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ガリレオと科学革命 ② [学問・教養]

 それではつづきです。 コペルニクスに続いてガリレオの解説です。

 その前に補足を。 「はじめに仮説をたてて、その後実験によってそれ
を確かめる」 という科学の手法そのものをガリレオが考え出したという
ことを書きましたが、

 詳しく調べたところ、ガリレオ以前にもイブン・アル・ハイサムという11
世紀アラビアの学者や13世紀イギリスのロジャー・ベーコン、16世紀
のウィリアム・ギルバートといった学者が同様の手法をとっています。

 しかしガリレオもその最初期の1人であり、科学的手法を広く人に知
らしめたのはやはりガリレオであるといえるでしょう。

 またガリレオは、実験の結果を数学で記述し分析するというこれまた
科学の根源的な手法を採用し、こちらの方は、まさにガリレオが少なく
てもヨーロッパでは最初の人である。


 ②.ガリレオ・ガリレイ (1564~1642) はイタリアの物理学者、天文
学者、哲学者。 ピサ大学教授、バドヴァ大学教授として数学、天文学
を教えた。

 ガリレオのいちばんの武器は望遠鏡で、当時ネーデルランドで開発
された10倍の望遠鏡をいち早く手に入れ、自ら20倍の倍率に作り変
えた。

 これによって月のクレーターや木星の衛星、金星の満ち欠けや大き
さが変わることを発見。 さらに太陽の黒点を観測した。 また、天の川
が無数の恒星の集まりであることを発見した。 望遠鏡の見過ぎによっ
て晩年に失明している。

 物理学においては 「振り子の法則」 や 「落体の法則」 (1). 落下にか
かる時間は物体の質量には依存しない (2). 物体の落下速度は、落下
時間の2乗に比例する

 天体の軌道は円であると主張し、ケプラーが楕円軌道説を発表した
あとも自説を曲げなかった。 主著は 『天文対話』。


 ③.ヨハネス・ケプラー (1571~1630) はドイツの天文学者。1599年、
プラハの大観測家のティコ・ブラーエに招かれて、ともに天文台を建設し
て21年にわたって天体の観測をつづけた。

 ケプラーのいちばんの業績は、数学的な裏づけを持った物理モデル
を提出することであったと言われている。 たとえば、太陽系の空間を半
球・立方体・三角錐などの模型を組み合わせて表現するようなこと。

 ケプラーの第1法則(楕円軌道の法則)は、惑星は、太陽を1つの焦
点とする楕円軌道上を動くということで、第2法則(面積速度一定の法
則)が意味するのは、惑星の移動速度は太陽に近いところでは速度を
増し、遠いところでは速度を落とすということである。

 第3法則(調和の法則)は、惑星の公転周期の長さは長半径のみに
依存して決まるということを意味する。

 またケプラーは、距離の2乗に反比例する何らかの力によって惑星が
太陽に引かれていることには気づいていたが、その力の正体を解明す
るまでには至らなかった。


 ④.アイザック・ニュートン (1642~1727) はイギリスの物理学者、哲
学者、神学者。 ニュートンによって近代物理学(古典物理学)は完
成したとされる。 また、最後の錬金術師とも言われている。

 相対論、量子論を経た現代にあっても、両理論が扱うような極大・極
小の値でなければニュートン物理学で足りるため、一般的な計算につ
いては現現在でもニュートンの理論が用いられる場合が多い。

 ちなみに、ニュートン物理学の哲学的な基礎付けをしたのがドイツの
哲学者イマニュエル・カントである。

 ケンブリッジ大学に入学して学び、卒業後も大学に残り、フェローとし
て研究をつづけた。

 1687年、主著である 『自然哲学の数学的諸原理』 を刊行した後は、
大学ではなく実務的な世界で地位を得たいと望むようになり、下院議
員になる。 その後王立造幣局長官に任命された。

 1704年にもう一つの主著である『光学』を刊行するが、それ以外は
科学よりも聖書研究や錬金術の実験などに没頭した。 ニュートンの蔵
書は科学関係の本よりも哲学や神学に関する本の方が多いことが知
られている。


 ・・・・・・ 以上、ニュートンによって古典物理学(相対論、量子論が誕
生する以前の物理学)は完成したとされています。 古典力学でも原子
の大きさから宇宙の大きさほどまでのスケールであれば事足ります。

 現代物理学への橋渡しとしてもう1つ重要なのがなのがマクスウェル
の電磁気学です。 一般に電磁気学はとっつきにくいのですが、重要な
部分がいくつも含まれているので合わせて解説していきます。

 アインシュタインも、私はニュートンよりもマクスウェルに多くのものを
負っている。 相対性理論は基本的にマクスウェルの電磁気方程式を発
展させたものである、と述べています。

 ⑤.ジェームス・クラーク・マクスウェル (1831~1879) はイギリスの
理論物理学者で、古典電磁気学を確立した。

 いちばん大事なのは、光は横波であり、電磁気と一体の現象であると
いうのを発見したことである。 従来、光については粒子であるという説と
波であるという説が対立してきたが、それに一応の決着をつけたカタチと
なる。

 しかし現代に入ると、光というのはこの宇宙の中でもっとも根源的で
特殊な存在だというのがわかり、光は粒子(光子)でもあるとされている。

 つまり現在では、光は粒子としての性質、粒子としての振る舞いも見
せるが、波の性質、波としての振る舞いも見せるというのが解っている。

 あまり厳密な言い方ではないが、およそ電気と磁気は同じものである。

 電磁気学によれば、身の回りのほとんどの現象は電磁的現象として
理解できるという。

 電荷は物質に固有の物理量であり、物質と電磁場との結びつきの強
さを表す量である。 電磁場は時空の各点が持っている物理量であり、
物質間の電気的作用と磁気的作用を媒介する。

 電磁場は電荷と電流(電荷の流れ)に影響を及ぼす。 この力を 「ロー
レンツ力」 という。 逆に、電荷と電流の存在は電磁場に影響を与える。
この影響ならびに電磁場の振る舞いは 「マクスウェル方程式」 で記述
される。

 この2つ、ローレンツ力とマクスウェル方程式が電磁気学のもっとも基
本的な法則である。 マクスウェル方程式からは理論的に波動方程式が
導出されるため、マクスウェルは電磁波の存在を予言した。

 そして電磁波は1888年、ハインリヒ・ヘルツによる実験で発見された。

 
 ・・・・・・ こうして古典物理学が完成したのだが、“古典”物理学という言
い方はもちろん後世からみた呼び方である。 19世紀当時の科学者たち
は、ニュートン物理学とマクスウェル方程式とローレンツ力によれば世の
中の全ての現象を理解することができると考えていた。

 19世紀末、ヨーロッパで世界中の主な科学者を集めてのシンポジウム
が開かれ、代表者によって “科学の勝利宣言” がなされた。

 「過去数百年において、幾多の偉大なる先人たちによりなされた業績
によって科学は進歩し、我われの世代に至ってついに完成の域に達した。

 全宇宙の法則はその全てがほぼ解明され、残る課題ももはや瑣末な事
象のみである。 そしてそれらもごく近い将来、我われの世代によって成し
遂げられるであろう。

 我われは勝利した。 神の座に近づいたと言ってもいい。 我われは勝利
したのだ ! ! 」


 ・・・・・・ しかし、この会合から数年後の1902年、アインシュタインによる
特殊相対性理論が発表される。

 これにより科学者たちは、 勝利宣言はあさはかな思い込みであり、この
宇宙はもっと奥が深いものであるというのを思い知らされることとなった。


 以上で 「ガリレオと科学革命」 は “The End” となります。

 つづきとして 「アインシュタインと現代科学の誕生」 を書こうかなと思って
います。

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ガリレオと科学革命 ① ~ 人類が経験した4つ目の革命 ~ [学問・教養]

 大きく見て、人類はいままでに4つの大きな革命を経験してきました。そ
れは、農業革命、都市革命、商業革命、科学革命(産業革命)の4つ。

 まず、農業革命というのが紀元前8000年頃に中央アジアで起こります。
これは、人類が農業を発明し、それによりそれまでの狩猟・採集・漁労生
活から脱出していくことになったということです。

 つぎに起こったのが都市革命で、紀元前3000年頃のことです。 このエ
ポックのことを世界史では「世界四大文明が誕生した」 という言い方をした
りします。

 次が起源前800年頃に起こったとされる商業革命。 ちなみにこの商業
革命は、ほかの3つと比べると少しマイナーで、歴史の教科書などで語ら
れる量もあまり多くありません。

 この頃に行商人という人たちが誕生し、彼らは人間が集まって住む集落
から集落へと移動をくり返しながら商売をしていくのですが、彼らが他の地
域から集落にもたらす情報によって、それまではおのおのが孤立していた
集落の中で知識や価値観の相対化がおこり、それが新しい思想や宗教を
生み出していく原動力となっていったということです。

 そしてルネサンス後16世紀のヨーロッパ、とくにイタリアにおいて科学革
命が起こります。 ルネサンス期において錬金術師と呼ばれた人たちや、レ
オナルド・ダ・ヴィンチらの影響をうけた自然哲学の研究者たちがやがて科
学者へと発展していくのですが、具体的にガリレオ・ガリレイの誕生をもって
科学の誕生というふうに考えることもできます。

 ガリレオ・ガリレイ は、のちの科学者たちに決定的な影響を与えた偉大
な学者です。

 なぜ彼が偉大なのかというと、そして、ここが大事なところなのですが、ガ
リレオは、科学の手法そのものを考え出した人だからです。

 科学の手法というのは、「まず頭で考えて仮説を生み出し、その後、その
仮説を実験することによって確かめる」 ということです。

 ガリレオ以降、ケプラーもニュートンも、ダーウィンもアインシュタインもホ
ーキングも、現在に至るまでのすべての科学者が、この手法によって科学
を発展させてきました。

 また科学革命は、のちの産業革命と結びつくことによって経済的な基盤
を獲得し、さらに国家という後ろ盾を手に入れることによって飛躍的に発展
していくことになるのです。

 ちなみに、科学の手法ということについてガリレオ以外で重要なのが、2
人のベーコン、ロジャー・ベーコンとフランシス・ベーコンです。

 後者は 「帰納法」 を確立させた人物として有名である。


 それでは、ココからはすこし詳しく見ていきましょう。

 科学にもイロイロなテーマがありますが、ココではやはりガリレオも関わ
った 「自然界の法則と宇宙の解明」 というテーマについて紹介していきま
しょう。

 古代ギリシア以来、ヨーロッパやイスラム世界においての自然界に対す
る考え方やイメージはアリストテレスの自然哲学が一般に信じられていま
した。

 アリストテレスの自然観は 「目的論的自然観」 と呼ばれ、全ての物質は
存在している原因と目的を持っていると考えます。 よって、この自然観によ
ればこの世界は非常に意味に満ちたものでした。

 それに対して、デカルト以降の自然観は 「機械論的自然観」 と呼ばれ、
この世界は等質で無機質なものだとされています。

 アリストテレスによれば、この世界に存在する物質はヒューレー(質料)と
いう全てのモノに共通の材料に対してエイドス(形相)というそれぞれの物
質によって異なる特性が与えられることで成り立っています。
 
 これらの物質は、それぞれ質料因・形相因・目的因・始動因という原因を
持ち、かつ目的を持って存在しています。 物質はまた、地・水・火・風 いず
れかの性質を持っているとされています。

 アリストテレスの自然学は、彼1人のオリジナルではなくて、500年にわ
たるイオニア哲学の歴史やプラトンの影響の上に成り立っています。

 アリストテレスの自然観は、その後ルネ・デカルト(1596~1650)によって
乗り越えられます。 デカルトはガリレオ(1564~1642)と同時代の人で、近
代哲学の祖として知られています。

 西洋哲学の長い歴史の中で、デカルトはプラトン、カントと並んで間違い
なくベスト3に入る哲学者です。

 私たちが持つ自然観=デカルトの自然観といってもイイと思います。

 デカルトは従来の感覚的、物活的世界観を否定して、力学的法則が支
配する客観的世界観を見出した点でものすごく重要です。

 物体の基本的な運動は直線運動で、動いている物体は抵抗がない限り
動きつづけるという 「慣性の法則」、一定の運動量が宇宙全体で保存され
ているという 「運動量保存則」 などが含まれます。

 また、数学的における座標的という考え方もデカルトからきています。

 デカルトの思想は膨大で、ここに挙げたものはごく僅かに過ぎません。


 さて、初期宇宙論の発展についてはふつう、コペルニクス-ガリレオ-ケ
プラー-ニュートン という流れで説明されますので、ここでもそれに従って
解説していきます。

 ①.ニコラウス・コペルニクス (1473~1543)

 ポーランドの天文学者、カトリックの司祭。 それまでの天動説を否定して
「太陽中心説(地動説)」 を唱えた。 彼の地動説は、もともと新プラトン主義
の太陽信仰を解釈するための理論であったと言われ、そのような宗教的な
理由から、彼にとっては1年の正確な長さを知ることが非常に重要であった。

 そこで彼は、太陽以外の恒星を基準にして公転周期を割りだす天動説的
な考え方を改め、太陽を中心に定めてそれを基準にして計算することで1年
の正確な長さを割りだした。

 そして彼は、自らの方法による天体の測定方法や計算方法すべてを 『天
体の回転について』 という著書に記した。

 これにより、誰でもが同じ方法で1年の長さや惑星の公転半径などを測定
できるようになったが、彼が “地動説の創始者” だとされるのはこの業績に
よるものである。
 
 ガリレオは木星の衛星や金星の満ち欠けなど、地動説の有力な証拠をいく
つも発見してこの説を強く支持したが、宗教裁判によって撤回させられたのは
有名である。

 ちなみに、ローマ法王庁は1992年、ガリレオ裁判の誤りを認めガリレオの
異端決議を解く声明をだした。 また、その後もガリレオの業績を高く評価する
旨のコメントを数回発表している。

 地動説は天文学史上最大の発見だと言われることもあり、地動説の生まれ
た時代を科学革命の時代だとする場合もあるほどの発見だとされている。
 

 ② につづきます
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-13-5

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しきそくぜくー [学問・教養]

 「色即是空」 について説明します。 ですが、このコトバを理解するためには仏教
について一通りわかっていた方がいいと思われるので、まずは仏教について大雑
把説明していこうとおもいます。

 ですがですが、仏教について理解するためには、その背景となっているものごと
について多少なりともわかっている方がいいと思いますので、ここはひとつ、もっと
ずーーーー っとさかのぼって、人類の歴史についての説明から始めていこうと思い
ます。

 ですから、「色即是空」 の意味だけを手っ取り早く知りたいという方は、ほかのブ
ログをご覧になったほうがよろしいかと思います。 そうではなくて、イロイロと広く
知りたいという方は、このつづきをお読みになってください。

 それではスタート!

 人類は、その歴史の中で、現在までに4つの大きな革命を経験してきました。 それ
は、農業革命、都市革命、商業革命、産業革命の4つです。

 まず、紀元前8千年頃、「農業革命」が起こりました。これは、人間が農業を発明し
たことによって、それまでの狩猟・採集・漁労生活から、つまりは “その日暮し” 的
な生活から脱皮していくことになったということです。

 人間にとって、この農業革命のもつ意味はとてつもなく大きいものがあります。 な
ぜなら、この革命によって、人間に 「余剰」 と 「余暇」 が生まれたからです。

 はじめに 「余剰」 について考えます。 人間は、農業を行うことによって、その時に
必要とする以上の作物を手に入れることができるようになりました。 そして、この余
った作物は、先々のために貯蔵・備蓄されるようになっていきます。

 この余剰作物こそが、原初的な 「財産」 です。 つまり、私たちが銀行の口座に預
けている預金や、お父さんが持っている株券、そしてお母さんのへそくりなども、もと
をたどれば、この余剰作物にいきつくというコトです。 ⇒ ① (末尾)

 余剰財産が生まれると、それを奪うための略奪や戦争が起こるようになります。強
い物たちはいろんなものを自分で作るよりも弱い者から奪い取ったほうが早いわけ
です。

 さらに、余剰財産が生まれると、それらを分配した結果として貧富の差が生まれま
す。 そしてこれが固定化されると、身分の上下というものに発展していきます。

 次に 「余暇」 についてですが、 人間が狩りや木の実ひろいや魚釣りなどに頼って
生活していた頃は、毎日毎日、その日に食べる分の食料を手に入れるだけ必死だっ
たと思われます。 遊んでいるヒマはありません。 狩りをするというコトは、身を危険
にさらすということでもありますから、精神的にも緊張しっぱなしというカンジだったこ
とでしょう。

 一方、農業というのは年がら年中つねに働きっぱなしというものではありません。
一定の作業をこなせば、あとは放っておいても勝手に育っていってくれるワケです。
するとそこに余った時間というものが生まれます。

 こうして人間は、はじめて 「自由な時間」 というものを手に入れることになりました。
つまり、この 「余暇の誕生」 こそが、のちの文化や文明すべての前提になっている
ということです。

 この他にも、「農業革命」の結果として人間が一ヶ所に定住するようになったことが
挙げられます。 これはまず、農業をするためには一ヶ所に定住する必要があるとい
う面と、狩りをしていた頃のように、動物のあとを追ってつねに移動を繰り返すという
必要がなくなったという面の両方の理由があります。

 さらに、農業を行うためには比較的大きな集団が必要なことから、人間の集団の
規模が以前よりもさらに大きくなっていったということもあると思います。

 さて、次は「都市革命」です。 年代的には紀元前3千5百年~紀元前3千年頃にな
ります。 これは、学校で習った世界四大文明という、あのあたりの話です。

 農業革命以来、長い長い年月、およそ5千年の歳月が経過しました。 この頃にな
ると、バビロニアに代表されるような、巨大な城壁で囲われた都市国家が誕生する
ワケです。 長い年月が経ったので、余剰財産の蓄積もさぞかし大きくなったことでし
ょう。 それこそ、巨大な城壁を築いて守りたくなるほどに大きな財産に成長したよう
です。

 さらに、ここではすでに身分の上下によるヒエラルヒーができています。 貧富の差
が固定されて久しいというコトですね。 そして、人間に余暇というものが生まれたこ
によって、その生活や活動に幅が生まれました。 それが役割分担として表れていま
す。 宗教家や軍人、商人のような人もいたかもしれません。


 都市全体が堅固な要塞となっているところを見ると、戦争が頻繁におこっているよ
うです。また、宗教家は存在するようですが、この段階では、いまだユダヤ=キリスト
教やイスラム教のような高度な教義体系をもった宗教は存在しません。


 それではつづいて「商業革命」 です。 紀元前8~7世紀頃だといわれています。 仏
教は、この商業革命の影響をうけて誕生しています。 それはどういうことなのでしょう
か?

 ここで思い浮かべてください。 現在の東京23区を上空から見てみると、おそらく人
が住んでいる区域がほとんどで、その中にほんのわずかに公園などの緑の区域が
ポツンポツンと点在しているというカンジだと思われます。

 これに対して、商業革命の頃の世界を上空から見てみると、まったくの逆で、ただひ
たすら森林があって、その中にポツンポツンと、小さな人が住む集落があるというカン
ジだったと思われます。 大海原に小さな島が浮かんでいるようなカンジ。

 つまり、その頃の集落はお互いに孤立していて閉鎖的だったということです。 そうな
ると、それぞれの集落では独自のしきたりや、因習、こり固まった伝統などに支配され
ていたにちがいありません。

 そこに商人たちが入ってきたのです。 ここでいう商人というのは、店を構えている商
人ではなくて、行商人、つまり馬や馬車、らくだなどに荷物=商品をたくさん積んで地
方から地方、集落から集落へと移動を繰り返しながら商売を行っていた人たちです。
その規模については、小さいものから大きいものまであったと思います。

 この人たちが運んできたものは品物だけではありませんでした。 離れた地域の情報、
ニュース、ちがった価値観などなど。

 その結果、思想や価値観の相対化がおこりました。思想上の大混乱です。 伝統的
なものが疑われ、何が正しいのか分からない ・・・・・・


 こうなると、社会には当然変革が起こります。 じつはこの時代、このような思想上変
革が、世界同時多発的に起こっています。 インドでは、これからお話しする仏教やジャ
イナ教。 ギリシアではギリシア哲学のルーツであるイオニア学派の自然哲学、そして
中国では諸子百家といわれる多くの思想。 すこし遅れて日本にも仏教が伝来し、聖徳
太子が心を奪われます。

 ちなみに、中国のビッグネームである孔子大先生もこの時代の人物です。 孔子とい
えば言わずと知れた儒教の開祖にあたる人です。


 ここでひとつ面白い話があります。 仏教の開祖であるシャカという人物は、バラモン
教の改革派であって、新しい考え方を推進しようとしていこうとする立場です。 これは、
キリスト教の開祖イエスが、ユダヤ教の改革者であったのと同じです。 しかし、それに
対して儒教の開祖である孔子は、それとは反対の側、つまり伝統的な思想守り抜こう
という立場、反動の側の思想家なのです。

 「最近はやりの新しい考え方には、どうも良くないところがある ・・・・・」

 ですから孔子の思想というのは、「先祖を大切に」 であるとか 「礼儀や伝統的なしき
たり、習慣を重んじなさい」 というふうになるのです。

 ところで、商業革命の結果として、もう一つ、以前よりもさらに貧富の差が拡大した
ということも起こりました。 これは、貨幣経済が浸透し始めたとか、商人がぼった食っ
たとかイロイロあると思いますが、傾向として、富める者はより豊かに、貧しい人はさ
らに貧しく、極貧状態になっていったということです。

 さあ、いよいよ仏教の時代までやってきました。 仏教の成立年代については紀元前
6世紀という説と紀元前4世紀だという説があるのですが、そんなのはどっちでもいい
のです。 要は、商業革命の帰結として、社会が変革の時期にあったということです。

 当時のインドは、伝統的なバラモン教が支配的でした。 バラモン教というのはカース
ト制度をウチに含む、のちのヒンドゥー教の元となった宗教です。 とは言っても、社会
のあり方や生活様式のすべてを規定しているものですから、一般に言う宗教よりも、よ
り広い概念であると考えてください。

 それではまず、シャカという人物について少し触れておきましょう。


 この人は、サカ (シャカ) 族というクシャトリア階級の一族の王子で、 名前をゴーダマ
=シッダールタといいます。 サカ族の王子なのでシャカと通称されるということです。

 クシャトリア階級というのは、カースト4階級のうちの2番目の階級で、戦士・軍人階級
のことです。 バラモン (司祭階級)、クシャトリア (戦士階級)、ヴァイシャ (平民)、シュ
ードラ (被支配階級)。

 さて、王と妃は、つまりシャカのご両親は、シャカが清い心を持った人間になるために、
この世に存在するネガティブな物事、死、病、苦、貧 といったものを一切見せないように
して育てました。 そのため、シャカを城壁の外にも出しませんでした。

 やがて17歳にまで成長したシャカは、初めて城壁の外に出て、付近を見て回ります。
するとそこには、今までに見たことも聞いたこともないものがあふれかえっていました。
今までは知らされなかった、死、病、苦、貧 といったコトです。 衝撃を受けたシャカは、
この時に出家を決意したとされています。

 ・・・・・・ 修行を積んだシャカは、やがて悟りを開きましたが、シャカの思想というのは、
じつは宗教ではありません。 シャカ本人も、自らの思想が宗教だとは思っていなかった
はずです。 そもそも彼の思想の中には、神であるとかあの世であるとか、そういった類
のコトバは一度もでてきません。 それどころか、シャカはそういう言葉・概念について考
えることを戒めています。

 つまり、「神であるとか、死後の世界であるとか、あの世とか、永遠とか、この世の果て
とか、そういう、いくら考えても答えがでないような事柄について考えたり問うたりしては
いけません。 そんなヒマがあったら、もっと本当に大事なことについて勉強するべきで
す」 と、シャカは言っているのです。

 ここは大事なところですが、 シャカの思想を一言でいうと、

 『(人間にとって) 苦しみが生まれる原因と、それについての対処法』 ということに尽
きます。 これ以上でも以下でもありません。

 上でのべたように、 この時代には社会の変動によって極貧にあえぐ人たち、人間以
下の生活を強いられる人たちがたくさんいました。 教育も受けることができなかった
それらの人々の頭の中は、きっと疑問だらけだったと思われます。

 「オレのこのみすぼらしい姿は何なんだ? どうしてこんなふうになってしまったんだ?
なんでこんなにツラくて苦しいんだ? 誰かおしえてくれ!」 というカンジではないでしょ
うか?

 そこにシャカが現れるワケです。 人間というものは、いま起こっていることの理由が
わからないとものすごく不安を感じます。 例えば、自分が朝起きてみたら、真っ暗な
部屋の中にいて、身動きすらできない、という状況だったとします。 この時、どうして
自分がこんな状況になってしまったのかという理由がまったく分からなければ、不安
でどうしようもありません。 頭がおかしくなってしまいそうです。 しかしこの時に、「ヤ
クザに捕まって監禁されて身動きできないように縛られている」 という理由さえ分かれ
ば心を鎮めることができるのです。

 同じように、当時極貧にあえいでいた人たちも、その理由が知りたいのです。

くり返しますが、そこにシャカが現れるワケです。 シャカはまず、そもそも苦しみと
は何ぞや? ということから説き始めます。 それではナゼその苦しみが生じるのか?
それならば、どうすればいいのか? ・・・・・・ と続いていきます。

 先に進みましょう。 シャカの没後、その教えはだんだんと宗教という衣をまといなが
ら後世に伝わっていきます。 これは一つには、神様であるとかあの世であるとか、そ
ういうコトバを用いたほうが民衆の心を捉えやすかったという理由があると思います。

 このように見かけ上、神だとか仏だとか言っても、思想の根幹部分がしっかりと伝わ
っていけば問題はありません。

 仏滅後しばらくすると、仏教は大きく2つに分かれます。 上座部と大衆部の2つです。
上座部というのは、ちゃんと出家をして、宗教的な戒律を守る生活をしなければダメだ、
という考えの人たちです。 宗教的エリートですね。 しかし、普通に暮らしている私たに
そんなことができるはずはありません。

 ということで、大衆部の方は「出家しなくても、多額のお布施をしなくても、戒律すべて
を守らなくても大丈夫、それでも救われますよ」 という、一般の人たちにとってはとても
ありがたい考え方を主張する人々のことです。 これが後に 「すべての民は救われる」
というふうになっていき、さらには 『悪人正機説』 のようなものまで現れます。

 ただ、ここで 「救われますよ」 と書きましたが、ほんとうはこれは間違い。 仏教という
のは実践宗教なのであって、自分で真理を見極めるためのものです。 他者(たとえそ
れが神であっても) に救ってもらうコトが目的ではありません。 救われる宗教の代表格
はキリスト教です。 仏教も時代が下ってくると「救われる」 という要素が出てきますので、
それをキリスト教の影響だと解釈することもできます。

 上座部の思想は、あまり私たちとは関係がないとも言えるので、ここではスルーします。
ただ、現在でもスリランカ (セイロン島)では、この上座部が主流となっています。

 もう一方の大衆部は、やがて 「大乗仏教」 といわれるようになっていきますが、日本の
宗派はすべてこちらの流れから生まれています。

 この大乗仏教には、大きな2つの思想の流派があります。

 それが 『中観派』 と 『唯識派』 です。 年代的には 紀元1~4世紀頃のことですから、
仏教思想の長い歴史の中では、比較的初期の方にあたります。 そして、この2つが仏
教思想の基礎になっている2つの大きな考え方だと言っていいと思います。

 それではまず、 『中観派』 から。 2~3世紀頃、龍樹(りゅうじゅ)= ナーガルージュ
ナが著した 「中論」 によって創始されました。 中観派の教義は般若経の影響を受け
たものであり、その基本となる概念は 「縁起」 と 「空(無自性)」 の2つです 。

 この世のすべての事物(=色)・概念は、「陰と陽」「因と果」「短と長」「無と有」 など、
互いに対・差異となる事物・概念に依存し、相互に限定し合い、差異的に成り立ってお
り、どちらか一方が欠けると、もう一方も成り立たなくなります。

  このように、あらゆる事物・概念は、それ自身のみで成立しているのではなく (無自
性)、他との関係によって相互依存的・相互限定的に成り立っていますが、これらの結
びつき、存在のあり方が「空(空性」 であるとされます。

 一方「縁起」についてだが、例えば、Aという事象の原因がBであって、そのBの原因
がCであり、Cの原因がDで ~  ・・・・・・ というように、この連鎖は無限に続くが、
これは、「あらゆる存在が相互に結びついている」 と考えることもできますが、 この全
体的な結びつきが「縁起」 だと言われます。

 しかし 「空」 と 「縁起」 の違いは微妙であって、例えば龍樹の言う 「空」 のことをシャ
カは「縁起」と言っていたりもするので、 あまり拘らずに、なんとなく分かればいいと思い
ます。


 次に 『唯識派』 は4世紀に現れた「瑜伽行唯識学派」 によって唱えられた認識論的
傾向を持つ思想体系です。 瑜伽行とはヨーガのことです。 現在の「ヨガ」 の源流はこ
こにあります。 この学派は中観派の「空」を受け継ぎながらも、それをさらに推し進め、
独自の教義を唱えています。 ⇒ ② (末尾)

 唯識では、この世界の事象すべては人が認識しているだけであり、心の外には何も
ないと考えます。 そして、あらゆる存在が個人的に構想された識でしかないならば、そ
れらは主観であって客観ではない。つまり諸存在は「空」であり実体のないものである
とされます(諸法空相)。

 さらに唯識では、最終的には心についてもその実体はないとされ、その存在を否定
されてしまいますが、 この点において西洋の唯心論とは決定的に異なっています。

 また、唯識には「アーラヤ識」という概念がありますが、これはユングのいう 「集合的
無意識」 と同様の考え方です。


 ・・・・・・ さてさて、いよいよ 『色即是空』 を理解するための土台ができました。 この
言葉は、一体どういう意味なのでしょうか?

 いくつかの解釈が可能だと思います。

 よく言われるのは、「世の中の事象(色)は、すべて実体がなく空なのであるから、そ
のようなものに執着するのはむなしいことだと理解しなさい」 という解釈ですね。

 これは逆に、「どうせすべては空なのだから、考え方次第で楽にやっていけるのだ」
というふうにも解釈できます。

 これ以外の解釈もありうると思いますが、ここから先は、みなさんが自分のアタマで
考えるのがよろしいかと思います。


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


 ①.この世の中に 「貨幣=お金」 が誕生したとき、それはどのようなカタチ、役割と
して誕生したのかを考えると、普通は、「物々交換の際の補助的な役割として」 として
誕生したのでは? と考えがちですが、どうもそうではないようです。

 お金は最初、蔵に備蓄してある貯蔵物を表す代用品(記号)として使われ始めたの
だそうです。 確かに、大量の貯蔵物がある場合はとても運びきれません。

 つまり、このことからも、世の中に最初に生まれた財産というのは農業生産物の余
剰分であったというコトがわかります。

 ②. ヨーガとは、もともと 「馬にくびきをかける」 という意味の単語から派生した言
葉で、つまりは、馬を御するように心身を制御するということを示唆している。

 ヨーガは、紀元前2500年~1800年のインダス文明にその遠い起源をもつ可能
性が高いと指摘されている。 (※) モヘンジョダロの遺跡から、ヨーガの坐法を組み
瞑想する神像、その他、さまざまなポーズをとる像が見つかっている。

 ヨーガの語が見出される最古の書物は、紀元前800年~500年の『古ウパニシ
ャド』 であるが、その後、2~4世紀頃、サーンキヤ学派の実践哲学の方法が、『
ヨーガスートラ』 としてとめられ、解脱への実践方法として体系化された。


(※) インダス文明の担い手 (トラヴィダ人) と、のちのバラモン文化を持った人々
(アーリア人) とは全く別の人種である。 もともとインダス文明が栄えていたインドの
地に、紀元前1500年頃に西方からバラモン文化持ったアーリア人が侵入し、それ
により トラヴィダ人は被支配民族となり、その一部は南インドや中央の山岳地帯に
移住した。 それらの被支配者たちはカーストの最下位である 「シュードラ」(不浄民)
に位置づけられた。

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赤痢菌 発見者って?  【 赤痢と志賀潔について説明します ! 】  [学問・教養]

 まず、赤痢についての説明から始めます。

 赤痢とは、下痢、発熱、血便、腹痛といった症状をともなう大腸感染症で
ある。 古来からある病気で、俳句では「血屎(ちくそ)」 という語で表され、
夏の季語として扱われる。

 現在では、細菌性赤痢とアメーバ性赤痢に分けられるが、一般的に赤痢
という場合は細菌性赤痢のことを指す。

 細菌性赤痢は、赤痢菌によってもたらされる感染症で、糞尿などから食物
や水などを経由し、経口感染するケースが大半である。 また、サルは赤痢
菌に対してヒトと同様の感受性をもち、まれではあるがサルからの感染もみ
られる。

 潜伏期間は1日~5日程度で、症状は発熱で始まり、その後腹痛、下痢
がつづく。

 赤痢を起こす赤痢菌は大きくA~Dの4種類に分けられ、A群赤痢菌によ
るものは症状が重く死亡することもある。 一方、B・C・D群によるものは重
傷例が少なく、微熱や軽い下痢のみで経過することが多い。

 近年は、D群赤痢菌による感染例が多い。 志賀潔が発見したA群赤痢菌
はかつて広域に感染していたが、現在、感染例は激減している。 一般的に
は衛生が行き届いていない途上国での発生が多いが、B・C群に関しては先
進国でも感染例が見られる。


 つづいて、赤痢菌の発見者、志賀潔について。

 志賀潔(1871~1957)は、医学者、細菌学者であり、赤痢菌の発見とと
もにその化学療法を研究し、明治時代の日本の近代化の中で、世界に通用
する科学研究を成し遂げた先駆者と評される。

 赤痢菌の学名は滋賀の名にちなんで 「Shigella」 であるが、これは、主要
な病原菌の学名に日本人の名前が冠されているほとんど唯一の例である。

 志賀潔は1871(明治3)年、仙台で仙台藩士の子として生まれるが、母親
の実家である志賀家の養子となった。 志賀家は、仙台藩の藩医をつとめる家
柄であった。

 成長し、帝国大学医科大学(後の東京帝国大学医学部)に入学。

 1896年、大学を卒業後、大日本私立衛星会伝染病研究所に入所。 北里
柴三郎に師事する。

 翌1897年、赤痢菌を発見。  99年、伝染病研究所第一部長となる。

 1901年、12年の2回、ドイツに留学。  

 1915年、北里柴三郎の北里研究所の設立に協力、入所する。

 1944年には、文化勲章を授与され、仙台名誉市民となった。

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