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1970年代以降の日本のファッションの推移 或いは 日本人とアメリカンジーンズ [ファッション]

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  現在、日本は 「世界一のジーンズ大国」 と言ってももいいほど
に、ちまたではありとあらゆるタイプのジーンズがあふれかえって
います。

  市場では数え切れないほどのジーンズブランドが乱立し、しか
もその大半が高級ジーンズを扱っています。

  それらのブランドが製造・販売するジーンズは、およそワークウ
ェアとは思えないほどに高価であるにもかかわらず、 「出せば出
すだけ必ず売れる」 という、まさに売り手市場的な状況。

  楽天などを見てみても、数万円もするジーンズの多くが SOLD
OUT となっています。

  これらの高級ジーンズブランドは、1990年頃から、日本の経済
状況とはちょうど反比例するようなカーブを描いて成長してきたと
いえ、縮小をつづけてきたアパレル業界の中では異彩を放つ存在
だといえるでしょう。

 
  ここで1つ気がつくのは、これらの高価なジーンズは 「実用品」
として売れているのではなく、趣味や鑑賞のため、いわば 「美術品
や骨董品」 のようなものとして売れているのだということ。

  たとえば 「ヘヴィーオンスの経年変化を楽しむ」 という言い方
があります。

  「ヘヴィーオンス(H.O)」 というのは本来、激しい作業や過酷な
状況や環境に耐えうるために必要な特徴で、思いっきり実用に関
する特徴です。

  一方で 「経年変化を楽しむ」 というのは逆に、実用とはまったく
関係のないことがら・行為です。

  よって、もしも 「ジーンズ=おしゃれ」 というつながりをまったく
意識しない人が 「ヘヴィーオンスの経年変化を楽しむ」 という表
現を耳にした場合、「なんのこっちゃ?」 となってしまってもおかし
くありません。

  経年変化を楽しむためにH.Oを買うという人は、本来 H.Oを最も
必要としない人、H.O からもっとも遠い人がそれを好んで買っている
ということです。

  これはもちろんとても贅沢なことであって、こういう目的のジーン
ズが世界で最もよく売れている日本というのは、やはり世界でいち
ばん贅沢な社会であると言えるのかもしれません。

  ただ、高価なジーンズが飛ぶように売れている一方で、近年、西友
やイトーヨーカ堂などの大手スーパーでは 「500 円ジーンズ」 という
モノが棚にどっさりと積まれていて、こちらもよく売れているようです。

  結局、小泉政権以来進んできた2極化(貧富の格差)がさらに進
んでいるというコトになるのでしょうか。

  また、次のような事実もあります。

  現在は高価なジーンズが売れています。 それに対して1980 代
には、高価なジーンズではなく、高価なクルマや高価なマンションが
飛ぶように売れていたというコトです。

高価なジーンズを買う人の中には、高価な家に住み、高価なクル
マに乗っている人もたくさんいるとは思います、しかし一方には 「高
価なジーンズ程度が精一杯の贅沢」 という人も多いのではないでし
ょうか。

  高価な自転車がよく売れているということついても、同じこと(贅沢
のスケールダウン)が言えるような気がします。


  さて、日本では実用ではなくて味を楽しむためのジーンズがよく
売れているという話をしてきましたが、じつは、これと同じようなこと
が革ジャンについても言えるようです。

  日本では、実用の観点から離れて純粋にオシャレとして革ジャン
を着るのはごく普通のコトで、実際に幅広い層の人たちが革ジャン
を着ています。

  しかし、これは従来日本だけで見られる現象であったようです。

  諸外国において、革ジャンを着るのは実用のためほんとうに必要
な人と、一部の不良や暴走族たちだけで、それ以外の一般の人たち
の間では、「オシャレとして革ジャンを着る」 という発想自体があまり
なかったようなのです。

  これはもしかすると、欧米の人たちにとって革ジャンというモノが日
本人よりももっともっと身近な存在であるため、あまりにも当たり前す
ぎて、それをあらためてオシャレとして着るような気持ちにはならなか
った、ということかもしれません。

  ということで、昔から、世界の革ジャン市場の中で日本の市場は
とび抜けて重要で、外国メーカーであっても常に客として日本人を
視野に入れていたそうです。

  しかしその後、バンソンが日本で大人気となって以降、とくに1990
年代中頃以降になると、日本での革ジャン人気、革ジャンをオシャレ
として着る感覚がアメリカなどに逆輸出され、向こうでもオシャレ目的
で革ジャンを着る人が増えたそうです。


  それでは、再びジーンズの話に戻りますが、日本人がリーバイス
などを穿くようになったのは、じつは比較的最近のことで、1990年頃
以降のことです。

  今の若い人は信じられないかもしれませんが、それ以前は、リー
バイスなどのアメリカンストレートジーンズをオシャレとして穿いてい
る人は全くいなかったと言っていいと思います。

  それでは、日本人はどういう経緯でリーバイスなどを穿くようにな
ったのでしょうか?

  以下でそれを説明していきますが、じつは、もっと大きいコトとして、
1980年代の後半頃を境目にして、それ以前と以降とでは 『日本のフ
ァッション構造』 がまったく異なっているという事実があります。

  いくつかの点で 『構造が異なっている』 のですが、それは一体ど
ういうコトなのか、1970代にさかのぼって、そこから順に説明してい
こうと思います。

 (※) なお、以下において 「当時」 というのは、1970年代~80年
代末頃までの期間を指します。



【 当時と現在のちがい Ⅰ. 分布の変化 】

  まず、便宜上、世の中の人々(特に若者)を、以下のように4つの
グループに分けます。

  ①.「ほんとにオシャレな人」、
  ②.「中間層の人(A)」
   ③.「中間層の人(B)」
  ④.「ダサい人」

  ①.「オシャレな人」 とは、洋服が好きで常に関心があり、いつも
「もっと服が欲しい」 と思っていて、実際に服装に結構なお金をかけ
る人のこと。

  ②.「中間の人(A)」 というのは、ある程度服装に関心があって、
ブランドものなども欲しいことは欲しいが、実際にはあまり買わない。
大金をかけることはないが服装には気をつかっていて、少なくても
ユニクロレベルはクリアしている人、という感じです。

  ③.「中間の人(B)」 というのは、オタクとかキモイとまではいかな
いが服装にはほとんど関心がなく、“すごくヘン”でなければそれでい
い、“ブランドなどはぜんぜん知らない” という人。 ユニクロ以下の人。

  ④.「ダサい人」 というのは、オタク とか キモイ とか、そういったレ
ベルの人。


  以上のように分けた場合、当時と現在では各グループの分布の
割合が大きく異なっています。

  現在では、ほとんどの人が①と②に属していると言っていいと思
います。

  しかし当時は、ごく少数の①の人以外は③と④に属する人がほ
とんどでした。

  これは、当時の中間層の人たちは全体として③のレベルにあった
が、90年以降の頃から、その中間層の人たちが全体的に②のレベ
ルに移動したというふうに言い換えてもイイかもしれません。

  つまり、当時は少数のオシャレな人たちがいて、それ以外の大半
の人たちは③か④に属していた、要はダサかったということです。 当
時は②のレベルに属する人たちがズッポリ抜けて落ちていたと言っ
てもいいかもしれません。

  なので、現在では①と②の境い目は非常にあいまいですが、当時
はオシャレな人とそれ以外の人は一目見ればすぐにわかりました。

  そのような状態であった1つの原因として、そもそも当時は洋服を
売っているお店自体が現在と比べて圧倒的に少なかったということが
あります。

  たとえば吉祥寺という街を例に採ると、当時はいまだパルコも丸井
もありませんでした(※)。

  というか、正確に言うと、当時から丸井はあるにはあったのですが、
その頃の丸井は現在とはまったくちがう路線をとっていて、洋服はほ
とんど扱っていませんでした。

  丸井はその後80年代中頃に大変身しますが、それについては後ほ
どお話します。

  丸井やパルコ以外の個々の洋服ショップについても、めぼしい店は
ほんの数件しかありませんでした。

  それに、そもそも洋服のブランド自体が現在とは比較にならないほ
ど少なかったということもあります。


【 当時と現在のちがい Ⅱ. 服装のジャンル 】

  現在では、街を歩くほとんどの人は大まかに言って同じような格好
をしています。

  カジュアルで今風の、どちらかといえば無難な格好。 強烈に個性を
主張している人はあまり見られません。

  これに対して 70年代~80年代前半頃は、「アイビー」 「サーファー」
「ローラー」 「ツッパリ」 など、服装の方向性がハッキリと分かれていて、
一目でその人がどのジャンに属しているのかがわかりました。。

  現在でも、「青色系」、「パンクっぽい服装」 など、多少の方向性があ
りますが、そのちがいは当時と比べるとごく小さなちがいにすぎません。


  当時の方向性のちがいは以下のようなカンジです。

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  上から、アイビー、サーファー、ローラー、ツッパリ の典型的な
姿ですが、いくつか注釈を加えます。

  まず、いちばん上のアイビーについてはこれでいいと思います。

  2番目のサーファーですが、画像検索をで探しても、当時のサー
ファーを正確に表している写真がなかったので、言葉で説明します。

  当時のサーファーの典型的な姿は、下半身はジーンズなのです
が、リーバイスなどのストレートではなく、当時 「ニュースリム」 と呼
ばれていたカタチのジーンズです。

  サーファー雑誌 『Fine』 の表紙に写っている男性が穿いている
ジーンズがそれに近いと思います。

  そして上半身は、花柄などのアロハっぽいシャツが典型的。

  3番目のローラーについては写真のとおりです。 原宿のホコ天で
踊っている人たちですが、当時ホコ天では 「タケノコ」 と 「ローラー」
の2大派閥が踊っていました。

  その後、ホコ天後期になると、そこにもう1つの派閥である 「バン
ドマン」 たちが加わります。

  ちなみに、ローラーの2枚目の写真の真ん中の人は 『あまちゃん』
の大吉さんです。

  いちばん下が 「ツッパリ」 です。 写真の男女が着ているのは学校
の制服なのであまり参考にはなりませんが、雰囲気はよく出ていると
思います。

  ツッパリの典型の1つは、極太ズボンに極細ベルト、靴は白のエナ
メル、上着がドカジャン、といったカンジです。


  こられ4つのスタイルは、それぞれまったくちがった方向に個性が
突出していて、それぞれが極端に違っているのがわかると思います。

  これらのグループは、服装とともにそのライフスタイルもそれぞれ
に違った傾向にあったのはもちろんです。

  そのため、当時はこういう歌が流行りました。
  「お前サラサラサーファーガール おいらテカテカロックンローラー」




  このあたりのコトについては、戦後イギリスで生まれた 「ロッカー
ズ」 と 「モッズ」 という2大カルチャーが参考になるかもしれないの
で、もしよければ下をクリックしてサーっと目を通してみてください。
ページのいちばん下の方にあります。

  ロッカーズ と モッズ
 http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-11-29


  現在では、ファッションスタイルがいくつかの派閥に分かれ、そ
れぞれが極端に異なっているというあり方はほとんど見られなくな
りました。

  先ほど、当時と現在とでは 『日本のファッション構造』 が異なっ
ている、変化していると書きましたが、これもそのうちの1つです。



【 当時と現在のちがい Ⅲ. 選択肢の数 】

  当時と現在とでは、もう1つ異なっていることがあるのです
が、それは、服装の各アイテムの選択肢の数です。

  ジーンズを例にとると、現在ではジーンズのブランドが数えき
れないほど存在しています。 Levis. Lee. evisu. Flat Head.
Samurai Jeans. Full Count ..... などなど。

  それに対して当時は、 ジーンズといえば Levis しかありませ
んでした。 Lee もいちおうあったのですが、シェアやインパクトに
おいて Levis に対抗できるような存在ではありません。

  また、 Levis の商品の種類についても同じことがいえます。

  現在、リーバイスのジーンズには数多くの品番があり、さらに
同じ品番であっても、色や生地、バックポケット、ステッチ、USE
D加工の違いなどによる新作を次々に発表しています。

  それらの中には、定番として定着するモデルと、売り切ったら
終了というモデルがあるようです。

 品番の数 × 色 × 生地の種類
× ポケットやステッチの違い × USED加工の種類 = ?

  主な品番においては、上の式のように、その品番内で 20~
30、またはそれ以上の種類がリリースされています。

それに対して以前のリーバイスは、カタチは 501 か 505、場
合によっては 525、色は濃紺かブルーデニム、または白、秋冬
はコーディロイ。  ・・・・・・ というカンジでした。 

このような選択肢の多さの違いは、じつはジーンズに限った
ことではなく、さらに服装に限ったことでもなく、世の中のありと
あらゆるモノゴトについて同じことが言えます。

  洋服の種類、洋服のブランド、洋服のショップ、音楽、遊び場所、
雑誌の種類、芸能人の数、メディアの数などなど、ありとあらゆる
モノゴトに関して、現在では当時よりも選択肢が10倍以上に増え
ている感じがあります。



【 当時と現在のちがい Ⅲ. 流行のあり方 】

 さらにもう1つ、当時と現在とでは服装の流行のあり方が違って
います。

  これはどういうことかというと、当時は流行がの要素がもっと強
かったということです。

  現在は、服装は基本的に 「何でもあり」 になっています。 たと
えばある年に何かが流行ったとしても、街を歩く人の大半がその
流行りモノを着るというほどではありません。

  何かが大流行したとしても、数多くある洋服のショップには、多
少流行りものが並べられる面積が増えたとしても、同時にそれ以
外のありとあらゆる洋服も並んでいます。

  それに対して当時、たとえば何かが流行したとすると、猫も杓子
もその流行りモノを着るようになりました。

これは1つの原因として、何かが流行ると、現在よりも圧倒的に
少ない洋服店の店頭にはその流行りモノばかりが並べられるよう
になったということがあると思います。

そして、当時の流行りモノはやがて必ず 「廃れ」 ました。 今と違
ってその廃れ方は強烈で、1度流行って廃れたモノは廃れた後は
絶対に着ることができない、着ると 「ものすごくヘン」 という空気が
ありました。

  当時のアパレル業界は、人々に次々と新しい洋服を買わせるた
め、このような戦略をとっていたということだと思います。

  このような、流行のモノを集中的にプッシュするという売り方が、
時代が進むにつれて、同時並行的にありとあらゆる洋服を並べて
「大量の選択肢の中から好きなものを選んでください」 という売り
方の、何でもアリの時代へと移り変わってきたということです。

  よって、以前のような 「流行のローテーション」 といったあり方が
現在では薄れているような気がします。


  さて、80年代の半ば、1つの事件が起こります。 当時一斉を風
靡した、「DC ブランド」 の大ブームです。

  これは、主にパルコや丸井といったファッションデパートを舞台
にして、BIGI. Y's. DOMON. コムサデモード. コムデギャルソン な
どのファッションブランドの洋服が大流行して売れまくったというも
のです。

  このブームは数年間つづきましたが、前半は上に挙げたような、
黒を中心としたわりとフォーマルっぽいブランドが流行り、後半に
なると、パッゾ. アバハウス. フランドル. ペイトンプレイス といった、
もう少しカジュアルなブランドがこれに加わったという感じです。

  これらのブランドの服は、みんなそれなりに高価でした。 パンツ
が1万7千円~2万5千円程度、テーラードジャケットが4万5千円~
6万円程度といったところ。

  当時は日本が経済的に元気だったこともあり、こういった服が
非常に売れたワケですが、このブームは、いわば 「洋服というジ
ャンルそのもの」 が流行したのものだといえます。

  当時、半年に1度、丸井で売り尽くしのバーゲンセールが行わ
れていたのですが、セールの日には渋谷や新宿の丸井で早朝
から長蛇の行列ができ、入場整理券が配られたりしたのですが、
その様子をテレビのワイドショーが中継で放送したりしていました。


  その後、DCブランドブームは80年代の後半にゆっくりと収束
していきます。

  そして、それにかわって現れたのが 「アメカジブーム」 です。

  アメカジーブームとはファッションにおけるブームですが、これ
にはトム・クルーズ主演の映画 『トップガン』、そして RUN.D.M.
C をはじめとするHIP HOP の流行がその背景にあります。  

  トップガンによってフライトジャケットとミリタリー的要素が、そ
してRUN.D.M.C によってアディダスをはじめとするスニーカー
が流行しましたが、それと同時に、アメカジの基本として多くの人
々がリーバイスを穿くようになりました。

  そして、これが現在にまでつながる、アメリカンストレートジーン
ズ人気の出発点ということになります。


  一方、DCブランドブーム晩期の頃から、世の中では徐々に革
ジャン(革素材の上着)が流行し始めます。

  最初に流行したのは革製のハーフコートでした。

  ハーフコートの場合非常に用途が広いので、この時は女性も
含めて幅広い層の人たちが革のハーフコート着ていました。

  これにやや遅れてフライトジャケットが流行し始めます。 アビ
レックスの B-3 や G-1 です。 この頃はまだバズもマッコイも
存在していません。

  やがてフライトジャケットブームがひと段落すると、こんどはバ
ンソンやショットなどのライダースが流行することになっていきます。 


 ・・・・・・ そして、現在も基本的にはこの延長線上にあると言っ
てイイと思います。

  アメカジブームは、はじめDCブランドブームのあとを継いだブー
ムや流行として始まったのですが、その後一向に収束する気配が
なく、そのまま定着してしまったという感じです。

  結局、さまざまな服装の中で実際にアメリカンカジュアルがいち
ばんカッコイイということなのでしょうか?

  それとも、日本が生活文化の面においてまで、ますますアメリカ
に侵食されてしまっているということなのでしょうか?

  答えはおそらく後者なのではないでしょうか?

  冷静に考えて、日本人の体型、髪の色、目の色、顔の雰囲気な
どからいって、味のあるジーンズに革ジャンといった格好がさまに
なるとは思えません。

  それよりはむしろ、ヨーロッパっぽい、ちょっと上品なテイストが入
った昔のアイビーのような恰好の方が、まだ日本人には似合ってい
るような気がします。

  しかし、人から離れて服装だけで言うと、アメリカンなジーンズや
革ジャンがカッコイイのは確かで、僕の好みももっぱらそっちの方向
です。

  今後も当分は同じような流れがつづいていくのだと思われます。 


  以上、『1970 年代以降の日本のファッションの歴史 或いは 日本
人とアメリカンジーンズ』 というお話しでした。





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