鳥山明 新連載 だけじゃないぞ ! ! 【鳥山明の歴史】 も詳しく紹介 ! ! ! [マンガ]
スポンサーリンク
大ヒットマンガ 「Dr.スランプ」 「ドラゴンボール」 などで知られる鳥山明
さんの約13年ぶりとなる新連載 「銀河パトロール ジャコ」が13日発売の
「週刊少年ジャンプ」 33号でスタートすることが、1日発売の31号で発表
された。
「ドラゴンボール」 は84年~94年に同誌で連載され、鳥山さんは同作の
連載終了後、「SAND LAND」や読み切り作品を発表してきた。
「ドラゴンボール」 は17年ぶりの劇場版アニメの新作 「ドラゴンボール Z
神と神」が3月に公開され、話題になった。
.
1日に公開された「銀河パトロール ジャコ」 のイメージイラストには少女と
老人、謎の生物が描かれている。
以下では、鳥山明さんの歴史をご紹介します。(敬称略)
鳥山明は1955年生まれ、愛知県名古屋市出身のマンガ家、デザイナー。
家は貧しかったが幼少の頃から絵を描くのが好きで、絵画教室に通って
いたという。 小学校のとき絵画コンクールで数回入賞。
愛知県立の工業高校デザイン科に進学し、美化キャンペーンのポスター
の全国高校生の部で入賞した。
卒業後は、何か絵を描く仕事につきたいという思いでデザイン会社に就職
したが、レタリングの作業がメインの仕事になり嫌気がさして2年半で退職。
その後、偶然手に取った「少年マガジン」 で新人作品募集の記事を見つけ、
入賞賞金の50万円を目当てに23歳にして始めてマンガを描き始めた。
しかしその締め切りには間に合わず、替わりに作品を 「少年ジャンプ」 に
投稿した。
作品は入賞には及ばないものの、ジャンプの鳥嶋編集者目に留まった。鳥
嶋氏は 「今は下手だけど頑張ればなんとかなるかもしれない」 と鳥山を励ま
し、鳥山は鳥嶋のもとで懸命に修行をした。
1978年、ジャンプに作品を発表し始めるが、その作品は読者アンケートで
最下位になるなど人気は芳しくなかった。 79年、月刊少年ジャンプに読みき
りの 「ギャル刑事トマト」 という作品を載せたが、その評判が良かったため週
刊ジャンプに連載されるようになった。
80年、「Dr.スランプ」の連載がスタート。 鳥山は当初、「Dr.スランプ」 は自
称天才科学者則巻千兵衛を主人公としたドタバタコメディの路線でいこうと考
えていたが、鳥嶋のアドバイスによって、少女アンドロイドの則巻アラレの方を
主人公に据えて、博士は脇に添えた。
アラレが主人公であるにも拘わらず、「Dr.スランプ」 という題名であるという
ところにも、このエピソードが感じられる。
この路線変更が功を奏して、この作品は大ヒットとなり、81年からはアニメ放
送も始まった。 アニメは最高視聴率36.9%を記録して、アニメ視聴率の歴代
3位となった。
連載1年目は多忙を極め、睡眠は3日に1回、6日連続で徹夜したこともある
という。
84年、アイデアが尽きたということで、「Dr.スランプ」 の連載は終了したが、
その後間隔を空けずに 「ドラゴンボール」 開始した。
「ドラゴンボール」 は始め、孫悟空という少年の、格闘シーン採りいれた西遊
記風冒険モノであり、アンケートでも反響はなく人気は出なかったが、天下一武
道会で人気が出たのきっかけに、シリアスな格闘マンガに変化していくことによ
って圧倒的な人気を獲得した。 これは 「キン肉マン」 とまったく同じパターンで
ある。
86年から97年まで放送されたアニメシリーズは、平均視聴率20%を超え、
国民的アニメとも言われた。
「ドラゴンボール」 は集英社の株価に影響を与えるほどの存在となり、アニメ
も並行する作品ということで、精神的にも肉体的にもハードな連載となったため、
95年鳥山は長期連載をやめることを決断。以降は長期連載を発表していない。
00年代末頃からは引退をほのめかすことが多かったが、ここにきて一転、今
回の新連載スタートとなった。
さて、どんな作品になるのか? “巨匠晩節を汚す” ということにならないように
願っている。
スポンサーリンク<br />
大ヒットマンガ 「Dr.スランプ」 「ドラゴンボール」 などで知られる鳥山明
さんの約13年ぶりとなる新連載 「銀河パトロール ジャコ」が13日発売の
「週刊少年ジャンプ」 33号でスタートすることが、1日発売の31号で発表
された。
「ドラゴンボール」 は84年~94年に同誌で連載され、鳥山さんは同作の
連載終了後、「SAND LAND」や読み切り作品を発表してきた。
「ドラゴンボール」 は17年ぶりの劇場版アニメの新作 「ドラゴンボール Z
神と神」が3月に公開され、話題になった。
.
1日に公開された「銀河パトロール ジャコ」 のイメージイラストには少女と
老人、謎の生物が描かれている。
以下では、鳥山明さんの歴史をご紹介します。(敬称略)
鳥山明は1955年生まれ、愛知県名古屋市出身のマンガ家、デザイナー。
家は貧しかったが幼少の頃から絵を描くのが好きで、絵画教室に通って
いたという。 小学校のとき絵画コンクールで数回入賞。
愛知県立の工業高校デザイン科に進学し、美化キャンペーンのポスター
の全国高校生の部で入賞した。
卒業後は、何か絵を描く仕事につきたいという思いでデザイン会社に就職
したが、レタリングの作業がメインの仕事になり嫌気がさして2年半で退職。
その後、偶然手に取った「少年マガジン」 で新人作品募集の記事を見つけ、
入賞賞金の50万円を目当てに23歳にして始めてマンガを描き始めた。
しかしその締め切りには間に合わず、替わりに作品を 「少年ジャンプ」 に
投稿した。
作品は入賞には及ばないものの、ジャンプの鳥嶋編集者目に留まった。鳥
嶋氏は 「今は下手だけど頑張ればなんとかなるかもしれない」 と鳥山を励ま
し、鳥山は鳥嶋のもとで懸命に修行をした。
1978年、ジャンプに作品を発表し始めるが、その作品は読者アンケートで
最下位になるなど人気は芳しくなかった。 79年、月刊少年ジャンプに読みき
りの 「ギャル刑事トマト」 という作品を載せたが、その評判が良かったため週
刊ジャンプに連載されるようになった。
80年、「Dr.スランプ」の連載がスタート。 鳥山は当初、「Dr.スランプ」 は自
称天才科学者則巻千兵衛を主人公としたドタバタコメディの路線でいこうと考
えていたが、鳥嶋のアドバイスによって、少女アンドロイドの則巻アラレの方を
主人公に据えて、博士は脇に添えた。
アラレが主人公であるにも拘わらず、「Dr.スランプ」 という題名であるという
ところにも、このエピソードが感じられる。
この路線変更が功を奏して、この作品は大ヒットとなり、81年からはアニメ放
送も始まった。 アニメは最高視聴率36.9%を記録して、アニメ視聴率の歴代
3位となった。
連載1年目は多忙を極め、睡眠は3日に1回、6日連続で徹夜したこともある
という。
84年、アイデアが尽きたということで、「Dr.スランプ」 の連載は終了したが、
その後間隔を空けずに 「ドラゴンボール」 開始した。
「ドラゴンボール」 は始め、孫悟空という少年の、格闘シーン採りいれた西遊
記風冒険モノであり、アンケートでも反響はなく人気は出なかったが、天下一武
道会で人気が出たのきっかけに、シリアスな格闘マンガに変化していくことによ
って圧倒的な人気を獲得した。 これは 「キン肉マン」 とまったく同じパターンで
ある。
86年から97年まで放送されたアニメシリーズは、平均視聴率20%を超え、
国民的アニメとも言われた。
「ドラゴンボール」 は集英社の株価に影響を与えるほどの存在となり、アニメ
も並行する作品ということで、精神的にも肉体的にもハードな連載となったため、
95年鳥山は長期連載をやめることを決断。以降は長期連載を発表していない。
00年代末頃からは引退をほのめかすことが多かったが、ここにきて一転、今
回の新連載スタートとなった。
さて、どんな作品になるのか? “巨匠晩節を汚す” ということにならないように
願っている。
スポンサーリンク<br />
コメント 0