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克美しげる さんが2013年2月に死去  【殺人と覚醒剤で2度服役 経歴や事件の詳細】 [芸能]

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  大ヒット曲を複数持ち、64.65年 紅白に連続出場した歌手の克美し
げるさんが、2013年2月に亡くなりました。 克美さんの経歴や事件の詳
細について以下で詳しく紹介。 【画像、出所後TVで8マンを歌う動画】

 アニメ 「エイトマン」 の主題歌で知られ、NHK紅白歌合戦にも出場
した歌手、克美しげる(本名・津村誠也=つむら・せいや)さんが今年の
2月27日、脳出血のため栃木県佐野市の病院で死去していたことが明
らかになった。75歳だった。

  愛人を殺害して懲役10年の判決を受け服役するなど波瀾万丈の人
生であった。 晩年はカラオケ指導など地道な活動を続けていたが、表
舞台に出ることはなかった。


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  歌手で殺人犯という前代未聞の肩書を背負った克美さは、芸能界か
らは追放状態のまま、ひっそりと鬼籍に入っていた。

  克美さんは、1937年生まれで宮崎県の出身。 県立高校に在学中、
仲間と音楽グループを結成、ボーカルとして音楽活動を始めた。

  その後60年にNHK宮崎主催のオーディション合し、翌年 「ロックメッ
センジャーズ」 とバンド名を改め東京に進出した。

  デビュー曲 『霧の中のジョニー』 は40万枚の売り上げを記録。 63
年にはてテレビアニメ 「エイトマン」 の主題歌を歌い広く一般に認知
された。


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  64年にはロックから歌謡曲路線に転じた歌 『さすらい』 を発表、60
万枚のヒットをとばす。

64年、65年には2年連続で紅白歌合戦に出場、また、俳優としてド
ラマや映画にもするなど絶頂期を迎えた。

 しかし、その後は人気が低迷し活動を休止するも、この頃から、妻子
ある身で銀座のクラブホステスと愛人関係をつづけるようになっていく。


 その後も一時より人気は落ちたが存在感や知名度は持続しており、
また、本人のやる気もあったため、75年、東芝レコードがカムバック企
画を実施し再デビューすることとなった。

 そんな中、経済援助も受けていた愛人から結婚を迫られ、そうでなけ
れば妻に関係を明かすと言われて逆上し殺害。 遺体を所有する車の
トランクに隠し羽田の駐車場に留めたまま北海道でのキャンペーンに向
かった。

 2日後に遺体が発見されることにより事件が発覚。 殺人と死体遺棄
により懲役10年の実刑判決を受けて服役した (当時克美さんは38歳、
殺されたホステスは、当時35歳であった)。


《 事件のあらまし 》

克美氏の人気はながく続かず、2年後には下降線をたどることとなっ
た。 その後はテレビではなく地方のキャバレーやホテルなどが仕事の
中心となったが、スター生活の味えてしまった克美氏はこの生活に満
足ができなかった。

  71年の暮れ、すでに結婚し子供もいた克美氏はある銀座のホステ
ス(岡田裕子さん)と知り合った。 やがて克美氏に好意を持った岡田さ
んは夫と離婚し、克美氏の借金返済のため馬車馬のように働いた。

克美氏から 「妻との関係は冷え切っている」 「借金返済ができたら結
婚しよう」 と言われていた岡田さんはその言葉を信じ、収入をあげるた
め71年8月にはソープランドに転職。

  自分の生活は質素にして克美氏のために数千万円を稼ぎ貢いでいた。
しかし、克美氏にとって岡田さんは、結局便利な金ヅルでしかなかった。

  形ばかりの結婚式をあげたが、その後も妻とは離婚せず二重生活を
続けていた。

  76年春、克美氏は再起を図るため10年ぶりに新曲 『おもいやり』 を
発表。 次第に岡田さんの存在が邪魔になってきた。 5月、北海道キャン
ペーンにあたり岡田さんは、自分も同行すると言い張ったため言い争い
となる。

  克美氏は、同行すれば確実にスキャンダルとなり2度とスポットライト
を浴びることができなくなると思い岡田さんを絞殺(当時克美氏38歳、
岡田さん35歳)。

 隠し場所に困った克美氏は、遺体を車のトランクに隠したまま北海道
に赴くことになった。

  克美氏が札幌で仕事を始めている頃、羽田空港の警備員が駐車中の
車のトランクから異臭がする不審な車を発見し警察へ通報。 警察がトラ
ンクを開けたところ岡田さんの遺体を発見。

  直ちに車の所有者を割り出し、克美氏を逮捕した。

東京地裁は 「女に結婚を迫られつづけた妻子ある男が思い余って殺害
してしまった」 という情状酌量が認められ、検察側の求刑より軽い懲役10
年を言い渡し確定。

  大阪刑務所に服役し、83年10月に仮出所した。


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 その後83年に仮出所して克美さんは、バンドのメンバーでマネージャ
ーも兼ねていた人物の助力により音楽事務所を設立。 ライブを行いなが
らカラオケ教室を開設、自ら指導にあたった。 また その中で再婚もした。

 89年、覚醒剤の不法所持で逮捕され、懲役8ヶ月の実刑を受けた。

  出所後は埼玉県に再びカラオケ教室を開き、96年には32歳年下の
妻と4度目の結婚した。 妻と群馬県に移住し生活を送っていたが、その
後、心臓病・脳梗塞・顔面麻痺などの疾病に相次いで襲われた。

 2000年代に入ると体調は回復し、テレビ番組などのメディアにも出演
するようになる。 07には著書を出版、付録のCDには30年ぶりに新しい
音源による曲が収録された。


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  10年には夕刊フジの連載にも登場。 「僕に思いやりがあったらこんな
(殺人)事件を起こしていなかった。 謝っても謝りきれない」 と後悔の念
をくり返し、

  また、「あんな事件を起こしながら今さら封印を解いてくれ、解いてもい
いですかなんて、僕から言うことなんかできません」 と歌手活動への思
いも口にしていた。

 なお、1度目の出所後に得た収入により、遺族への賠償金1000万円
を払い終えている。

 晩年は、舌がもつれるなど脳梗塞の後遺症や心臓大動脈かい離に苦
しみながらも、元トラック運転手の妻の運転する車でスナックや老人ホー
ムへ出張カラオケ指導をしていたという。

  最期は妻に看取られ息を引き取った。 

犯した罪は大きいが、歌声や残した歌の価値を重んじる支援者たちに
は恵まれていた。








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