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アントニオ猪木 石原 橋下 【 絶対に面白い話! 過去の選挙で衝撃の事実! vol.3 】 [ニュース]

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 さて、ここで猪木と対戦したモハメド・アリについても触れておこう。

 カシアス・クレイ(アリの本名)の生家は、黒人階級の中では比較的
裕福で安定した家庭であったので、本来アリはとてもインテリで上品な
紳士である。

 12歳でボクシングを習い始め、その後着実に才能を開花させていき、
アマチュアの大会で優勝を重ねていく。 その後、18歳になったアリは
ローマオリンピックにライトヘビー級で出場し、金メダルを獲得した。

 帰国するとすぐにプロに転向すると表明したアリは、デビュー戦を勝
利で飾った。 ヘビー級プロボクサー、カシアス・クレイは、それまでに誰
も見たことがないようなタイプのボクサーであった。 ふつうヘビー級の
選手はフットワークなどは使わない、または使えない者だと思われてい
た、しかしリング上のクレイはピョンピョン飛び跳ね、バックステップやサ
イドステップを用いながらリングの上をゆっくりと円を描くように回った。

 軽快で美しいアリの戦い方は、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」 と
形容され、ジャブ・アンド・ダンス戦法とも呼ばれた。 初代タイガーマスク
、佐山サトルのステップに似ているかも知れない。

 そしてもう一つ、クレイはそれまでのボクサーがやらなかったコトをや
った。 KOラウンドの予告である。 デビューしてから2年、アリは「次の
相手を4ラウンドにKOする」 予告。 結果、相手は4ラウンドに3度寝か
された。

 これはどういうコトなのか? クレイは相手の実力を計算して、倒すま
でにおよそ10分はかかるだろう。 いや、そうではない。 そうではなくて、
相手が誰であろうと、クレイは倒す気になればいつでも倒せたということ。

 あまり早く寝かせてしまうと、せっかく見に来てくれたお客に申し訳ない。
だから何ラウンドかは適当に相手をからかって、ある程度お客が満足し
たら疲れる前に寝かせてしまおう。 楽しんでいただけましたか?


 ・・・・・・ 64年、ついに来るべき時がきた。 王者ソニー・リストンとの世
界タイトルマッチ。 予想では1対7で挑戦者クレイが不利。そう見られて
いた。

 フタを開けてみれば、まるで勝負にならない。一方的なクレイの試合。
最後はTKO。 無敗のまま世界王座に君臨した。 試合後クレイは、自ら
の名前を 「モハメド・アリ」 と改めた。

 この改名には背景がある。 アリはボクサーとして偉大なだけでではな
く、時代を背負っていた。 そこがマイク・タイソンとは違う。

 60年代半ば、アメリカは激動の時代であった。 キューバ危機、ケネデ
ィ暗殺、公民権運動、ブラックムスリム、ベトナム戦争、ヒッピー、ビートル
ズ、ローリングストーンズ、そしてモハメド・アリ。

 アリはブラックムスリム指導者・マルコムX 思想に共鳴し、入信、改名
した。 その後アリは宗教的信念に基づいてベトナム戦争の徴兵を拒否
する。するとコミッショナーは、アリに対してプロライセンス並びに世界王
座の剥奪、無期限出場停止の処分を下した。

 さらに、徴兵拒否という重罪を犯したアリは、逮捕、投獄されてしまう。
世間は、いつも強気な発言を繰り返していたアリに対して、ここぞとばか
りに罵声を浴びせ嘲笑した。

 結局アリのボクシングキャリアは、本来であれば精神的・肉体的にもっ
とも充実していたはずの20代後半がスッポリと抜け落ちている。 全盛期
をまるごと奪われたということだ。 後に復帰するが、それ以降よりも剥奪
以前のアリの方が強かったと言われている。 復帰後のアリには以前のよ
うなダンスはもう踊れなくなっていたのだ。

 vol.4 につづきます
 



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