる冬彦という男がいかに破格のキャラであったのか
を物語っています。

当時この 「冬彦さん」 というコトバが流行語のようになり、また、マザ
コン男性が増加しているコトを指して 「冬彦さん現象」 という言い方がなさ
れるなどの社会現象を巻き起こしました。
 
 このドラマでは過激な場面やタブーを犯すようなシーンが多く、それ以降
の一時期、「高校教師」 「悪魔のKISS」 「家なき子」 などの過激な内容の
ドラマが流行しました。

  また、「ずっとあなたが好きだった」 の続編として「誰にも言えない」という
ドラマも作られました。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

あまちゃん じぇじぇじぇ キョンキョンと清原和博の共通点  [テレビドラマ]

 今年度のNHK連続テレビ小説 「あまちゃん」 がとても好評を博している
ようだ。 視聴率は連日20%超えが相次ぎ、週間ベストテンの上位を独占し
ている。

 5月10日に配信された番組のオープニングテーマ曲は、レコチョクでラン
キング1位を獲得した。 オリジナルサウンドトラックも人気で、売り上げチャ
ートの上位を占めている。

 また、ドラマの中によくでてくる 「じぇじぇじぇ ! 」 というセリフがブレイクの
兆しを見せ始めているようだ。 これは物語の舞台である岩手県三陸地方
の方言で、驚いたときに反射的に出てしてしまうコトバだ。


 o0432024312513937281.jpg
 saved_quote_image_290977.jpg


 「じぇじぇじぇ ! 」 がフルバージョンで、「じぇ ! 」 や 「じぇじぇ ! 」 という短縮
版もある。

なんでもその回数は、驚きの度合いに比例するのだという。

 「じぇ ! 」は、ドラマの中で出し惜しみなく連発される。 人も選ばず、誰の口
からでも発せられる。

 ことにキョンキョンが発すると、あの “渚のはいから人魚”であったキョンキ
ョンが、“生徒諸君”でボーイッシュだったキョンキョンが、こういう役でこういう
コトバを発するようになったのか !? というメタレベルの気持ちになってしまっ
て妙に感慨深い。

 そういう意味では、やはりキョンキョンはエンターティナーとして別格なんだ
なぁー と思ってしまう。 役を演じながらも、それと同時に素の部分人生まで
も見せることができる数少ない選ばれた人だということ。 野球で言うと清原に
極めて近い。

 上で、「じぇ ! 」というのは岩手県三陸地方の方言だと便宜上書いたが、じ
つはそのような広い範囲で用いられている方言ではなく、ごく限られた地区
の、しかも海女さん間だけで使われる業界用語のようなものらしい。

 スタッフが現地にロケハンに赴いた際に言葉を交わした海女さんが会話の
中で実際に口にしたコトバだという。

 スタッフによると、「じぇ ! 」 は今後もドラマの中で毎回登場するという。

 もちろん流行語大賞も視野に入っている。今後もし流行るようになれば、時
期的には完璧だ。

 「今でしょ ! 」 vs 「じぇじぇじぇ ! 」 というカンジなのかな?

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ
- | 次の10件 テレビドラマ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。