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藤圭子さん 死去  藤さんの生前の言葉から連想したコト [エッセイ]

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  藤圭子さんの 「ここ5年間で5億ですか、使いました」 というセリフから連
想してしまったあれこれについての話。 藤さんについての話ではないので
お気をつけください。

  先日、藤圭子さんが亡くなりました。

 こうして記事などを書いている立場上、藤圭子さんについての情報を調べ
ていたのですが、藤さんが最後に公のマスコミと接触があったのは2006年、
例の米の空港での5000万円差し押さえ騒動のときだったようだ。

 藤さんが米J.F.ケネディ空港で5000万円の現金を携えて飛行機に乗ろう
としたところ、麻薬の売人の容疑をかけられてお金を没収されたというもので、
それを聞きつけた日本のマスコミが藤さんに取材を申し入れたところ、藤さん
がそれを受け入れてインタビューが成立した。

 その際藤さんは 「乗ろうとしていたのはラスベガス行きの飛行機だった。 ギ
ャンブルをやるつもりだったので、そのために現金を用意するのは当たり前。

 ファーストクラスで世界中を飛び回り、イロイロとギャンブルなんかをやって
います。 ここ5年間で5億ですか、使いました」


 ・・・・・・ このセリフを聞いて、僕はあらためて 「今の世の中は、富の分配が
おかしいよなぁ」 と思ってしまいました。


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  メジャーリーグに移籍した野球選手などが毎年年俸を公開していますが、
年俸5億とか、3年間で20億とか、そういう数字です。

 そういうスポーツ選手の年俸の話題が出るたびに 「いくらなんでも高すぎる
だろ、10分の1で充分だよ」 と思っていました。 もちろんスポーツ選手の場合、
活躍できる年数が短いとかそういう事情があるとは思いますが、それでも高す
ぎると思います。

 世界が充分に進歩していて、貧しい人や生活に困っている人がいなくなって
いるのならまだしも、そうではないワケだし。

 それに、スポーツ選手の報酬がここまで高くなったのも割とここ最近の話で、
あの王さんでさえいちばん高かったときで8000万円ほどだったハズです。

 もちろん、個人の能力や努力の量のちがいによって報酬が異なるというの
はスポーツ選手に限らず当然だと思います。

 そして、その方が向上心が湧いてくるというのもあると思いますので、それは
それでいいと思うのですが、それがあまりにも極端すぎると思うのです。


 現在の金融資本主義というのは、お金をたくさん持っている人の方が圧倒的
に有利になるように作られています。

 それもそのハズで、もともとお金をたくさん持っている人たちが現在のシステ
ムを作ってきたわけですから、自分たちに有利に働くシステムを作るのは当然
です。

 その中心にいるのがアメリカのユダ金(ユダヤ金融資本家)の人たちですが、
彼らが行うビジネスは金融と石油と戦争です。

 現在、1年間に世界中で生み出される富の9割以上が軍事関係に使われて
いるそうです。 アホらしいですね。

 金融に傾倒していった結果、いつの間にかアメリカは、コンピューター以外は
“モノを作らない” 国になってしまいました。

 

 以前、世界を100人のの村にたとえる詩のようなものが話題になったことがあ
りました。 その中の、富の分配にあたる部分は以下のとおりです。

村に住む人びとの100人の
20人は栄養がじゅうぶんではなく
1人は死にそうなほどです
でも15人は太り過ぎです

すべての富のうち
6人が59%をもっていて
みんなアメリカ合衆国の人です
74人が39%を
20人が、たったの2%を分けあっています

すべてのエネルギーのうち
20人が80%を使い
80人が20%を分けあっています

75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人はそうではありません
17人は、きれいで安全な水を飲めません

銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
いちばん豊かな8人のうちの1人です
自分の車をもっている人は7人のうちの1人です

村人のうち
1人が大学教育を受け
2人がコンピューターをもっています
けれど、14人は文字が読めません



  もちろん、僕のような1個人が 「今の世の中、富の分配がおかしい」 といくら
わめいたところでなんの力にもなりません。

 「おまえ、それはヒガミだろ」 と言われてしまうのがオチかもしれません。

 ちなみに経済学者のみなさんは、「現在の資本主義がこのままずーっと続い
ていくということにはならない。 必ず次の新しいシステムが生まれる」 と考えて
いるようです。

 現代に生きる私たちは、歴史の教科書が私たちの時代のところで終わってい
るということもあって、今の自分たちが生きているこの時代こそが歴史の終着点
であるというイメージを抱きがちです。

 しかし、そんなハズはありません。 500年後の人たちから見たら、“西暦200
0年頃というのはなんて理不尽で野蛮な世の中だったんだろう” 思われるかも
しれません。  

 現在、世界で1年間に生産される富のうち、ほんの何分の1かを有効なことに
振り向ければ、世界が抱える環境問題や食糧問題は簡単に解決できるといわ
れています。

 理不尽ですね。



 ・・・・・・ 藤圭子さんの 「5年間で5億ですか、使いました」 という言葉から連想
してしまったことについて書かせていただきました。

 宇多田ヒカルさんはとてもお気の毒だと思います。 がんばって楽しく生きていっ
てほしいです。




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