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ガリレオと科学革命 ① ~ 人類が経験した4つ目の革命 ~ [学問・教養]

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 大きく見て、人類はいままでに4つの大きな革命を経験してきました。そ
れは、農業革命、都市革命、商業革命、科学革命(産業革命)の4つ。

 まず、農業革命というのが紀元前8000年頃に中央アジアで起こります。
これは、人類が農業を発明し、それによりそれまでの狩猟・採集・漁労生
活から脱出していくことになったということです。

 つぎに起こったのが都市革命で、紀元前3000年頃のことです。 このエ
ポックのことを世界史では「世界四大文明が誕生した」 という言い方をした
りします。

 次が起源前800年頃に起こったとされる商業革命。 ちなみにこの商業
革命は、ほかの3つと比べると少しマイナーで、歴史の教科書などで語ら
れる量もあまり多くありません。

 この頃に行商人という人たちが誕生し、彼らは人間が集まって住む集落
から集落へと移動をくり返しながら商売をしていくのですが、彼らが他の地
域から集落にもたらす情報によって、それまではおのおのが孤立していた
集落の中で知識や価値観の相対化がおこり、それが新しい思想や宗教を
生み出していく原動力となっていったということです。

 そしてルネサンス後16世紀のヨーロッパ、とくにイタリアにおいて科学革
命が起こります。 ルネサンス期において錬金術師と呼ばれた人たちや、レ
オナルド・ダ・ヴィンチらの影響をうけた自然哲学の研究者たちがやがて科
学者へと発展していくのですが、具体的にガリレオ・ガリレイの誕生をもって
科学の誕生というふうに考えることもできます。

 ガリレオ・ガリレイ は、のちの科学者たちに決定的な影響を与えた偉大
な学者です。

 なぜ彼が偉大なのかというと、そして、ここが大事なところなのですが、ガ
リレオは、科学の手法そのものを考え出した人だからです。

 科学の手法というのは、「まず頭で考えて仮説を生み出し、その後、その
仮説を実験することによって確かめる」 ということです。

 ガリレオ以降、ケプラーもニュートンも、ダーウィンもアインシュタインもホ
ーキングも、現在に至るまでのすべての科学者が、この手法によって科学
を発展させてきました。

 また科学革命は、のちの産業革命と結びつくことによって経済的な基盤
を獲得し、さらに国家という後ろ盾を手に入れることによって飛躍的に発展
していくことになるのです。

 ちなみに、科学の手法ということについてガリレオ以外で重要なのが、2
人のベーコン、ロジャー・ベーコンとフランシス・ベーコンです。

 後者は 「帰納法」 を確立させた人物として有名である。


 それでは、ココからはすこし詳しく見ていきましょう。

 科学にもイロイロなテーマがありますが、ココではやはりガリレオも関わ
った 「自然界の法則と宇宙の解明」 というテーマについて紹介していきま
しょう。

 古代ギリシア以来、ヨーロッパやイスラム世界においての自然界に対す
る考え方やイメージはアリストテレスの自然哲学が一般に信じられていま
した。

 アリストテレスの自然観は 「目的論的自然観」 と呼ばれ、全ての物質は
存在している原因と目的を持っていると考えます。 よって、この自然観によ
ればこの世界は非常に意味に満ちたものでした。

 それに対して、デカルト以降の自然観は 「機械論的自然観」 と呼ばれ、
この世界は等質で無機質なものだとされています。

 アリストテレスによれば、この世界に存在する物質はヒューレー(質料)と
いう全てのモノに共通の材料に対してエイドス(形相)というそれぞれの物
質によって異なる特性が与えられることで成り立っています。
 
 これらの物質は、それぞれ質料因・形相因・目的因・始動因という原因を
持ち、かつ目的を持って存在しています。 物質はまた、地・水・火・風 いず
れかの性質を持っているとされています。

 アリストテレスの自然学は、彼1人のオリジナルではなくて、500年にわ
たるイオニア哲学の歴史やプラトンの影響の上に成り立っています。

 アリストテレスの自然観は、その後ルネ・デカルト(1596~1650)によって
乗り越えられます。 デカルトはガリレオ(1564~1642)と同時代の人で、近
代哲学の祖として知られています。

 西洋哲学の長い歴史の中で、デカルトはプラトン、カントと並んで間違い
なくベスト3に入る哲学者です。

 私たちが持つ自然観=デカルトの自然観といってもイイと思います。

 デカルトは従来の感覚的、物活的世界観を否定して、力学的法則が支
配する客観的世界観を見出した点でものすごく重要です。

 物体の基本的な運動は直線運動で、動いている物体は抵抗がない限り
動きつづけるという 「慣性の法則」、一定の運動量が宇宙全体で保存され
ているという 「運動量保存則」 などが含まれます。

 また、数学的における座標的という考え方もデカルトからきています。

 デカルトの思想は膨大で、ここに挙げたものはごく僅かに過ぎません。


 さて、初期宇宙論の発展についてはふつう、コペルニクス-ガリレオ-ケ
プラー-ニュートン という流れで説明されますので、ここでもそれに従って
解説していきます。

 ①.ニコラウス・コペルニクス (1473~1543)

 ポーランドの天文学者、カトリックの司祭。 それまでの天動説を否定して
「太陽中心説(地動説)」 を唱えた。 彼の地動説は、もともと新プラトン主義
の太陽信仰を解釈するための理論であったと言われ、そのような宗教的な
理由から、彼にとっては1年の正確な長さを知ることが非常に重要であった。

 そこで彼は、太陽以外の恒星を基準にして公転周期を割りだす天動説的
な考え方を改め、太陽を中心に定めてそれを基準にして計算することで1年
の正確な長さを割りだした。

 そして彼は、自らの方法による天体の測定方法や計算方法すべてを 『天
体の回転について』 という著書に記した。

 これにより、誰でもが同じ方法で1年の長さや惑星の公転半径などを測定
できるようになったが、彼が “地動説の創始者” だとされるのはこの業績に
よるものである。
 
 ガリレオは木星の衛星や金星の満ち欠けなど、地動説の有力な証拠をいく
つも発見してこの説を強く支持したが、宗教裁判によって撤回させられたのは
有名である。

 ちなみに、ローマ法王庁は1992年、ガリレオ裁判の誤りを認めガリレオの
異端決議を解く声明をだした。 また、その後もガリレオの業績を高く評価する
旨のコメントを数回発表している。

 地動説は天文学史上最大の発見だと言われることもあり、地動説の生まれ
た時代を科学革命の時代だとする場合もあるほどの発見だとされている。
 

 ② につづきます
http://perfect-news.blog.so-net.ne.jp/2013-07-13-5




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