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アントニオ猪木 石原 橋下 【 絶対に面白い話! 過去の選挙で衝撃の事実! vol.4 】 [ニュース]

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 猪木出馬という記事だったのですが、話があまりにも横にそれて
しまいました。 もっと短くまとめることができると思っていたのに、
どうしよう ・・・・・・ 

 さて続きです。 ふつうボクシングというのは、1年休むと、それを
取り戻すには10年かかると言われている。 つまり、もう復帰はムリ
だということ。 このことは覚えておいてほしい。 普通は1年休んだら
元の状態に戻るのはムズカしいのだ。

 70年10月、アリはようやく復帰を許され試合を行ったが、リングを
離れてからすでに3年と7ヶ月が経過していた。 その後71年3月、
復帰3戦目には世界王者のジョー・フレージャーに挑戦。 しかし判定
で敗れてしまう。 プロになって以来初めての敗北だ。 世間はこの時
点でアリは完全に終わったと判断した。

 一方、この頃から頭角を現してきたのがジョージ・フォアマンである。
フォアマンは1968年メキシコオリンピックに出場して金メダルを獲得。
翌年プロデビューし、71年5月には北米ヘビー級の王座に就いた。
その後73年1月、フォアマンはアリに勝利したジョー・フレイジャーに
挑戦し、2ラウンドKOで統一王座を獲得した。

 アリは諦めていなかった。 フレージャーに敗れたアリは、再び世界
王座への挑戦権を手に入れるため、一戦一戦コツコツと勝利を積み
重ねていく。 ビッグマウスで大ぼら吹きというキャラを演じていたアリ
だが、その実は徹底した努力と禁欲の人である。 後者について言う
と、アリは試合の1年前から女性との交渉を絶っていたという。

 そして1974年、ついにアリがジョージ・フォアマンに挑戦する時が
やってくる。 黒人運動が世界的に台頭していた時勢の中で、プロデ
ューサーのドン・キングはフォアマン対アリの試合をアフリカザイール
共和国(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行うことを決定した。 
これが有名な 「キンシャサの奇跡」 である。

 フレージャーをわずか2Rで沈め、飛ぶ鳥を落とす勢いの王者フォ
アは25歳。 それに対して、全盛期を過ぎフレージャーに敗れた挑戦
者のアリは32歳。

 普通に戦えばアリは勝てないであろう。 考えに考えたアリは、この
試合で、かなり極端な戦い方をした。

 試合が始まると、ハードパンチャーのフォアマンは前に出る。 すると
アリはそれに逆らわずに後退する。 ロープにまで押し込まれると アリ
はそのままロープにもたれ掛かり、フォアマンに好きなだけ打たせた。
対してアリは両手のガードでパンチをブロック。 自分からはパンチも出
さない。 そして、試合開始以降7ラウンド終了までその攻防が続いた。

 8ラウンド、それまでパンチを出し続けたフォアマンは、ついにスタミ
ナ切れがおこり、徐々に動きが鈍くなってきた。 フォアマンが疲労して
いるのが誰の目にも明らかだ。

 その直後、それまで何もしていなかったアリが猛然とフォアマンに襲
いかかった。 自分を打たせながら、アリはひたすらこの時を待ってい
たのだ。 フォアマンは自分がハメられたことに気づくが、もはやどうに
もならない。 ワン・ツーの連打を浴びると、その巨体はマットに沈んだ。

 後日アリは、この戦法を “Rope a Dope” と名づけ、これ以降の防
衛戦ではたびたび用いられた。 しかしパンチが当たってしまうことが
増え、そのことが後年のパーキンソン病の遠因になっているのではな
いかとの説もある。

 キンシャサでの興行は、戦後に行われたスポーツイベントの中で、も
っとも成功したものの一つだと言える。 その話題性、選手のスター性、
社会的な意義、劇的な結末、興行の収益、そのいずれもが最高レベル
に達している。

 それはファイトマネーにも表れており、アリが得たその額は75億円。
これは、歴代の世界王者が生涯で得た報酬をすべて足し合わせた額
よりも大きいという。

 vol.5 につづきます





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