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ガリレオと科学革命 ② [学問・教養]

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 それではつづきです。 コペルニクスに続いてガリレオの解説です。

 その前に補足を。 「はじめに仮説をたてて、その後実験によってそれ
を確かめる」 という科学の手法そのものをガリレオが考え出したという
ことを書きましたが、

 詳しく調べたところ、ガリレオ以前にもイブン・アル・ハイサムという11
世紀アラビアの学者や13世紀イギリスのロジャー・ベーコン、16世紀
のウィリアム・ギルバートといった学者が同様の手法をとっています。

 しかしガリレオもその最初期の1人であり、科学的手法を広く人に知
らしめたのはやはりガリレオであるといえるでしょう。

 またガリレオは、実験の結果を数学で記述し分析するというこれまた
科学の根源的な手法を採用し、こちらの方は、まさにガリレオが少なく
てもヨーロッパでは最初の人である。


 ②.ガリレオ・ガリレイ (1564~1642) はイタリアの物理学者、天文
学者、哲学者。 ピサ大学教授、バドヴァ大学教授として数学、天文学
を教えた。

 ガリレオのいちばんの武器は望遠鏡で、当時ネーデルランドで開発
された10倍の望遠鏡をいち早く手に入れ、自ら20倍の倍率に作り変
えた。

 これによって月のクレーターや木星の衛星、金星の満ち欠けや大き
さが変わることを発見。 さらに太陽の黒点を観測した。 また、天の川
が無数の恒星の集まりであることを発見した。 望遠鏡の見過ぎによっ
て晩年に失明している。

 物理学においては 「振り子の法則」 や 「落体の法則」 (1). 落下にか
かる時間は物体の質量には依存しない (2). 物体の落下速度は、落下
時間の2乗に比例する

 天体の軌道は円であると主張し、ケプラーが楕円軌道説を発表した
あとも自説を曲げなかった。 主著は 『天文対話』。


 ③.ヨハネス・ケプラー (1571~1630) はドイツの天文学者。1599年、
プラハの大観測家のティコ・ブラーエに招かれて、ともに天文台を建設し
て21年にわたって天体の観測をつづけた。

 ケプラーのいちばんの業績は、数学的な裏づけを持った物理モデル
を提出することであったと言われている。 たとえば、太陽系の空間を半
球・立方体・三角錐などの模型を組み合わせて表現するようなこと。

 ケプラーの第1法則(楕円軌道の法則)は、惑星は、太陽を1つの焦
点とする楕円軌道上を動くということで、第2法則(面積速度一定の法
則)が意味するのは、惑星の移動速度は太陽に近いところでは速度を
増し、遠いところでは速度を落とすということである。

 第3法則(調和の法則)は、惑星の公転周期の長さは長半径のみに
依存して決まるということを意味する。

 またケプラーは、距離の2乗に反比例する何らかの力によって惑星が
太陽に引かれていることには気づいていたが、その力の正体を解明す
るまでには至らなかった。


 ④.アイザック・ニュートン (1642~1727) はイギリスの物理学者、哲
学者、神学者。 ニュートンによって近代物理学(古典物理学)は完
成したとされる。 また、最後の錬金術師とも言われている。

 相対論、量子論を経た現代にあっても、両理論が扱うような極大・極
小の値でなければニュートン物理学で足りるため、一般的な計算につ
いては現現在でもニュートンの理論が用いられる場合が多い。

 ちなみに、ニュートン物理学の哲学的な基礎付けをしたのがドイツの
哲学者イマニュエル・カントである。

 ケンブリッジ大学に入学して学び、卒業後も大学に残り、フェローとし
て研究をつづけた。

 1687年、主著である 『自然哲学の数学的諸原理』 を刊行した後は、
大学ではなく実務的な世界で地位を得たいと望むようになり、下院議
員になる。 その後王立造幣局長官に任命された。

 1704年にもう一つの主著である『光学』を刊行するが、それ以外は
科学よりも聖書研究や錬金術の実験などに没頭した。 ニュートンの蔵
書は科学関係の本よりも哲学や神学に関する本の方が多いことが知
られている。


 ・・・・・・ 以上、ニュートンによって古典物理学(相対論、量子論が誕
生する以前の物理学)は完成したとされています。 古典力学でも原子
の大きさから宇宙の大きさほどまでのスケールであれば事足ります。

 現代物理学への橋渡しとしてもう1つ重要なのがなのがマクスウェル
の電磁気学です。 一般に電磁気学はとっつきにくいのですが、重要な
部分がいくつも含まれているので合わせて解説していきます。

 アインシュタインも、私はニュートンよりもマクスウェルに多くのものを
負っている。 相対性理論は基本的にマクスウェルの電磁気方程式を発
展させたものである、と述べています。

 ⑤.ジェームス・クラーク・マクスウェル (1831~1879) はイギリスの
理論物理学者で、古典電磁気学を確立した。

 いちばん大事なのは、光は横波であり、電磁気と一体の現象であると
いうのを発見したことである。 従来、光については粒子であるという説と
波であるという説が対立してきたが、それに一応の決着をつけたカタチと
なる。

 しかし現代に入ると、光というのはこの宇宙の中でもっとも根源的で
特殊な存在だというのがわかり、光は粒子(光子)でもあるとされている。

 つまり現在では、光は粒子としての性質、粒子としての振る舞いも見
せるが、波の性質、波としての振る舞いも見せるというのが解っている。

 あまり厳密な言い方ではないが、およそ電気と磁気は同じものである。

 電磁気学によれば、身の回りのほとんどの現象は電磁的現象として
理解できるという。

 電荷は物質に固有の物理量であり、物質と電磁場との結びつきの強
さを表す量である。 電磁場は時空の各点が持っている物理量であり、
物質間の電気的作用と磁気的作用を媒介する。

 電磁場は電荷と電流(電荷の流れ)に影響を及ぼす。 この力を 「ロー
レンツ力」 という。 逆に、電荷と電流の存在は電磁場に影響を与える。
この影響ならびに電磁場の振る舞いは 「マクスウェル方程式」 で記述
される。

 この2つ、ローレンツ力とマクスウェル方程式が電磁気学のもっとも基
本的な法則である。 マクスウェル方程式からは理論的に波動方程式が
導出されるため、マクスウェルは電磁波の存在を予言した。

 そして電磁波は1888年、ハインリヒ・ヘルツによる実験で発見された。

 
 ・・・・・・ こうして古典物理学が完成したのだが、“古典”物理学という言
い方はもちろん後世からみた呼び方である。 19世紀当時の科学者たち
は、ニュートン物理学とマクスウェル方程式とローレンツ力によれば世の
中の全ての現象を理解することができると考えていた。

 19世紀末、ヨーロッパで世界中の主な科学者を集めてのシンポジウム
が開かれ、代表者によって “科学の勝利宣言” がなされた。

 「過去数百年において、幾多の偉大なる先人たちによりなされた業績
によって科学は進歩し、我われの世代に至ってついに完成の域に達した。

 全宇宙の法則はその全てがほぼ解明され、残る課題ももはや瑣末な事
象のみである。 そしてそれらもごく近い将来、我われの世代によって成し
遂げられるであろう。

 我われは勝利した。 神の座に近づいたと言ってもいい。 我われは勝利
したのだ ! ! 」


 ・・・・・・ しかし、この会合から数年後の1902年、アインシュタインによる
特殊相対性理論が発表される。

 これにより科学者たちは、 勝利宣言はあさはかな思い込みであり、この
宇宙はもっと奥が深いものであるというのを思い知らされることとなった。


 以上で 「ガリレオと科学革命」 は “The End” となります。

 つづきとして 「アインシュタインと現代科学の誕生」 を書こうかなと思って
います。




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