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もっともわかりやすい西洋哲学史 ! ②.ソクラテス、プラトン [哲学・思想]

  ソクラテスらの哲学の話の前に、少し余談を。

  そもそも、philosofy (哲学)というのは sofy を philo する、
つまり 「知」 を 「愛する」、(愛知学) という意味です。

  よって、欧米女性に多いソフィー(ソフィー・マルソー、ソフィ
ア・ローレン など)という名前は、日本語でいうと 「智恵子」 と
いう感じになります。

  この philosofy という言葉が明治初期に日本に入ってきた
ときに、西周という人が 「哲学」 という訳語をあてはめました
が、もう少し柔らかい感じの訳語でもよかったのではないか?
という感じもします。


  さて、ソクラテス以降、本格的な哲学がはじまりますが、普
通、西洋哲学の誕生とされるのは古代ギリシアの3人、ソクラ
テス-プラトン-アリストテレス が登場したことを指します。

 ソクラテス (紀元前 469 ~ 399)
 プラトン (紀元前 427 ~ 347)
 アリストテレス (紀元前 384 ~ 322)

  しかし、彼ら3人も、タレスに始まるイオニア学派の人たち
の遺産の上に成り立っているワケなので、ソクラテス以前の
人たちも偉大な人たちであることに変わりはありません。

  ただ、①でもくり返し言いましたが、ソクラテスはそれまで
の人とは違って自分の内面に目を向けました。 ココが画期
的だったワケです。


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  当時、紀元前5世紀ごろのアテネは古代民主政が行われ
ていました。

  古代民主制というのは、自分たちの政治方針や裁判など
を数百人の市民たちが自ら集まって会合を開き、そこで話し
合い、最終的に多数決によって結論を出していた、そのやり
方を指しています。

  ただ、現在の民主政治と決定的に異なっているのは、当
時のギリシア世界はいまだ 「奴隷制」 だったということです。

  当時、アテネの人口のうち8割が奴隷で、アテネ市民はほ
んの2割にすぎません。

  それら市民たちは、日常の仕事をすべて奴隷に任せてい
たからこそ悠々自適に政治を楽しむことができたわけです。

  政治の場では、弁論がとてもとても重視されていました。

  弁論と言っても、当時は現在とちがってマイクもありませ
んし、弁論する場所も屋外がほとんどです。

  なので、当時政治をめざす者が最初にやるべきことは、
山に登って発声練習をすることで、山中で空に向かって叫
びつづけることで、広い場所でもよく通る大きな声を出せる
ように声を鍛えたといいます。

  もちろん内容も大切ですが、どちらかというと弁論の技術
が重視され、人々が説得されやすい議論の組み立て方や、
声の抑揚のつけかたが研究されました。

  世間には 「ソフィスト」 と呼ばれる弁論術の先生(指導者)
たちがいて、彼らがお金を取って弁論術を教える弁論塾がと
ても繁盛していたといいます。

  しかしこの弁論術は、現在で言うとディベートであって、真
実がどうであろうと、また自分がほんとうはどう思っていようと、
とにかく自分が主張することを周囲の人々に同意させること
が目的のようなところがありました。

   つまり、たとえ間違ったことであっても、論争に勝つこと、
相手を言いくるめることがいちばん重要ということです。

  ソクラテスが登場したのは、これらソフィストたちが幅を利
かせていた時代です。


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 さて、そのソクラテスですが、父親は彫刻などもおこなう
石工、母親は助産婦であったといわれています。

  若い頃は当時流行っていた自然科学に興味をもっていま
したが、晩年は倫理や徳を重んじる自らの哲学を追及し、そ
れを周囲の人々に説いてまわることを自分の役割としました。

  哲学者の思想は、ふつうはその著作によって知られるの
ですが、ソクラテスは1冊も本を著していません。

  よって、ソクラテスに関する全てのことはプラトンの著作に
よって後世に伝えられたことです。

  逆にプラトンは多くの本を書いた人で、ソクラテス以前の
哲学者たちの思想も、すべてではありませんが、プラトンの
著作から知られることも多いようです。


  さて、ソクラテス独特の思想と活動のスタイルが形成され
るに至った経緯は次のとおりです。

  ある日、彼の弟子の1人がデルポイにあるアポロンの神
託所に赴き、巫女に 「ソクラテス以上の賢者はいるか」 と尋
ねてみたところ、巫女は 「ソクラテス以上の賢者は一人もい
ない」 と答えました。

  これを聞いて、自分が非常に無知で賢明もはない者であ
ると自覚し、だからこそまだまだ勉強が必要だと思ってもいた
ソクラテスはとても驚き、それが何を意味するのか考えました。

  考えるとともに、じっさいに確かめてみようと思い立ち、彼
は世間で知者である、賢者であると評判の政治家や詩人た
ちに面会を請い、その人たちと会話をもちました。

  すると、知者だ、賢者だと評判のその人たちは、自ら語っ
ていることをよく理解しておらず、大抵はソクラテスの方が彼
らに説明するはめになってしまいました。

  にもかかわらず、彼らは自分のことを知者であり賢者で
あると思い込み、自分が無知であるなどとは全く思っていな
いようでした。

  また、何かの技術に熟練した職人達は、たしかにその技
術については非常に知者ではあるが、他の事柄については
まったく無知。 にもかかわらず、その専門知識のみによって
周囲から識者であると思い込まれている。

  こうした経験を経て、彼は神託の内容を 「知らないことを
知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知
らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばか
り優っている」

つまり、「無知であると自覚している分だけ私の方が賢い」
という意味であると理解します。

  そして彼は、神託こそが神意であり、その 「神意」 を人々
に伝えることこそが 「神への奉仕」 であると思うようになり、
活動していくようになります。

  その活動とは、ソフィストたちをはじめ知者や賢者だと思わ
れている人たちに対話を挑み、対話によって、その人が無知
であるというコトを本人に自覚させるということでした。

  ソクラテスは、意見を異にする者同士がこうして対話をする
ことによって相手に矛盾を気づかせ、真実を見出していく方法
を問答法(弁証法・弁証術)とし、これをソフィストたちの手法で
ある弁論術、論争術と対比させ、重視しました。

  しかし、このやり方は悪く言えば、対話の中で相手の揚げ足
を取ったり、おかしい部分を突っ込んだりして相手を言い負かし、
相手に自らが劣っていることを認めさせるということです。

  正しいことだとはいえ、そういうソクラテスがやがてうっとおし
い存在だと思われるようになっても仕方がありません。

  ということで、紀元前399年、ついにソクラテスは 「世間と人
々を惑わせた罪」、正式には 「アテナイの国家が信じる神々と
は異なる神々を信じ、若者を堕落させた」 という罪によって裁
判にかけられ、死罪の判決を下されます。

  この裁判では、ソクラテスがその気になれば、反論すること
や亡命を選ぶこと、また、判決後に弟子たちが脱走させること
が容易なため、死罪を免れることはいくらでもできました。

 しかし、ソクラテスはそれらをよしとせず、自身の知への愛
(フィロソフィア)と 「単に生きるのではなく、善く生きる」 という
「徳」 を貫き、死に殉ずる道を選んだとされています。  

  毒を仰ぐにあたって、ソクラテスは弟子たちに最後の教説を
語りました。(ちょっと長いですが、ソクラテス-プラトン思想の
エッセンスが凝縮されているのでそのまま引用します)

  『 真に知を求める者は、死をいとわず、むしろそれを願っ
ている。 知を求めるとは、結局どういうことか? それは、「そ
れそのもの」 として存在する 「正しさ」「美しさ」「善」 なるもの、
つまり「存在の本来的なるもの」 を探求し、それに触れるとい
うことであり、そこに 「愛知」 ということの本来の意味がある。

  ところが人間は、そのような「真実在(=イデア)」 を感覚
(視覚・聴覚・触覚)によっては捉えることができない。 感覚
は相対的であり、肉体的な欲望にけがされているからだ。

  我われが真実の 「存在そのもの」 に触れうるためには、
魂を肉体から分離し、魂をしてまさにその純粋な形で存在
させたほうがよい。

  人が 「死」 と呼んでいるものは、まさしくそのような状態、
「魂の肉体からの開放と分離」 という状態ではないだろうか。

  そうだとすれば、正しく知を求める人にとって、死は決して
恐怖すべきことではないのではないか 』 


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 以上がソクラテスの姿ですが、何らかの 「絶対存在」 に
到達することにこそ生あるいは世界の究極の目的であると
いう考え方を読み取ることができます。

  ソクラテスで重要なことは、個々の思想よりも、全体として
の彼の生き方や態度、そして死をもってその思想を貫いたと
いう点にあります。

  ソクラテス-プラトンについて、どこまでがソクラテスの思
想でどこからがプラトンの思想なのかというのが厳密にはわ
かりにくいところがあるので、2人まとめて 「ソクラテス-プラ
トンの思想」 という理解でイイと思います。


  それでは次に、そのプラトンについてお話ししていきます。

  プラトンは、紀元前427年、アテナイの貴族の子として生ま
れ、「アリストクレス」 と名づけられました。

  しかし、非常に体格が立派で肩幅も広かったため、それを
意味する 「プラトン」 というあだ名が付けられ、終生その呼び
方で呼ばれたといいます。

  若い頃はソクラテスの門人として哲学と対話術などを学び
つつ政治家を志していたが、当時のアテナイ民主派政権の惨
状を目の当たりにして現実政治に幻滅を覚えるようになります。

  そのため、以降も国制・法律の考察は続けたものの、現実
政治への直接的な関わりを避け、学問の側に身を置くことに
なりました。

  40 歳の頃、プラトンは旅行に出て、南イタリアのピュタゴラ
ス教団やエレア学派と交流を持ちましたが、このことが彼の思
想に大きな影響を与えることになりました。

  プラトンの思想には神秘主義的な要素が多く含まれていま
すが、それはピュタゴラス教団の影響によるところが大きいと
言われています。


《 イデア論 ~ プラトン的二元論 ~ 》

  当時のソフィストたちは、物事の善し悪しや、何が正しくて
何が間違っているかの判断は、それぞれの都市国家ごとに
異なり、また時代によっても異なると考えました。

  そして、ソフィストたちの弁論術は、その時々の立場の違
いによって言うことを変え、相手を説得するのが目的です。

  ソクラテスは、このような相対主義的・便宜主義的な考え
には同意できませんでした。

  ソクラテスは、世の中の、あるいは人間にとっての永遠に
変わらぬ規範、真理といったものがあるはずで、理性を働か
せることでそれを把握することができると考えました。

  それに対してプラトンは、これらを二元的に考えます。

  つまり、一方には変化しつづけるものがあって、もう一方
には永遠不変のものがあるという考え方です。

  そして、これがプラトン哲学の中でいちばん有名だと思わ
れるイデア論へとつながっていきます。


  哲学というのは、大きく言って 「存在論」 と 「認識論」 の2
つに分けることができます。

 「存在論」 とは、この世にあるものがどのような仕方で
存在しているか? あるいは、そもそも 「存在する」 とはどう
いうことなのか?

という問題です。

  それに対して 「認識論」 とは、私たち人間は外界をどの
ように認識しているのか? あるいは、わたしたちはナゼこの
ように外界を認識することができるのか?

  という問題です。

  イデア論は、このうちの存在論にあたります。

  たとえば、ここに1個のリンゴがあるとします。 それを見て
私たちは、それが 「リンゴ」 であるとわかります。

  個々のリンゴの1つ1つは、大きさや形、色などがすべて
異なっているにもかかわらず、それらがすべてリンゴである
とわかります。

  つまり、固有名詞である1個のリンゴを見て、それが普通
名詞としてのリンゴであることがわかるということです。


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  これは、リンゴであればそう難しくはありません。

  しかし、目の前のモノがリンゴではなく、石や土などになる
と、ほんの少し難しくなります。

  そしてさらに、それが物質ではなく 「やさしさ」 や 「美しさ」
などの性質のようなものになると、より一層むずかしくなります。

  難しくはなるけれども、それでも私たちは個々別々の行為
を 「やさしさ」 という概念でくくることができます。

  これはナゼなのか? というのがイデア論の問題です。


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  ちなみに、このイデア論が提示する問題は認識論にもかか
わる非常に重要なことがらで、プラトン以降の西欧哲学でカタ
チを変えて何度もでてくる問題です。

  そして、プラトンから約2000年後のカントが、この問題に対
するおおよその答えをだしてくれます。

  しかし、それはまだまだ先のはなし。

  この問題について、プラトンは以下のように説明しました。

  人間は輪廻転生をくり返していて(プラトンは輪廻転生論
者です)、死んだ後は天上の世界に行きます。

  そして、その天上の世界のには、この世に存在するものの
全てが真に完璧な姿で存在しています。

  たとえば、もっともリンゴらしくて、完璧にリンゴ性を備えた
リンゴが存在しているということです。 そしてそれが 「リンゴ
のイデア」 であるということ。

  生成変化する私たちの物質界の背後には、時空を超えた
永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが
真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。

 ありとあらゆるものには、その完璧な姿=イデアがあり、
それらが時空を超えた天上の世界に存在しています。

  しかし、不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることがで
きず、私たちの日常におけるモノゴトの認識は、かつて私たち
の魂が天上の世界にあったときに神々と共に観想していたイ
デアの記憶を 「想起」 する(=思い出す)ことによって実現され
ている、ということ。

  よって、この世界にあるものは真の存在であるイデアの
「似像」 にすぎません。

  リンゴのイデア、石のイデア、土のイデア、優しさのイデア、
美のイデア ・・・・・・

  そして天上の世界には、それらの究極の姿、あるいは頂点
として 「善のイデア」 というものが存在している、とプラトンは
言います。

  ちなみに、この 「善のイデア」 という考え方は、「万物は
一者(=善のイデア)から流出した」 という、ネオプラトニズ
ムという思想につながっていきますが、それもまだ先のはなし。


  ② はここまで。 ③ は、イデア論のつづきとそれ以外のプ
ラトン哲学です。
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2014-01-11

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