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宮崎駿 史 及び 宮崎駿 論 [映画]

  引退を記念しての、ボリュームたっぷりの宮崎駿論。 出生から引退に至
るまでの宮崎駿の人物史。 ハイジから風立ちぬまでの全作品についてさま
ざまな角度から考察。 監督の政治思想や毒舌癖、庵野秀明との師弟関係、
およそ宮崎駿の全てが詰まっています。 監督のキレイな画像もたっぷり ! !


  先月末、ベネチア国際映画祭における会見の席で、宮崎駿監督が今回
出品した 「風立ちぬ」 をもって引退する意向であることがスタジオジブリに
より発表されました。

 それを受けて6日、宮崎監督本人による会見が開かれましたが、監督も
もう72歳。 もののけ姫の頃と比べるとだいぶお年を召したようにも見受け
られ、長いあいだよく頑張ってこられたなぁ、という印象です。


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 以下では、監督のデビューから現在までの歴史を紹介しつつ、今回引退
を決意するまでに至った経緯をできる限り紐解いていきたいと思います。

 まずは監督のプロフィールから。

 【 宮崎駿監督のプロフィール 】 (敬称略)

 宮﨑 駿(みやざき はやお)は、1941年(昭和16年)生まれ、東京府東
京市出身。 学習院大学政経学部卒業。 埼玉県所沢市在住。 東京都小金
井市、三鷹市名誉市民。

 アニメーション制作会社スタジオジブリに映画監督として所属し、05年よ
り取締役。 また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主でもあ
る。 公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長。


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 一族が経営する 「宮崎航空興学」 の役員を務める一家の4人兄弟の二
男として東京で生まれる。

幼少時は身体が弱かったので運動は苦手だったが、絵はずば抜けて上
手かった。 また熱心な読書家であり、手塚治虫や杉浦茂の漫画が好きな
「漫画少年」 でもあった。

  学習院大学に進学したが、当時は大学に漫画サークルが無かったため、
いちばん近そうな児童文学サークルに所属する。

幾つかの人形劇を企画しつつ、漫画家を志し漫画を描き続けていたが、
漫画かアニメーションかを悩んだ末、アニメーションの世界へ進む事を決断
する。

 学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に定期採用で入社。
早くから才能を現してメインスタッフとなると共に、結成間も無い東映動画
労働組合の書記長に就任する。

 65年、24歳で同じ東映のアニメーターの女性と結婚し、その後2人の男
児をもうける。

激しい組合活動を行いながら高畑勲・森康二・大塚康生らと共に3年がか
りの大作、『太陽の王子 ホルスの大冒険』 を作り上げた。

 その後、高畑・小田部とともにズイヨー映像(後の日本アニメーション)に
移籍、74年TVアニメ 『アルプスの少女ハイジ』 で全カットの場面設定・画
面構成を担当。 主要スタッフとして1年半にわたって番組を引っ張る。

 ハイジは最高平均視聴率26.9%という大ヒットとなり、宮崎としても初の
大きな成功であった。


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 78年、NHK 『未来少年コナン』 で事実上の初監督を務める。 毎週放送
という厳しいスケジュールの中、演出を行いながら、デザイン・絵コンテ・脚
本などほぼ全ての作業を1人で行うという前代未聞の超人的な作業量をこ
なした。

 持ち前の高度な作家性を発揮して、原作 「残された人びと」 の悲壮なイメ
ージを大幅に改変、オリジナルといってもよい作品を作り上げた。

  『未来少年コナン』 は、後に宮崎アニメと呼ばれる作品群の原点と言える。
視聴率は低調だったが、この作品に衝撃を受けてアニメーターやアニメ演出
家となった者はかなり多い。

  つづいて79年、映画 『ルパン三世 カリオストロの城』 で映画作品の監督
デビュー。 宮崎は 「カリオストロではじめて体力の限界を知った」 というほど
監督として映画製作に尽力、半年という短い期間で作り上げた。

 しかし、当時の 『2ndルパン』 のイメージと違う作風や、SFアニメ全盛の
時代ということもあって大衆受けはせず、興行的には前作に及ばなかった。
むしろ興行的不振のために、しばらくの間映画に携われない不遇の時を過
ごすことになった。

 しかし、再放送されて高視聴率をあげるなど、その後 『カリオストロの城』
はアニメーションの金字塔的作品として高い評価を受けることになる。


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 この直後 TVアニメ 『ルパン三世』 で最終回含め2話の制作に携わり、後
のナウシカに登場する巨神兵や飛行船などがこの2話に登場し、これらの
キャラクターはこの頃から構想があったということがわかる。

 84年、コナンの頃より宮崎の才能に注目していた徳間書店 「アニメージ
ュ」 編集長がナウシカの連載を決定。 そこに宮崎の弟が勤務する博報堂
が協力することで、映画 『風の谷のナウシカ』 が制作・公開された。

 ナウシカは、『カリオストロ』 がテレビ放映されてその面白さが広く社会に
認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことも相俟ってヒット作と
なり、作家としての宮崎駿が広く認知されることとなった。


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《 スタジオジブリの創設 》

 翌85年、徳間書店の出資を得てスタジオジブリが創立され、その後、ほぼ
2年~4年おきに長編作品を製作している。

 86年 『天空の城ラピュタ』 と88年 『となりのトトロ』 は興行成績はそれほ
ど振るわなかったが、その後両作の人気は著しく高まり、ぬいぐるみなどの
グッズの販売やビデオ販売の収入によりジブリの経営を支えた。


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 しかし、ジブリ作品が興行的に成功し、宮崎駿が国民的映像作家として
の地位を確立したのは、89年の邦画興行成績1位を獲得し、さらに劇場用
アニメ映画の興行成績日本記録を達成した 『魔女の宅急便』 以降である。

 宮崎本人は「カリオストロ」、「ナウシカ」、「ラピュタ」、「トトロ」 という元から
やりたかったものを全て作り終えてしまったこともありやる気ではなかったが、
鈴木プロデューサーが当時にスポンサーとしてクロネコヤマトを起用して作
らざるを得ない状況を作った。


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 この大ヒットにより宮崎はジブリの労働環境を整えるため社員化を決定。
後に、この段階で解散するのも一つの手だったと振り返っている。

 92年には 『紅の豚』 が公開され、魔女の宅急便につづいて劇場用アニ
メ映画興行成績日本記録を更新した。


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  宮崎作品は今でこそ国際的にも高い評価を受けているが、提携などの
関係で劇場公開、正規ルートでのビデオ発売ともに遅れたため、欧米諸国
で知られるのは遅れた。

 それでも、日本アニメファンたちは日本語版の宮崎アニメを見ることで宮
崎駿の作品に接し、世界的に熱心なファン層が広がっていった。

 95年、『耳をすませば』 が公開される。 柊あおいの同名の漫画を映画化
した作品である。 日本の映画ではは初めてドルビーデジタルが採用された。


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  97年に公開された 『もののけ姫』 は、ジブリ史上最大の製作費、宮崎
の監督引退説などが話題になった事もあり、当時 『E.T.』 が持っていた
日本の映画興行記録を15年ぶりに塗り替える大ヒット作となった。


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 宮崎は完成後の打ち上げの際、引退してシニアジブリを立ち上げると
発言し、実際に二馬力を立ち上げているが、翌年に引退宣言は撤回した。

 01年に発表した 『千と千尋の神隠し』 は興行記録をさらに大幅に塗り
替え、観客動員2350万人、興行収入304億円と、日本の映画史上第1
位の新記録を作った。


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 国外での評価も非常に高く、02年のベルリン国際映画祭では、日本映
画としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の 「金熊賞」 を受賞。

 03年にはアカデミー賞 「長編アニメーション部門作品賞」 を受賞した。

しかし、『千と千尋の神隠し』 の完成記者会見においては 「もう長編アニ
メ映画は無理ですね」 と引退を宣言している。

 04年の 『ハウルの動く城』 は、宣伝を極めて抑えた公開であったにも
かかわらず公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8000万
円と日本映画歴代最高のオープニングを飾り、映画史上第2位の大ヒット
を記録。


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  さらに この年 ヴェネツィア国際映画祭の 「オゼッラ賞」、 ニューヨーク映
画批評家協会 「最優秀アニメーション賞」 を受賞し、その年の米アカデミー
賞の長編アニメ部門に再びノミネートするなど前作同様国外においても高く
評価された。

 05年には、ヴェネツィア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈ら
れる 「栄誉金獅子賞」 を受賞。

 06年には、アメリカ映画界最高の名誉とされるアカデミー賞の選考委員
に選ばれ招待状が送付された。 宮崎はこれ以前に2度選ばれているが、
創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。

 08年、『崖の上のポニョ』 を公開。 公開後1か月で興行収入100億円を
突破する興行成績を挙げ、ヴェネツィア国際映画祭での上映は約5分間の
スタンディングオベーションで迎えられた。


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 『崖の上のポニョ』 製作中、体力的にも本作が最後の長編になるだろう
と述べていた。

しかし、映画公開後に宮崎が 『崖の上のポニョ』 の観客動員数よりも
『ハウルの動く城』 の方が高かった事実を知ってショックを受け、「もう一本
作る」 とやる気を出し始めたという。

 今後の作画に関しては 『崖の上のポニョ』 のように手描きでいくとの意
向であるが、以前のような作画に戻る可能性もあると示唆した。 最新作の
内容は自伝のアニメーションであると述べた。

 マスコミの前に出ることを嫌う時期もあったが、『崖の上のポニョ』 の製作
時にNHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀」 で2度にわたって密着ドキュメ
ントが作られ、アニメ作りに苦悩奮闘する素の宮崎駿の姿が放送され大き
な反響を呼んだ。

 同じく08年、宮崎は日本外国特派員協会に招かれ、アニメ界の危惧を含
め熱く論じた。

 12年、文化勲章に次ぐ栄誉である文化功労者に選ばれた。


 13年7月、自身の同名漫画を原作としたアニメ映画 『風立ちぬ』 を公開。
その後 9月1日、宮崎が長編映画の製作から引退する意向であることをス
タジオジブリ社長・星野康二が発表した。


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【 宮崎作品の歴史 】

 今でこそ宮崎監督は、常に注目されて世間からもてはやされる存在とな
っていますが、監督がいちばん輝きを放っていた1980年頃には、その名
前を知る人は少なく、もっとマイナーな存在でした。

 大きな理由の1つとして、『風の谷のナウシカ』 (84年) 公開の頃は、い
まだ 「レンタルビデオ」 というものが普及していなかった時代で、現在のよ
うに観たい作品をいつでも自由に観るコトができるという環境ではなかった
というのがあります。
 

 つまり、映画館に足を運ばなければ、テレビの 「金曜ロードショウ」 などで
放送されるのを待つ以外はほかに目にすることができる機会がなかったわ
けです。

 次の作品 『天空の城ラピュタ』 (86年) の頃になると、ようやく世間でレン
タルビデオが普及し始め、それと相まって、宮崎作品は若者のあいだで口コ
ミによる広がりをみせていきます。

  その後 『となりのトトロ』 (88年) の頃には、「トトロ=宮崎駿作品」 という
イメージがすでに出来上がっていたという印象があるので、宮崎監督もある
程度メジャーな存在になっていたのだと思います。 当時、トトロのぬいぐるみ
が街で出回っていたのをよく覚えています。

 プロフィールで説明したように、これ以前の宮崎映画は興行的には奮わず、
ラピュタ以前の作品についても、レンタルビデオの普及とともに世間に広がっ
ていったという面が大きいと思われます。


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 同じくプロフィールに書いたように、宮崎作品が興行的にブレイクしたの
は 『魔女の宅急便』 (89年) ですが、世間に認識されたのはその前作 『と
なりのトトロ』 であって、その基礎があったからこそ次の 『魔女の宅急便』
をみんなが観いったということです。

 べつにエラそうに言うつもりはないのですが、ブレイクのずっと前から監
督さんの作品を観てきた僕らからすると、ブレイク以降、世間がしたり顔で
宮崎作品を絶賛している光景は、ちょっと歯がゆいというか、へんな感じと
いうか、「ナゼ今なんだ?」 というのがありました。


  宮崎駿の代表作は、『未来少年コナン』 『ルパン三世カリオストロの城』
『風の谷のナウシカ』 『天空の城ラピュタ』 『となりのトトロ』 『もののけ姫』、
以上の6作品だと思います。

  誤解を恐れずに言うと、宮崎監督とその作品が世間でブレイクした時に
は、すでに宮崎駿の全盛期は終わっていたと思います。 もともと宮崎監督
の中にあったものはすでに全て出尽くしてしまっていて、作家としてやりた
かったことは全てやってしまったという状態。
 

 上で紹介したプロフィールをあらためて確認すると、それがほぼ間違っ
ていないということがわかると思います。

 人によっては、今回の 『風立ちぬ』 こそが宮崎駿の最高傑作だという人
もいますが、ムズカしい解釈抜きに言えば、宮崎さんの本当の凄さはこの
頃までの作品にあると言えます。


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 たとえば今から30年後、歴史的人物としての宮崎駿の代表作といえば、
千と千尋や風立ちぬではなく、やはりナウシカやラピュタであると言われる
ようになっていると思います。

 おそらく、宮崎監督の歴史の中で、自分自身のやりたかったコトを、た
だひたすら自分自身のためにやったというのは 『となりのトトロ』 まで、つ
まりトトロまでは、もともと自身の頭の中にあったモノが、苦もなく溢れで
るように具現化された作品であると言えます。

 トトロを作り終え、自分がやりたかったことをほぼ全て表現することがで
きた宮崎さんは、作家として大きなひと段落を迎えます。 ここでやめると
いう選択肢もあったわけです。

 しかし、それまでの活動で、いつの間にか監督の周囲には多くの社会
的なつながりができてしまっていました。

  そこに至るまで自分1人でやってこられたわけではなく、自分を支え協
力してくれた人たちにも恩返しをしなければならない。 スタジオジブリを立
ち上げたことで、組織の中心としての責任も生まれたという状態です。

 それらのことから、監督は気持ちを新たにして次の 『魔女の宅急便』 の
制作にとりかかったのだと思います。 そして、それ以降の作品については、
会社のため、周囲の人々のため、責任、恩返し、運命、社会貢献 などが
モチベーションになっていったのではないでしょうか。

 作家というものは誰しも、もともと自分の中に表現したいものがあって作
家になります。 しかし、それらのアイデアは数作品~5. 6作品ほどで全て
出尽くしてしまうのが普通です。

 作家はみんな、ここで大きな分岐点を迎えることになります。 そして、
それ以降も作家をつづけるのであれば、それまでとは違うコトをしなけれ
ばなりません。

 もう自分の頭の中には何も残っていないわけですから、新しいことを必
死に考え出さなければならない。 思い浮かばなければ、取材活動をした
りもしなければなりません。 作品を生み出すための労力も、以前の数倍
必要になってくるでしょう。

 ここからは自己表現としての作品づくりというよりも、仕事としての作品
制作ということになっていくわけです。

  そこから先は職業としての作家活動をつづけていくことになり、才能の
ある作家であれば仕事として生み出した作品においても成功を治め、そ
の結果としてお金も名誉も手に入れることになります。

  この段階になると、もはや経済的になんの心配もないし、周りの人への
恩返しも充分にすることができた、つまり、金も名誉も手に入れたし義理も
果たした、だからもうツライことはなにもやる必要がないという状態です。

 しかも、それ以上仕事をつづけても全盛期と同じことはできるとは限らな
い、つまり 「晩節を汚す」 ということにもなりかねません。

  よって、この段階に達してしまった作家は、1つ作品を生み出すごとに
「もうやめたい」 と思うのが普通だと思います。 宮崎さんが今までに何度
も引退宣言 ⇒ 撤回ということをくり返してきたのはこういった事情からだ
と思われます。

  さて、宮崎監督にとって 『魔女の宅急便』 は、自分よりもむしろ周囲の
人々のために、気持ちを新たにして取り組んだ作品だったのだと思います
が、結果としてこの作品は興行的に大成功します。

 この頃からビデオソフトを購入するということが一般的になってきたこ
ともあって、この1作だけですべての恩返しができるほどの成功でした。
監督は、とりあえずは肩の荷が降りたような気持ちになることができました。


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  ただ、監督が本来作りたかった作品がトトロまでで、ブレイクしたのがそ
の次の作品(義務として作った最初作品)である 『魔女の宅急便』 だとい
うのは非常に皮肉な結果であるといえます。

 さて、義務感から解放された監督はこのあと、自分の趣味をそのまん
ま映画にしてしまったような作品 『紅の豚』 (92年)を制作します。

  制作にあたって監督が 「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のため
のマンガ映画にしたい」 と話したといわれるように、この映画は宮崎作品
には珍しく、子供向けではなく監督と同年代に向けて作られた作品です。

  現在、 『紅の豚』 は人によっては格段に評価が低く、監督自身も制作
後 「道楽でくだらないものを作ってしまった」 と罪悪感に囚われ続け、次
回作が完成してようやく 「呪い」 から開放されたと述べています。

 しかしこの作品も、公開が 『魔女の宅急便』 と 『もののけ姫』 にはさま
れていることもあって高い興行収入をあげています。

  つぎに制作されたのが 『耳をすませば』 (95年) ですが、この作品で
は、宮崎さんは脚本・絵コンテ・制作プロデューサーのみを務め、監督は
近藤喜文という別の人が担当しています。

 よって厳密に言うと、『耳をすませば』 は宮崎作品には含まれないのか
もしれません。


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  このあと、宮崎監督はいよいよ自身の集大成となる作品に取り掛かる
ことになります。 それが97年の 『もののけ姫』 です。 これが最後の作品
になるかもしれないという思いも強かったと思います。

 宮崎監督は、もののけ姫の制作にあたって次のように話しました。

  「この作品がこれまでの自分自身の集大成となるので、一切の妥協を
せずに作りたい。 だから声優についても森繁さんや三輪さんにワザワザ
お願いした。 以前から、自分の集大成となる作品は日本を舞台にした物
語にしたいと思っていた」

  こう話していた宮崎さんですが、残念ながら 『もののけ姫』 は カリオス
トロ、ナウシカ、ラピュタ の3作と比べると一歩及ばなかったという印象が
ありますし、一般的にもそのように評価されています。

 もののけ姫が、これら3作と比べて作品として劣っているわけではないと
思うのですが、カリオストロ、ナウシカ、ラピュタ というバケモノのような3作
品を経験してしまった私たちの期待値の方が上がってしまったというのが
あると思います。

 また、もののけ姫は最初から最後までマジメなシーンばかりで、観客を楽
しませるという要素が薄かったというのもあると思います。

 さらにもう1つの理由として、『もののけ姫』 に横たわる思想が厳しすぎる
というのがあったのではないでしょうか? (※)

 コナンやナウシカのように、人間の行き過ぎた物質文明や、戦争・核兵器
に対する警鐘や批判ならまだしも、もののけ姫のように、人間が森の木を伐
るということまでが自然破壊だと言われてしまうと、それはつまり人間の文化
そのものの否定になるわけであって、そこまでは共感しきれないというのが
あったと思います。

  これは言い過ぎですが、木を伐って鉄を作るという人間の文明がなけれ
ば監督も映画を作ることはおろか、紙芝居でさえ作ることができないという
結果になってしまいます。

 「人間が汚してしまった水と土を、腐海の木々たちがきれいにしてくれてい
る」 という思想と、「シシ神の森の木を伐るな」 という思想とでは、似ている
ようでもじつは大きく違うということです。


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 (※) もののけ姫は、植物学者・中尾佐助の 「照葉樹林文化論」 に示唆
を受けた世界観を舞台としている。

 (※) カリオストロ、ナウシカ、ラピュタ の3作品を、以下では 「中期3作」、
千と千尋、ハウル、ポニョ の3作品を 「後期3作」 とする。


 宮崎監督は基本的に、「つねに自分は変化していかなければならない、
以前のような作品が見たいのなら以前のものを見ればいいわけで、それで
はダメだ。 つねに新しいものを生み出していかなければならない」 という思
いがあったようです。

 また、「自分の過去の作品を否定しなければならない、世間の期待に答
えようとしてはいけない」 という言い方もされています。

 これはおそらく、長年活躍する作家であれば誰でもが直面する問題で、
ひたすら観客のニーズに合わせてマンネリに徹するか、もしくは己の道を
突き進むかという選択。

 マンネリに徹するのも、それはそれで一つの美徳であって、その究極の
かたちが 「男はつらいよ」 や 「水戸黄門」 なのかもしれません。

 宮崎監督の場合は作家としての変化や成長を求めていったワケで、とく
に 『千と千尋の神隠し』 以降は作風が劇的に変化し、ストーリーの一貫性
を放棄したようにも見えるプロットを用いていると言われています。


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 さらに 『崖の上のポニョ』 の制作時には「僕はもう既成の起承転結のよく
できたストーリーの映画なんか作りたくない」 「自分の作品の大衆性が低く
なっている」 という発言をしています。

 極端な方向へ向かってしまうというのは、1つのジャンルを極めてしまっ
たクリエーターにはよく見られる傾向で、たとえば最晩年のビートルズのア
ルバムには、音楽という枠を逸脱した、環境音や街の騒音をただ組み合わ
せただけの作品が入っていたりします。

 
  一方で、観る側である私たちの方にも 『もののけ姫』 以降変化が起こり
始めます。 宮崎作品について、大の大人たちが深読みした解釈を展開し、
賛否両論侃々諤々の議論がくり広げられるようになっていくのです。

 これは、10代の頃から宮崎作品を見続けてきた人たちが大人へと成長し
イロイロと意見を言いたくなったということと、以前と比べて小説の力が衰え
た現在にあって、なんとなく高尚な感じがして多少思想がかっている宮崎作
品は恰好の文芸評論の対象であるということなんだと思います。

 これに対して、ガンダムについては語られることがあまりありませんが、
それは小説においてSF小説が評論の対象となりにくいというのと同じこと
だと思います。


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 ちなみに、ガンダムの作者・富野由悠季氏は自分と同学年 (ともに19
41年生まれ) だということもあって宮崎監督のことをライバルとして強く
意識しているそうです。

 曰く、「宮崎・高畑のコンビの演出力は黒澤明以上のものがある。 宮崎
さんを自分はライバルだと思っているが、彼はアカデミー賞を受賞して私
は受賞していない。 率直に言って、彼と私のあいだにはそれだけ能力の
差があるということです」

 と、こちらが引いてしまうほどの冷静な判断を下しています。

(※) 「ガンダムと富野由悠季のイイ話」 についてはこちら
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-04-5

 もののけ以降、私たちが宮崎作品についてああだこうだと議論し始め
たのは、ハッキリ言ってしまえばもののけ以降の作品には満足していな
いからであると思われます。

 素晴らしい作品が与えられれば、私たちはただ満足して頷くだけであっ
て、とりたてて議論したりはしないハズなのです。 新しく公開された作品
が文句のつけようのない作品であれば、私たちも文句はつけないのです
が、そうではないのでイロイロと言いたくなるワケです。

  ここで微妙なのは、宮崎監督自身の以前の作品よりは劣るが、それで
もやはり他の作家の作品よりは面白いという点にあります。 こういう場合、
やはり批判的な意見は出ないのが普通でしょう。

  それでも、もののけ以降の頃になると、宮崎作品はブランドとして確固
たる地位を築いているので、内容的には衰えていても興行成績は逆にア
ップしているという結果になっています。

 これは、次のこととほぼ同じではないでしょうか?

 たとえば、小泉今日子や沢口靖子が、現在では年をとって全盛期と比
べると美貌が衰えてはいるが、美貌の全盛期の頃よりも、芸能界で長年
キャリアを重ねてきた現在の方が露出も多いし収入も多い。

 そして、少なくてもテレビなどのメディアが大っぴらに美貌の衰えを批判
するようなことはしないし、今でも 「イヤー、ほんとうにお綺麗ですねぇー」
と言われる。


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  そういう僕も、じつは『魔女の宅急便』 以降の作品については、それ以
前のものと比べるとそれほどの魅力を感じません。

  以下で、監督晩年の3作品、『千と千尋の神隠し』 『ハウルの動く城』
『崖の上のポニョ』 について、あえてツッコミどころを指摘してみます。

 まず3作共通のポジティブな感想として、映像表現や人間以外のキャラク
ターのデザインについては相変わらずスゴイというか、アタマが下がるとい
う思いがします。 また、音楽・音効もよかったと思います。

 一方で、ネガティブな面を挙げると、

 ①.ストーリーがいまいち
 ②.魅力的な主人公がでてこない 
 ③.説明が一切なされない問答無用のファンタジーワールドで、現実世界
とのつながりが感じられない
 ④.空間の広がりが感じられない。 1ヶ所での出来事で終始してしまって
いる感じ
 ⑤.なぜ老婆ばかりにこだわるのか? ヒロインはクラリスやナウシカのよ
うな女性の方が観ていて心地いい。
 ⑥.対象とする年齢がより下がったのではないかか (※より子供向けに
なったのでは)? とくにポニョについては、大人の観客を満足させるのはム
ズカしいのではないか? (ただしポニョについては、黄泉の国がどうのこう
のという深い解釈もあるようです)
 
(※) じつは、宮崎作品は一貫して子供に向けて作られているもので、宮
崎さんも 「アニメは基本的に子供のモノ」 という発言をくり返しています。
勉強として、つねに児童文学や子供向けのマンガを読んおられるそうです。

  また、主人公が少女であることが多く、それは同性であると対象化しきれ
ず、元気な女の子の方がやる気が出るからのとのこと。 同性だと自身と重
ね合わせすぎて悲観的な物語にしかならないとも語っています。

 ⑦.これは好みの問題なのかもしれませんが、以前の宮崎作品には次の
ような感動を誘うコテコテのシーンがあって、これらのシーンが宮崎作品の
特徴でもあったし、その魅力を大きく引き上げていたと思います。

  『風の谷のナウシカ』 の冒頭近くで、ナウシカがユパからキツネリスを譲り
受けた際、指を噛まれながら 「・・・・ ほらね、怖くない ・・・・、怯えていただけ
なんだよね」 というシーン。

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  終盤近く、おとりとして気球にぶら下げて運ばれていたオームの子供との
やりとり 「許してなんて言えないよね、ヒドすぎるよね」 というシーン。

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  『カリオストロの城』 で塔に幽閉されたクラリスの前に現れたルパンが 「今
はこれが精いっぱい」 と言いながら手品のように小さな花をだして万国旗を
広げるシーン。

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ラストの 「あなたの心です」 という銭形のセリフ。

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  『天空の城ラピュタ』 で、ラピュタにたどり着いたシータとパズーのところに
ロボットが現れて、グライダーを脇に移動させると、そこに鳥の巣があるとい
うシーン。

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 お墓に供えるための花を摘んできてくれたロボットとキツネリスが戯れるの
を見て 「ちっともさみしくないみたいだね」 というシーン。

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 ・・・・・・ これだけの説明で、その場面が頭に浮かんだという方が多いと
思います。 これらのシーンが宮崎作品を特徴づけていたような気がする
のですが、もののけ以降の作品ではほとんど見られなくなってしまいました。

 よわいを重ねて、こういうロマンティックな場面は照れくさくなってしまった
のでしょうか? 僕としては残念です。

  ・・・・・・ しかし、ここに挙げた批判点も、宮崎作品の最高到達点と比べる
と、ということであって、晩年の3作品も充分に宮崎ワールドをみせてくれたと
思います。



  それでは次に、今ではあまり語られることがなくなった宮崎監督の最初の
ヒット作、『アルプスの少女ハイジ』 について少しお話します。

 この作品は、いわゆる世界名作文学にあたるジャンルをアニメ化したもの
で、両親を亡くした少女ハイジがアルプスの山中にある厳格でカタブツなお
じいさんの家(小屋)に引き取られ、大自然の中で成長していくという物語。


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 しかしハイジは、数年後にはそのアルプスを出て、ドイツの都会にある高
貴な屋敷で小間使いとして働くことになります。 そこでの苦労や、その家の
お嬢さんで、脚が悪く車椅子で生活するクララという少女との友情などが描
かれています。

  ハイジの大ヒットによって、 以降この枠 (フジ日曜夜7:30~8:00) は
「世界名作劇場」 としてシリーズ化され、『フランダースの犬』 『あらいぐまラ
スカル』 『母をたずねて三千里』 『赤毛のアン』 などの作品がそのあとに続
くことになります。

 ハイジの制作にあたって宮崎・高畑のコンビは、当時アニメ制作では考え
られなかったロケハンをわざわざ行ったことで話題になったといいます。

 ハイジは純文学であって、魔法やSF的な要素などは全くない100%人
間ドラマです。 それでもハイジは他のアニメとはちがい、のちに「宮崎ワー
ルド」 と言われるようになる、主に演出と映像表現からなる独特の魅力を
もっていました。

 たとえば食事のシーン1つをとってもそうです。 ハイジではアルプスの小
屋での食事のシーンがよく出てくるのですが、木の食器に暖かいスープと
暖めてやわらかくしたチーズを乗せたフランスパンという、ごく質素なものな
のですが、それがやたらと美味しそうに見えるワケです。


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 ロケハンにしてもそうですが、これは結局、アニメであっても1つ1つのシ
ーンを丁寧に作りこんでいくということの表れでしょう。 監督は以前から、短
時間、低予算で量産される日本のアニメ界に対して非常に危機感を抱いて
いたということです。

 たとえば、ディズニーをはじめ欧米のアニメの場合、人物が話すときには、
その口の動きがわざわざ発音する音のとおりの動きをします。 「イ」 であれ
ば口がヨコに広げられ、「ア」 であれば口が大きく開かれます。

 それに対して日本のアニメの場合は昔から、人物が話すときの口の動き
はただパクパク動いているだけで、発音している音のとおりの動きはしてい
ません。

  この手法がとられたことによって、日本では大量のアニメ作品が生産され
るようになったワケです。

 じつはこれは英語と日本語の言語としての特徴の違いにまでさかのぼら
なければいけない話なので、ここでは深入りしませんが、日本がとった方法
はとても合理的だといえます。

 丁寧に作りこめば、その分作品数が少なくなるわけで、そのどちらがイイ
かは一概には言えません。

 ただ、宮崎作品は徹底的にていねいに作りこまれていて、確かにそこが
大きな魅力になっているということです。


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 さて、上でも少し触れたように、もののけ姫の公開が終了したあと、この
あたりから宮崎作品に新しい要素が加わってきます。 それが海外での評
価と国際映画祭への出品という要素です。

 プロフィールで紹介したように、宮崎作品はその頃まで海外での公開もビ
デオの流通もなされていなかったようです。 いま考えると、ちょっと信じられ
ないというか、あまりにももったいないというか。

 おそらく、日本以外においてはアニメというジャンル自体の位置づけが低
かったというのが大きな理由になっていたと思われます。

 それが、もののけ以降、おそらくエヴァンゲリオンの頃から、「OTAKU」
というコトバとともに日本のアニメ・コスプレ文化が世界的に広がったという
時期があって、その一環として宮崎作品も世界に知れ渡っていったという
ことだと思います。

 ちなみに、エヴァのテレビ放送終了が1996年、もののけが97年、『千と
千尋の神隠し』 が01年です。

 もののけは日本の映画興行記録歴代1位に輝きましたが、千と千尋はそ
れをさらに塗り替えます。 このへんの事情は、作家の魅力と世間の評価と
のタイムラグということを感じてしまいます。

 たとえばあのゴッホは、生前は1枚も絵が売れなかっといいます。 ゴッホ
ほどではないですが、宮崎さんももっと早く理解されるべき人だったような
気がします。

 千と千尋以降の受賞の多さと賞賛の渦を考えると、外国の映画人たちも
同じ気持ちだったような気がします。 つまり、「どうしてこのような偉大な作
家をもっと早く気づかなかったのか?」 「もっと早くから評価されるべき人だ
った」 という思い。
 

《 宮崎作品の興行収入 》
 カリオストロの城 : 6.1 億円
 風の谷のナウシカ : 14.8 億円
 天空の城ラピュタ : 5.83 億円
 となりのトトロ : 5.9 億円
 魔女の宅急便 : 21.5 億円
 紅の豚 : 27.13 億円
 もののけ姫 : 193 億円
 千と千尋の神隠し : 304 億円
 ハウルの動く城 : 196 億円
 崖の上のポニョ : 155 億円

 AKIRA : 7.5 億円
 機動戦士ガンダム : 17.6億円
 機動戦士ガンダム Ⅱ : 13.8億円
 機動戦士ガンダム Ⅲ : 23.1 億円

《 興行収入国内歴代ランキング 》
 ①.千と千尋の神隠し : 304 億円
 ②.タイタニック : 262 億円
 ③.ハリーポッターと賢者の石 : 203 億円
 ④.ハウルの動く城 : 196 億円
 ⑤.もののけ姫 : 193 億円
 ⑥.踊る大捜査線 THE MOVI E 2 : 173 億円


《 ガリバー旅行記のオリジナルラピュタ 》

 『天空の城ラピュタ』 には、元ネタとなっている物語が存在する。 本家本
元のラピュタは、1726年に英国で刊行されたジョナサン・スウィフト 『ガリ
ヴァー旅行記』 に登場する 「空飛ぶ島ラピュタ」 からきている。 スウィフトは
当時のイギリス国会議員でもある。


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 『ガリヴァー旅行記』 はスウィフトが、医師で旅行家でもあるガリヴァーの
筆を装って書いた空想の旅行記で、そのストーリーは全体として当時のイギ
リス社会に対する風刺・批判となっている。

 ガリヴァーは通算で4度の旅行に赴き、それぞれが物語となっている。
それが 小人の国、巨人の国、天空島ラピュタ、ヤフーの国 の4ヶ国である。

  天空島ラピュタ はガリバー3度目の旅行先で、空に浮かぶ都市であり、
日本のはるか東に位置するバルビー二国の上空に浮かんでいる。

  もしも自らの指令に背けば、その国土の上空に留まりつづけることによっ
て太陽光や雨が地上に降り注ぐのを遮るという方法でバルビー二国を支配
している。

 空に浮かぶ原理は、この都市の基底部に存在する巨大な磁石と、 地上
のバルビー二国に豊富に存在する豊かな磁鉄鋼との反発力によっている。

 この都市の住民は全員が数学者であり、その緻密な計算にしたがって巨
大磁石を上下左右に動かすことにより都市は自由自在に移動する。  


  一方 『天空の城ラピュタ』 の設定では、古代ラピュタ人が 「飛行石」 を用
いて建造したとされる空中都市ラピュタ。 ラピュタ人はのちにこの都市を捨
てて地上に降りたが、その後もラピュタは飛行石の力で空に留まり回遊しつ
づけている。


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  ラピュタ人は、ラピュタに再び人が近づくことの無いよう 「竜の巣」 と呼ば
れる巨大な低気圧の渦を作り進入する事を困難にした。 王家の証である飛
行石の首飾りを持つ者が望んで近づくと竜の巣は消滅し、ラピュタは白日の
下にその姿を現す。

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 ラピュタ下部の黒い半球状の構造体の中には、王族のみが入ることがで
きるという中枢部分が存在する。 その中枢部には巨大な飛行石の結晶体が
あり、その部屋には「黒い石」 と呼ばれる石版が置かれ、そこに飛行石の首
飾りをかざすコトでラピュタの各機能を制御できる。

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  球体部分の底部からは七基の石柱が展開し、エネルギーを集束して撃つ
巨大な爆発を生む光弾を放つことができる。 ムスカはこれを「ラピュタの雷
(いかずち)」と称し、これこそが 『旧約聖書』 のソドムとゴモラを焼き払ったと
いう 「天の火」 やラーマヤーナの 「インドラの矢」 だとも述べている。

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 それではここで、今回の引退発表に対しての各国メディアの反応をご紹
介します。

  出品されたベネチア国際映画祭の会見で、スタジオジブリの星野社長か
ら 発表された 「『風立ちぬ』を最後に宮崎駿監督は、引退することを決めま
した。」 という通訳の言葉を聞いて意味を理解した海外メディアは、ワンテ
ンポ置いて「信じられない」 とばかりに表情を一変させ、会場全体がぼう然
とした空気の中で会見は終了した。

 この発表を受けての、AP、ロイター、伊、英、米 など欧米のメディアの報
道をまとめると次のとおり。

 ①.宮崎監督の経歴と作品の紹介
 ②.「日本のウォルト・ディズニー」、今までのアニメ界で最も賞賛され成
功を治めた人物、アニメについての概念を変えた作家、など、賞賛の声。
 ③.長編作品からの引退であって、短編を作る可能性は残っているとい
う解釈と、発表を受けて、映画祭が 「風立ちぬ」 もしくは宮崎氏に何か賞
を贈るのではないか?

 これに対して、中国、韓国メディアの報道はかなりズレています。

 ①.「風立ちぬ」 には日本のナショナリズムを批判するテーマが含まれ
ており、宮崎氏は日本の右翼からの攻撃を受けている。
 ②.突然の引退発表は、憲法や原発などの政治的発言が呼んだ波紋
に負担を感じたのではないか? 
 ③.参院選での与党圧勝後、安倍政権の右傾化政策が加速したことに
失望したからではないか?


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《 後期3作についての評価のムズカしさ 》

 後期3作品に対しての評価は果たしてどの程度のものなのか? じつは、
これが非常に分かりにくい状況になっています。

  その理由としては、国内の評価/海外での評価が大きく異なっているよ
うに感じられるということ、世代による評価の違いがあるということ、

 また、宮崎駿が国民的作家と評価されるようになって以前よりもその地位
が大きく上昇したという事実と、それに伴って宮崎作品を大っぴらに批判し
にくいような雰囲気ができあがっているということ。

 さらに、監督が高齢になってきたことによる変化、インターネットの普及を
はじめとする世の中自体の変化など、

 これらが複雑にからみ合って、後期3作の総体的な評価が分かりにくくな
っているのだということです。

 以下で、これらをなんとかほどいていこうと思います。

  まず、評価について考える前提として、後期3作にはどういう特徴がある
のかを確認しておきます。

  後期3作の大きな特徴として、起承転結をはじめとするのストーリーの展
開、物事と物事の論理的なつながり、シチュエーションの設定、さらにディテ
ールに至るまで、それについての説明がほとんどなされないということが挙
げられます。

 説明がほとんど、或いは一切なされないというこの特徴を、以下では
「特徴A」 と言うことにします。

宮崎監督自身が同様のことを言っているので、後期3作にはAという特徴
があるというのは確かなことだと思います。

  これは 『風の谷のナウシカ』 と比較するとよく分かるのですが、映画ナウ
シカでは逆に、物語の序盤においては登場人物のセリフは「説明的なセリフ」
ばかりです。

  単純に考えると、普通はつながりを説明するのが当たり前で、Aのような
特徴をもっているというのはあまり普通ではないというか、ちょっと特殊なコト
のような気がします。

 また、説明はいっさい省くとか、分かる人だけ、或いは僕(監督自身)だけ
が分かればイイというのは、ちょっと傲慢な態度だとも思えます。

  「国民的な作家」 と評価されていることや観客動員数の巨大さを考えれば、
また、莫大な収益をあげていることを考えれば、作品については、もう少し親
切なサービスというか、観客の満足度を第一優先にするというやり方もあり
得ると思います。

 しかし一方で、監督自身の立場で考えると、やはり作家・芸術家というの
はあくまで自分の感性にしたがって創作していくのが本道で、それを分かっ
て支持してくれる人だけが支持してくれればイイというのが本来の芸術の姿
であるということもいえると思います。

  これはどちらがイイという問題ではなく、宮崎監督は後者を選んだという
ことです。

  監督は引退会見で、「自分は文化人ではなくて職人だ」 と言っておられ
ました。 微妙な言い回しですが、意味的には間違っていないと思います。

 ちなみにウィキペディアによれば、「文化人」 とは、文化の創造的な面に
携わる人物のこと。 術家や著作家、思想家、学者など、主に芸術や学問の
分野で業績を挙げた人物を指す。

 一方、「職人気質」 とは、自分の技術を探求し、また自信を持ち、金銭的・
時間的制約などのために自分の意志を曲げたり妥協したりすることを嫌い、
納得のいく仕事だけをする傾向。 いったん引き受けた仕事は利益を度外視
してでも技術を尽くして仕上げる傾向などを指す。

 対立する概念というわけではないですが、後者は、まさに宮崎監督のた
めにあるような言葉です。 高倉健さんもこういうカンジですね。

  宮崎監督は活動の後期になると、自分のためと言うよりも、周囲の励まし
や説得を受けて、むしろ義務感から映画を作っていたという面が大きいと思
うので、「わかった、作るよ、作るけれども、その代わり内容については僕の
好きなようにやらせてもらうよ」 というカンジだったのかもしれません。


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 さて、40行ほど上で、「単純に考えると」 Aのような特徴をもつ物語は普
通ではなく、つながりを説明するのが当然だと思える、と言いました。

 しかし、これを 「単純に」 ではなくて 「よくよく考えると」 案外そうでもない
というコトが分かります。

 まず1つ言えるのは、Aという特徴をもつ物語に対して、それでもなお理由
や論理的なつながりの説明を求めたとしても、決して答えは出ないであろう
ということ、

  たとえ答えが出たとしてもそれが正しいのかどうかを確認することができ
ないということ、

 その答えを知っているのはおそらく監督本人だけであるということ、あるい
は監督本人にも答えが分からないという場合が多いであろうということ、

  さらに、そもそも始めから答えなど存在しないという場合もありうるという
ことです。

  現実の世界について考えてみても、決してすべてのモノゴトに明確な原
因や理由があるワケではないということに気がつきます。

  実際にモノゴトの連鎖を決めているは (A).偶然であったり、(B).同時
に複数の理由が存在したり、(C).「風が吹けば桶屋が儲かる」 の場合のよ
うに原因と結果との間に大きな隔たりがあって、その隔たりの中にはいくつ
もの ・・・・・・ 言葉だけでは説明しにくいので ・・・・・・

 まず、(A)はイイとして、 (B)はつまり、 ① から ⑩ へとつながるときに、
その理由としてはⓐ でも ⓑ でも ⓒ でも構わない、3つのうちどの理由であ
っても ①から⑩という変化、つながりは起こりうるという場合。

 (C)は、「出来事1」 から 「出来事9」 へとつながるときに、1(7153)9、
1(9271)9、 1(1119)9、 1(0130)9 のうちどれも起こりうるときに、
( ) の中が不明であるという場合。

 ( ) の中が不明であれば、この場合も 「なぜ1から9への変化・つなが
りが起こったのかは不明」 だということになります。 ( ) の中が4ケタもあ
れば、その組み合わせはほとんど無限にあります。

 つまりこの場合、「出来事1から出来事9へへの連鎖について、その理
由を説明することは不可能」 だということです。 この場合 「理由は無い」
と言い換えることもできるでしょう。

 現実の世界であっても物語であっても、物事の連鎖というのは、時の
経過とともに(C)のようにして起こっていくわけですから、そうだとすれば、
物事と物事のつながりや、物語でいえばストーリーの展開などについて、
その理由を明確に説明することなどできるハズがない、という驚きの結果
にもなってしまいます。


  しかし、それでも人はすべてのモノゴトに理由を求めてしまいます。 モノ
ゴトの理由わからなければたまらなく不安になってしまうからです。

  これは、自分が突然記憶喪失になってしまった場合の不安を想像する
とわかると思います。

  例えば、ふと目が覚めたら、自分が全くの暗闇の中にいるということに
気がついた男の子。 全身につよい圧力がかかっている。 自分の身体の
上に何かが乗っかっているようだ。 息が苦しい。 呼吸ができなくなりそう。

 両腕もつよく押さえつけられているので全く動かすことができない。 そ
の状態のまま2分が経過した。 たまらなく不安で頭がパニックになってくる。

 ・・・・・・ と、ここであることを思い出した。 そうだ、友達とかくれんぼをし
て、押入れに入ったんだ。 ふすまを開けられても見つからないように、布
団と布団の間に無理やりもぐりこんだんだ。 なかなか見つけくれないから
眠くなって寝ちゃったんだ。 どうりで苦しいはずだよ。

 このように、理由さえ分かればすぐに安心できるワケです。

 人は物事や自分の置かれている状況の理由が分からなければ不安に
なり、やがてその不安に耐えられなくなる。

  宗教というのは、じつは人間のこういう性質から生まれたものだともいえ
ます。 人が不幸な状況にあるときに、その理由を教える。 そうすると、その
人は安心し、その状況を受け入れることができるようになるということ。


 もとに戻りましょう。 いま話しているのは、内容についての説明がなされ
ないという、後期3作の特徴についてです。

 それに対して 「どうしてこうなってこうなったのか?」 などと、説明や論理
的なつながりを求めないで、与えられたものをそのまんま受け入れて楽しん
だ方がいいのでは? ということ。 考えても答えは出ないからです。

 もちろん、深読み的な推理をしたりや都市伝説的な解釈をしたりするのは
とても楽しいことなので、それはそれで楽しめばいいと思うのですが、あまり
それにこだわりすぎない方がイイということです。


  作品の解釈というコトに関してもう1つお話をします。 以前は、学校の国
語の授業やテストにおいて、「この文章の意味することを答えよ」 などという
問いがなされていました。

 これは、文章や物語には、ある1つの客観的に正しい意味や解釈が存在
するのだという考え方に基づいた問いです。

  つまり、作者には何か 「言いたいこと、伝えたいこと」 がもともとあって、
それを読者が 「作品」 をとおして受け取るという一方向的な図式です。

  しかし、そういう考えはやがて否定されていきます。

  本当はそうではなく、読者に読まれるまでは、そのテクスト(作品)は未だ
完成しておらず、読者の 「読む」 という逆向きの行為がなされることによって
初めて完成する。

 書店の棚に並んでいる本はその時点では未だ未完成であって、作者と読
者の相互行為によってはじめてテクストとして完成するのだということです。

  その場合、読者はそれぞれに性質や背景が違うわけですから、結果とし
て出来上がるテクストは幾通りもありうるということで、 読者が違えば完成
するテクストも異なるということになるが、それでいいのだ。 ということ。


 さて、後期3作のもう1つの特徴は、以前の作品よりも 観る人の年齢や立
場によって受け取り方が大きく異なるであろうということです。 これは、後期
3作は、それ以前の作品と比べると、「より子供向けに」 作られているように
思えるからです。

たとえば、子供連れの母親であれば 「子供も喜んでいたし、大満足。 大波
のシーンは圧巻でした」 という感じになりそうですが、 野郎2人で映画館で観
るというのはちょっとツライような気がします。


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 宮崎監督は、自分の息子が子供だった頃にはその年代に合わせて、息子
が成長するにつれて対象年齢を上げて作品を作ってきたそうです。

 そして息子が成長しきると、今度は友人などの子供を対象にしており、『千
と千尋の神隠し』 の公開時にはガールフレンドである友人の娘のために作っ
た作品だと説明しています。

 また、監督自身高齢になってきたというコトも関係していると思います。 や
はり誰しも年をとっていくと、ギラギラした部分が減っていってピュアな方向に
戻っていくという面があるのではないでしょうか。
 

  さて、ココからようやく、後期3作に対しての評価についての話です。 はじ
めに1つ断りを入れるくと、作品の評価という場合、突き詰めればそれは 「評
価=興行成績である」 ということになります。

 これは書籍、CD、コンサート、イベント、プロスポーツ、テレビ番組 、つまり
「人に見せてお金を取るというもの」 であれば何でも同じです。 これらについ
ていちばん客観的で現実に即した評価基準は、どれだけ多くの人が見てくれ
たのか? ということになります。

 したがって、この意味で言えば宮崎駿の後期3作は “非の打ち所の無い”
作品だ、ということになります。

 以上を踏まえて、以下ではそれ以外の評価、とくに内容についての評価に
関する話をします。

 まずは国内での評価から。

 1つ確実に言えるのは、後期3作については否賛両論あるということです。
賛否ではなく否賛というのは、否定の方が多いということです。

  僕自身の個人的な感覚で言っても、「否」 の方です。 しかしそれには、
“以前の宮崎作品と比べると” という限定がつきます。 宮崎作品は、やはり
他の作家の同様の作品よりは気になりますし、観てみたいという気持ちにな
ります。

 しかし一方で、はじめてリアルタイムで経験する宮崎作品が千と千尋以降
の作品であるという若い世代の人たち(①)による評価を見てみると、それよ
りも上の世代の人たちと比べて全体的に高い評価を与えていることが分かり
ます。

 この世代の人たちは、千と千尋については7割ほどの人が最高の評価を与
えているようです。 ハウルとポニョについては、賛否が半々であるという印象
です。

 ただ、これは当然予想されることで、誰しも、自分がスゴク若かった頃に経
験したモノゴトがいちばんイイものだという思いを持ちますし、リアルタイムで
経験した作品の方が印象が強く残ります。

 また①の世代の人たちは、千と千尋以降の作品を評価するにあたって前
期3作と比較するという視点を持たない人も多いというコトがあります。


  国内での評価についてはこのように理解できるとして、海外での評価につ
いてはどのように考えるべきなのでしょうか?

 ・・・・・・ イロイロと見回した結果、以下のように理解できると思います。

 まず、海外での評価についても分けて考えるべきだというコトです。

 (a).海外の映画業界内での評価 (b).海外メディアによる評価 (c).宮
崎作品が海外で知れ渡るようになった、もののけ姫や千と千尋以降の作品だ
けを観たという一般の人 (d).昔から宮崎作品を含めて日本のアニメが好き
で長いこと観つづけてきたというアニメファンの人たち 

 このように分けて考える場合、(c)については国内の ① にあたる人たち
と同じ、(d)については、国内の①以外の人たち、つまり前期の作品から観
つづけている人と同じであるということが分かります。


  以下は、海外での宮崎作品についての評価です。 千と千尋までは一般の
人によるアマゾンレビュー、 ハウルとポニョについてはメディアによるコメント
です。

《 アメリカ Amazon レビュー 》

「これまでで最高の映画!!!」 (ナウシカ) 女性  評価:★★★★★

 宮崎駿監督は、これまでたくさんの素晴らしい映画を作ってこられた方で
すが、この4日間で 「風の谷のナウシカ」 を11回観た私としては、「ナウシカ」
こそが世界最高の作品だと断言させてもらいます。

 最初から最後まで圧倒的に素晴らしい映画でした。 ただ正直に言うと 「素
晴らしい」 という言葉はこの映画を表現するには、ちょっと物足りないですね。
この作品は 「卓越した」、「壮大な」、「見事な」、「高潔な」 など、辞書で調べた
全ての誉め言葉を足してもまだ少し不足気味なくらいです。 賭けてもいいです
けど、何度くり返し観ても退屈することは絶対ありませんよ

 宮崎監督はこの映画でアクションとドラマ、奇跡と戦争、平和と共感、全てを
描いています。 私の親友の言葉を借りれば、「全ての要素を詰め込んで、1つ
の素晴らしい物語に仕上げた」 という映画ですね。 まだ観てない人には絶対
の自信を持ってお勧めします。 「ロード・オブ・ザ・リング」 や 「スター・ウォーズ」
のことなんてもう忘れましょう。


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「史上最高と言える映画の一つ」 (カリオストロ) 男性 評価:★★★★★

  宮崎駿監督はアニメーション界の黒澤明、もしくは日本のディズニーと称え
られてきました。 ただ、どちらの表現も、彼の天才性を表現する言葉としては
不十分なものに思えてしまうほどの人物です。

 多くのファンの間で、彼の最高の作品はどれか? という議論が交わされて
きました。ラピュタが最高だという人たちもいれば、風の谷のナウシカが最高
だという人もいます。 このカリオストロの城が最高だという人も多いようです。

 どれが最高かを決めるのは難しいのですが、私も最終的にカリオストロが
最高だという結論を出すでしょうね。 ただ、最高のアニメーション映画というこ
とではなく、実写作品を含めた上での最高の映画という意味です。


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「もののけ姫より曖昧で理解しづらい」 (千と千尋) 男性  評価:★★★★

 個人的意見ではあるが、この映画は必ずしも良い作品と呼べるものではな
いと思う。 私は「もののけ姫」を観てすっかり感動してしまったので、「千と千
尋」もかなり期待した上で鑑賞した。 たしかに心を動かされたし、考えさせら
れる部分もあった。「もののけ姫」と同様に、イマジネーションが解放されたよ
うに感じる作品でもあった。

 ただ、「もののけ姫」に比べると、物語に一貫性が欠けているように感じられ
たのも事実だ。 物語がスムーズに進行していくのは前半の45分だけだ。千
尋の両親が豚になり、ハクや湯婆婆、カオナシに出会うところまでは問題ない。

しかし、その後はストーリーが曲がりくねって進行するようになってしまう。そ
のせいか、キャラクターたちが困難な状況に陥っているはずなのにそうは見え
なかったり、ストーリーにおいて何が重要か分かりづらくなったりしてしまうのだ。

 他にも、映画のテーマとどのような関わりがあるのか理解しづらい要素はい
くつかある。 カオナシの存在はその一例だ。 このキャラクターは明らかに映
画のテーマと本質的な関係のある何かを表現するために登場するキャラクタ
ーなのだろうし面白いキャラクターだとも思う。

 ただ、このキャラクターはストーリーにどんな意味を与えているのだろうか。
強いて言えば、「強欲」に関するテーマをさらに強調するためとも受け取れる。
ただ、それは千尋の両親が豚になったことで表現できているので重複になる
のではないだろうか。

私はまだ一度しかこの映画を観ていないという状態だ。恐らく、この映画を
理解するには、まだ時間が必要ということなのだろう。


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『ハウルの動く城』 についてのメディアによるコメント

  もし作品の気まぐれな波長についていけるとしたら、過去の栄光には明
確に遠く及ばない出来だとしても、この宮崎の最新作にも、いくつかの本当
の楽しみを見つけられるだろう

  比較的出来のよくない宮崎作品ではあるが、この草分け的映画作家の
手がけるどんな作品にも、見てみるだけの価値はある

  もしあなたが5歳か、あるいは幻覚剤か何かの影響下にあるとしたら 『P
onyo』 はたぶん傑作に思えるかもしれない。 しかしそれ以外の全ての人に
とっては、『Ponyo』 は美しいが、驚くくらい退屈な作品に見えるだろう。


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 本文に戻ります。 全体像をわかりにくくしているのが (a)。 (a)の人た
ちによる、批判はいっさいせずに一様に絶賛するという態度です。

 また(b)についても、批判的なコメントはいたって控えめです。上に挙げ
たようなハウルやポニョについての批判的なコメントは詳しく探さないとで
てきません。

 (a) については、業界内での評価ですから、賞賛ばかりで批判は見られ
ないという状況であっても当然といえば当然なのですが、1つには、(a) の
人たちはおそらく初期の頃の宮崎作品からほぼ全てを観ているであろうこ
とから、後期3作についての評価であっても、その中には宮崎作品全てに
対する評価が含まれているであろうというのがあります。

 もう1つは、おそらく (a)の人たちには、ディズニー作品以外は宮崎作品
と比較対照できるような作品があまり存在しないであろうということ。

 その場合、評価は相対評価ではなく絶対評価になるわけで、たとえ後期
3作であってもクオリティーの高い宮崎作品ですから、それを他との比較と
いう視点抜きで、ただ単純に 「イイ作品か、それとも悪い作品か?」 と問わ
れれば、当然イイ作品だと評価されるであろうということです。

  そして、それを日本風の控えめで微妙な表現ではなく、海外風の直接的
で誇張気味で大ざっぱな表現にすると、「賞賛の嵐」 ともいえる結果になる
ということです。


 ・・・・・・ 千と千尋以降は、海外での評価ということが監督の新たなモチベ
ーションの1つになっていたと思われます。 それがなければ、引退はもっと
早かったかもしれません。


  しかし、あと1つ問題が残ります。

 作品を重ねるごとにその内容は大衆迎合や最大公約数的な感覚からは
どんどん離れていき、また、以前の作品と比べると評価が下がってきてい
るにもかかわらず、逆に観客の数は増えていき、ついには記録的な数字に
まで至ってしまったという事実です。

 これはどう解釈すればいいのでしょうか?

たとえば 『崖の上のポニョ』 が公開1ヶ月で100億円の興行成績をあげ
たというのも、ポニョが宮崎作品の中でもとくに子供向けであることを考える
と、ちょっと異常というか、国民全体が熱に浮かされているというか、とにか
く凄まじいブランド力だと思います。

  この傾向は今回の 『風立ちぬ』 についても同様で、公開2日で9億円の
収入をあげた、また、引退宣言効果によって観客動員率が37%アップした
などという報道がなされました。

 ここまでくると「宮崎駿という現象」 と言った方がいいのかもしれません。

 かなり上のところで、これはつまり現在では美貌が衰えたキョンキョンや
沢口靖子が ・・・・・・・・ という言い方をしましたが、陳腐なたとえ方をすれ
ばそういうことだと思います。


  おそらく後世の人たちは、宮崎駿を黒澤明と同格に扱うのではないでし
ょうか? 手塚治虫と比べるとどうなのか? という興味もわきます。



《 『風立ちぬ』 について 》 

  さてさて、 評価についての話はこのくらいにして、ここで今回の 『風立ち
ぬ』 についてお話します。

  しかし最初に申し上げておくと、僕はこの作品はまだ観ていません。 よ
って、内容について語る資格はまったくありませんので、さし障りのない範
囲内にとどめておきます。

風立ちぬについて考える際に、まず意識した方がいいと思うのは、この
作品は、過去の宮崎作品とはまったく別物であるということです。


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 監督本人がインタビューで言っているように、この作品は 「子供向け」 の
作品ではありません。 そして何よりも、魔法や動物キャラなどのファンタジー
の要素、空想の要素が全く含まれていないということです。

 これはおそらく監督にとって映画としては初の試みになるのだと思います。

  じつは、この作品はある模型雑誌で監督が道楽として連載している漫画
を映画化した作品です。

  はじめのうち監督は 「こういうのは子供は観ないよ」 というコトで、映画
化については非常に難色を示していたトコロ、鈴木プロデューサーが説得
に説得を重ねることでようやく実現に至ったという事情があったようです。

  内容的にも、戦争と歴史、震災という社会的事件、男性にとっての仕事、
男女の恋愛、そして大病を患う女性、つまり人間の生と死という巨大なテー
マがいくつも同居しています。

 加えて、完全なフィクションではなく実在の人物を扱うという人物伝の形
式をとってもいます。

 大人向けの物語を初めて描くアニメ監督が、これだけの大きな要素を含
む物語を、傑作といえるほどの作品に仕上げることができるのか? という
問題がまずあると思います。

 しかし、たとえば岡田斗司夫さんは YouTube にアップされた動画の中で
「宮崎駿の最高傑作だ」 という評価をなさっていました。

 ちなみに YouTube には現在多くの人の 『風立ちぬ』 についての評論動
画がアップされていますが、まさに十人十色、すべての人がまったく違うこと
話しています。

 ただ1つ共通していたのは、映像表現についてはホントに素晴らしい、あ
る意味究極だ、ということです。 これだけでも映画館の大画面で観る価値
は充分にあるといえるでしょう。

 結局、宮崎監督は、最後の最後まで新しいことに挑戦する姿勢を示したと
いうことになります。

  ファンタジーだけでなく、リアルな大人の人間ドラマや社会的な作品も作っ
てみたいという気持ちになったのかもしれません。


《 『風の谷のナウシカ Ⅱ』 について 》

 ここ最近、 『風の谷のナウシカ Ⅱ』 がついに制作されるのではないかとい
う噂が、まことしやかに囁かれているそうです。

 ナウシカにはコミック全7巻の原作があって、映画化されたのは2巻の途中
までにすぎません。 内容のボリュームでいうと、約3分の1程度にあたります。

 今回、『風立ちぬ』 で主人公の声を担当することになったのが、エヴァンゲ
リオンの作者として知られる庵野秀明氏である。


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 じつは庵野氏は、84年の映画 『風の谷のナウシカ』 では原画を担当して
おり、そのとき受けもったのが巨神兵の崩壊シーンであった。

 下の方に画像を貼りましたが、言われてみれば、エヴァは原作版の巨神兵
にそっくりです。 庵野氏自身も、「エヴァンゲリオンも、僕の中ではナウシカの
つづきを僕なりに作っているつもりなんです」 と言っていたそうです。(※)

 庵野氏は、以前からナウシカの続編を熱望していて、「ナウシカの続編か、
7巻だけを三部作で映画化したい」 と言いつづけてきたという。 それに対して
宮崎監督が去年、「庵野だったらいいかな」 と洩らしたと言われている。

 宮崎監督は、「庵野に会うと、時々『ナウシカの続編を自分に撮らせてほしい』
と言われる。 彼によると、エヴァもまたナウシカのつづきを自分なりに作ってい
るんだ、と言うんです。 どれだけ 『ナウシカ』 に取り憑かれているのか。

 「王様のブランチ」 に出演した際のインタビューでも、 「ナウシカの続編とかパ
ート2 を作る気はなかったんですか?」 という問いに対して、「それはやめた方
がいいと思っています。 僕はやる気はない。 ただ、庵野がやりたいやりたいと
言うから、やるならやってもイイと、この頃は思うようになっていっていますけど」
と答えている。


《 原作版 「風の谷のナウシカ」 の内容 》 

  それでは、最後のお話として、『風の谷のナウシカ』 の本来のストーリー
をご紹介します。 今となっては知っている人の方が多いかもしれませんが、
もしもご存じないという方は、ぜひ以下をお読みください。

  原作版のナウシカは、1984年から94年の13年の長きにわたって月刊
雑誌アニメージュに掲載されていたものです。 上でお話ししたように、映画
では、原作版全7巻のうち2巻の途中までの部分が描かれています。

  しかし、それだけではありません。じつは映画と原作はまったく別物と考
えた方がよく、映画では、いちばん肝心な 「風の谷のナウシカ」 の骨組みに
あたるメインストーリーについて、おそらく意図的に全く触れられていません。

  原作版ナウシカには、 宮崎駿の作家としての凄みが凝縮されています。
このストーリーを知れば、「風の谷のナウシカ」 という作品についての印象・
評価が変わるだけではなく、きっと宮崎駿という作家についての印象・評価
までもが変わると思います。 

  宮崎駿という作家は、決して 「魔女の宅急便」 や 「ポニョ」 のようなファ
ンタジー一辺倒の作家ではないのです。

それでは、以下で大まかなストーリーを紹介します。 ネタバレになります
が、結末の部分については書くことを控えておきます。  

  文明人が戦争をくり返した結果大気の汚染が深刻化し、人間が生存で
きないレベルにまで進んでしまう
                     ⇓
 文明人は対策として、汚染を浄化するための菌を生成し、腐海と蟲を作
り出した。
                     ⇓
 腐海が大気を浄化するには数千年かかるため、それまでの間文明人た
ちは卵となって冬眠することに。
                     ⇓
 眠りについている間の世界の管理、浄化の状況の観測、浄化後に自分
たちを覚醒させる役割のため、支配層であった文明人は被支配層であっ
た人間たちにその役割を押しつける (その子孫がナウシカたち)
                     ⇓
 目覚めたあと、文明人との間に争いが起きることも考えられるため、被
支配層の人間たちには完全に浄化された大気では生きていけないような
性質をもたせた
                     ⇓
 文明人が眠りについたあと、腐海は順調に世界を侵食
              ⇓
 眠らずに生き続けさせられた被支配層の人たちは、人間の業として戦
争をくり返しながら、腐海を敵視し焼き払おうとする (※)
              ⇓
 相つづく戦争の中で、ナウシカは自分たちが生かされている意味、自分
たちはただの「つなぎ」の存在にすぎないというコトをついに知ってしまう
              ⇓
       さて、このあとどうなるか?

  という物語です。 (※)の部分についてはこういうコトです。 生き続けさ
せられた被支配層の人間たちは、腐海の中のような汚染度の高い大気に
はもちろん絶えられないが、かといって文明人が目指している完全に浄化
された大気の中でも生きていけないという細工を施されたというコト。

 つまりナウシカたちは、「若干~死に至らない程度」 に大気が汚染されて
いるという状態でのみ、とても狭い範囲の大気の状態でのみ生きていける
ということです。

 文明人からすれば、被支配層のことなどどうでもいいワケです。 完全に
大気が浄化される時まで何割かが生き残ってくれて、自分らの目を覚まして
くれればいいわけで、逆に彼らがあまり元気だと文明人の脅威になります。

 映画の中で、腐海の底に落ちたナウシカとアスペルがマスクを外しても平
気だという場面がありましたが、あの場所も完全には浄化されてなかったと
いうことだと思われます。

 物語の結末も、壮絶というか、ハッキリ言うと絶望的な状況で終わってい
ます。 クライマックスでナウシカのとった行動はとても考えさせられるもの
で、この点についてはいろんな人が意見を述べているところです。

 このはなしを面白くしているのは、このストーリーを、文明人のうちの誰か
を主人公にして文明人の立場から物語るのではなく、逆にナウシカの立場
の人間を主人公にしてその主観から物語を描いているというところにあると
思います。
 
  このように、ラストも含めて結構えげつないスートリーなので、映画ではナ
ウシカのキャラも巨神兵のビジュアルもソフト化されています。


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《 原作版 「デビルマン」 》

  じつは、これと同じようなコトが、永井豪の 「デビルマン」 についてもあては
まります。

 デビルマンは、アニメ番組として1972年~73年にかけてTV放送され、そ
の主題歌とともに番組は人気を博しましたが、原作のコミック版の内容とTV版
の内容はまったく異なってい
ます。

 テレビ版のデビルマンは正義の味方であって、毎回登場する悪者の悪魔を
倒すというおなじみのストーリーですが、原作の方は壮大なスケールの壮絶な
物語がくり広げられます。

 全5巻と比較的短いその原作は、その分無駄な部分がなく、濃密なストーリ
ーをノンストップで一気に畳み掛けます。

 地球はかつてデーモンが支配していたが、創造主である神に滅ぼされそう
になっていたところ、デーモンの支配者であるサタンがデーモンの側について
戦いに勝利し、その後永い眠りについた。

 デーモンたちが目を覚ますと地球は人類に支配され荒らされ放題荒らされて
いた、デーモンらはそのコトが許せず人類を滅ぼそうとする。

 デーモンは人類を滅ぼすため、人間と合体し人間世界の内部から滅ぼすと
いう手段にでる。 デーモンが次々と人間と合体していく中、「勇者アモン」 と呼
ばれる最強のデーモンが主人公不動明と合体するが、明は人間の心を失わ
なかった。

 また同じ頃、明の親友・飛鳥了はサタンと合体するが、了は人間ではなくデ
ーモンに加担する立場をとる。

 明は、デビルマンとして人類のために戦う決意をしデーモン勢力と戦い始め
るが、1人では無理なことを悟り 、無差別合体によりデビルマン化した者たち
を集め軍団を組織する。

 一方で、ちまたでは悪魔と合体した人間が増え続けるという状況の中、疑心
暗鬼となった人間たちは「悪魔狩りを」 をくり返し、大量の人間を自ら殺戮して
いくという、悪魔以上の悪魔的存在になってしまう。

 ・・・・・・ それから20年が経過、人類はすでに自滅し全滅していた。 そして、
明が率いるデビルマン勢力と、了が率いるデーモン勢力との最終的な戦いが
はじまる。

 ・・・・・・ 果たして結末は? (衝撃のラストシーン)

 という具合です。 読んでいないという方は、ぜひ読んでください。

  ガンダムの登場によって影に隠れてしまいましたが、じつは永井豪先生はと
ても偉大な漫画家です。 ロボットアニメにおける典型的なストーリー、

 〈正義の味方の巨大ロボットがあって、主人公がそれに乗って操縦する。 毎
回、悪者側のロボットが登場して街などを破壊する。 その回の話が盛り上がっ
たところで直接対決をして、最後に必殺の武器で倒す〉

 この典型的なパターンを 「マジンガーZ」 によって生み出したのが、他でもな
い永井豪です。 この意味においてはエヴァンゲリオンも影響下にあるわけです。

 マジンガーZはとても人気が高く、続編として 「グレートマジンガー」 「グレン
ダイザー」 も放送されました。

 「グレンダイザー」 はフランスでも放送され、なんと視聴率80%をたたき出し
ました。


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 【 人物としての宮崎駿 】

  これはよく知られていることですが、宮崎さんは学生時代から左翼運動
を行っており、東映動画入社の志望動機書には 「米帝ディズニーに対抗し
うる国産アニメを作る」 と書かれていたと言われています。

 さらに、入社後も労働組合の書記長を務めるなど、積極的な活動を行っ
ていたようです。

 同じ世代で青春時代に政治運動をしていた人たちと同様、やがてその立
場からは卒業していったようですが、その後も社会に対する関心は強く、折
に触れて政治的、思想的な発言をしているようです。

 たとえば湾岸戦争の際には、米国政府の方針に反対の立場を表明し、自
らの反戦の立場を明らかにしています。

 反戦の主張は、宮崎作品の数々にも色濃く表れているのですが、それで
いて監督は生粋の軍事マニアであり、戦争の道具は大好きであるという矛
盾を、周囲からはしばしば冗談交じりに指摘されてきたようです。

 今回の 『風立ちぬ』 は真っ向からその問題を扱う内容だということで、再
びその矛盾を突っ込まれています。

 また、護憲を主張し、その立場から憲法の条文や自衛隊の意義について
など、かなり具体的な事柄に至るまでの発言をしたりもしています。 また、
ナショナリズムを警戒するような発言もあったようです。

 さらに最近では、原発の賛否について反原発の主張を掲げ、ジブリの地
元小金井周辺で1人デモ行進を行うというパフォーマンスが、スポーツ紙の
1面に掲載されるということもあったようです。

  しかし紙面上の写真には、胸に 「反原発」 と書かれたプラカードをぶら
下げた監督がニコニコしながら散歩をしているだけであって、こんなものを
ワザワザ撮りに行かされたカメラマンこそイイ迷惑だ、という印象を与える
モノでした。 ここまでくると、やはりピントのズレた行為であると言わざるを
得ません。

  さらに、ここが重要ですが、本気で反戦を唱えるのであれば、やはり 反
戦の主張と 『風立ちぬ』 や 『紅の豚』 のような戦争兵器を美化するような
物語は両立しえないという事実に自ら目を向けるべきでしょう。

 それはたとえば、イラク戦争において飛行機からの爆撃で家を吹っ飛ば
されたであるとか、同じく飛行機からの機関銃攻撃でお父さんとお母さん
を撃ち殺されたような子供が 『風立ちぬ』 『紅の豚』 を観てどういう気持ち
になるのかを考えればすぐにわかることです。

  これはべつに宮崎作品を批判しているのではなく、監督は、もはや自ら
の立場を自覚して安易な政治的発言は控えた方がイイのでは? というこ
とです。


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《 毒舌家と言う側面 》

 ところで、宮崎監督についての記事や文章などをイロイロと読んでみたと
ころ、監督はけっこう毒舌家であるということが指摘されています。

  内容的に面白いので紹介しますが、ニュアンスについてなど多少誇張さ
れている部分もあるかもしれないので、それを踏まえた上でお読みください。

 以下、ランダムに挙げていきます。

 手塚治虫について、監督は手塚治虫のマンガについては高く評価する
が、その一方でアニメ作品に対しては 「僕は手塚さんがひどいアニメーシ
ョンを作ったことにホッとしたのかもしれません。 これで太刀打ちできると」

 「アニメーションに関しては、これまで手塚さんが喋った事、主張した事、み
んな間違いです」

 「お前、こんな下らねぇもん書きたくて漫画家なったのかよってのあるじゃ
ないですか。 少年ジャンプとか」

 「ヤマトの戦闘シーンはダメ。 よく描かれるヤマトの構図があるけどあん
なのはダメ。 戦艦をどこから見たらいちばんカッコいいのか知らない人間
が描いている。 自分がああいう戦闘シーンを作ればもっと面白くカッコよく
できる。 でも自分はアニメ作家としてのポリシーがあるから、ヤマトのよう
なものは決して作らない」

「希望を持って生きねばならぬ、という価値観は捨てた方がいいし本当は
この世は生きるに値しない。 でも子供に向かってそんなことは言えないの
で 『とりあえず生きてみて下さい』 と言うのが私の本音です」

 「世の中で一般的にいっぱい言われているような、こういうものを訴えた
いからとか、というので作品を作ったらくだらないものです。 『命の大切さ』
って、だったら 『命は大切だ』 って書きゃいいじゃないですか。 そういうふ
うにテーマを簡単に抜き出せるものは、みんないかがわしいと思いますね」

 「『もののけ姫』 の時が辞め時だった」

 「どうせ君はガンダムみたいなくだらない物を作りたいんだろ?」

 「年寄り扱いしてるって感じですよね」 (ベネチアで栄誉金獅子賞を受賞
しての一言)

 「結局あの、本当に思うけど趣味持ってる奴は駄目ですね。 全部アニメ
ーションに吸い取られてしまった人間でないと」

 「わかる映画ってなにかって言ったら、つまんない映画なんですよ。 論理
でやってくとさ、自分の考えで狭くなるから、意識的に壊してみようかなとか、
そういうことだよ。 子供たちはね、わかるんですよ。 論理で生きてないから」

 庵野秀明監督との初体面について、「コレに最初会った時はホントに汚
くてですね。 24の時だっけ? ナウシカって作品を僕がやってる時に、突然
不審な人物が現われて 『原画描かせて下さい』 って言ったんですよね。 で、
もう本人の絵よりもそのキャラクターにビックリしまして、とうとう日本にもこう
いう変なのが生まれるようになったのかっていう」


 ・・・・・・ 引退発表記者会見において監督が 「仕事をするときはつまりは
こういうコトなんです」 と言いながらメガネを外し、デスクに覆いかぶさるよう
な姿勢を取って見せていた場面がありました。

 「この作業を持続できる時間というのは、年齢とともに確実に短くなってい
きます。 こればかりはもうどうしようもない。 仕事に取り組んでいる期間は
テレビもビデオもいっさい観ません。新聞もざっと見るだけ。 ラジオだけは少
し聴きます」

  アニメ制作の作業というのは、このように1日中デスクに向かってひたす
ら手を動かし続けるという作業が何ヶ月もつづくワケで、相当に神経も体力
もすり減らす行為のように思います。

 しかも、その期間中は他のコトにはいっさい関心を持たず仕事のみに集
中するというのですから、その 「ウチにこもる感」 はハンパではないでしょう。

 さらに、それを断続的に何十年もつづけているワケですから、その反動と
して、外に向かって話をするときには日頃の 「ウチにこもった気持ち」 を思
いっきり発散できるようなコトを言いたくなってしまうので
はないでしょうか?

 そうでもしないととてもやってられない ・・・・・・

 なんとなくそんな気がします。             


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  ・・・・・・ さて、 いよいよこの記事も終わりに近づいてきました。

  宮崎監督とその作品について長らくお話ししてきましたが、あらためて監
督が活躍してきた年月の長さというものを感じます。

  『アルプスの少女ハイジ』 が1974年、つまり昭和49年です。 年表を調
べたところ、この年には次のようなことがありました。

 長嶋さんの引退、田中首相が金脈問題で退陣、新宿西口の三井・住友・
KDDの3つの高層ビルの完成。 アニメ 「宇宙戦艦ヤマト」 の放送。 ドリフ
ターズの荒井注が脱退し、志村けんが加入。

 翌75年には、山陽新幹線岡山~博多間が開通、ベトナム戦争終結、映
画 「ジョーズ」、「秘密戦隊ゴレンジャー」 「タイムボカン」 の放送開始 など。

 こんな昔から現在に至るまで、40年にわたって傑作を生み出しつづけて
きたということは、やはり時代や流行を超えた、或いはそれ以前の、何か普
遍的な魅力があるのでしょう。

 たとえばそのうちの1つに、柔らかくて上品で正統派的な宮崎さんの画の
「タッチ」 というのがあるのではないでしょうか?

 最近では、デスノートや、また押井守の画のように、どちらかといえばシ
ャープでクールで無機質な、まさに宮崎タッチとは対極にあるような画で描
かれたアニメが多いようですし、その方が “今っぽい” カンジがします。

  しかし、好みなどをまったく抜きにして言えば、宮崎駿のタッチほど人に好
印象を与えるそれはないというか、少なくても人に嫌われることが最も少ない
といえるようなタッチだと思います。

  ちなみに監督は、自分がいちばん影響を受けた作家として「星の王子様」
の作者・サン=テグジュペリ (仏) をあげています。 この人も飛行機乗りであ
って、まさに監督とイメージが重なる作家です。

 
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 《 最後に 》

  昭和の時代のような国民的スターというものが存在しない現在、宮崎駿が
日本でただ1人の国民的な存在であるということかもしれません。

監督ほどの巨匠となると、いわばすべての日本人の期待を背負っていると
いう立場です。

 自身の作品のよしあしがそのまま海外での日本のアニメ界全体に対する
評価に直結することにもなり、その立場を何十年もつづけてこられたというの
は本当にスゴイことだと思います。


 長い間、お疲れさまでした 。


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