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鳥居みゆきと現在のお笑いについて [芸能]

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 vol.2 は鳥居みゆきのお笑いについて動画を交えながら考え
てみたいと思います。 似ていると話題の能年玲奈の画像と並べ
て鳥居の激カワショットもさらに大量追加 ! !


【 鳥居みゆきのお笑いについて 】

  鳥居みゆきは18歳の頃からお笑いをやっていたみたいです
が、以前はあまり面白くなかったようです。

  芸としては、天使の姿での「あるあるネタ」 やゆっくりとした口
調でのシュールトーク (万年平社員令嬢など) という感じの非常
に退屈なものでした。


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  これは本人も言っていたコトですが、若い頃は自分のかわいさ
を自覚的に売りにしていたようで、「かわいいんだけど結構面白い
ことも言う」 という方向で満足していたようです。

 これは、未だホントの芸人になりきれていないという、笑いの方
向性以前の問題であると言えるでしょう。





  彼女が、昔のNHKの若手お笑い登竜門番組に出ていた頃の動
画を見たことがあるのですが、得点が、出場したメンバーの中でず
ば抜けて最下位だったのを覚えています。

 もしかするとこの頃の鳥居は、プロフィールに書いたように所属
事務所の問題もあって、完全ないわゆる芸人ではなくて、「半芸人
的なタレント」 を目指していたのかもしてません。


 この当時の鳥居について、2つのことをお話したいと思います。
1つは、鳥居のかわいさについて。 もう1つは、いまのお笑いには
必要不可欠である 「毒」 について。

 まずは1つ目の、鳥居みゆきのかわいさについて。

  鳥居は 「以前はかわいく思われたいという気持ちの方が強かった
んだけど、数年前からそれは違うと思えるようになって吹っ切れた。
それで今の芸風をやるようになった」 と話しています。

 以前は、とてもカワイかったのだが人気がなかった、つまり魅力的
ではなかったということです。

 あえて理屈っぽい話をすると、その人が 「かわいい」 というのと、そ
の人が 「魅力的だ」 というのは、似ているようでも根本的にちがうコト
なのです。

 「かわいい」 と 「魅力的」 というこの2つは、じつはジャンルがちが
うというか所属がちがうというか ・・・・・・

 つまり、「かわいい」 と 「魅力的」 というのは実は原因と結果の関
係にあるということです。 カタイ言い方でいうと 「魅力的」 の方が上
位概念であって、目指すべきは 「かわいい」 の方ではなく 「魅力的」
の方だということ。

  カワイイから魅力的、優しいから魅力的、面白いから魅力的、「あ
の人は、かわいさで勝るけれど魅力で劣る」 というのと 「あの人はか
わいさで劣るけれど魅力で勝る」 というのとでは、後者の方が価値が
ある、後者を目指すべきだということです。

 「かわいさで劣るけど魅力で勝る」 というのは、かわいさ以外にもそ
の人の魅力をUPする要素がイロイロあるということ。


  鳥居の場合は、かわいさを売りにするのをやめて芸風を変えた。
そしたら面白さがグーンと上がって以前よりも芸人として魅力的に
なった。 その結果ブレイクしてみんな鳥居みゆきが大好き、めでたし
めでたしということです。


 そしてもう1つ、以前の鳥居には「毒」 がなかったということ。

 欽ちゃんのお笑いが通用していた頃とはちがい、現在において笑
いをとるためには「毒」の要素が必要不可欠です。

 たけし、さんま、松本人志、最近うけている有吉、これらの人たちは
「毒」 の塊のような人たちです。

 ただ、大物芸人の中で唯一例外的なコンビがいます。 それはウッ
チャンナンチャンです。 ある意味この2人は奇跡のような存在です。

  いまの時代にあって、欽ちゃん的なものとはまた違ったニュアンス
で「毒」を含まずとも面白い。 これは極めてまれなことだと思います。

 90年代において、お笑いは「ネタからトークへ」 「作り込みからそ
の場の雰囲気へ」 という大きな変革をむかえました。

 数年前までのプチお笑いブームによってネタ的な笑いが再び注目
されましたが、それはごく表面的なものにすぎません。

例えば「エンタの神様」で披露された各芸人のネタも昔と比べると
時間が圧倒的に短いものです。

 80年代の漫才ブームの頃の1つのネタの時間と比べると3分の1
から4分の1ほどになったとと思います。


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 ネタ芸が流行らなくなってきたのは、突き詰めれば、人々が1つの
物事についてどれだけの時間集中できるか、興味を持続できるかと
いう点について、その時間がどんどん短くなってきているということに
原因があるのだと思われます。

 その典型的なあれわれが、テレビのチャンネルをすぐに替えてしま
うという視聴者の傾向です。

 これについて、以前はテレビのリモコンが普及したことに原因があ
るような言われ方をされていましたが、じつはもっと深いところに原因
あったということです。

 また、現在では出版物においても1つの文章の長さがどんどん短く
なっていっていると言います。 長いと売れないのだそうです。

  さらに、テレビのコメンテーターのコメントも、今は短くまとめること
が第一条件のようです。 その内容が面白くても、話が長い人は使っ
てもらえない傾向があるといいます。

 今は、お笑いもただ消費されるだけのものになっていっているとい
う言い方もできるでしょう。。

  退屈な時間や空いている時間をただ埋めてさえくれればいいとい
う存在。それ以上のものは求めないし、だから記憶にも残らない。

「◯◯ って去年あたりからまったくテレビに出てないよねぇ? いま
まで気づかなかったよ」 というカンジ。

 こういう流れに対して、松本人志は以前から異を唱えていたとは
思います。 「一人ごっつ」 などはまさにその表れでしょう。


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 「一人ごっつ」 ではいろんなお題を出されて、それに対して松ちゃ
んが面白い答えを出したりていましたが、ただ、あれを見て「やっぱ
り松本は天才だ」 と思ってしまうのはちょっと違うと思います。

  あれはいかにもアドリブで答えているように見せていましたが、
実際はそうではないと思います。

以前、松本が書いた 「遺書」 という本がすごく売れました。 その
内容は、松本が、お笑いのことや世間のモノゴトについて素の立場
からイロイロと意見を述べるというもの。

 あの本の、本文の最初の1文はこういうものです。

 「お笑いの秘訣、それはアドリブに見せることである」  

 ・・・・・・ つまりそういうことなのです。 これを見たとき、「こんなコト
書かない方がいいのに。 気づいてない人の方が多いんだから」 と
思ったものです。


 さて、もとに戻って、人が長い時間興味や集中が持続できなくなっ
ているという話です。

 ずいぶん前のことになりますが、とんねるずの 「みなさんのおかげ
です」 において、なぜコントをやらなくなったのかと不思議に思ってい
ました。 この番組はもともとコント番組だったのです。

コントをやっていた頃のとんねるずは、もっともっと面白かったんで
す。 全盛期の面白さは、歴代芸人のなかでも屈指のレベルだったと
思います。 その面白さは、ダウンタウンの比ではありませんでした。

 「みなさんのおかげ」 の内容が変化していったのも、やはり同じこと
に原因があったようです。 つまり、ある程度時間をかけたコントをやっ
ても視聴率がとれなくなってきたということ。

  いま思うと、とんねるずこそがお笑いが変化する以前の、旧価値
観最後の大物芸人なのだと思います。 最後のネタ芸人という言い方
もできるでしょう。

  もう1つ、とんねるずに固有のことでいうと、いまは時代の雰囲気
が石橋貴明に似合っていないというのもあります。

石橋は基本的にバブルのキャラであって 「さ・つ・た・ば ポン ! 」
「BM見れば股開く」 といったセリフが似合う人です。 K-Factory
がなつかしい。


 さて、鳥居みゆきに戻ります。 現在の鳥居の笑いは表面的には
狂気を演じたりはしていますが、その本質はとても基本に忠実です。
以前からコトバ遊びをもとにしているものがとても多いと思います。

  ヒットエンドランは「あるある」 で、マサコなどはシュールとコトバあ
そび、ゴルフや牛丼屋などは要はダジャレです。







 しかし、狂気のキャラを演じるということは、つまりはトークを捨て
ているということなので、仕事の幅を狭めているという面が大きいと
思います。

 トークなしでやっていけるとは思えないので、テレビタレントとして
生きていくためには、いつかは素の状態に戻る必要があります。

  今のままでは、ネタの披露と舞台の仕事くらいしか入らないという
状況になっていくでしょう。 というか、もうその状況になっているのか
もしれません。

 本人もそれはよくわかっていると思うので、悩んでいると思います。

 やはり芸能界、芸人も含めてとくにテレビタレントという部類の人
たちにとっては、

 ①.世間に名が知られること、つまりブレイクすること ②.そのあ
とその地位をキープし続けて生き残っていくこと

 という、この2つは別のコトであって、大成するには2つの大きな壁
があるということです。

 そしてこの2つは、それぞれに必要とされる要素が異なっていると
いうことなのでしょう。

  ①をクリアできる人はわりと多いのに対して、そのあと無事に②を
クリアできるという人は、そのウチのほんの何割かの人にすぎないと
いうのが現状です。

 一方で、ときどき ② についてやたらと長けている人がいます。
勝俣とか磯野キリコといった人たちです。

 思えば磯野キリコという人は、おそらくその美貌だけで生き抜いて
きたのでしょうから、スゴイといえばスゴイ人です。

  鳥居みゆきが②を実現させるためには、やはり素に戻って司会な
どをやっていく必要があるということになるでしょう。

  現在の彼女の状態を考えると、そこに至るためには大きな大きな
変化が必要です。 道のりはキビシイ。

 それでもなんとかガンバってほしいです。


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 さて、先ほど今のお笑いには「毒」が必要だと言いましたが、実は
今に限らず、本来お笑いは「毒」 で成り立っている部分がが大きい
のだと思われます。

 「毒」 というのはどういうことかというと、イロイロあるとは思います
が、例えば1つ挙げると、普通の人だったら相手に気を遣って言うの
を控えるようなことを、平気で言ってしまうということ(=a)です。

 さんまとか、以前のビートたけし、現在の有吉などが代表的です。

 じつは(a)の手法と言うのは大昔からずっと使われている手法で、
例えシェークスピアの 「リア王」 の中には王が侍らせている 「道化」
という存在でてきます。

 黒澤明の 『乱』 はじつは「リア王」のリメイクですが、その中ではピ
ーターさんが 「道化」 を演じていました。


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 昔の王や殿様が 「道化」 という、笑いをとるコトを専門にする人を
侍らせるのは普通のことだったようですが、

道化は一切の無礼講が許されていて、王にむかって平気で 「やい、
この老いぼれ ! お前のアタマはもう使い物にならないってみんなが言
っているぞ」 というようなコトを平気で言い、それを連発することで笑い
をとるわけです。

これは一面では、人はある程度以上偉くなってしまうと、その周り
の人間はいいことしか言わなくなり、つまりホンネを言わなくなるので、
偉い人はこういうホンネを言ってくれる存在を必要としていたというこ
ともあるのだと思います。

  人や世の中についてふつうの人が言わないようなコトを言ってしま
う存在、つまり、お笑いや道化的な存在というのはいつの世も必要と
されていて、

  人々はそこから 「タテマエとホンネ」 のうちホンネの部分を汲み取
るることによってバランスをとっているということも言えるでしょう。


 しかし、こうした「毒」の要素をいっさい含まない笑いで人気を得る
人がときどき現れます。 代表的なのがサイレント時代のチャップリン
です。

  チャップリンが世界中で大人気となった頃の 『街の灯』 『モダンタイ
ムス』 などチャップリン前期の作品の笑いには、基本的に「毒」 は含
まれていません。


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彼は、その「毒」を含まない笑いで世界中の人を魅了したわけです。

 それでは、チャップリンの何が面白くてウケたのでしょうか?

 それは彼のこっけいなムーブに尽きると思うのですが、それでは
ナゼこっけいなムーブは面白いのでしょうか?

 人間にとっての 「おかしさ」の本質について、岸田秀さん(※)はこう
言っています。 人は普段適度な緊張を持続させている。 たとえば公
園にいて、目の前をカチッとスーツで決めた中年男性がさっそうと歩い
ている。

(※) 心理学者、フロイト派の精神分析学者

  このとき人は、歩く男性を見ながら無意識にその先を予想している
そうです。 つまり、「その男性は目の前を無事に横切り、やがて自分
の視界から消えるだろう」 と予想している。

 ところがこの時、目の前でその男性が地面に落ちていたバナナを
踏んでズルっと転んでしまった。 そうすると見ている人はそれを見て
笑うわけですが、それは、男性が転んだ瞬間に、自分の中で先を予
想していた緊張感が一気に解けるからだということ。

 つまり、人は緊張が解けた瞬間に笑うのだそうです。

 人間にとって笑顔というのは2つの意味があって、1つは笑ったと
きに見せる顔としての笑顔。 そしてもう1つは、相手を安心させるた
めに見せる笑顔。 人は笑顔を見ると安心するのです

 動物学者によると、人の笑顔について、その元をたどるとチンパン
ジーの警戒解除を伝える表情にあるそうです。

 チンパンジーの群れにおいて、近くに敵が現れた場合には警戒の
サインが発せられます。 そして、その危険な状況がなくなると、それ
を察知した個体が周囲の仲間に対して、人間の笑顔と同じ顔の表情
を見せることによって警戒の解除を伝えるのだそうです。

 そうだとすると、本来笑うときの顔である笑顔がなぜ人を安心させ
るのか、さらには、人は緊張が解けたときに笑うということも分かると
思います。

 このため、普通とは違うチャップリンのムーブを見ると笑ってしまう
ということです。

 しかし、その後チャップリンのそういう笑いは飽きられていきます。

 それに対応して、彼の映画にもだんだんと「毒」の要素が含まれる
ようになってきます。

 たとえば彼の、全編トーキーである初めての映画 『独裁者』 はヒト
ラーを揶揄した映画です。 つまり、存在自体が「毒」 であるという映
画で、内容も毒だらけです。 


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  さらに晩年になると 『殺人狂時代』 という、カネのために連続殺人
を犯した男の警察に捕まったときから死刑になるまでを描いた作品を
つくります。

  一時期、毒を含まない笑いで一斉を風靡したチャップリンも、やが
て毒を必要としていったということです。

 そのチャップリンを心から崇拝した日本の大物が萩本欽一、欽ちゃ
んです。

  欽ちゃんはアメリカのチャップリンの家まで行ったこともあり、チャッ
プリンがお忍びで日本旅行に来ていたときに、横浜港に停泊する豪
華客船の部屋に押しかけたこともあるそうです。

 家に行った際にはチャップリンに会えなかったそうですが、船に押し
かけたときにはなんと部屋に入れてくれたそうです。 欽ちゃんは、用
意していた片言の英語で自分がいかにチャップリンに心酔しているか
を訴えたそうです。

 さて、その欽ちゃんも毒のない笑いで70年代~80年代にかけて
一斉を風靡しました。 当時、大将(※)は週に何本もゴールデンに人
気番組を抱えて 「視聴率100%男」 と呼ばれていました。

 これは、週のレギュラーの視聴率をすべて合わせると週100%に
なるという意味です。

(※) ご存知のとおり、欽ちゃんは周りから 「大将」 と呼ばれていま
す。 ちなみにビートたけしは、欽ちゃんが「大将」 と呼ばれていること
にあこがれて自らを 「殿」 と呼ばせるようになったと言われています。


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  しかし、その後90年代に入ると欽ちゃんの笑いは急激に人気がなく
なっていきます。

 大将の場合、一度すべての番組を終わらせて休養の期間を取った
というコトも原因にはなっているのですが、やはり人気が衰えたいちば
んの理由は、チャップリンと同様、毒のない笑いで長く人気を維持して
いくのはむずかしいということだと思います。


  ・・・・・・ さてさて、90年代、お笑いに 「ネタからトーク」 へ 「作り
こみからその場の雰囲気へ」 という変化が起こったといいましたが、
じつは同じ頃、お笑いについてもう1つのもっと大きな変化が起こっ
ていました。

  じつはこの変化は、お笑いにとどまらずもっと広い範囲で起こっ
た変化で、まさに戦後日本の文化の傾向が大きく変わったとも言う
べき規模の変化です。 それはどういうものなのでしょうか?

 そのむかし視聴者は、お笑いの構造について無知のまま、いわ
ば素の状態でお笑いを見ていました。

 お笑いの構造とは、今では誰もが知っている ボケとツッコミ、リ
アクション、トーク、前に出る、からみにくい、ノリツッコミ、などのこと。

  以前の視聴者はそういうコトを分からないままに見ていたワケで、
その場合、それらを分かった上で見るよりも、もっと純粋に笑えたと
いうことです。

  これは例えばプロレスでも同じことが言えて、以前のファンはブッ
チャーやタイガージェット・シンなどの悪役レスラーは、普段から本当
に悪くて怖い人だと思って見ていました。

 その場合、試合を見ながら本当の恐怖を感じてドキドキします。
その結果、試合にのめり込んで見ることができます。 そうすると面
白さが全然ちがうワケです。

 昔は、芸能人にしろレスラーにしろ現在よりも 「プロ意識」 が強く、
それだけのオーラを放っていたという違いもあると思います。

 下は、フリッツ・フォン・エリックという往年のヒールレスラーですが、
写真1枚でその恐ろしさが伝わってきます。

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  お笑いについてもその構造を分からずに見る方が、それらを分か
った上で見るよりも、もっと純粋におかしく思えるということとです。

 視聴者がその構造を分かった上で見ている現在は、たとえば芸人
がなにか面白いことを言ったとしても、こちらとしてはそれが純粋にお
かしいというよりも 「上手いな」 という思い方をしてしまいます。

 いわば、一歩引いて見てしまうということです。

 これはアイドルについても同じことが言えて、極端に言えば以前の
アイドルは 「トイレにも行かないんじゃないか」 という雰囲気をもって
いたというか、見る側がそういう見方をしていました。

 現在では、たとえば女性アイドルでいえば、見ている側は 「素の状
態の◯◯という娘が、仕事としてアイドルという存在を演じている」 と
いうことを意識した上で見ています。

  それは、現在 「崖っぷちアイドル」 などという言い方が成り立って
いるという事実にも表れています。


  さらにもう1つ、お笑いは、「もうすでに過去に全てやり尽くしてしま
った」 という問題もあると思います。

 現在、芸人がなにをやったところで、それはもう過去に他の芸人が
すでにやったことだ、ということです。

  これは誰が悪いのでもなく、どうしようもないことだとは思いますが、
テレビ放送が開始されて70年余り、事実としてそうなってしまっている
とは思います。


  お笑い界における大物の系譜をたどると、ドリフターズ、欽ちゃん、ツ
ービート、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャ
ン、ナインティナイン

  という感じになると思いますが、やはり徐々にスケールが小さくなっ
ています。 ナインティナインに至っては、この系譜に含めるべきか微妙
なところでもあります。

  そしてナインティナイン以降は、大物といえるような芸人は現れてい
ません。 今後、大物が現れるような雰囲気もありません。

  これから先、お笑いという世界が消滅することはないとは思いますが、
この世界も徐々にパワーダウンしていってしまうのでしょうか? 気にな
るところではあります。 

  そして、この記事の主人公 鳥居みゆき嬢の10年後は?


  ・・・・・・ もう考えるのはやめましょう。 そして、彼女の美しい画像を
楽しめるうちに楽しんでおきましょう。

 ということで、最後にもう少しキレイな画像を貼っておきます。 ここ最近
似ていると話題になってる能年嬢の画像も添えて。

 最後まで読んでいただいてありがとうございました。



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どっちもかわいいなぁ ~~~


鳥居みゆきの激カワショット vol.1 はこちら
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-09-25




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