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2014年1月15日 海上自衛隊艦 と 民間の釣り船 が衝突転覆 2人が意識不明の重体 [事故]

 【ニュース動画も】 防衛省によると、15日午前8時頃、瀬戸
内海の広島県大竹市の阿多田島の沖合で、海上自衛隊の輸
送艦 「おおすみ」 と釣り船が衝突し、釣り船が転覆したという。

  船に乗っていた4人全員が海に投げ出され、その後4人と
も救助されたが、船長と客1人の計2人が心肺停止の状態だ
ということ。

  現在、海上保安本部などが当時の状況を調べている一方
で、小野寺防衛大臣はただちに事故対策本部を設置した。


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 現場に近い広島県大竹市の阿多田島漁業協同組合の担
当者は 「始業時間の午前8時前、ふだん霧が濃い時にしか
聞くことがない大きな汽笛の音が2回聞こえたので、『こんな
に晴れているのにおかしいな』 と思い、海を見てみると大きな
自衛艦が見えた。

  そして、その自衛艦のそばで小さな船がひっくり返っている
ように見えた。

 漁協の別の組合員が船に乗り現場近くまで様子を見に行っ
たが、船はこの漁協の所属ではなく、『転覆した船は釣り用の
プレジャーボートに見えた』 と報告してきた」 と話した。


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  輸送艦 「おおすみ」 は、定期検査を受けるため15日午前
6時半頃、広島県の海上自衛隊呉基地を出港し、東に直線
距離でおよそ130キロほど離れた岡山県にある民間の造船
所に向かっていたということ。

  呉基地のある呉港は島に囲まれているため、「おおすみ」
は出港するとまず港を北上。

  そして、港の西にある江田島と能美島をう回する形で南に
進み、その後東に進路を変え、瀬戸内海を岡山県に向けて
進む予定だったという。

  事故があったのは能美島をう回して南に進む途中で、場所
は、能美島の西にある阿多田島から東に約1キロのところで
あった。

  事故の当時、現場周辺は快晴で、風は弱かったということ。


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  過去に海上自衛隊の艦艇が民間の船舶と衝突したケース
として、昭和63年7月、潜水艦 「なだしお」 が神奈川県の横
須賀沖で遊漁船と衝突し30人が死亡した事故がある。

  また平成20年2月には、イージス艦 「あたご」 が房総半島
の沖合で漁船と衝突し、漁船に乗り組んでいた親子2人が死
亡した事故がある。

  現在、海上保安部の巡視艇が出動し、おおすみの左舷中央
部に衝突の跡を確認したという。

  今後のポイントとして、海上を航行する船どうしが接近した際
は双方に回避する義務があり、今回の場合2隻がどのような位
置関係にあったかという点。 

  また、双方の船の 「見張り」 が十分であったのかという点が
あるようだ。

  海上自衛隊の 「おおすみ」 は平成8年に進水した大型の輸
送艦で、基準排水量が8900トン、全長はおよそ180メートル。

 広島県の呉に司令部がある 「第一輸送隊」 に所属し、中に
揚陸艇や陸上自衛隊の戦車を格納できる機能がある。

  平成16年には、自衛隊のイラク派遣部隊の車両や装備の
輸送に当たったほか、去年、台風で大きな被害を受けたフィリピ
ンの被災地に支援物資などを輸送する任務などにあたった。


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もっともわかりやすい西洋哲学史 ④. アリストテレス [哲学・思想]

【 アリストテレス 】

  ここで、西洋哲学史の全体像を大まかにつかんでおき
ましょう。

  ポイントとなる人物を挙げると、

  タレス、ピュタゴラス、ギリシアの3人(ソクラテス-プラト
ン-アリストテレス)。

  アリストテレスによって古代哲学が完成。

  デカルト、カント、ヘーゲル。

  デカルトに始まった近代哲学がへーゲルによって完成。

  ニーチェ、マルクス、フッサール、フロイト。

 近代哲学と現代思想の橋渡しをした人たち。 とくにニーチ
ェは、それまでの哲学史全体に対する反動として画期的な人。

  マルクスやフロイトはあまり哲学者という感じではありませ
んが、このへんの時代になると、純粋な哲学というくくりがあ
いまいになってきます。
  ⇒ 大戦を経て、現代思想へ。

  というカンジです。 この中でもとくにポイントとなるのがプ
ラトン、デカルト、カント の3人。


  タレスに始まったイオニアの学者たちによって、この世界
を、神話ではなく、万人に通用する抽象的な言葉によって筋
道をたてて説明しようとする試みが始まりました。

  その後、アテネに現れたソクラテス-プラトン-アリストテ
レスという3人のビックネームによって哲学は最初のクライマ
ックスを迎えます。

  しかしこのあと、ヨーロッパという地域自体が荒廃してしま
ったことによって、およそ2000年近くものあいだ哲学に飛躍
的な発展は見られなくなり停滞します。

  この間、知的伝統をかろうじて受け継いできたのがキリス
ト教神学です。

  ルネサンスを経た17世紀、科学という原動力を得たヨー
ロッパはようやく 「近代」 という新しい時代に進み始めます
が、哲学の上でそれを象徴しているのがデカルトです。

  通常、デカルト以降の哲学を 「近代哲学」 と呼びます。

  やがて18世紀、近代という時代が軌道に乗って発展を続
ける中、神などを排除した合理的精神で、ニュートンまでの
科学的成果を踏まえた上で世界と人間のかかわりを説明し
たのがカントです。   

  カントの思想は現在でも大きな意味をもっています。

  その後19世紀にヘーゲルが現れ、その巨大な建物(ヘー
ゲルの哲学体系)によって近代哲学は完成したと言われて
います。

  ヘーゲルはその学派(ヘーゲル学派)が形成させることに
よって後世にも大きな影響を与えました。 ヘーゲル左派には
マルクスがいます。


 それではアリストテレスの話です。    

  アリストテレス(BC384~322) はプラトン(BC427~347)
の弟子の1人でアカメデイア(BC384 創設)で学んだ学徒
でした。

  この2人はともに巨大な学者ですが、タイプが異なります。

  プラトン-アリストテレス = 理想にあこがれる人-世界を
整理する人、天才-秀才、アイルトン・セナ-アラン・プロスト
(例えが古くて申し訳ない) といったところでしょう。

  思想については、この世界を、この世界を超えたものによ
って、また言葉を超えたものによって説明しようとしたプラトン。

  それに対して、あくまでこの世界の範囲内で、そしてすべ
てを言葉によって説明しようとしたアリストテレス。

  2人は連続した世代ではありますが、時代背景も異なって
います。

  プラトンの頃はいまだギリシア黄金時代の余韻が残ってい
た時代ですが、アリストテレスの頃になると、アテネを中心と
したギリシア・ポリス共同体は世界史の主役から退き、時代
はアレクサンドロスを経てヘレニズムという新しい段階に入り
はじめていました。

  アリストテレスが若かりし日のアレクサンドロス(マケドニア
の王子)の家庭教師を務めていたのは有名な話で、学園リュ
ケイオンもアレクサンドロスの援助によって創設されています。


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《 アリストテレスの思想と著作 》

  アリストテレスは彼以前の哲学をすべて検討し、それらをま
とめ上げ、その上に彼自身の思想を展開しています。

  彼はありとあらゆるものに興味を持った博物学的な学者で、
その哲学は世界のモノゴトを広い範囲でカバーした巨大な体系
を誇っています。

  以下がアリストテレスの著作です。

(形而上学) : 『形而上学』

(論理学 = オルガノン) : 『カテゴリー論』 『命題論』 『分析論前書』
『分析論後書』 『トピカ』 『詭弁論駁論』

(自然学) : 『自然学』 『天体論』 『生成消滅論』 『気象論』 『霊魂論』
『自然論学小論集』 ・ 感覚と感覚されるものについて ・ 記憶と想起
について ・ 睡眠と覚醒について ・ 夢について ・ 夢占いについて
・ 長寿と短命について ・ 青年と老年について ・ 生と死について
・ 呼吸について
『動物誌』 『動物部分論』 『動物運動論』 『動物進行論』 『動物発生論』

(実践哲学) : 『ニコマコス倫理学』 『大道徳学』 『エウデモス倫理学』
『徳と悪徳について』 『政治学』 『アテナイ人の国制』 『弁論術』 『詩学』


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  ちなみに、プラトンにも 『ソクラテスの弁明』 『饗宴』 『国
家』 『政治家』 『法律』 『第七書簡』 など27冊の著作があっ
て、すべて対話編のカタチをとっています。

 上に記したもの以外の著作は 『クリトン』 『カルミデス』
『ピレボス』 などのように人の名前が題名になっているの
で省略します。


《 形相 と 質料 》

  プラトンのイデア論にあたるものが、アリストテレスの 「形
相(エイドス) と 質料(ヒューレー)」 という考え方になります。

  たとえば青銅の人物像があるとします。 この場合、人の
カタチが 「形相」 で、材料としての青銅が 「質料」 にあたり
ます。

  家の場合であれば、木材や石材が 「質料」 で、家のカタ
チや構造、機能などが 「形相」。

  つまり、「形相」 とはカタチや意味であり、「質料」 とは素
材や材料、まだ限定をうけていないもの、カタチと結びつく
ことで何ものかになるもの、を表します。

  ただ、これをもっと厳密に言うと、青銅も青銅であってカ
タチをもつモノである以上「形相」であるとも考えられます。

  よって、「質料」 というものを突き詰めて考えると、それこ
そ 「何ものでもないもの」 というコトになります。 そして、こ
れは 「第一質料」 とよばれます。

  ここで、形相はプラトンのイデアを受け継いだ概念で、一
方の質料はイオニア自然学のアルケーを受け継いだ概念
であることに留意しておきましょう。

  形相も質料もそれ自体は変化しません、変化するのはこ
の2つの結合のしかただけ。

  また、質料と形相について次のような説明もなされます。

  質料は、形相と結びつくことによって現実のモノとなる可
能性を秘めたものである(=可能態 デュナミス)。

  そして、例えば木材が家のカタチと結びついて現実の家
なったのもが(=現実態 エネルゲイア)である。

  つまり、質料と形相の結びつきは可能的な存在が現実
の存在へと生成変化することである。


  ・・・・・・ このように、変化しないもの同士の結びつき方
の違いによって、この世界の千変万化が成り立っているワ
ケですが、これが、「存在と変化」 というパルメニデス以来
の難問に対してアリストテレスが示した答えになっています。  



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《 4つの原因 》

  さて、アリストテレスによれば、この世界の物事には4つの
原因があるといいます。

 ①. 物事の実体であり、それが何であるか (形相因・本質)
 ②. ものの質料であり、基体 (質料因)
 ③. 物事の運動のはじまりの起因 (始動因)
 ④. ③とは反対の極にある原因で、物事の生成や運動が
めざすところ (目的因)

  この方法は、それまでの哲学者たちの主張をすべて取りこ
もうとした現われだといわれており、イオニア自然学の水や空
気といったアルケーは ② であり、プラトンのイデアは① にあ
たります。
 
  ① の中の 「実体(ウーシア)」 という言葉はとても重要で、
これから先の哲学史に度々でてきます。

  実体というのはつまり、「モノゴトの突き詰めた姿・あり方」
「真にあるもの、本質」 といった意味です。 そして、実体を
研究する学が形而上学だとされます。

  アリストテレスは、それまでの哲学者がさまざま言ってきた
コトをすべて言葉によって置き換え、定義し、それらをすべて
一定の体系の中にあてはめます。

  そうして、コレ以降の哲学はアリストテレスの言葉と体系を
基にして議論されていくことになり、また、その考え方は、この
あと約2千年ものあいだ、世の中の常識として受けつがれてい
くことになるのです。


  アリストテレスは、「ある」 とはどういうことかを考えますが、
その際、「~ がある」 と 「~ である」 とに分け、まず後者を
考えます。

  「人間とは(  )である」 「家とは(  )である」 という場合
の(  )にあたる部分、つまり述語にあたる部分を範疇(カテ
ゴリー)として10 個に分類します。 

 (1). その主語が何であるか (実体・本質)
 (2). それがどのようにあるか (性質)
 (3). それがどれだけあるか (量)
 (4). それが他の何かに対してどうあるか (関係)
 (5). それのすること (能動)
 (6). それのされること (受動)
 (7). それがどこにあるか (場所)
 (8). それがいつあるか (時間)
 (9). それがどんな状況にあるか (状態)
(10). それが何をもってあれうか (状態)

  モノゴトはこれらの範疇の種類の分だけイロイロに変化し
ます。

  しかし、そうであっても主語にとって決して変化しない部分
があり、その決して変化しないものこそがそのものの 「実体」
であるということです。
 


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《 アリストテレスの生命観と社会観 》

  当時の常識では、生命をもつものの中にあってコレを動
かしているものは 「霊魂(プシュケー)」 であると考えられて
いました。

  その霊魂(プシュケー)については、人によってさまざまな
説明がなされていたのですが、アリストテレスは次のように
説明しました。

  まず、霊魂は場所をもっているものではないとされます。

  また、霊魂はエクトプラズムのようなものではなく、生物
の目的(形相)であるとされます。

  魂は 「生命を可能態としてもっている自然物体の形相と
してあるものである」 「たとえば、もし眼が生物であったなら
ば、視るコトが眼の魂であっただろう」

  ということです。 そして、動物と人間の違いについて、動物
も人間も外界のモノゴトを感覚として受け取るが、外界から受
け取るものは質料と形相が結びついたものである。

  人間の場合、1度受け取ったその感覚をもう1度思い浮か
べて思惟の対象とするときに、それを、質料を離れた純粋な
形相として思い浮かべることができる。

  つまり、人間だけがモノゴトを純粋な形相の相(=抽象的
なレベル)において捉えることができる、ということです。

  ちなみに、アリストテレスにとっては人間と自然は本質的
に区別されるものではなく、自然とは 「それ自身のうちに
運動や正史の原理を含んでいるもの」

  つまり、自然は人間の手を借りずに生成変化し、それ自身
のうちに形相を含んでいるもの、となります。

  このへんになると結構マニアックな感じになってきますが、
大切なことが1つあります。

  それは、アリストテレスの世界観というのは非常に「動的な」
世界観であるということ、あらゆるものが生成変化する生きた
世界観だということです。

  この世界観は 「物活論的世界観」 と呼ばれ、のちのデカル
ト的な 「機械論的世界観」 と対比されることになります。



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  最後に、アリストテレスの社会観について。

  「人間はポリス的な動物である」 と言われます。 ポリスは
politics 政治の語源であるので、これは 「人間は政治的な動
物である」 と言い換えてもいいでしょう。

  人間は個人としてあるのではなく、ポリス(=政治的共同
体)の中にあってはじめて人間になることができるということ。

  彼は 「本性上、国や家は個人よりも先にある、なぜなら、
全体は部分よりも先にあるのが必然だからである」 と言い、

  さらには 「共同することができないものか、あるいは自足し
ていて共同を少しも必要としないものは、野獣であるか、さも
なくば神である」 とまで言っています。

  これは、まず個人としての 「主体的人間」 が先にある近
代的な思考とはまさに正反対の考え方です。

  これは、彼を含んで当時の考え方が階層的秩序を重んじ
る社会であったことにも関係があります。

 ただ、始めに言ったとおり、彼の時代にはギリシア・ポリス
は没落の段階に入っていました。

  よって、彼の言っていることは 「古きよきいにしえの時代
へのあこがれ」 という面もあったようです。

  また、アリストテレスの社会観はプラトンほど過激なもので
はなく、当時としては常識的なものでした。

  それは、彼の重んじる徳が 「中庸の」 徳であったことにも
表れています。

  前323年、アレクサンドロスは東方遠征の途上で亡くなり、
翌年、アリストテレスもその後を追います。

  そして、彼の死によって、栄光の古代哲学もその幕を閉じ
ることになったのです。


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 ⑤. 古代末期の哲学
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2014-01-18

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