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もっともわかりやすい西洋哲学史 ! ⑥. 神学の時代 [哲学・思想]

  今回は、ヨーロッパ中世のお話です。

  中世とは、もともと 「古典古代 と ルネサンス という2つの
時代のはざまにある時代」 という意味で、一般的に、西ロー
マ帝国の滅亡からルネサンスに至るまで、つまり5 世紀~
15 世紀頃までを指します。

  ゲルマン人の侵入によって、西暦400年頃から西ローマ帝
国の破壊がはじまり、476年、ついに帝国は崩壊。 その後も
数百年にわたって破壊が進みます。

  帝国が築いた公共の下水道や浴場、図書館のような高度
文化はことごとく破壊され、100万人都市であったローマの人
口も 4 万人まで落ち込んでしまいました。

  中世は従来 「暗黒時代」 と言われてきましたが、1000年
.をかけて 「ヨーロッパ世界」 という1つのまとまりが形成され
熟成された期間という意味では重要な時代だといえます。
 
  地域的なまとまりを形成する上で重要な役割を果たしたの
がキリスト教であり、また、中世のあいだヨーロッパの知的伝
統を受け継いできたのもキリスト教、とくに修道院でした。


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  【 アウグスティヌス 】 (354~430)。

  中世は、一言でいうと神学の時代です。 今回説明するの
は 「キリスト教最大の教父」 と言われるアウグスティヌス と
「中世最大の体系家」 トマス・アクィナスです。

  アウグスティヌスが生きたのは西ローマ帝国の最晩期、
ゲルマン民族の侵入によってギリシア・ローマの古代文化
が崩壊していく時代です。

 混乱した時代にふさわしく、アウグスティヌスは波瀾にと
んだ人生をおくりました。

  ローマ帝国領北アフリカで中産階級に生まれた彼は、カル
タゴで初等・中等教育を受け、19歳のときキケロの 『哲学の
すすめ』 を読んで哲学(愛智の道)に目覚めます。

  彼ははじめに母親の宗教であるキリスト教に触れますが、
聖書の素朴な文章に飽き足らず、その後の9年間、マニ教の
聴聞者として過ごします。

  マニ教は宗教と哲学が合わさったような癒しの教えによっ
て当時さかんであった宗派で、善と悪、光と闇、霊と物質の
二元論を説いていました。 


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  以前から情欲におぼれる放蕩生活を送っていた彼は、精
神と肉体の統合という問題に悩んでいましたが、その答えが
見いだせないことからマニ教に失望し、ローマに渡ります。

  その地において、はじめアカメデイア学派の懐疑論に傾き
ますが、その後、聖書の霊的解釈に接し影響を受け、他方で
新プラトン学派に出会い心惹かれていくことになります。

  マニ教の二元論的な考えに疑いをもっていた彼は、とくに
「悪」 を 「善の欠如」 とみなすプロティノスの考えに賛同し、
その教えを研究していくことになりました。 

  新プラトン主義に出合ったことで享楽的な生活から足を洗
った彼は、その後の神秘体験をへて真理の存在を確信する
に至りキリスト教に回心、32 歳で修道院に入ります。


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  彼が新プラトン主義から学んだものは、人間の精神をこえ
た超越的なものが実在するという考え方。 つまり、真なるもの
はこの人生の外に存在するということ。

  そして、すべての物事が神に由来するということでした。

  彼は、新プラトン主義を独自に解釈しなおし、自らの神学
を組み立てていきますが、それは哲学と宗教の融合であり、
ヘレニズムとヘブライズムの融合だともいえます。

  はじめは飽き足らなかった聖書ついて、文言の奥に神の
言そのものを見出す 「解釈学的」 な手法をとることによって
思想が深まったとされます。

  当時は、ゾロアスター教に始まる善と悪の二元論が横行し
ていた時代ですが、グノーシス主義もマニ教も二元論をとり、
この世界を 「悪」 であるとしました。

  アウグスティヌスもこれらの影響を受け、地上の国と神の
国は別の原理が支配しているとしましたが、善と悪の対立で
はなく、善の欠如としました。

  こうすることでオリエント渡来の善悪二元論の過激さが弱
められ、アウグスティヌスの思想はカトリックの受け入れ得る
ものとなります。

  彼は、人間を非常に非力で微小な存在にすぎないと言い
ます。 ゆえに、人間は神の恩寵なしには善をなしえない。

  神以外のものをそれ自身として愛することは倒錯的な愛
に溺れることである。 しかし、弱い人間は神への愛のみにと
どまることができない。 そこでキリストの助けが必要となる。

  彼の思想の基底となっているのは、宇宙の中の微小な存
在にすぎない人間存在への、存在の源泉である神によって
与えられる特別なめぐみへの感謝と賛美の念、だと言えます。


《 終 末 論 》

  アウグスティヌスの思想のもうひとつの特徴は、神の国と
地上の国とのたたかいの帰結として 「終末論」 打ち立てた
ことです。


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  それまでのギリシア思想には終末論という発想はなく、彼
が歴史は直線的に終末へ向かうとしたことによって、歴史は
初めてそれ自身目的と意味を持つものとなりました。

  これ以降、哲学と歴史が結びつくようになり、この発想は
やがて近代の 「歴史は進歩という意味を持つ(進歩史観)」
という思想に大きな影響を与えています。

  彼によれば、終末において救われる者とそうでない者はあ
らかじめ神によって定められているとされますが、この意味で
アウグスティヌスは決定論者、運命論者であると言えます。

  また、彼は 「歴史とは神の国と地上の国の闘いの過程で
ある」 とも言います。

  それはやがて 「神の国は教会にあり、教会こそが救いで
ある、教会の外に救いはない」 という中世キリスト教の 「教
会絶対主義」 的な主張へと発展いき、のちの王権との権力
争いにおいて教会のよりどころとなっていきます。


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  ユダヤの地方宗教にすぎなかったキリスト教は、ギリシア
哲学の成果を取り入れることによって普遍的な宗教、世界宗
教になりえたと言えます。

  そのための努力はパウロに始まり初期キリスト教の教父た
ちの仕事を経て、アウグスティヌスにより1つの典型が示され、
哲学にも引けを取らない体系をそなえる(理神化)に至りました。 

  彼によってキリスト教の理神化が進みましたが、その一方
で彼は 「神の啓示」 を非常に重んじていたと言われ、当時横
行していた神秘主義の影響も大きく受けています。

 というか、ヨーロッパにおける神秘主義の伝統は根強く、18
世紀、ニュートンの頃までつづきます。

  アウグスティヌスはカトリック教会において 「最大の教父」
と呼ばれ重視されているのをはじめ、トマス・アクィナス、カル
ヴァン、ショーペンハウアー、ニーチェに至るまで、後世に大き
な影響を与えています。


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【 トマス・アクィナス 】

  アウグスティヌスとともに、もう1人の神学の完成者と評価
されるトマス・アクィナスは、中世の秩序が完成した13 世紀に
生きたイタリア・ドミニコ会の修道士です (1225~1274)。

 トマス・アクィナスの思想は 「スコラ哲学」 の系譜に含まれ
ます。 スコラ哲学とはつまり学問的な神学を意味し、9 世紀に
始まり、トマス・アクィナスの時代に全盛期を迎えました。


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  今日 「スコラ的」 といえば形式的で理屈っぽい無意味な議
論、とういように否定的に使われますが、もともとは 「学校」 と
いう意味でした。

  その後 「学校で研究される神学」 という意味に転じますが、
その言葉どおり、この時代になると神学の研究・教育機関が
整備され、教義も啓示よりも言葉が重視されるようになります。

  この時代には、十字軍の結果としてイスラム圏から古代ギ
リシアの知的遺産がアリストテレスの体系というカタチで逆輸
入され、それがスコラ神学の基礎として採用されました。
 
  トマス・アクィナスの功績の1つは、信(信仰・啓示)と知(理
性・哲学)を明確に区別し、両者の意義と関係を示したことに
あります。

信仰とは、神の啓示によるものであり、哲学とは、神の恩寵
が存在するということを言葉によって合理的に証明することで
あるとされます。

  ここでトマスは、信仰によるだけではなく、理性(哲学)によっ
ても真理に近づくことはできると考え、それを実践していくこと
になります。


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哲学というのは、古代ギリシアの頃から言葉による 「神の存
在証明」 という面をもっていましたが、トマス以降、神学は言葉
による定義が重んじられ、「神とこの世界の関係を言葉によって
説明する体系」 というその性格が強くなっていきます。


古代以来、ヨーロッパにはプラトン主義とアリストテレス主義
という2つの知的潮流が脈々と流れつづけています。

  それは、この世界を超えた超越的な世界へロゴスによって
上昇していくプラトン的な方向と、この世界にとどまって世界の
多様なあり方を言葉によって説明していくアリストテレス的な方
向の2つ。

  アウグスティヌスはプラトン思想の枠組みで神と真理の問題
を説明し、トマス・アクィナスはアリストテレスの思想に依りました。

  こうして、中世の神学はギリシア哲学の2つの流れを自らの
うちに取り込んだことになり、当然ですが、これは非常に重要な
ことです。


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  トマスの神学が広く受け入れられた1つの理由として、彼が
より所としたアリストテレスの階層的な世界観が中世の世の中
にマッチしたということがあります。

  アリストテレスは、存在するモノゴトを次のように階層的に説
明しました。

  上から  神 (不動の動者、純粋形相) ⇒ 人間 ⇒ 動物 ⇒
植物 ⇒ 無生物 ⇒ 質料

(※) 「不動の動者」 とは、自然界にみられるあらゆる運動に
原初の一押しを与えた存在。


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  トマス の考えでは、人間の上に天使がおかれています。

中世の神学では、このように階層秩序が肯定されましたが、
これに対して、ここから数百年後、日本の江戸幕府が鎖国政策
をとった主な理由は、封建的身分秩序を否定する思想であるキ
リスト教が流入するのを防ぐためでした。

  この対比から、次の2つが読み取れるように思います。

  たとえ神に関する学問であっても時代ごとの社会経済構造
のあり方に左右されるということ。

  そして、江戸時代において日本の社会がヨーロッパよりも数
百年遅れていたこと。


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 ・・・・・・ 以上のように、神学・哲学において言葉が重視され、
その傾向は、このあとさらに強まっていきます。

  そしてついには、中世最大の論争といわれる 「普遍論争」 が
くり広げられるのですが、そのお話は次回にさせていただきます。


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