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2013年8月10日 中3女子による「捨て子」 事件 ! ! [ニュース]

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  【動画】 中3女子が1人で生んだ赤ちゃんを置き去りにというニュースと、
それに関連するテーマ 「本人の望まない妊娠とそれを防ぐ避妊について
~ 日本と外国のちがい ~」 というボリュームのある記事があります。

 マンションのごみ置き場に出産直後の男児を置き去りにしたとして、埼玉
県警新座署は10日、保護責任者遺棄の疑いで新座市に住む市立中学校
3年の少女(15)を逮捕した。

 同署によると、少女は容疑を認めており、詳しい経緯を調べているという。

 男児は搬送先の病院で治療を受け、健康状態に問題はなく、命に別条は
ないという。

news5406207_6.jpg

 少女は8月10日午前4時頃、新座市内の自宅で未明に出産した男児を、
同市栗原のマンションごみ置き場に放置した疑いが持たれている。

 男児は裸でタオルに包まれ置き去りにされたが、同日午前10時頃、近所
の女性(71)が発見し、110番通報した。

 同署の調べでは、少女は親らと3人暮らし。 家族は妊娠や出産には気付
いていなかったという。

 放置現場は住宅街で人通りは少なく、出入りが自由だった。 周辺の聞き込
みなどから少女の関与が浮上した。


 ・・・・・・ ニュースが短めでしたので、この事件と大いに関係があると思わ
れる、「日本における、若年層の “本人が望まない妊娠” とそれを防ぐため
の避妊について」 というテーマで書いてみたいと思います。

 歴史をさかのぼったところから話をはじめましょう。 まず前提として、避妊と
いう事前処置をしないかぎり、人間のもつ本能から言って、当人たちの望ま
ない子供がどうしても生まれてしまうということです。

 江戸時代までの日本には人工中絶という技術はありませんでした。 また避
妊用具についても現在のように精巧なものがあるわけではありません。

 江戸時代の260年間、日本の総人口は、江戸初期が3千万で江戸末期が
3千5百万人だと言われており、平和な時代が続いたにもかかわらずほとん
ど増えていません。

 食料生産力の限界という理由もありましたが、それだけではありませんで
した。 つまりは、生まれた子供を間引くという習慣です。

 現在とはちがい、当時、物事の決定は個人が行うのではなくて共同体が行
っていました。 間引きの習慣も、共同体が組織ぐるみで行ってということにな
ります。

 日本の童謡などには、この習慣をテーマにしたものがたくさんあります。

 「とおりゃんせ」 「かごめかごめ」 「はないちもんめ」 「桃太郎」 「神隠し」
「こけし(=子消し)」 などなど ・・・・・

 このうち 「かごめかごめ」 と 「はないちもんめ」 は人身売買という要素が強
いようです。

 それでは 「とおりゃんせ」 について説明しましょう。 ご存知の方も多いと思
いますが、まずは動画で、詩に気をつけながら唄を聴いてみてください。



 この唄は、なんというか、そのまんまですね。 つまり、以前は養えなくなった
子供を神社に連れて行き、そこで息の根を止めたということなのでしょう。

 この唄にも7歳という言葉がでてきますが、当時の子供は、7歳までは半分
あちらの世界に属している存在、完全な 「生」 の状態とはみなされない存在
であったようです。

 要は、そういうふうに解釈することで、「7歳まではその子を間引くのも “あり”
だよ」 という暗黙のルールがあったのでしょう。

 「とおりゃんせ」 は、“行きはよいよい 帰りはこわい” という部分がサイコーに
怖いと思います。

 こういう唄は、もしかすると子供たちの側が親に対するイヤミとして作ったの
かもしれませんね。 

 じつは、この記事でとりあげた事件も、まさにこれと同じことなわけです。


 ・・・・・・ さて、ここからは現代の話です。

 日本は、以前と比べると避妊の件数は減少傾向にありますが、ほかの欧米
諸国と比べるとかなり高い水準にあるようです。

 これをもう少し正確にいうと、ほかの先進国はさまざまな対策を施すことによ
って大幅に避妊の、とくに若年層の避妊件数を大幅に減らしてきたのに対して、
日本では対策がとられることがほとんどなく、時代の推移や豊かさによる減少
の幅が小さく、とくに若年層の避妊件数が大幅に増加傾向にあるということです。

 さらに、日本では対策がとられないだけではなく、若年層の避妊件数が大幅
に増加傾向にあるという事実があまり知られてすらいないということがあります。 

 それでは、日本の問題を明らかにするため、外国と日本ちがいについていく
つかお話しします。 このへんからがいちばん大事なトコロとなります。

 まずは、「中絶」 という問題を社会の中でどう位置づけるかというコト。

 日本の場合 「中絶」 という事実を、極めて個人的な問題として捉えるという傾
向があります。 個人の性道徳や倫理観の問題であると言われたり、中絶という
のは “個人の領域の問題” であって、公が介入すべき事柄ではない、などの考
え方です。

 しかし、たとえば食中毒という問題があります。日本における食中毒患者は年
間5万人程度ですが、国や公共団体はこれを防ぐために莫大なコストと人員を
投じています。

 食物の安全性についての事柄である食中毒について、「それは個人の食に対
する意識の問題だ」 では済まされません。

 それと同様に、中絶の問題も、国民の心身の安全についての問題であって、
なおかつ、その技術が存在する以上、必ず一定の割合で発生する事柄なのです。

 次にもう一つ、日本固有の問題として、日本人の性質・性格という点が挙げられ
ます。

 これはどういうことかというと、日本人というのは、極端なモノゴト、あからさまな
モノゴト、タブーが含まれるようなモノゴトにはできるだけ触れないように、はっきり
させないようにして、暗黙の了解にゆだねる、みたいなところがあって、

 「そこらへんのことは、まあまあ ・・・・」 「あまりあたりさわりのないように ・・・・」

 というような傾向があると思うのですが、そういった性質によって、性に関する事
柄について明確に取り上げようとしないという部分が大きいと思います。

 そしてこのことが、日本における性教育の不徹底さにも表れていると言えるでし
ょう。 その結果、一通りの性教育を受けたはずの若者が、コンドームのつけかた
もわからなければ安全日の計算もできない、

 また逆に、性教育のカリキュラムの中に妊娠検査薬の存在を教えるということさ
え含まれていない、という結果が生まれるワケです。 

 このあたりの事柄について外国ではどのようにしているのかというと、まず、性教
育については非常に具体的であるということ。

 日本での性教育の場合、話に入る前に生徒たちが思いっきり身構えてしまって
いるようなところがあると思うので、むしろ笑いや冗談を取り入れながら楽しい雰囲
気で話しを進めていくのがいいのでは? と個人的には思います。

 外国の場合、中絶予防という事柄を、個人的な問題ではなく社会的な問題として
とらえることで、国や社会全体が問題意識を持っているという前提があるので、さま
ざまなカタチで具体的な方策がとられています。

 それは例えば、若者に無償でコンドームを配布することであったり、避妊について
気軽に相談できる窓口がイロイロあったり、また、その前提として、そういったことが
“べつに恥ずかしいことではないんだ” と思えるような環境づくり、啓蒙活動というの
がさまざまあるようです。

 例えば、彼女ができてそういう知識が必要になったから避妊について教えてほしい
という感じで窓口や施設を訪れると、向こうは歓迎してくれてわかりやすく教えてくれ
る、ということが自然に行えるような雰囲気があるといいます。


 ここで避妊方法の話しになりますが、外国では若年層ほどピルを使っているらしい
のです。 じつはコンドームをはじめとする避妊法というのは、若年層の避妊失敗例
が非常に多く、そのため、行政がバックアップしてピルの普及に努めてきました。

 それに対して、日本では長らくピルに対する偏見あり、政府もその偏見に引きずら
れるカタチで、若者がピルにアクセスすることを極端にむずかしくしたということ。

 たしかに、ピルの危険性は0%ではありません。 しかし、それと比べて中絶が女性
の身体にあたえる危険性ははるかに大きいのです。


 ・・・・・・ じつは僕が20歳そこそこだった頃、僕の身近にも中絶を複数回行ってい
た女の子がいたのですが、やはり理屈抜きにして可哀相でした。

 単純な話、自分の大切な女性が脚をおっ広げた状態のまま、冷たい器具で身体の
内部をえぐり取られるみたいなコトはあまりさせるべきじゃないと思うのであります。



 何かのお役にたてれば ・・・・・ 

 もちろんヒマつぶしでもかまいません。

 






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