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アントニオ猪木 ⑥ [ニュース]

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 それではつづきです。

 パキスタン政府からのオファーを受けた新日本は、パキスタン・カラチスタ
ジアムで興行を行うことになります。

 そしてパキスタン側は、メインイベントの猪木との対戦相手として、代々パ
キスタン王室に使えてきた格闘一族、ボロ一族の代表者であるアクラム・ペ
ールワン選手を指名してきました。

 ・・・・・・ と、ここまではイイのですが、向こうはなんとその試合をノールール
で行うというのです。 しかも、試合の方式もなにも指定されない、どういう場
合に勝ち負けが決まるのかもわからない。 とにかくリングで戦えということ。

 これはもうムチャクチャな話であって、「とんでもないところに来てしまった」
としか言いようがありません。

 しかし、猪木はプロレスというジャンルを背負っているし、今回大勢のマスコ
ミも連れてきているというのもあります。 やらざるを得ないということです。

 猪木は相手を観察します。 体型は、お腹が出ているアンコ型。 しかしその
身体はいかにも固そうで鍛えているのは明らか。 技術ももちろん持っている
でしょう。

 しかし猪木には自負もありました。 自分は、あのカール・ゴッチにすべての
技術を学んでいる。 カール・ゴッチの技術が世界最高峰であることはおそらく
間違いない。 ならば、何がきても大丈夫なハズだ。

 ここで少し考えて見ましょう。 この当時カール・ゴッチが持っていた技術体系
というのは本当に世界最高峰だったのでしょうか?

 カール・ゴッチは、もともとベルギーのアマレス、グレコローマン五輪代表選
手でした。 オリンピックでの成績は8位入賞。 メダルを獲ることができなかっ
たので、ゴッチ本人はあまりオリンピックのことは話したがらないといいます。

 しかし五輪のあと、ゴッチはさらに強くなるために、イギリスのビリー・ライレ
ージムに入門します。 このジムは通称「蛇の穴」 と呼ばれ、キャッチ・アズ・
キャッチ・キャンというレスリングスタイルの総本山でした。

 このスタイルは、全身どこの間接でも攻めてイイし、閉め技もすべてOKと
いう、レスリングの中ではいちばん制限の少ないスタイルです。「蛇の穴」と
いう名前は、近くにあった炭鉱の労働夫たちが身体を鍛えたり強くなるため
通っていたからだといいます。 ちなみにアニメ・タイガーマスクの 「虎の穴」

 ゴッチは長年このジムで技術を学び、その後アメリカに渡ってプロレスラー
になりました。

 グレイシーによるUFCが登場して以降、従来のゴッチスタイルではバーリ・
トゥー^ドには対応できないという言い方がされてきました。 しかし、21世紀
に入って、ジョシュ・バーネットがキャッチの技術でアントニオ・ホドリコ・ノゲ
イラを破ることによって、それは間違いだというコトが照明されました。

 加えて、当時の新日本にはすでに柔術の技術も入っていました。 

 この時からさかのぼること2年、1974年に猪木がブラジルに遠征した際
に、カウーソン・グレイシー門下のイワン・ゴメスという選手がバーリトゥード
王者として猪木に挑戦してきました。

 戦ってみて、お互いに相手の戦い方に興味をもつようになり、イワン・ゴメ
スは新日本に入門させてほしいと志願します。 猪木としても、新しい技術が
取り入れることを期待してゴメスの入門を許可しました。

 これ以降約2年にわたって、イワン・ゴメスは新日本の選手に混じって道場
で練習するようになり、前座の試合にも出場するようになりました。 ゴメスは
前座試合で無敵の強さを見せていたようです。

 ちなみに、ヒールホールドという技はそれまでは日本には存在しない技だ
ったのですが、当時藤原善明がゴメスに教えてもらったことをきっかけにして
広まったようです。

 さて、こうして猪木とアクラム・ペールワンの試合が行われたのですが、猪
木は1R・2Rは相手のスタミナを奪いながら様子を見ることに終始しましたが、
2R中盤の時点で自分の負けはないと確信したようです。

 このあと、アクラムが猪木の腕に思い切り噛み付いたのと、猪木がアクラム
目の中に思い切り指を突っ込むということが起こります。 そして両者とも、相
手先にやってきたから自分も報復のためにやったんだと主張します。

 これはどちらが言っているコトが本当なのかは分かりませんが、6-4で猪
木のほうが先にやってしまったんじゃないかな? と思います。 ですが、猪木
手首には今でもこのときの歯型がハッキリと残っているようです。

 後年、猪木は東京ドームで馳浩とのシングル、同じくドームで天龍とのシン
グルマッチを行いますが、馳の目を親指で中に押し込み、天龍には指1本を
つかんでその指を折りにきたそうです。 その結果、馳の目は1ヶ月以上中の
ほうに入り込んで戻らず、天龍の指はそのときに脱臼してしまいました。

 猪木-天龍戦の中で1ヵ所、天龍が指をおさえて本物の叫び声をあげる瞬
間があるのですが、それがこの場面です。

 猪木という人は、ときどき意味もなくこういうことをやってしまう人で(猪木本
人からすると意味があるのかもしれない)、じつはこのアクラムとの試合も、4
Rに猪木がアクラムの肩を折って終了しています。

 しかしこの試合の場合は、猪木のアームロックが完全に極まっているのも拘
わらずアクラムが決してギブアップしなかったという事情があったので、折るこ
ともやむを得なかったと言えるでしょう。 最後は相手側がタオルを投入しました。

 試合が終わった瞬間、猪木は腕をあげて 「折ったぞ ! 」 と叫んでいます。

 猪木の勝ちが決まると、つまりパキスタン側からすれば王室に使える自国の
英雄の敗北が明らかになると、10万人の観衆が入っていたといわれているス
タジアムが一種異様なムードに包まれました。 怒りが爆発しそうな、暴動がお
こる直前のようなムード。 リングを取り囲んでいた軍の兵士たちは一斉に銃を
構えて万が一に備えます。

 その瞬間、猪木が試合に勝ったあとにとるポーズ、両手を挙げて 「ダーッ ! ! 」
とやるいつものポーズをとりました。

 すると、それを見た観衆たちは感激し、猪木に大声援を送り猪木を讃えました。

 じつは猪木がとった「ダーッ ! ! 」 のポーズが、彼らにはアラーの神に感謝をさ
さげるポーズに見えたのです。 こうしてスタジアムの緊張はほぐれ、猪木は強者
として尊敬される存在になったのです。

 このあと、パキスタン政府は猪木に対して正式に 「ペールワン」 の称号を授与
するという決定をくだしました。

 つまり アクラム・ペールワンの「ペールワン」は名前ではなく、「最強の戦士・つ
わもの・横綱」 を意味する称号であったということです。

 vol.7 につづきます




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