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「2001年宇宙の旅」 と コトバについて [言語論もどき]

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  「2001年宇宙の旅」 という映画がある。 巨匠、スタンリー・キューブ
リックの映画だが、ほとんどの人がご覧になったことがあると思う。

 この映画、最初はサルのシーンから始まる。 人間の先祖であるこの
サルたちはいまだ何も知らない、まったくの獣の状態。

 あるサルのグループが、ほかのグループと抗争しているようだ。 する
と、一方のグループのもとにモノリスが現れる。

 やがて1頭のサルがモノリスの啓示を受けて、そばに落ちている大き
な骨を武器として使い始める。 武器の威力は圧倒的で、たちまち相手
グループのサルたちをみんなやっつけてしまう。

 武器(=道具)を使うことを覚えたそのサルは勝利の雄叫びを上げて、
その骨を空中高く放り投げる。

 投げ上げられたその骨をカメラが追う。 するとその細長い骨が、同じ形
の宇宙船に変わる。 そしてここからは2001年の場面が描かれていく。


無題.png


 ・・・・・・ オープニングは、たしかこんな感じだったと思う。

 モノリスの啓示によって道具を使うことを覚えたサルが相手を打ち負か
すというのは、人間が脳を進化させていくことによってほかの動物たちよ
りも1段高いステージに上がり、やがて地球の天下をとっていくということ
を象徴的に描いているのだと思われる。

 しかし、もう少しこまかい話をすると、人間の進化にとって決定的だって
のは、決して道具を使うことを覚えたからではない。

 そうではなくて、人間にとって真に決定的だったのは 「コトバ」 というモノ
を発明したことにあると思われる。

 コトバを使えるようになったというのは、言い換えると、抽象的な思考が
できるようになったということだ。

 抽象的な思考というのは、つまり “いま・ここにあるモノ” 以外のモノゴト
を考えることができるようになったということだ。

 つまり、昨日のことや明日のこと。 目の前のことではなくて10km離れ
た場所のこと。 となりにいる友人のことではなく、今は一緒にいない好き
な人のこと。

 昨日のことを考えるというのは反省できるようになったということで、明日
のことを考えるというのは、将来への心配や用心ができるということだ。

 たとえばサルが相手のグループと戦う場合、武器を使える・使えないとい
うことよりも、コトバを持つ・持たない、つまり抽象的思考ができるかできな
いかということの方がもっと決定的だと思われる。

 コトバを使えれば、前もって作戦を立てることができる。 前回なぜ勝てな
かったのかについて反省することもできる。 これだけで圧倒的に強い。


2001saru.jpg


 人間が宇宙に行けるのも、道具を使える用になったからというよりもコト
バを手に入れたからである。 この場合は主に数学というコトバ。

 コンピューターのハルだってコトバでできている。 コトバというものは、0
と1というたった2つの記号だけでハルのようなスゴイものを作り出す能力
がある。

 そして 「2001年宇宙の旅」 という映画も、コトバがあるからできるという
ことだ。


 ・・・・・・ だからなんなんだよ、 と言われてしまいそうだけど。


c0076382_169599.jpg



 それではもう少しつづきを。

 とてつもないパワーを秘めている 「コトバ」 にも、1つ欠点がある。 それ
はコトバのもつ “線状性” という性質だ。

 コトバというのは、1つの直線のようにあとにあとに続けていかなければ
ならない。 つまり、1つのことを完全に言い終わらなければ次のことを伝え
ることができない。

 これが画像であればそうではない。 例えば雑誌のページを思い浮かべ
てほしい。 もしも言いたいことが3つあれば、その3つを並べて書いてしま
えばいい。

 見る側は、その3つをいっぺんに理解することができるだろう。 

 コトバのもつ、このまどろっこしい性質を少しでもやわらげるために、世界
の大半の言語は述語(動詞)の部分を先にもってきている。

 I ate steak with my friend on Sunday.

 このように、ステーキを食べたという、文章の核心部分を先にもってきて
いるということだ。

 これに対して日本語の場合、

 私は日曜日に友人と一緒にステーキを食べた。

 というふうに、核心部分は最後にでてくる。

 しかし、これはこれで線状性のまどろっこしさをやわらげているのかもし
れない。

 英語や中国語のように結論部分を先に持ってきたところで、コトバの線状
性そのものをなくすことはできない。 それならば、線状性という性質により
似合うように、結論は最後にした方がいいのでは?

  どうせ1つのことを最後まで言い終わらなければ次のことは言えないんだ
から、それだったら結論を最後に持ってきた方がまどろっこしさが目立たない
のでは?

 ということなのかもしれない。


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