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7月2日の建長寺の火事  【建長寺の歴史的意味を日常のコトバで解説 ! ! 】 [ニュース]

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 2日午前8時半ごろ、神奈川県鎌倉市の建長寺の敷地内にある木
造2階建ての住宅から出火した。 火は隣接する住宅に燃え広がり、
2棟が全焼した。

 出火元の住宅からこの家に住む岡田トシ子さん (87) とみられる
遺体が見つかったほか、逃げる際に女性 (64) が転倒して足の骨を
折る重傷を負った。

 住宅は建長寺敷地内にあり、同じく敷地内の寺である回春院から約
30mの距離にあり、回春院では倉庫が焼けたほか、延焼を防ぐため
建物に放水が行われ、中にある荷物が運び出されたということ。

 警察や消防が出火原因を詳しく調べているが、建長寺は現在、安全
のため、拝観者の入場を断っているという。


 建長寺(けんちょうじ)は歴史的に非常に意味のある寺院で、1259
年、鎌倉幕府5代執権・北条時頼の命で南宋の禅僧蘭渓道隆(らんけ
いどうりゅう)が招かれ建立・開山された。

 仏教は平安時代までは貴族仏教であり、貴族のステータスのような
感じがあった。 当時は書籍、経典というのは貴重なモノであって、貴族
階級でなければお目にかかれるようなものではなかった。

 それが鎌倉時代になって武士が政権をとると、仏教は武士階級によ
っても篤く信仰されることになっていく。 また、武士は民衆とともにある
存在なので仏教はこの時代、民衆にも浸透していくことになった。 仏教
の民主化と言ってもいいかもしれない。

 貴族仏教も、それはそれで京都を中心に続いていく。

 武士が仏教を信仰する際、その特徴として「精神鍛錬・質素倹約」な
どを重視するのが自然であって、そうなるとやはり仏教の中でも 『禅宗』
を選ぶということになる。

 このように、鎌倉時代は武士を含めた平民、一般階級の間に仏教が
広まった時代で、主な宗派が6宗誕生した(鎌倉仏教6宗)。

 それが浄土宗(法然)・浄土真宗(親鸞)・臨済宗(栄西)・曹洞宗(道元)・
日蓮宗(日蓮)・時宗(一遍) である。

 このうち、臨済宗と曹洞宗が禅宗であり、建長寺は臨済宗の大本山。

 ※ 開山 : 寺を開いて初代住職となること。




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