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2013年から見たオウム真理教事件  ④.当時の一般人の正直な印象 (下) [ニュース]

 それではつづきです。

 大きな枠組みとして、地下鉄サリン事件があった3月20日から、あいだに村
井氏殺害事件を挟んで、事件のクライマックスであるオウム富士山総本部へ
の強制捜査及び麻原逮捕があった5月16までの2ヶ月間。

 この2ヶ月間がいちばん面白かった部分、食事で言うとメインディッシュです。
それに前菜の部分とデザートの部分が付属します。 5月16日以降のデザート
にあたる部分もけっこうボリュームがあっていろんなコトがありました。

 地下鉄サリン事件直後からオウムは犯人として疑われ、マスコミが一斉にオ
ウムに疑惑の目を向けます。 それに対してオウム側は積極的にテレビなどに
出演、疑惑を真っ向から否定。

 これ以降、オウムの幹部が連日連夜ワイドショーを始めとするテレビ番組に
登場、一連の疑惑について自分たちは全く関わっていないということを延々と
説明していくことになります。

 このように、オウム側が 「受けて立つ」 という方針をとったこと、そして、それ
に最適の人物である上祐史浩という人物が現れたことでオウム劇場が格段に
面白くなっていったのですが、今思えば、それ以外の、村井氏を始めとするほ
か信者たちもイイ味を出していました。

 また、麻原逮捕以降にも、破格のキャラクターが1人現れますが、それはまた
あとで説明します。


 ・・・・・・ さて、それではまず前菜から、つまり地下鉄サリン事件の少し前の
状況から説明していきます。

 上でも述べた通り、95年時点のオウムは、すでに多くの重罪を犯しています。

 最初の殺人である89年の坂本弁護士一家殺害の時から、坂本さんの仲間
の弁護士は最初からオウムを疑っていて警察にもそのように主張していました
が、警察は半信半疑という感じでした。

 それは、宗教法人が殺人を何度も犯したり、人を毒ガスで攻撃するというマン
ガチックな行為はありえなという先入観があったからです。

 これ以降もオウムは、殺人や拉致監禁、毒ガスでの襲撃などの犯罪行為をく
り返し、警察の態度も徐々に変わってきていましたが、宗教法人法で認可され
た宗教の施設内での事件であることと、決め手となる物証が出ていないという
2点から、動くに動けないという状況でした。

 しかし、95年2月末の拉致殺人事件(仮谷さん拉致致死事件)について、大
きな証拠がついに出ました。 信者の家族(仮谷さん)を拉致するために使った
レンタカーの申込書にオウム信者の免許証のコピーがあったのです。

 これにより一気に、警察は1ヶ月の準備期間をおいて富士山総本部への強
制捜査を行う方針を固めます。

 そして、この情報を入手したオウムが先手を打って地下鉄サリンを起こしたと
いうことです。

 2月末の拉致事件については、テレビでもオウムへの疑惑を口にするように
なっていて、そういうさなかでの地下鉄サリン事件でした。

 ちなみに地下鉄サリン事件は、警視庁のある霞ヶ関駅にほぼ同時刻に到着
する5つの電車、

①.日比谷線(北千住発)
②.日比谷線(中目黒発)
③.千代田線
④.丸の内線(池袋発)
⑤.丸の内線(荻窪発)

 に信者が分かれて乗り込んで、それぞれが霞ヶ関駅の直前で新聞紙で包んだ
サリン入りのビニール袋を床に落とし、それを傘の先で突ついて破り、すばやく
その場から離れて駅で下車するという方法で行われました。


 さて、地下鉄サリン事件直後、最初に真っ向からこの問題を取り上げたのは
事件翌日の 「朝まで生テレビ」 でした。 このときの朝生の視聴率は相当高かっ
たと思います。 

 この時点での状況は、世間一般の人々はオウムが犯人であると疑ってはいる
が確信は持てていないという状況、それに対して取材を続けているジャーナリス
トたちはオウムの犯行であると確信しているという状況です。 

 スタジオには、いわゆるオウムジャーナリストと言われる人たち(※)、宗教学
者、弁護士、評論家、推理作家などが顔を連ねており、そこにオウムの代表者
が出演して、地下鉄サリンは自分たちの犯行ではない、また、その他一連の疑
惑についても自分らは “白” であると弁明するという趣旨でした。

 ここに現れたオウムの代表者が、ロシアから急遽帰国したばかりの、そしてこ
の事件を面白くした最大のキャラクターである上祐史浩氏。 それから信者で弁
護士の青山吉伸氏も一緒に出演したと思います。

 ちなみに教祖の麻原はこれ以降全く姿を見せません。 教団も麻原がどこにい
るのかについては一切明かしませんでした。


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 さて、じつはこのとき上祐氏はロシア支部を任されていた立場だったのですが、
教団にとっての一大事だというコトで、教団のスポークスマン、官房長官として急
遽日本に呼び戻されたワケです。


 朝生で、上祐氏は周囲の並み居る強豪からの追及を巧みにかわし、時には話
を自分ののペースに持ち込み、番組が終了する頃には、視聴者に 「犯人はオウ
ムではないのではないか?」 というイメージさえ与えることに成功しました。

 実際、出演していた小林某という推理作家は番組最後の結論として、「私は犯
人はオウムではないような気がする」 と発言したほどです。

 この番組での上祐氏のトークは、見ている人に対して、「この人は一般的な感
覚をきちんと持った、まともで頭がいい人だなぁ」 というイメージを抱かせました。

 となりにいる弁護士の青山氏よりも話が上手かったので、弁護士よりも頭がい
いという印象を与えたかもしれません。

    

(※) オウムジャーナリスト : オーム劇場の面白さに大きく貢献したのが、有田
芳生(ありたよしふ)氏や江川紹子氏らを初めとするオウムジャーナリストと言わ
れる人たちです。

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 彼らは、それまでは全く無名で顔も知られていなかったのですが、オウムのこ
とを長年取材してきたというコトでオウムに非常に詳しく、細かい資料もたくさん
握っていました。 また、頭も切れる人たちで、ワイドショーなどに毎回登場、オウ
ムの幹部を追及し、論争をしました。


 さて、「朝生」 をかろうじて乗り切ったオウムですが、翌日以降は連日連夜、午
前中のワイドショーから23時台のニュースまで多くの番組に次々と出演し、フィ
リップなどを用意して一つ一つ疑惑を否定していきます。

 オウム側の釈明が多少なりとも受け入れられたのに以下のような理由もありま
した。

 サリン事件のポイントとして、富士山総本部の第7サティアンのプラントでサリン
を製造していたのでは? という疑惑があったのですが、これは極めて専門的な知
識が必要な事柄です。

 疑惑に対してオウムの村井氏が 「あそこでは、サリンではなくて農薬を作ってい
たのです」 と、化学物質の名前を具体的にイロイロと挙げながら説明するのです
が、誰もそれを理解できない=突っ込むこともできない、というこがあったワケです。

 番組側も科学の専門家である大学教授などを用意して、その人に質問させるの
ですが、それだとどうしても鋭く追及することができないということです。 なお、科学
関係の事柄については全て村井氏が出演し、対応していました。


 ちなみに、この時点でオウムはサリン事件以外にも多くの疑惑を抱えており、ま
た、以前から指摘されてきた宗教活動上の多くの問題点も抱えていました。 つま
り、ツッコミどころがいくらでもあったということです。

 以下に挙げてみます。

・ 坂本弁護士事件をはじめ、疑惑を持たれているいくつもの殺人事件、毒ガスに
よる襲撃事件など (リンチ殺人事件、監禁致死ウ事件、サリンによる襲撃事件、
VXガスによる襲撃事件、小包爆弾事件 など) は、すべてオウムの犯行なのでは?
・ 修行や信者への懲罰行為として日常的に薬物を用いているのでは?
・ 信者の脱会を許していないのでは?
・ 宗教施設(サティアン)の中には畳2畳分ほどの小さい小部屋がたくさんあって、
その小部屋やトラックのコンテナなどに信者を監禁するという行為が行われている
のでは?

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・ 出家信者が連れてきた子供を学校に行かせていないのでは?
・ オウムの教義には、ハルマゲドンや終末論、ポアなどの危険な要素が含まれ
ているのでは?
・ 第7サティアンでサリンその他の毒ガスを製造していたのでは? (下の写真が
疑惑をもたれたプラント)
・ ロシア軍からヘリコプターと機関銃50挺を購入した。 また、自分たちでも大量
の機関銃を作っているのでは? (※) 
・ 信者が頭につけているヘッドギアのようなものは何なのか?


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(※) 実際、サリンやVXガスをヘリコプターで上空から散布する計画、また、ラ
ジコンヘリによる散布計画、さらに武装蜂起の計画もあったようです。 


 テレビ各局はここに挙げた疑惑を次々と追及していきます。 さらに番組は視
聴者を飽きさせないため、疑惑追求だけでなくさまざまな面からこの事件とオウ
ム真理教について報道しました。

 幹部信者個人々々に焦点をあてるVTRを流してみたり、教義を分析してみた
り、教団各支部の内部を取材したり、なかでも日本テレビは、当時ベストセラー
になった 『FBI 心理分析官』 の著者であるロバート・K・レスラー氏や、同じく化
学分析官のカイル・オルソン氏をスタジオに招いて犯人像を推理させたりと、イ
ロイロです。

 そんな中で4月23日、東京青山総本部入口、衆人環視の中で衝撃的なことが
起こります。 仕事から本部に戻ってきた村井氏が、マスコミがごったがえす中で、
暴漢に刺し殺されてしまいます。 その場面が、ナマで全国に放送されたのです。

 じつは、国民にとって、村井氏が殺されたというのは妙に納得がいくことでした。

 なぜなら、村井秀夫という人は実に穏やかでおとなしい性質の人で、テレビに
出演して相手に追及された際に、教団にとって言ってはいけないようなコトを、つ
い言ってしまうという場面が何回かあったからです。

 国民は連日の報道を見ながら、オウムがほかの勢力、たとえばヤクザやそれ
以外の闇の勢力とつながっているだろうということを薄々感じ取っていました。 そ
して、もし村井氏が逮捕されれば、それらのコトを簡単に話してしまうのでは? と
いうふうに無意識に思っていたわけです。

 ライブドア事件の際の野口さんが殺されたときも 「やっぱり ・・・・」 という感じが
ありましたが、村井氏の刺殺は、それをもっとインパクトを大きくした感じです。

 結局この刺殺事件は、直接手を下した暴力団組員のみが処罰され、その背後
関係は分からずじまいで終わってしまいました。

 しかし、興味深いことが Wikipedia に載っていましたので引用しておきます。 

事件直後の上祐氏のTV番組での証言によれば、村井は死ぬ間際に 「ユダに
やられた」 と述べたといいます。

 また、その後2000年の雑誌ののインタビューで上祐氏は、「村井は刺殺される
直前に、オウム真理教の事件その他はユダヤの陰謀であると言おうとしていた、
そんな気配がある」

「ユダヤ叩きというのは、僕にはどういう意味なんかよくわからない」 が、「彼はあ
の直前に、テレビに出演してユダヤ叩きをやろうという計画を立てていた」 「刺殺
される数時間前に彼から私の方に 『ユダヤ叩きをやりますよ。 今から戻ります』
という電話があった」 「彼はその直後に刺殺された」、と話しているということです。

 また事件当日、オウム出版の編集部に村井氏が 『ユダヤの陰謀関係の本を集
めててくれ』 と依頼していたという事実もあるようです。


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 ・・・・・・ ということなのですが、これは非常に本質をついています。 これを言う
と元も子もないのですが、じつは、オウム事件についてマスコミで伝えられている
ことはほとんどがウソです。

 あまり中途半端に思わせぶりなことを書くのも申し訳ないのでココには書きませ
んが、本当のことを知りたい方は YouTube で リチャード・コシミズ 「オウム真理
教」 と検索して、その動画を見てみてください。

 “世の中のほんとうのこと” がバンバン出てきます。 目からウロコが5万枚くらい
落ちます。 ダマされたと思って、ぜひ。 (この人の動画を見ていただける場合、「放
射能パニック」 という講演がいちばんオススメ。 あとは古い方から見てください)

 村井氏の刺殺、ライブドアの野口氏の事件など、日本に闇の部分が存在してい
るのは明らかです。 つまり、オウムと麻原は末端の実働部隊に過ぎないというこ
とです。 そのへんのことがよくわかります。 


 さて、テレビの話に戻ります。 村井氏刺殺以降の頃になると、上祐氏もすっかり
テレビ慣れしてきた感があって、ますます口が上手くなっていきます。 そんな彼に
対しては皮肉をこめて 「ああ言えば上祐」 というニックネームもつきました。

 そしてなんと “上祐ギャル” と呼ばれる上祐氏の追っかけの女の子までが登場
します。 この娘たちは、ブラウン管の中の上祐氏に魅力を感じ、自然発生的に現
れた素人の女の子たちです。

 そしてこの頃になると、徐々に 「X デー」 というコトバがささやかれ始めます。

 X デーというのは、坂本事件から6年間以上にわたったオウム事件の天王山に
あたる、山梨県上九一色村(かみくいっしきむら)にあるオウム真理教富士山総本
部への一斉強制捜査が行われる日のことで、それがいよいよ迫っている。


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【 地下鉄サリン事件から一斉強制調査までの流れ 】
 
・ 事件2日後の3月22日、東京、富士山総本部をはじめ、全国25ヶ所の施設に対
する強制立ち入り調査が行われる。 総本部には2500人の警官と機動隊員がガス
マスクを装着し、カナリアを携えて立ち入った。 大規模な抵抗も予想されたため、自
衛隊も出動準備。

 主要幹部の姿はなかったが、総本部では約50人の信者が栄養失調で昏睡状態、
そのうち30人が重傷で6名が病院に搬送。 現場にいた医師3人を含む4人を逮捕。
大量の薬品類を押収。

・ 3月20日 : 地下鉄サリン事件
・    23日 : 教団の機密資料である大量のフロッピーディスクを押収
・    30日 : 国松警察庁長官狙撃事件
・ 4月 8日 : 林郁夫 逮捕
・    12日 : 全国の施設から53人の児童を保護。 うち8人が入院。
・    14日 : 幹部の新実智光 逮捕
・    19日 : 国会で 「サリン防止法」 成立
・    20日 : 早川紀代秀 逮捕
・    23日 : 村井秀夫 刺殺
・    26日 : 富士山総本部で遠藤誠一、土屋正実 逮捕
・ 5月 6日 : 林郁夫、地下鉄サリン事件について全面自供
・    14日 : 井上嘉浩 逮捕


 そして5月16日、麻原が第6サティアンの中2階の隠し部屋に潜んでいるという情
報を得ていた警察は、その逮捕のため、一斉強制調査に踏みきります。 5時頃から
テレビがその様子を伝えていましたが、早朝にもかかわらず相当多くの人が固唾を
呑んで生中継を見ていたと思います。

 5時半頃から捜査が開始されましたが、始めのうちなかなか麻原の姿が見つから
ず、警察はあせり始めていたといいます。 しかし、9時半頃になってやっと隠し部屋
が発見され、麻原の身柄が確保されました。

 隠し部屋は、長さ 3, 35m、高さ 50cm、幅 1m という非常に狭いモノで、その
中で横たわっていた麻原は、寝袋、ウェットティッシュ、洗濯カゴ、ヘッドホン、そして
現金960万円を所持していたといいます。

 この日には、東京都庁郵便物爆発事件も起きています。 そして、翌17日にはサリ
ン製造にも加わったとされる中川智光が逮捕されます。

 逮捕された麻原は、警察のバンに乗せられて東京まで護送されることになったの
ですが、東京に着くまでの様子をテレビ局のヘリが上空から伝えていました。


 ・・・・・・ いちおうこれでひと段落ついたコトになりますが、ここで思わぬキャラクター
が登場します。

 逮捕された麻原は黙秘権を行使し、沈黙を守りました。 そして、山口組の弁護士と
して有名な遠藤誠氏に弁護を依頼したようですが、断られてしまいます。

 そこに、「私が朝原さんの弁護を引き受けます ! 」 と自ら名乗りをあげて現れたのが
横山“やめて”弁護士です。


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 この人は一見して、歯が抜け落ちているなどちょっと妙な感じがする人物で、“ホント
にこの人が司法試験に受かったのか?” と思わせる人物でした。

 また、この人は “話すのが極端に遅い” という特徴をもっていました。

 「わたしがぁ ~ ・・・・・・、こんかいぃ ~ ・・・・・・、麻原さんのぉ ~ ・・・・・・、べ、べ、
べんごをぉ~ ・・・・・・、ひきうけようとぉ ~ ・・・・・・、おもったの、はぁ ~ ・・・・・・ 」

 という感じです。 それでも一応正式に任命されたということで、しばらくのあいだテレ
ビ番組にも出演していました。

 この人を象徴するいちばん有名な場面というのがありました。

 警視庁から見て、裁判所は広い道路をはさんだ向かい側にありました。 よって、移
動するにはその幅広の道路を横断しなければなりません。

 ある日、裁判所の接見時間終了間際に警視庁で事務を済ませた横山氏が、いそい
で裁判所に向かわなければならないという場面がありました。 しかし、大量のマスコミ
が横山氏を取り囲んでなかなか前に進めません。 そして、そのせいで接見時間に合
わなくなってしまいそうな状況です。

 すると、もみくちゃにされる横山氏はついに耐え切れなくなって、

 「もう ・・・・ もう ・・・・ ぃやめてぇ~ ! ! 」 と叫んでしまいました。

 当時を知る国民は、“横山弁護士といえばこの場面” というふうに記憶していると思
います。

 当時を知らない人たちには、文章だけでこの面白さが伝わったかどうかは分かりま
せんが、とにかく笑えるキャラクターでした。 結局、この人は解任されることになり、国
選弁護団が組まれることになります。

 そして、その後しばらく経ってから、横山弁護士がなんらかの問題をおこして弁護士
の資格を剥奪されたというニュースが聞こえてきましたが、だれも関心を示さなかった、
というオチがついたという顛末でした。


 国選弁護団結成の頃になると、長かったオウム劇場もいよいよ収束に向かいます。
やがて上祐氏も逮捕されてしまいました。

 その後しばらくすると、オウムフィーバーの終焉を象徴するように、TBSがある発表
を行いました。 その発表は、通常の放送を中止してTBSの社長自らが画面に向かっ
て説明と謝罪を行うというただならぬモノです。

 なんでも、1989年に、TBSのワイドショー 「3時にあいましょう」 の番組スタッフが
当時反オウムの活動を行っていた坂本弁護士にインタビューを行い、その中で坂本
氏がオウムを批判する話を展開、そしてそれを放送する予定でいたそうです。

 しかし、その情報を聞きつけたオウムがTBSを訪れて強く抗議。 そのため、そのイ
ンタビューの放送は見送られることになった。 さらに、抗議に訪れたオウムにそのVT
Rを見せていたようで、そのことが坂本弁護士一家殺害の大きな動機になっていたと
いうことが判明した。

 ・・・・・・ この事実を重く受け止め、TBSは一切のワイドショーから撤退します。

 と、こういう発表が行われました。 これにより渡辺真里などが出演していたTBSの
ワイドショーは終了となり、その代わりに 「はなまるマーケット」 が始まることになりま
した。

 ところで、TBSのことはともかく、各局のワイドショーは数ヶ月のあいだオウム事件
以外の話題をほとんど放送しませんでした。 オウム以外のコトを放送するとスグに
チャンネルを変えられてしまうという状況だったのだと思われます。

 日テレ24時間テレビやフジ27時間テレビの放送中、そして、2001年のN,Yの同
時多発テロ、11年3, 11の東北大震災、さらにオリンピックやサッカーW杯の期間中
というのは、日常(=“ケ”)とは違った、特殊な “ハレ” の期間であると言えます(※)。

 それが恐らく戦後の日本で最も強烈に、最も長くつづいたのがオウム事件だったと
いうことです。

(※) テロや大震災に対して “ハレ” という言い方が適切かどうかはわかりませんが、
ニュアンスは分かっていただけると思います。

 思えば、オウム事件終結までのTBSは午前も午後もワイドショーを放送していたわ
けです。 バリバリのメジャーテレビ局が、ワイドショーという通常は番組編成において
欠かすことのできないジャンルから全面撤退するというのは、とても大きな変化だと思
います。

 他局のワイドショーも、オウム以降は芸能以外の 「事件」 を扱う割合が大幅に増え
ました。

 また、ちまたで見られる変化として、オウム以降、駅や街中のゴミ箱が一気に撤去
されてしまいました。 90年代前半までは、街のイロイロな場所に、もっとたくさんゴミ
箱が置かれていたのです。 たとえば、大きめの公園には複数のゴミ箱が置かれてい
たという記憶があります。

 ちなみに、ゴミ箱の撤去というのは、毒ガスや薬品、爆発物などが置かれないよう
にというコトです。 実際、この事件の後しばらくの間、イタズラで駅のゴミ箱に薬品が
置かれ、“異臭騒ぎ” ということで警察が出動するというパターンが多発したのです。



  ・・・・・・ 当時の一般の人たちから見たオウム事件というのは、およそ以上のよう
な感じでした。 なんとなく分かっていただけたでしょうか?


 最後にもう一度書きますが、YouTube の リチャード・コシミズ 「オウム真理教」
「放射能パニック」 という動画をお勧めします。 決して怪しげなものではありません。
目からウロコが10万枚落ちます。


 最後まで読んでいただいてありがとうございました。

藤圭子さん 死去  藤さんの生前の言葉から連想したコト [エッセイ]

  藤圭子さんの 「ここ5年間で5億ですか、使いました」 というセリフから連
想してしまったあれこれについての話。 藤さんについての話ではないので
お気をつけください。

  先日、藤圭子さんが亡くなりました。

 こうして記事などを書いている立場上、藤圭子さんについての情報を調べ
ていたのですが、藤さんが最後に公のマスコミと接触があったのは2006年、
例の米の空港での5000万円差し押さえ騒動のときだったようだ。

 藤さんが米J.F.ケネディ空港で5000万円の現金を携えて飛行機に乗ろう
としたところ、麻薬の売人の容疑をかけられてお金を没収されたというもので、
それを聞きつけた日本のマスコミが藤さんに取材を申し入れたところ、藤さん
がそれを受け入れてインタビューが成立した。

 その際藤さんは 「乗ろうとしていたのはラスベガス行きの飛行機だった。 ギ
ャンブルをやるつもりだったので、そのために現金を用意するのは当たり前。

 ファーストクラスで世界中を飛び回り、イロイロとギャンブルなんかをやって
います。 ここ5年間で5億ですか、使いました」


 ・・・・・・ このセリフを聞いて、僕はあらためて 「今の世の中は、富の分配が
おかしいよなぁ」 と思ってしまいました。


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  メジャーリーグに移籍した野球選手などが毎年年俸を公開していますが、
年俸5億とか、3年間で20億とか、そういう数字です。

 そういうスポーツ選手の年俸の話題が出るたびに 「いくらなんでも高すぎる
だろ、10分の1で充分だよ」 と思っていました。 もちろんスポーツ選手の場合、
活躍できる年数が短いとかそういう事情があるとは思いますが、それでも高す
ぎると思います。

 世界が充分に進歩していて、貧しい人や生活に困っている人がいなくなって
いるのならまだしも、そうではないワケだし。

 それに、スポーツ選手の報酬がここまで高くなったのも割とここ最近の話で、
あの王さんでさえいちばん高かったときで8000万円ほどだったハズです。

 もちろん、個人の能力や努力の量のちがいによって報酬が異なるというの
はスポーツ選手に限らず当然だと思います。

 そして、その方が向上心が湧いてくるというのもあると思いますので、それは
それでいいと思うのですが、それがあまりにも極端すぎると思うのです。


 現在の金融資本主義というのは、お金をたくさん持っている人の方が圧倒的
に有利になるように作られています。

 それもそのハズで、もともとお金をたくさん持っている人たちが現在のシステ
ムを作ってきたわけですから、自分たちに有利に働くシステムを作るのは当然
です。

 その中心にいるのがアメリカのユダ金(ユダヤ金融資本家)の人たちですが、
彼らが行うビジネスは金融と石油と戦争です。

 現在、1年間に世界中で生み出される富の9割以上が軍事関係に使われて
いるそうです。 アホらしいですね。

 金融に傾倒していった結果、いつの間にかアメリカは、コンピューター以外は
“モノを作らない” 国になってしまいました。

 

 以前、世界を100人のの村にたとえる詩のようなものが話題になったことがあ
りました。 その中の、富の分配にあたる部分は以下のとおりです。

村に住む人びとの100人の
20人は栄養がじゅうぶんではなく
1人は死にそうなほどです
でも15人は太り過ぎです

すべての富のうち
6人が59%をもっていて
みんなアメリカ合衆国の人です
74人が39%を
20人が、たったの2%を分けあっています

すべてのエネルギーのうち
20人が80%を使い
80人が20%を分けあっています

75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人はそうではありません
17人は、きれいで安全な水を飲めません

銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
いちばん豊かな8人のうちの1人です
自分の車をもっている人は7人のうちの1人です

村人のうち
1人が大学教育を受け
2人がコンピューターをもっています
けれど、14人は文字が読めません



  もちろん、僕のような1個人が 「今の世の中、富の分配がおかしい」 といくら
わめいたところでなんの力にもなりません。

 「おまえ、それはヒガミだろ」 と言われてしまうのがオチかもしれません。

 ちなみに経済学者のみなさんは、「現在の資本主義がこのままずーっと続い
ていくということにはならない。 必ず次の新しいシステムが生まれる」 と考えて
いるようです。

 現代に生きる私たちは、歴史の教科書が私たちの時代のところで終わってい
るということもあって、今の自分たちが生きているこの時代こそが歴史の終着点
であるというイメージを抱きがちです。

 しかし、そんなハズはありません。 500年後の人たちから見たら、“西暦200
0年頃というのはなんて理不尽で野蛮な世の中だったんだろう” 思われるかも
しれません。  

 現在、世界で1年間に生産される富のうち、ほんの何分の1かを有効なことに
振り向ければ、世界が抱える環境問題や食糧問題は簡単に解決できるといわ
れています。

 理不尽ですね。



 ・・・・・・ 藤圭子さんの 「5年間で5億ですか、使いました」 という言葉から連想
してしまったことについて書かせていただきました。

 宇多田ヒカルさんはとてもお気の毒だと思います。 がんばって楽しく生きていっ
てほしいです。

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