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欽ちゃんはなぜ没落したのか? vol.1 [芸能]

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 「欽ちゃんのどこまでやるの」 総集編の動画があります ! !

 それは必然だったのか? それとも何らかのアクシデントによるものな
のか? 表題の問いについて、その答えを明らかにしていきます。

 いまの若い人たちに質問したい。 あなたは、萩本欽一という人を知っ
ていますか?

 名前と顔くらいは知っているとしても、この人がかつてどういう人だった
たか知っていますか?

 テレビの歴史においては、たけし、さんま、タモリよりも意味の大きい人
物なのはまちがいありません。 ただ、タレント、コメディアンとしては見事
なまでに落ちぶれてしまいました。

 以下で、時代の移り変わりや周辺のモノゴトとからめて、ひとつの萩本
欽一論を展開していこうかな、と思っています。 がんばります。


 まず、経歴を先に紹介しておこう。(敬称略)

 萩本欽一は、1941年東京都台東区出身のコメディアン。 高校卒業後、
浅草の東洋劇場に入団。 研究生としてコメディアンの卵となり、幕間など
に出演しながら芸を磨いていく。

 66年、「コント55号」 を結成。 いくつかの看板番組を持つようになり、ブ
レイクする。
 71年、『スター誕生』 の初代司会者となり、翌年には 『オールスター家族
対抗歌合戦』 の司会者になる。
 同じく72年、ニッポン放送のラジオ番組 『欽ちゃんのドンといってみよう』
が開始。 聴取者からのハガキによって構成されるこの番組は人気となり、
 75年、『欽ちゃんのドンとやってみよう』 として公開テレビ番組となる。 こ
の番組で、素人を扱う、素人いじりの方式を開花させる。 また、「僕は司会
がちゃんとできないから、ちゃんとできる女の子をつけてほしい」 ということ
でアシスタントがつくが、ここから番組アシスタントという習慣が生まれた。
 76年、『欽ちゃんのどこまでやるの』 
 78年、『24時間テレビ』
 81年、『欽ドン 良い子悪い子普通の子』
 82年、『欽ちゃんの週刊欽曜日』 

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http://youtu.be/PwAHNvQDP-s 「欽どこ」 総集編の動画です。


 一週刊の自らの番組の視聴率すべてを足し合わせた数字から 「視聴率
100%男」 の異名をとったが、85年3月、充電と称してレギュラー番組を
すべて打ち切り半年間ほどにの休養をとる。
 しかし、復帰後に元の地位に戻ることができなかったという感じ。

 東京では無名に近かったダウンタウンを自らの番組に出演させて、東京
進出のきっかけを作っている。 ダウンタウンの2人は萩本氏のことだけは
ほかの先輩たちとは別格視している。 また、同じ頃ジミー大西の才能を見
出している。

 また、ビートたけしが自らを 「殿」 と呼ばせているのは、萩本氏が周囲か
ら 「大将」 と呼ばれていることへのあこがれからきていると言われている。

 ちなみに、欽ちゃんがルーツのものが非常に多い。 しらける、ウケる、
天然ボケ など。 もちろん欽ちゃん走りもそう。


 ・・・・・・ さて、85年以降、萩本氏は年を追うごとにますます時代からと
り残されて行ってその距離は広がる一方、ということになってしまったが、
どうしてこんなふうになってしまったのだろうか?

 まず1つは、芸能人というのは、やはり番組を担当していたりして責任を
担っているときに、たとえどんな理由があっても自分の都合で勝手にそれ
らをやめたり投げ出したりしてはいけないというコトだろう。

 休養にいたる前の時期、欽ちゃんは“誰が見ても少し休んだほうがイイ”
というほどの状態ではなかった。 なので、すべて打ち切って休養というの
は少し意外な感じがあった。

 それに、せっかく長年のキャリアによって築き上げた虎の子の人気番組
である。 普通なら命にかかわる場合以外はどんなことがあっても死守する
ところであろう。

 俺だったらまたスグにでも同じものを作れる、という自信過剰というか奢
りがあるのでは? と思われても仕方ないだろう。 安室奈美恵の場合も休
養まえの位置には遠く及んでいない。

 だが、いちばんの理由は他にあると思われる。

 いつの頃からが、テレビタレントはある程度 “毒” を持っている人しか受
け入れられなくなったという感じがあると思う。 そして、この変化が始まっ
たのがおそらく85年頃だったような気がするのだ。

 そしてその後はこの傾向がますます強くなっていき、90年代にはいると
この新しい傾向が完全に定着したのだと思う。

 たけし、さんま、紳助、とんねるず、ダウンタウン、みんな毒が強い。 ただ
し例外もいる。 所ジョージ、ウッチャンナンチャン。 しかし、この2組には共
通点がある。

 それは、いつも “素” の部分を出しているということ。 少なくてもそう見せ
ている。 それに、いくらこの2人でも 欽ちゃんに比べたらまだ 「毒」 を持っ
ている。 というか、この2組は毒を拒絶するということまではしていないが、
萩本氏の場合、毒を明らかに拒否している。

 “毒” の問題は、例えば以下のことにもよく表れている。 以前、欽ちゃん
門下生として 「黒子とグレ子」 というお手軽ユニットがいた。 まだ20代だ
った小堺一機と関根勤の2人だ。

 この2人のうち小堺のほうが先にブレイクした。 関根の方もラビット関根
の時代から世間に名前だけは知られていたが、このコンビの頃は小堺だけ
がメジャーな存在になっていたという感じであった。

 小堺一機というのは、大将である萩本氏の短所を受け継いでしまってい
ると思う。 それは、毒がなさ過ぎるという点だ。 しかしこの頃はまだ時代的
に毒の要素がなくてもそれが致命的というほどまでにはなっていなかった。

 それにこの頃の小堺には髪の毛がまだたっぷりと残っていて、カワイイキ
ャラとしての人気を誇っていた。

 一方の関根はグレ子のときはさわやかキャラ演じていたが、もともとはそ
ういうキャラではなくて、当時のネタなども多少の毒を含んだものだった。そ
れは今の関根さんを考えればわかると思う。

 このあと、時代が関根のほうに味方するようになり、2人の人気はやがて
逆転することになる。 そかしそれはこの時よりはだいぶあとの話。

 
 vol.2 につづきます




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