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日本語ってこういうところがあると思うんだよ、そう思わない? [エッセイ]

  日本語について、いくつかお話をさせていただきます。

《 あからさまは はしたない 》

  日本人は、あからさまな表現を嫌います。 物事をハッキ
リと指摘したりするのは下品なことなのです。

  ハッキリ指摘するのを避けるだけでなく、言うべきコトを
ことさらにボカシたり、ときには否定することさえあります。

 ①. 「主人は、会社のほうへ行っております」

 ②. 「今日のところはカンベンしてくれ」

 ③. 「『あまちゃん』 じゃないけどさぁ、あの子ホントになま
ってるよね」

  ①. ② については、「ほう」 とか 「ところ」 は本来必要あり
ません。 ③ では、話題にだしている対象をあえて否定まで
しています。

  じつは、若者コトバの中にも婉曲的な表現が多く見受け
られます。

 ④. 「きゃりーぱみゅぱみゅってサイコー、みたいな」

 ⑤. 「オレ的にはそう思うよ」

 ⑥. 「あいつがあそこに行ったのは、義務感からだよ」
    「っていうか、ただの好奇心だと思うよ」

④ は自分の主張や意見をぼかすため ⑤ は主語をぼか
すため、そして ⑥ の 「っていうか」 は、相手の言うことをハ
ッキリ否定するのを避けています。

  新しい世代の新しい表現でありながら、しっかりと日本的
伝統を受け継いでいるということですね。


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  このような傾向は、おそらく日本人が島国の単一民族で
あることからきています。

  欧米のように多様な民族が入り乱れている土地柄ではな
く、日本というところは、右を向いても左を向いても目に入る
のは自分と同じ血と肉でできている同胞ばかり。

  基本的にはみんな同じ感覚をもって生きている、互いに
分かり合えるという信頼感があります。   

そのため、多くをかたる必要はないのです。 ちょっと言え
ば、あとは分かってくれる。全部言うのはクドイ、時間のムダ。

  「すべて言わないでもわかりますよね? あとのところは察
してください」 ということです。

聞く方からすれば、いちいち全部説明されると、「オレを
信頼していないのか?」 ということにもなります。


日本人はハッキリモノを言わない、そこが短所だ。

  欧米的な価値観からこのように言われてしまうことがあ
りますが、そうではない、ということです。

  これは、日本人がおかれている環境によって長い時間か
けて形作られた、日本人の美徳、美意識だということです。

  欧米の場合日本とは全く違って、自分はアングロサクソ
ン、左隣はチャイニーズ、右隣はイスラム系、お向かいは
スパニッシュということが、実際はないとしても可能性とし
てはありうる土地柄。

職場にあっても、背景の異なる人たちが集まっています。

  そういう場合、モノをハッキリ言わなければお互いにコミ
ュニケーションできません。

  これはまた、次のコトにもあてはまります。

  アメリカ人は、周りの人に気さくに 「ハーイ、ハロー」 と
笑顔で挨拶をします。

  コレに対して、こういうフレンドリーなところを日本人も
見習うべきだ。 と言われたりします。

  しかし、これも向こうの環境からなった結果です。

  彼らは周囲を異質な人たちに囲まれています。 周囲
の人は何を考えているのかわからない。 だから怖い。

  そのため、こちらから積極的にフレンドリーな姿勢を見
せて、「あなたに対して敵意はありません。 仲良くしましょ
う」 とアピールする必要があるということ。

  以前アメリカで、日本人の留学生の少女が、ハロウィン
の一環として近所の家を訪問したところ、いきなり撃ち殺
されてしまった、という事件がありました。

  これなども、向こうの人はそれほどに周囲の人間を恐
れているということの表れだといえるでしょう。

 ・・・・・・ しかし、別に向こうの人を批判しているワケで
はありません。

  ただ、「日本人はハッキリしないのがよくない」 などと
という単純な批判はあまりにも表面的すぎるのでやめて
ほしいということ。

  お互いにイイところも悪いところもあるわけですから。



  さてさて、地理的にいうと日本は極東であって、まさに
東方の地の果て、行きどまりにあたります。

  そのため、古来から東に向けて移動してきた多くの人や
物が最終的にたどり着く場所がジパングでした。

  悪く言えば、ゴミが流れ着く吹き溜まりのような感じでも
あります。

  そんなジパングには、昔からある特殊な能力があったよ
うです。

  西から流れこんできた異質なものたちを、その強力な同
化作用によって自分たちの色に染めてしまう。

  日本に流れ込んできた異質なものたちは、そのうち自分
たちがもともと持っていた日本とはちがった個性を主張する
ことをやめて、日本の色に染まってしまう。

  こういう傾向は、神話の時代からあったようで、古事記
の中では次のようなことが語られています。

  やおろずの神が住む地上の国を平定するために、天つ
神が何度も軍を派遣するのですが、その度に地上の人々
は派遣軍の人たちを宴会などでもてなし、懐柔する。

すると、いつの間にか派遣軍は地上の側に寝返ってそ
のまま同化してしまう。

  こういうことがくり返され、天つ神たちは頭を抱えた。


  また、このほか、日本にはユダヤ民族の一部分が確実
に流れ込んでいると言われています。

 ユダヤの人たちは2000年以上前に亡国の民となり、そ
の後ユダヤ10 支族は各地に分散したのですが、そのうち
の1 支族が日本に流れ込んで同化したようです。

  日本の神道に見られる宗教施設はユダヤ教のそれと同
じものが多く、諏訪神社では「イサクの祭り」が行われてい
ます。

  また、祇園祭=「シオン祭り」 であって、ねり歩く山車の
側面に描かれている絵はすべて旧約聖書の各場面を表す
絵であるということもあります。   

  ユダヤ人であるアインシュタインが日本を訪れた際の公
演において、「日本にこれほど多くのユダヤ証があるを知っ
って私は感動しています。 私たちとあなたたちはまさに兄
弟です」 と語っています。

  しかし、日本でのユダヤ的要素はそれほど大っぴらに目
立っているワケではなく、祇園祭にしても、日本的テイストに
塗り替えられている。

  こういうことも、日本の持つ強い同化作用の表れの1つ
ではないでしょうか。




《 「らりるれろ」 について 》

  あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと ・・・・・・

 このように、「あ」 からはじまる50音があります。 これら
1文字1文字は、そのほとんどが何か特定の名詞を表して
います。

  あ⇒×、い⇒胃、う⇒鵜、え⇒絵、お⇒尾、
か⇒蚊、き⇒木、く⇒区、け⇒毛、こ⇒子

このようにやっていくと、や行の文字まではほとんど全て
のすべての文字が1文字で何かの名詞をあらわしています。

それに対して、ら行の文字だけは、ろ⇒炉 以外は名詞を
表していません。

  つまり、何を言っているのかというと、もともと日本語には
「らりるれろ」 はなかったということです。

  おそらく 「らりるれろ」 は、相当時代が下ってから新しく日
本語に加わったのだと思われます。

  そのため、ら行の文字からはじまる単語じたい極端に少
なく、そのため、しりとりでら行の文字にあたってしまうとな
かなかでてこないワケです。


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《 敬語について 》

  敬語というのは、じつは、尊敬を表す言葉ではありません。

  なので、ほんらい 「敬語」 という名称は一面的です。

  では、敬語とはどういう言葉なのでしょうか?

  敬語とは、垂直の距離、水平の距離、この2種類の距離を
表すことばなのです。

  まず1つ、垂直の距離というのは 「尊敬」 をあらわしてい
ます。

  尊敬というのは、自分よりも目上の人に対して抱く感情。
つまり、上下の距離です。

  しかし、敬語にはもう1つの使い方があります。

  自分とは存在が離れた人、初対面の人、赤の他人などと
話す場合に使う場合です。

  初対面の人というのは、自分とは存在的な距離が離れて
いる人です。

  しかし、たとえばその初対面の人とその後友達になってい
って自分との距離が近くなっていけば、自然と敬語は使わな
くなっていきます。

  つまり、こちらが水平の距離。

  ですから、ほんとうは 「敬語」 は 「敬語」 ではなく、「距離
語」 とか 「離別語」 (あまりいい名称ではありませんが) と
呼んだ方がわかりやすいと思います。


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《 語尾を伸ばした話し方 》

  若い世代の人たちは、語尾を伸ばしながら話します。

  「きのおぉ~、がっこうでぇ~、ともだちとぉ~、はなした
んだけどぉ~」

  ・・・・・・ という感じに。

  これはどうしてなのでしょうか?

  おそらくこういうことです。

  人が何かを話すとき、やはり次に何を話すか考えなが
ら話しています。 なので、話しながら、次に話すコトを考
える時間を稼がなくてはならない。

  ということで、語尾を伸ばして時間をかせぎ、そのあい
だに次にいうコトを考えているのだと思います。

  それに対して、古い世代の人はどうしていたのか?

  むかし、大平正芳という総理大臣がいました。

  「あ~~~、う~~~、今回の、お~~~、補正予算の、
あ~~~、意味は、う~~~ ・・・・・・」

  大平首相の話し方は、「あ~」 とか 「う~」 とかいう部分
がものすごく長くて、当時よくモノマネされていたようです。

  このように昔の人は、話のあいだに 「あ~」 とか 「え~」
とか言う部分を入れて、そのあいだに次に話すコトを考え
ていたのだと思います。

  それに対して、若い世代の人は語尾を伸ばすので、
「あ~」 とか 「え~」 とか言いません。

  若い人の語尾を伸ばす話し方が、非常にみっともない
といういい方がされることもありますが、話している中で
「あ~」 「え~」 と連発する話し方もあまりスマートではあ
りません。

つまり、若い人の語尾を伸ばす話し方はたしかにスマ
ートではありませんが、人が考えながら話をする以上、あ
る程度仕方がないことだということです。


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